『一般的に……』
無機質に流れ続ける講座の音声。
レヴィはノートを取る訳でもなく、船の中で腕立て伏せを行いながらそれを聞いていた。
ここに来てからは隙あらば資格勉強だ。
きちんと教科書を見て書き込んでという真面目な勉強もほとんど毎日取り入れてはいるものの、基本的にはこうやって作業中のながら勉強が中心である。
なんとなく聞き流しているだけのように見えるがレヴィにおいてはきちんと脳のリソースを勉強にも割いており、集中して聞いた時と同様の結果を得られている。
まあ、だからといってテストで満点取れる訳ではなく、絶対記憶能力の類がある訳でもないので、凡人が普通に動画から情報収集している時と同パフォーマンスを得られている程度に過ぎないのだが。
あと当然のことだが一級の内容は超難しい。
いくらシルンから不正受験の権利と特別指導を手に入れられるとはいえ、独りで取り入れられる範囲の知識技術は全て習得しているのが前提だ。
それと試験用の変装も用意しないといけないわけで……
「はぁっ……はぁっ……」
レヴィはゆっくりと体をうつ伏せにし休めると、そっと振り向く。
「5分休ませて……」
彼女の背中に乗っていたのは【敗者】の眷属、それも変異型であり、そのダーカーはすぐに体を退けた。
「ありがと……」
レヴィは軽い返事をしたあと汗を拭き取り、プロテインドリンクを飲み干すと壁に体を預け座り込む。
今のところは何もかも準備期間だ。
完成に向けて取り組んでいることといえばブラックローズのブラッシュアップだけであり、後は終始土台作りに徹している。
勉強途中の物を二週間程度で完璧に習得するなんてことも出来ないし、全てのタスクを完成に向け一斉に取り組むなんてできるほど器用でもなく、むしろブラックローズのブラッシュアップがほぼ完成しているだけ初心者にしては偉い方なのだが、それしか出来ていないのがどうもレヴィの自尊心を蝕んだ。
レヴィのような凡人のしかも初心者がプロ意識なんて持つものじゃないが、なにせ一番近くにいる比較対象は現状唯一の肉親であり超人無敵の天才アークスであるルビィと失われたフォトナーの技術を有し莫大な知識を持つ天才科学者【敗者】の二人だ。
彼らがどれほど卓越した道を歩み人から称えられ地位名声と誇りを持っていたかと考えると、もし同じラインからスタートしても、【敗者】やルビィの方がずっとずっと先を行っているのではないかと考えてしまうのだ。
それも分かってる。考えても無駄だと分かってる。考えてる暇があるなら手を動かすべきだし、病むのなんて暇なヤツのすることだと分かってる。
だけども一度休むとそんな思考が止まらないのだ。
「【敗者】……」
レヴィは窓の外に映る彼を眺めた。
彼は相も変わらず独りで何かしている。
見ている限り、ダーカー因子が体からバッと勢いよく溢れ出した後、それが少しづつ弱まっていき、また溢れ出す……といった事が繰り返されていた。
回復しているということなのだから、内在するダーカー因子の量は増えてるはず。
アークスシップに帰ったあとの為に、膨大なダーカー因子を抑え込む練習をしているのだろう。
レヴィは自分の中にあるものが何かすらわかっていないのに、【敗者】はそれをわかった上で自分のものにし、制御しようと試みている。
彼も頑張っているのだ。
だから、レヴィは【敗者】に背中を任せてもらえるバディでありたいと思った。
「頑張らないと……」
その言葉のあと、レヴィはトレーニングを再開した。
トレーニングの後は一人で戦闘訓練を行い、その後はブラックローズのブラッシュアップ作業の仕上げを行い、完全なる徹夜で時間を経過させた後、レヴィは眠りについた。
厳密に言えば、体が限界に至り気絶した。
――その日、レヴィは夢を見た。
何も特別な夢ではない。今まで何度も見ていた夢だ。
ゴミの積まれた汚らしいガレージの中。
ボロボロの体に、足に繋がれた一本の紐。
そしてひしゃげた指で握りしめたナイフと、そこから滴る赤い血の色。
レヴィが初めて生きたいと思った日。
初めて人を殺した日、その景色そのままだ。
目の前に転がる男には無数の刺傷が付き、首が引き裂かれ、目玉は執拗に潰されている。
全部レヴィがやったことだ。
彼女はその時の震えと高揚感がよく記憶に残っている。
名前も知らない男の死体を見て、レヴィは酷く笑って、けたけたと笑い転げて、そして男の家を漁りに漁って奪い、破壊し、飼っていた魚も食べて全てを無に帰した。
そしてその時夢が出来たのだ。
アークスになって、両親も姉も自分を見下した奴らも、全部殺してやりたいと。
彼女にとっては美しい夢だった。
だが順風満帆な人生ではなかった。
家族から離れ、自分を苦しめる鎖から離れても、オラクルという場所はレヴィにとっては変わらず地獄だった。
だからこの夢は未来に進んでも過去に進んでも変わらず地獄なのだ。
今までレヴィはどちらのパターンも見てきた。
ここから時間が巻き戻り、小さな倉庫の中で両親に虐待され続ける日々も、アークスになるため裏の社会で媚びへつらい、石を投げられながらも必死に死体を処理していた日々も、どちらもよく知っている。
学生時代も知っている。
大人になってからも知っている。
今は……今は、知らない。
「……【敗者】」
その場所から未来も未来。
【敗者】の姿が見えるのはあまり慣れない。
初めてでは無いが、記憶にはない。
夢に出てくる【敗者】はいつも優しくない。
いや、今なら現実の【敗者】と同じだと言えるだろうか。
夢の中の【敗者】はいつもレヴィを見捨てる。
いつもレヴィを無価値な出来損ないだと言い、レヴィよりもいい駒を見つけたといい、いつもレヴィを廃棄する。
そんな姿をレヴィは見守りながら、足掻くこともせず受け入れるしか出来ない。
今日も同じだった……
【敗者】はいつものようにレヴィに失望し、いつものようにレヴィに冷たい目を向け、いつものように背を向ける。
いつもはそこで目が覚めるのだが、今日は運悪く目が覚めなかった。
「……わたしに、なにをしてほしいの?」
背を向けたまま動かない彼。何かをしなければこの悪夢は目覚めない。
いや、……そもそもこれは、夢なのだろうか?
レヴィに失望することも、レヴィに冷たい目を向けることも、現実の彼と全く同じじゃないか。
「現実がダメなら夢でくらい、いい気持ちを……なんてさせてくれるほど、この世界の神って奴はわたしに優しくないか」
クソッタレ。レヴィはそう吐き捨ててから、ゆっくりと武器を取り出した。
こういう時の選択肢は二択だ。
【敗者】を殺すか、自分が死ぬか。
レヴィは銃口を上げ、ゆっくりと彼の後頭部に照準を合わせる。
現実なら到底しないことだろうが、これが夢から出るためのギミックであるというのなら今はそれを躊躇うことはしない。
だが、今に関してはあくまでポーズだ。
自分の見るような夢がたかが【敗者】を殺しただけで終わるものか。
本当に求めているのは、こっちだろう。
レヴィは銃をくるりと回して自分の方に向け、口を開く。
黒光りする銃口を咥え込み、引き金に指を掛けて。
その指に力を入れた時、ふと【敗者】から声を掛けられた。
「貴様は……何の為に行動する?」
ようやくギミックが動いた、と察した瞬間銃を動かし、レヴィは【敗者】に向けて意地悪に目を細めた。
「……なんて言って欲しい?あんたのため?契約のため?それとも、わたし自身のため?」
「……」
【敗者】は何も答えない。
いっそこっぴどく罵倒してくれた方が嬉しいのに、とレヴィは心の中で呟き眉を顰める。
「システムに従った言葉しか喋れないなんて、ほんとつまんないから」
予測可能な言動も決まった動きをしないと進行しないギミックも何もかも退屈だ。
ストーリーのあるゲームは好きじゃない。
予定調和の為に無駄な苦労させられるオナニーの押しつけと変わらないから。
だから、レヴィは思ったよりも現実が好きだ。
どれだけ生きていちゃいけない人間だと言われても、生きていることができるから。
「あんたの為だよ。あんたの為に行動してる時が、一番ゾクゾクする」
「……そこまでして何が欲しい?」
「さあ?既に返しきれないくらいのものは貰ってるからね。恩返しかもしれないし、罪滅ぼしかもしれない」
実際、何が欲しくてこんなことをしているのかは分からない。
自分がしたいと思ったからしているだけで、将来的に何が欲しいからとか、目的とか、そういうのは予定はしていても確実では無い。
孤独に生きることを選んでいた自分が【敗者】のバディを選んだように、そんなものは全て気分で変わる。
だが、悪趣味な【敗者】を名乗るシステムはレヴィの言葉を聞いて満足しなかった。
「愛されたくはないのか?」
その言葉に、レヴィは目を丸くして、唖然としたように【敗者】を見つめてから……引き攣ったようにケタケタと笑い始める。
「あは……あはははっ!何言ってるの?言ったところであんたが与えてくれるとでも?」
声は笑っていたが目は笑っていなかった。
よりにもよって、お前がそれを言うか。
レヴィの視線は【敗者】へ向けそう物語った。
「なら、貴様は何で僕を定義している?」
「何でって……ダークファルス【敗者】は一個体しかいないよ」
「僕と同じ見た目で、僕と同じ性格で、僕と同じ声で、僕と同じ動きの別人がいたらどうなんだ?」
「さあね……会ったことないし、考えたこともないや」
「本物の僕がレヴィを愛さないとして、偽物の僕がレヴィを愛すると言うなら?」
意地悪な問答が終わる気配もなくまだ続く。
ウンザリだ。
泣いて縋っても納得するわけがないくせに。
この悪夢はいつだってレヴィの心を壊す為にしか存在していない。
遠い過去の苦しみを思い出させ、追われてきた歴史と逃げて抱えた憎悪を募らせて、ただ虚無へと返す事しか出来ない。
「自分から偽物だと言ってる時点で、そこに価値は無いよ。
それに、これだけは言える」
退屈だ。分かりきった回答を分かりきった範囲で繰り返すだけなんて無意味だ。
レヴィは【敗者】の目をじっと凝視した。
彼の目に浮かぶ知識欲の先にいるのが誰かわかっている。
さざめく波、溢れ出る知識、過去から未来までを見守る静謐な眼差し……演算する海、シオンそのひとだ。
「あんたはわたしの見た目よりシオンの見た目がいいし、わたしの性格よりシオンの性格がいいし、わたしの魂よりシオンの魂の方がいい。シルンの奴には無駄な嫉妬だって言われたけど、これは単なる事実だから」
この場の全てに感情は無い。事実を繰り返しているだけだから。
恋も感情も全部自己完結の概念だ。
それでも、口にすると声は自然に哀しみを帯びる。
「あんたは、わたしが死んでも覚えていてくれる?怒ってくれる?シオンが死んだ時みたいに、わたしに対して感情を抱いてくれる?」
【敗者】はレヴィをただぼんやりと見つめていた。
彼は完全に無を演出しているのに、何故かレヴィの内で【敗者】の恋情を感じた。
「泣いてくれなんて言わないよ。でも、あんたが今でもシオンの事を心に残してるみたいに、わたしが死んでもあんたの心に残ってくれる?」
【敗者】がどれほどシオンを想っていたかなど聞くまでもない。
新しい感情を与え懐かしい過去の情操を思い出させるだけのレヴィと違い、【敗者】がどれほど長い時間、どれほど強い感情で彼女を一途に求めてきたか、レヴィは分かっている。
彼が今こうして孤独に苛まれているのも、紛れもなく彼女のせいだから。
「シオンはあんたに消えない傷を付けた。あんたがそんな風になった原因となった奴も、あんたに消えない傷を付けた。わたしはそれを癒したいと思った。わたしはあんたに苦しんだり悲しんだりして欲しくないし、痛みを感じて欲しくないから」
"_______"。ダークファルス【敗者】が全知の為のダークファルスとなったのも、彼女がきっかけだった。
レヴィはそのどこにもいない。
それは良い事かもしれないが、同時に最悪でもある。
「でも、わたしって最低な女だから。あんたが悲しむ所は見たくないのに、わたしが死んだ時は悲しんで欲しいって心の底では思ってる。
そういう卑しさをあんたは見抜いてるから、わたしに振り向かない」
嘘は付いていない。レヴィにとってはどちらも本心だ。【敗者】に苦しんで欲しくはないけど、自分がいなくなった時はシオンと同じくらい苦しんで欲しいと思っている。
【敗者】に愛される必要なんてないと思う心も本心だし、【敗者】に愛されたいと思う心も本心。
レヴィにとっては全てにおける相反する物のどちらも彼女の内側にある。
だからこそ彼女は奇妙な人間だ。
「あんたはまともな女に惹かれるんでしょう。極端な生と死を求めて、スリルに身を焼いて、何時だって最高の快楽だけを求めてるやつは、あんたにとって煩わしい存在でしかない。
なぜなら、あんたはサピオセクシャルのクソ野郎だから」
覚えている。レヴィが前に【敗者】の其れをサピオセクシャルだと言った時、彼は憤慨していたことを。
だが、今の【敗者】は所詮システム。
レヴィのその言葉にも僅かに眉を顰めるだけで、怒るようなことは無かった。
「確かに、貴様は最低最悪の畜生で、獣のようで、他人を傷つけることになんの躊躇いもない嘘つきだ」
「そう。知ってるよ、それくらい。わたしは分かってて選んでるんだから。例えシオンが品行方正でまともな女だったと言われても、わたしはそんな風に自分を矯正出来ない。
もしそうしてたら、わたしは生まれてから一年も生きられなかったでしょうね。
それくらいわたしの人生は最悪の連続で、わたしは人に優しくすることも人から愛されることも諦めて、価値がないことも分かっているのにどうにかして価値を求めようとしてるから」
分かりきったことを言っているだけなのに嫌になる。
レヴィの中では何故か、自分と【敗者】はずっと恋をして愛を紡いでいるのが当たり前の懐かしいことのように感じていた。
だがそうじゃない。現実は悪夢だ。現実は今目の前にいる【敗者】で、レヴィが現実だと思っていたのはただの理想の、自分の心の中で広げた夢に過ぎないと思い知らされ続ける。
「だが、僕は……」
【敗者】がゆっくりと口を開いた。
彼が言葉を紡ごうとしても、レヴィはすかさず覆いかぶせるように矢継ぎ早に声を出す。
レヴィは【敗者】を睨みつけていて、【敗者】はレヴィを寂しそうに見つめていた。
「知ってる。わたしのこと、クソほど嫌いだって事くらい。
わたしは自分のしたいことしかしないから」
「僕はレヴィを……」
「言われなくても、満足したらあんたの前から消えるよ。わざわざあんたが殺さなくても、わたしは自殺くらい簡単に出来る。わたしたちの関係に、別れの挨拶なんて要らないでしょう」
レヴィの言葉を聞いて、【敗者】は静かに言葉を繋げた。
彼女の視界に映る彼は一瞬だけ同じなのに全く違うような姿になり、その瞳に遠い星々の輝きが映り込むと、彼は柔らかく微笑む。
「ずっと、待っている」
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる