オカルト本に書いていなかったのはもちろん、アリスティアの話からも大いなる陰が逃げるという情報はなかった。
アリスティアは確か大いなる陰に関わっていたアークズや総督府、軍部の人間関係が面倒臭くエンドゥーが大いなる陰を滅するまで何度も時間を戻した、苦労したと思考していたはずだ。
彼女の思考から大いなる陰の除去に苦労したのは菌を狙った組織の対立や内輪揉めだと考えていたのだが、どうやら大いなる陰本体も逃げ回っていたらしい。
故にC.A.R.D.技術を発展させようとした総督府もそれを妨害しようとしたアークズも我先に大いなる陰を見つけるために争っていた……ということになるのだろう。
「うーん……」
レヴィはダーカーの巣窟を歩いていた。
【敗者】からはとっくに探してとっくにいなかったと言われているが、レヴィにはどうも疑い深いものがある。
なんとなくだが、大いなる陰はまだ近くにいる気がするのだ。
あれほど強大な気配が完全に失われた訳では無いからこそ、船の中にあるのではないかと探し回った。
船の中ではその気配が増すこともないから見つけられなかっただけで、そのオーラが強くなっていけば見つかるはずだろう。
レヴィは独りでその駄々広い空間を歩き続け、土を踏み泉を渡り導かれるようにふらふらとあらぬ方向へ進んでいく。
「……あ……」
彼女の進む方にはどんどんと嫌なオーラが漂っており、行き止まりに到着するとそこには一際深い泉があった。
「ここ……」
レヴィからは見えないが、その泉には無数の毒々しい色の蔦が張っており、辺りを覆うように伸びている。
そしてその泉の中には、黄色く光る目から赤くブヨブヨとした透ける肉のようなゼリーのような何かが水中へ伸びていた。
(こんな近くにいたのに……探してたなんて嘘なんじゃ?)
レヴィはそう考えながら一歩足を踏み出す。
その足音を聞いて水中に伸びていた肉は水を抜け出し地上へと少し伸びると、誘うようにレヴィの方を見ながら佇んだ。
「もう成長してるの?」
レヴィが一歩一歩と歩みを進めていく中、まだ何の生物も取り込んでいない大いなる陰は薄く透き通った肉を脈動させる。
それは一瞬の事だった。
「え?」
シュッ、と鋭い音がレヴィの耳に入ったかと思えば、彼女は紫色の蔦に絡め取られ大いなる陰の中へ引きずり込まれる。
赤黒い肉が地獄の門のように開き、レヴィの体躯を包み込むと水中へ仕舞われていく。
大いなる陰がその肉を閉じ込めた時、地上にレヴィの姿は全くあらず。
透き通った肉の一片にも、彼女の痕跡は見えなかった。
そこにあったのはただの静寂。
地獄のように赤く照り盛る太陽が煌めく中、紫がかった霧に包まれた静かな空間に、レヴィは独りで立っていた。
それはレヴィがあの時脳裏に浮かんだ場所。
「……ここは?ラグオル?」
大いなる陰が居た、あの場所だ。
しかしレヴィはそれと同じくらい驚く事があった。
見える。
目の前の景色が何か、レヴィにはっきり見える。
「目が……見えるの……?」
レヴィの声は一瞬大きく弾んだが、しかし自分の状況を思い出すと首を横に振った。
ダーカーの巣窟から急にラグオルに転移して目が見えるようになるなんてことが予兆もなしに起きうるとは思えない。
これは夢に違いない、と。
だが夢の中のこの景色はレヴィが今まで脳裏に浮かんでいた景色とは決定的にひとつ違う部分がある。
「大いなる陰はどこ……?」
深く大きく穴の空いていたはずの床は薄黄色い地面で塞がっており、ナベリウスの大木にも負けないほど太い大いなる陰の体躯は見る影もなく。
「うーん……【敗者】とか【巨躯】の影響はどれくらいあるのかな……?」
レヴィは迷った末、行き止まりだったその場所から逆行するように進むことにした。
道を進んでいくほど紫色の霧は薄れていき、薄暗くどこか神聖さも感じるような雰囲気が辺りを包んでいく。
道中には生物の概念はないに等しいが常に何かの胞子のような物が舞っており、レヴィがふと異物を見つけて目を向けるとそこには武器が転がっていた。
「水色のランチャーと黒い大剣……?」
片割れた物がひとつになるように二つの武器は折り重なって寄り添う。
『ふふ、ふふふっ』
「っ!」
レヴィはそれに近付き手を伸ばすと、少女の重なった笑い声が聞こえてきた。伸ばした手に重なるように双子の星が煌めくと強い光を発し、彼女は目を覆うしかできなかった。
「なに……?」
光が収まりレヴィが目を開くと、景色はがらりと一変する。
モノクロの灰暮れた虚無の空間。
黒い血の跡のようなものが壁らしき何かにこびりつき、一歩足を踏み出すと紫色の霧に包まれる。
一歩先も分からないほど霧に覆われた空間を進んでいくが、出口どころか入口すら分からないこの場所でレヴィは縋るように声を出すしかなかった。
「アンプラム・アンブラ……?」
レヴィがその名前を呟くと、霧が少し晴れたように感じ、彼女は霧の薄い方へ進んでいく。
どくん、どくん、と心臓が脈打つような音が空間に響き、身の毛もよだつような悍ましい気配を肌に感じる。
「そこにいるの?アンプラム・アンブラ?」
レヴィは再び名前を呼ぶと、彼女を覆う霧がさらに引いていく。
薄い空間の中で導かれるがまま真っ直ぐ進む中、声が聞こえた。
「キ、サ、マ……」
それは感情の籠っていない硬い音だが、間違いなく【敗者】の声だ。
其れの声は空間中に響き渡るように大きく反響していき、レヴィは思わず立ち止まって辺りを見渡す。
「……?【敗者】?どこ?」
彼女が足を止めた瞬間、霧が引いていき空間が作られた。
そこに佇む物体の後ろ姿を見てレヴィは目を見開く。
「ダレ、だ」
振り返るその顔も、面影を感じさせる。
【敗者】。それも、彼女が知るより小さい……まるで少年のような姿だ。
「……?レヴィ、だけど」
【敗者】らしき何かはレヴィの方を振り向くと、ゆっくりと近寄ってくる。
「レヴィ、レヴィ、か。そう、か」
160センチ程度の背丈に暗く赤い瞳。
ライティングのせいかいつもより髪色はどんよりと暗く、長く伸びた毛を緩くひとまとめにした見たこともない髪と服装で、レヴィは少し困惑した。
これが【敗者】の幼少期なのか、それとも全く違う誰かなのか……
「どうしたの……?【敗者】……?」
レヴィは思わず足を退くが【敗者】らしきものは止まらず、レヴィの傍まで近寄るとそっと手を取り彼女の首筋に顔を埋めた。
「ッ!……る、……【敗者】?」
「レヴィ……僕に、教えて欲しい」
差異を探せばいくらでもあるがやはり【敗者】とは瓜二つ。
レヴィは彼の声と彼の見た目で言われる言葉にはやはり弱く、体をぴったりとくっ付けられまるで恋人のように迫られても困惑しつつも振り払うことは出来なかった。
「何を?その……」
「全て、だ」
「ひゃっ!」
レヴィが恐る恐る彼と目を合わせた瞬間、【敗者】らしき何かは背後へと周りレヴィの顔をじっと凝視してきた。
彼はレヴィの匂いを嗅ぎ、体を押し付け、彼女の声を聴いていく。
不撓不屈の比類なき戦士のオーラ。いやらしい雌の肉体。初々しい初恋のキスのような声。
もっと理解したい。彼女の脳を理解したい。
「キオクを、……」
「【敗者】っ、ちょっと……!」
【敗者】らしき何かはレヴィを抱きしめ拘束すると、すぐにどこかへ転移を行った。
「……」
赤黒い靄が晴れると、レヴィは自分が居る場所を理解して、目を見開く。
「なっ、なんで、家に……」
明確な恐怖。
レヴィの全身は硬直し、固まった傍からガタガタと震え、蒼白した顔面の形相は完全に異常。
そのまま足の先から力が抜け、崩れ落ちそうになるギリギリで彼に支えられた。
74番艦。それも、何年も前に取り壊されたはずの実家……レヴィが生まれ幼年期を過ごした家が、今まさにそこにあった。
「ここは何処だ?」
それなのに、連れてきた当の本人はまるで知らん振り。
レヴィは自然に体を彼に預けてもたれかかり、脂汗で濡れた手を彼に握ってもらいながらゆっくりと呼吸を整える。
「わたしが生まれた時に、住んでた家だよ……」
その言葉を聞き【敗者】らしき何かは家屋の扉の方へ目を向けた。
「ここが、住処か」
少し大きくはあるが取るに足らない普通の家だ。扉も特別大きい訳でもなく、家電が入るか尺で確かめるほどの幅と高さのもの。
だが、レヴィは彼の視線を見ると首を横に振り彼からそっと離れる。
「違う。わたしの家はこっち」
レヴィは意を決して一歩踏み出すと、いつもの彼女とは思えないほどゆったりとした足取りで家の横壁を通り、庭に出た。
そこもほんのり広い普通の庭に過ぎないが、ある一角だけは仰々しいオーラを放っている。
彼女はその場所……小さな物置倉庫の前に立つと、そっと目を閉じる。
【敗者】らしき何かも彼女の隣まで追ってきた。
彼はいつもの飄々としたオーラとは違う、どこか達観したような冷めた雰囲気を纏ってその無機質な建物を眺める。
「ここで、……何年だったかな。読み書きと、計算が出来るくらいまで過ごしてた」
両親と姉であるルビィは家の中で暮らしていた。彼らからすれば普通の家族だった。
両親の言う薄汚いドブネズミが人であったことを除けば、彼らの生活は完璧だった。
だが、レヴィの日常は地獄に他ならなかった。
レヴィは簡潔に事実だけ伝えるとそっと目を逸らした。
彼女にとっては目にも入れたくもない場所だが、その視界から外した瞬間これみよがしに扉が開いた。
「ッ?!」
深遠のように真っ暗な匣から下水道よりも悍ましい匂いが漂う。
数多の死体を埋め、石灰を掛けて無理やり処理したような腐敗したガスと汚物は鼻腔どころか肺すら腐らせてしまうもので、レヴィは衝動的に踵を返して逃げようとした。
「きゃぁあッ!!」
しかし倉庫の中から黒ずんだ無数の手が伸び、彼女の全身を掴む。
ゴメンナサイ……
ウマレテキテゴメンナサイ……
思念に満ちた甲高い子供の声が触れた指の先から響き、レヴィはどれ程強い力を使って抵抗しても体はその小さな倉庫の中に引きずり込まれていった。
「嫌ッ!イヤ、嫌……!!」
暗く狭い倉庫の中。彼女はもう大人になったというのに倉庫に入ると昔のように狭いながら高さを感じ、扉の隙間から光が差し込むとその鋭い太陽照明の眩しさに目を痛めた。
彼女が伸ばした手すら黒い手に覆われ完全な闇に堕ちる寸前で、光を断ち切るように手首が伸びるとレヴィの手首を掴む。
「ッあ、」
その手が【敗者】の物だと気付くと、彼女を闇に引きずり込もうとしていた黒い手は紫色の蔦に代わり、どろりと溶けていった。
「苦しみと悲しみ。絶望ばかりの思い出か……」
レヴィは倉庫から引きずり出されると、【敗者】らしき何かが彼女を見下ろしながら慈悲深い仏のような笑みを浮かべていた。
「あ、ありがとう」
レヴィが感謝を述べてもなお彼もしくは彼女は感情的な動揺を見せず、彼女を観察するように伏し目で凝視する。
「助けて欲しいと、願っていた。それと同じくらい、死にたいと願っていた」
己を見透かしたような声と瞳。
取り込まれそうになるほど澄んだ姿にレヴィは見蕩れ、相手が【敗者】ではないと分かりながらも彼を思わせる姿に警戒心を緩め縋るように頷いた。
「……うん」
「行こう、レヴィ。僕はもっと識りたい」
【敗者】らしき何かが手を差し出すと、レヴィはその手を取って歩き始める。
【敗者】と似たようなゆっくりとした速度で歩を進めているが、威風堂々とした余裕のある遅さとは違い其れの歩き方はまるで地面を這いずるかのような不気味な速さだった。
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる