レヴィがシルンの元に赴いていた日――【敗者】は屋敷の中で思慮に耽っていた。
彼がもう日常のように扱っている、ハッキングツール……つまり、レヴィの作った独自プログラムのことについてだ。
レヴィの使うハッキングツールは異常だ。
いくら違う言語やプログラムを使用しているとしても、マザーシップの中枢部にまで入り込んでトップシークレットデータである演算機構の脳内を覗くなんてことは普通出来ないだろう。
プログラム、ツール、と形容すれば同じ言葉にしかならないのに、とても同じ計算式とは思えない。
【敗者】がレヴィのプログラム言語の理解を行えたのはコンパイラ後の機械語との比較を行っての解析だが、その解析に使用したプログラムはハッキングではなく人工臓器の構成プログラムの方だ。
人工臓器に使用されている疑似生命用プログラム言語mana-αはハッキングツールに使用している言語とは違う物で、恐らくハッキングツールから解析しようとしたらプログラム言語の理解は全く出来なかった事だろう。
先にmana-αの方を理解していたからこそその基礎であるmanaを理解し、さらに別の応用であるmana-xを理解して【敗者】の手でもハッキングの操作が可能になった訳だ。
しかしmana-αはまだプログラム言語の体裁を保っているが、mana-xの方は最早言語と言うより芸術だ。
mana-xを使ったハッキングはまさにレヴィの思考の異常さをそのまま体感できるかのように、プログラミングをしているというのに何故か絵を描いているようであり、線を描いてするすると障壁を抜けていく感覚を得られる。
全てのフォトンやプログラムによる障壁をあっという間にすり抜けて、ハッキングを可能にするこのシステムにはフォトンではない何か……それこそ、グラン類似エネルギーが関与している気がしてならなかった。
ダーカー因子だって機械のシステムに干渉し侵食を行うのだ。グラン類似エネルギーがツールに根付き何らかの異常を引き起こしていたとしてもおかしくない。
それにしても、チームにいた頃のレヴィはどうだったのか……。
彼女はチームにいた頃からハッキング行為などを行っていたとは思うが、それをチームメンバー達は認知していたのだろうか。
なにより、レヴィは……ルーサーの器を、どう扱っていたのだろうか。
【敗者】はそれを思考した瞬間、衝動的に立ち上がった。
知的好奇心が湧いたのなら向かわない選択肢はない。
おまけに、この曖昧な状況にはケリを付ける必要がある。
レヴィが従うべき者が誰なのかを、"前"主人に言い聞かせなければ。
――アークス研究同好会、チームルーム。
そこにかつて存在していたチームメンバーは虚空機関への内部調査によって散り散りになり、今はチームマスターとマネージャーの一部のみが残されていた。
そして、今チームルームにいるのはたった一人……チームマスター、ディナンだけだ。
ディナンは吉報を聞いてとても高揚していた。
彼にしては非常に珍しく忙しない様子で辺りを歩き、時々クスクスと笑い、かつて器があった実験ポッドをチラリと見ると耐えきれず噴き出してケラケラと大笑いする。
――ついに、ついについに。
いや、落ち着け。知られてはならない。知られたら、せっかく得たチャンスを水の泡にしてしまう。頭と胴体が離れてしまわないように、出来る限り落ち着かなくては。
そうディナンは思いながら、また辺りをウロウロと歩く。
「アイツに言ったらどうなるんだろか、ふふっ、ふふふ。お前の一番大嫌いな奴が、今でも生きてますよって言ったらさ……」
「あー怖い。俺、殺されちゃうかなぁ?でも、狡斧・ヘレストリエンはまだ誰にも認知されてないし?」
かつて昔アークスで認可されていた武器。今はクラスの統合により使えなくなった武器。
創世器にはそんなものもあり、ディナンが言うヘレストリエンもまた現在非認可の武器種アックスに該当するものだった。
しかし彼は非戦闘員。彼が使うのは力だけ……ヘレストリエンの、他者を欺くという特殊能力のみ。
彼はその能力を存分に使い今まで生き延びてきた。
その能力を使えるのは彼しかいない。その武器は彼しか扱えない。レヴィが持つアイゼンハートよりよっぽど特別な、ディナンを許容する為の武器だ。
「ふふ、逃げ道ならいくらでもあるしなぁ〜、遊んでやってもいいけどさ、ふふっ、ふふふ……」
しばらくディナンは笑ってから、ふと思いついたようにぼんやりと遠くを眺める。
「まぁでも、グレゴリーを滅ぼした神秘の惑星が姿を表したら……その時が俺の運の尽きって奴になるか」
冗談めいたように呟いたつもりだったのだがどこか胸に引っかかる。
仕方が無いのでディナンは振り返って、冗談のそれを思考することにした。
フォトナー達の母星グレゴリーと、そこに存在するありとあらゆる動植物や生命を一週間足らずで滅ぼした神秘の惑星ゼナ……。
どのような手段を使ったのかは分からないが、グレゴリーという星はゼナが太陽系第十惑星として現れ再び姿を消したその一週間の間で命運が尽きた。
直接的な原因は分からないがその惑星が関わっていることは確実。
だが数千年経った今も分からず、惑星ゼナが姿を表していないからこそ……再びオラクルの前に姿を表せば、マザーシップもアークスも全て宇宙の藻屑と化してしまう。
それだけがディナンにとっての恐れだ。
もしあれからもう一度出現していたとしたら、ルーサーが研究しているはずだ。
今でも分からないということはそういうこと。
だからグレゴリーを滅ぼした時から姿を表していないに決まっているのだ。
グレゴリーがあった位置からオラクル船団は大分離れているものの、ディナンからするとあの惑星は狙いを定めればどんな距離でも滅ぼしてくるような気がしていた。
「だが、よりにもよってルーサーの元に、ルルトビア語の単語で綴れる奴がいるってのはどういう巡り合わせだ?」
ディナンがもうひとつ引っかかっていたのは、ある一単語のことだ。
この胸騒ぎが気のせいじゃないと思うのは、神秘の惑星ゼナがいつ現れるか分からないということと、そしていまダークファルス【敗者】のそばに居るアレが、不気味で仕方ないということだ。
「
ディナンがそう呟いた瞬間、チームルームに転移反応があり彼は慌てて振り返る。
「……!」
襟を整え、メガネを正し、いつものように薄っぺらい笑みを浮かべる。
扉が開いて入ってきたのは、黒く長い髪に赤い瞳の、二十代くらいの男。
しかし、ディナンから見ればその男の素顔など見て取れた。
「貴方は……歓迎するよ、俺は貴方にずっと会いたかったんだ。まさか貴方の方から出向いてくれるなんて」
まさしく、ダークファルス【敗者】そのひと。
今はルオンとして潜伏している、ディナンにとっての重要人物のひとりだ。
「貴様などどうでもいい。貴様でなくても、同じ状況にあるのならばどんな相手にでも会った」
【敗者】は淡々と告げた。
ディナンは彼が総長だったころから様相も何も変わっていなかった。
うら若き十代後半の青年で、まさにファッションを楽しむ時期だというのに、彼はほとんど服を変えず白衣を纏い続ける。まるでかつてのレヴィのように。
【敗者】からしたら好感度は真逆だが、二人はよく似ていた。陽気そうな口ぶりの裏に吐き気を催すような邪悪な精神を秘めていることも、全く同じ。
「それでも、今ここにいるだけで俺は勝利したんだ。俺の目指していた目標は今叶う」
「……叶うことは無い」
「貴方には分からないだろうが、確かに叶うんだ」
「貴様の自分語りはどうでもいい」
「俺だってそうさ。俺は貴方の話す言葉にしか興味が無い」
二人の会話はあちらこちらにぶつかり、全速力で蛇行するように進んだあと静寂が訪れた。
虚空機関総長とその側近であった頃から二人の仲は良いわけではなかったが、本性を表してからはまともな仕事の会話すら成立しない。
これが本来の姿、本来の二人。
【敗者】は一刻も早くこの場を去りたかった。
「エル……という女の話だ」
【敗者】が本題に踏み込むと、ディナンはわかったように、呆れたようにため息を着く。
「……そんな気はしていたよ。彼女は少なくともあの段階まで失敗していなかった。確かに貴方と遭遇したのまでは感知した。その後は分からなかったが……彼女と貴方が失踪し、そして貴方だけが今ここに居る。
概ね予測は着いている。彼女が俺達の事を話して、貴方は俺達の計画を潰す為、もしくは貴方が再び虚空機関総長の座に復権する為に、俺達を利用しに来たのだろう」
「貴様は耳が腐っているのか?僕は、エルという女の話を聞きに来たと言っている。一つの嘘も偽りも奸計もなく、ただ単純にそれを聞いているだけだ」
「理解出来ないね。俺から彼女について何か話したところで、貴方の利益にはならない。それよりも、貴方の今纏うその体……俺達が作るルーサーのクローンについて、もっと有益な話をしたいとは思わないかな?」
「そうだな、あの女は色んな人間を嫌っていて、憎悪を抱いているが……"クソ男"とあだ名をつけてまで憎悪を向ける程の他人は、貴様しかいなかったな」
「彼女にそう言われるのは当たり前のことだ。俺は彼女の飼い主であり、彼女は肥溜めの中のクズの集まりの、一番マシな存在でしかないからね」
その言葉を聞いて、【敗者】はディナンを強く睨みつけた。
そう、レヴィがクソ男と呼ぶ程の存在。
レヴィに対して怯えながらも同じくらい見下し、侮辱し、馬鹿にして、その癖自分が支配者だと勘違いしている厚顔無恥の極み。
「勘違いするな。貴様は"元"飼い主だ」
「元?あぁ……今は貴方が、あの猛獣を飼い慣らしているのか。そうすれば貴方がLの話を聞きに来るのも無理は無い。アレは、……はははっ、難しいだろう?」
「難しい?そんな要素微塵もない。単純で分かりやすい、他者から向けられる感情に対して鈍感で、人の善悪も見抜けない賭博狂いの守銭奴だ」
【敗者】はレヴィを見下しているし馬鹿にもしているが、同じくらい彼女に期待し庇護していた。ディナンにはそれがない。だから、【敗者】が当然のように言ったレヴィへの印象をディナンは初めて聞き、至極興味無さそうに、……嘲笑うように大袈裟に感嘆の吐息を吐いた。
「ほぉ……貴方はそこまで彼女を理解したとは。流石、総長様だ」
「貴様より何億倍も優れた主である事は容易く証明出来る」
「そうかそうか……しかし、俺には一つ理解に欠ける所があるね」
そう言って、ディナンは【敗者】へ目を向けた。
彼がレヴィを語る時、彼女の些細な挙動や言動を思い出して思考する時……その時の様子は、あまりにも異質だった。
彼の眉は顰めているというのに暖かく蕩けたように目を細め、そこには血よりも情熱のような赤い熱を持っていた。
「目だよ、目。俺と違う目をしている。実験生物や捨て駒を見る時の目じゃない……。そんなに彼女が気に入ったのですか?総長様」
「今は総長ではない」
「あくまではぐらかしたいと……ダークファルスというのは面白いな。総長様よりは、格段に扱いやすくなっている」
ディナンとレヴィに決定的な違いがあるとすればここだ。
ディナンは徹底的に自分のペースを乱さない。
普段【敗者】がレヴィにしつこく言う、場の主導権を握りコントロールしろという言葉をまさに実現出来ているのが彼。
常に本音を悟らせず、意図的に何を考えているのか分からなくする。
元から思考があっちこっちに飛んでいく不思議生命体ではない、制御して意図を隠せる相手。
ようは、【敗者】にとっては面倒くさくて不愉快で卸しにくい相手というわけだ。
(使い方や感情はともかく、レヴィを拾っただけはある……やはり格段に面倒な相手だ。小判鮫と変わりない態度を取っていたディナンがこれだけの器を用意したというのも信憑性を帯びてきた…)
「扱う、か。人の事を付け回して人形遊びしている奴にお似合いの言葉だな。そのまま狭いドールハウスで大人しくままごとでもしていたらどうだ」
「俺にとってのドールハウスはこの宇宙全てだ。貴方だってそうだろう?」
「貴様にとっての宇宙は狭いな。惑星ひとつも無い。この小さな船の中だけで宇宙を知ったつもりになっているのなら、クソ男よりかはカエル男の方が似合うだろう」
「ふむ…俺の知ってる総長様はそういう煽り方はしない。ダークファルスだからなのか……いや、彼女も確か、そんな煽り方が好きだったね。
"言葉遊び"と言ったらいいのかな……総長様はそんな煽り方ではなくて、サラリと受け流したあとに、まるで知らないよう相手を挑発して、怒り狂った相手を冷笑するんだ。貴方のように同じ土俵に上がって殴るような人じゃない」
「誰のやり方であろうが関係ない。僕の選んだ答えだけが正しい解だ。故に僕は、貴様のそのつまらない言葉の全てが無意味なガラクタ以下の産物だと言ってやろう」
「その無意味なガラクタからLの情報を得て、貴方は何がしたいんだい?」
「塵芥を集めているだけだ。無意味なガラクタであっても、有益な物を吐けばそれにだけは価値が生まれる。とはいえ、その価値はどれほど矮小な事かは直ぐに分かるがね」
「目的は話してくれないんだね?でも構わないよ。俺は貴方と話せるだけで都合がいい」
かといってディナンが場の主導権を握っているなど【敗者】が考える訳もなく。
(会話をしている中でさりげなく聞き出そうという魂胆か。浅はかだな)
【敗者】はディナンのペースに合わせる気などなかった。
彼は目的を達成する。それを第一として、その為なら何でもする。それを徹底することにした。
だから自分の事や相手の目的などどうでもいい。
彼が識るべきはレヴィのことだけだ。
「……彼女はこのチームからの命令で僕に接触してきたと話した。フォトン適正のない女を、ダークファルスの居るマザーシップに派遣するとは……人材の使い方が随分と荒いな」
「適材適所を選んでいるだけさ。彼女が好戦的なことくらい、貴方にだってすぐに分かっただろう?」
「適材適所?フォトン適正が無いということは、ダーカー因子への耐性がないということだ。その言葉の対極にあるような行動をしている自覚は無いのか」
「俺だって本来連れていくつもりなどなかったさ。しかし、彼女は貴方がマザーシップを食らってもそこで生き延びていた。失っても痛くも痒くもない駒を、ローリスクハイリターンで派遣して、そこで成果が得られたら最高だろう?」
「ほう……貴様らの宣う"フォトンアレルギー"の中では、あの女ですら失ってもなんの損失もない存在だとすぐに判断出来るのか。随分と便利な看板だな」
ディナンは目を細める。
フォトンアレルギーを上手く使えたらどれほどいいものか。そこにポテンシャルがあることくらい分かっている。
だが、その持ち主がアレではディナンには扱いようがない。
あんな危険人物に凶器を握らせたまま、リードもなしに活用するなど現実的ではない。
ディナンからすればそんな相手を直接的使役する必要なんてない。
他人がコントロールを握って、自分は檻の外から観測し収集する。それだけで十分だ。
「むしろそっちの方が都合がいいんだよ。何年もここに居られたら、暇を持て余した彼女にここを食い荒らされる」
「知らない相手を選ぶより、明確に悪い扱いをしてきた相手を気まぐれに殺す方が愉快と……昔のあの女なら息をするように考える事だが、そもそも不愉快にさせなければいいだけの話だろう?」
「仕方ないだろう?ああやって決められたことだけさせて、隅に追いやって、自由を奪ってやらないと……俺には飼い慣らせない女なんだから」
「放し飼いか。下賎なアークスらしいな」
「貴方には飼い慣らすことが出来ているとでも言うのかな?貴方らしい言葉だ」
「当然だ」
それは【敗者】だから言える話だ。
ディナンは彼女を使役する為のリードがなかった。だから彼はレヴィに首輪だけ付けた。
だが【敗者】はリードを持っていた。
【敗者】はレヴィと契約して首輪を付け、色恋を使ってリードを繋いだ。
【敗者】にはレヴィを惹きつける顔面の良さとカリスマ性があった。
自慢出来る話でもないが顔の差だ。
「なら、貴方だって俺が飼い慣らせない理由くらい気付いたはず。」
「さあ。思い当たる節が多過ぎて、一体どれが該当するかが検討つかないな。全てだろうか」
しかしディナンにとっては容姿の善し悪しがリードになり得るとは思っていない。
彼にとってはもっと明確にレヴィを扱えない理由があった。
「知性だよ。知性が目に宿ってるんだ。拾い上げたものなら分かるだろう?その仮面に貼り付けた底に眠る幼稚さ、純粋さ、愚かさ。そして彼女のフィールドに際限なく広がり続ける知性の海」
「知性の海……そんな風に形容出来るほどあの女の知性は高くない。あの女の恐ろしい所はそこでは無い。貴様のソレは所詮、臆病なバカの遠吠えだな」
「貴方の目指すべき場所は全宇宙の始まりから終わりの全てだ。確かに、それと比べてしまえばLの見識は狭い所だろう。俺が評価しているのは、全てのシステムを自分で作り出したもので固めているところだよ。
他者に委託しないから、構成するプログラムもその弱点も、誰も知ることが出来ない」
「ハッキングでなら、だろう?あの女のセキュリティ意識は偏っている。携帯端末からロック画面を消しているんだ……そんなものなど恐るるに足りん」
だが【敗者】はレヴィに期待している。
これ程プライドの高い男が期待するということは、彼女には【敗者】を上回るだけのポテンシャルがあると考えたからだ。
言葉を変えればそれは恐れとなり、ディナンがレヴィを恐れているのと同じように、【敗者】もレヴィを恐れていた。
「なら、貴方はLの何を恐ろしいと言う?」
「全知存在に不足しているものだ」
「全知存在に不足しているもの……?」
「考えるまでもない。可能性。未知。証明不可能な物だろう」
「全知存在に不足しているものを仮にLが持っていたとして、それで貴方は何故それを恐れる?」
何故だろうか。
【敗者】は改めて思索した。
「僕がたとえ全知存在を手に入れても、この世の全てを掌握し、全ての生物を従えても、僕は一人で完璧に至ることは出来ないということだ…」
自分が全知存在を手に入れたかったのは、科学者の使命だ。この宇宙の全てを理解することは存在意義そのものであり、絶対条件に他ならない。
だというのに、全知存在の中にレヴィがいないということは、つまり全知存在は真の意味で全知ではないということになる。
「未知を永遠にあの女が持ち続けるなら、僕は全知に至った所で全てを知った訳では無い。
どんな手を使っても手に入らない不可侵の未知と可能性を秘めたものがそこにあって、僕がそれに永遠に手が届かないのならば、レヴィがいる限り僕は完全な全知にはなり得ないというのか?」
ディナンは口を挟むことなく、【敗者】の話を聞き続けた。
【敗者】は独り言のように言葉を吐きながら、頭の中でぐるぐると思考し続ける。
「それとも、レヴィが存在したという歴史があるだけで僕は彼女を殺そうが永遠に全知に至ることが出来ないというのか?彼女の抱える全ての未知は何によってもたらされ、何によって払われるというんだ?……ただそれだけだ。あの女の存在で、僕が恒久的に全てを知ることが出来ないのかもしれないという……それだけの考えだ」
「ふむ……」
【敗者】は言うだけ言い終わったあと、ゆっくりとため息をつく。
「時にはこのようなアウトプットも悪くないな。生憎僕は指名手配されていて、本人に話してもアイツは自分が僕にどんな目で見られているのか全く理解しない」
「L、いや、……レヴィ、と言ったかな?ようは、俺が知性だと判断するそれを貴方は未知と表現した訳だ。言葉は違っても性質は余り変わりない」
「底なし沼の可能性、と言いたいのだろう」
「そうだよ。しかし、そこまでくると別の興味が湧いてくる。……あぁ、こういう時は代わりに対価を与えるべきか」
神秘の名前を持つ女が、ここにいるフォトナーに神秘の存在であると考えられている。
これは偶然では無いのかもしれない、とディナンは考えた。
自分の計画を進める前に、今この場にある会合の特別さを味わうべきだと彼は思い、端末からあるデータを取り出す。
「…ッ!」
それを見て、【敗者】は目を見開いた。
そこに映っていたのは知らないレヴィ。
【敗者】と出会う前の、チームに在籍していた時のレヴィの姿だ。
「こんな物は知識の前にはなんの価値にもならないが、歴史のひとつではある。彼女の音声や映像のデータと、写真だ」
「レヴィ……」
【敗者】の漏らした声は酷く重く、粘着質で、感情の籠ったような音だった。
それは彼がシオンを呼ぶ時と似ているが少し違う。強い思慕をしておきながら、なにかもっと形の違うような、醜く愚かで、しかし情熱の籠ったような声を出していた。
「……これは俺の見間違いか、気の所為だって思いたいところだけど……ふーん」
ディナンはその様子を見て、目を細めた。
【敗者】は頬が緩み、口角が上がるのを抑えるようにひくひくと引き攣らせながらレヴィの様子をじっと眺めている。
これではまるで本物ではないか。
「これ以外には何も無いか?」
「そうだね。彼女の研究に手を触れたことはないし、此方からの命令は全て指定した事を寄り道なく真っ直ぐにやらせることだけ。あとはただ、人の形をしたただのロボットだ。
あぁ、彼女の臓器はキャストのものだから……実際ロボットと言って差し支えないのかもね」
「……ならば、貴様はもう用済みだ」
「待ってくれ。貴方に一つだけ、聞きたいことがある」
「何故それに僕が応えてやる必要がある?」
「教えてくれたら、彼女のとっておきの情報を貴方に伝えてあげたいんだ」
とっておき。
あまりにも曖昧な表現だが、今の【敗者】からすればそれでも構わなかった。
それでも構わないというのが、今の彼がおかしい証拠でもある。
「……なんだ」
「貴方にとって彼女はなんだ?」
「同じことを何度も言ってやる必要があるのか?」
「それが都合のいい隠れ蓑だって事くらい分かる。とっておきの話を知りたいなら、少しくらいそれを明かしてくれたっていいんじゃないか」
「あぁ……まあ、どうせ、全て無駄な事になる。それくらいは良しとしよう」
【敗者】は少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「僕がこれから娶る相手だ」
彼の甘とろく光った瞳を見て、ディナンは彼を凝視した。
――そうか、そうか。
そうか、これは。
ディナンは愉快な核心に至ったあと、おどけたように言葉を紡ぐ。
「……成り下がったんだね、貴方も。高潔なところがいいと思っていんだが」
「少なくとも低俗な集まりに身を下し、このようなつまらないままごとをしている連中よりは高潔だと思うがね」
【敗者】は言うだけ言うとすぐに直り、ディナンを睨み付けた。
「それで、対価はどうした。さっさと言え」
その言葉に反応するように、ディナンは歩き出し……空っぽの実験ポッドの前に佇む。
「僕達のチームルームには、彼女が来た時から居なくなるその時まで、ずっとここに貴方の器があったんだよ」
「わざわざ見えるようにする悪趣味な変態集団か。救いようもない」
「勿論、彼女だって沢山見ていたさ。俺達の話に興味が無いと、直ぐに周りを見渡して、そして最後には貴方の器だけをじっと見つめている」
そして、ディナンはある写真を【敗者】へ送付した。
それは、レヴィがかつての人形を……ルーサーの器を見つめている時の写真だ。
「面白い顔をしているだろう?これは器や研究結果を見る顔じゃない。人を見る顔だ」
それは何枚もあり、時には顔を赤らめて、時には体の湿った裸そのままの姿で、彼を熱っぽく眺めていた。
「彼女は貴方の器にしかこの表情を向けない。いつも睨みつけているか、つまらなさそうな顔ばかりしていたよ。渡した写真を見ればわかるように」
【敗者】はレヴィの写真を見続けた。
その表情はレヴィが【敗者】に向けるものと似ていたが、少し違うものだった。
最初に出会ったあの時の、静かながら期待と情熱に満ちる表情とも、今の敬い焦がれ愛するような表情とも違う。
「どうかな、ダークファルス【敗者】。貴方の器を見る彼女の目を、なんと分析するのかな?」
「俺はこう分析したよ。期待、好意、好奇心、それと……恋慕、とか。」
そのレヴィの表情は、彼女の本能に一番近い、欲望が剥き出しになったような、発情期の獣に他ならなかった。
「……話は、終わりだ」
「貴方にとってはもっと違うものを求めていたかな?伴侶にするのは、もう少し違う意図があったのかもしれないし?貴方の望む全知存在に貴方がなる為の道のりのひとつなのか、はたまた今度は彼女が虚空機関総長になっているかもしれないし……」
【敗者】にとって知るべきものは知り尽くした。
このチームもディナンももう必要ない。
「……黙れ」
【敗者】が手を翳すと、ディナンの頭上には魔法陣のような紋章が現れる。
ディナンはそれを見て、驚くこともなくクスリと笑った。
「……記憶を消す処置か。俺は通報なんてしないけどな」
「生憎、今の僕は人の記憶は消すことが出来ても歴史を消すことは出来ない」
「歴史を書き換えることは、それこそ全知存在の所業だからね」
「しかし今はそれでいい。貴様の記憶を消すだけで今は十分だ。そして僕は、得るものは得た」
「それを使って何をしようとしているのかな?あぁ、あまり人のそういう事情を聞くのは好きじゃないから……そういう回答はしないで欲しいけど」
【敗者】はディナンの声に、一切の躊躇いもなく真っ直ぐ言葉を返す。
「全知の為だ」
「そう、……理解出来ないな」
ディナンは卑しく微笑み、彼を見下すように顎を持ち上げた。
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる