――ダーカーの巣窟内部、病室。
【敗者】は手術台に寝かされた小さな体を眺め、端末に情報を記録していた。
レヴィが大いなる陰を研究しているように、【敗者】もレヴィについての研究を行っているのである。
「やはり、奇妙だ……」
そう感じるのは器だけではなくレヴィの存在そのものだ。
【敗者】はなんだかんだやる事があって移動を繰り返していたが、その中で彼女は一度も拠点に戻っていなかった。
大いなる陰の研究はそこまで忙しいものなのだろう。彼女は一人でダークファルスと戦いに行くほど焦っていたのだから。
だが、それにしても、レヴィがその他全てを放り出すとは思えなかった。
レヴィはどんなに忙しくてもトレーニングや戦闘訓練は欠かさず行い、武器製造もなるべく時間を掛けてブラッシュアップを行っていた。
それなのに、道具を拠点に置いたままずっと研究しているなど有り得るものなのか。
健康にしていて、そこで安全に寝ているだけならそれでいい。だが【敗者】には妙な胸騒ぎがしていた。
「本当に僕はこのままでいいのか……?」
そう考えたあと、【敗者】は理性なのか妄執なのか凝り固まった心で自分の考えを勘違いとしてなんとか頭の中から追い出し、目の前の器と向き合う。
レヴィの器は移されたあとそのまま放置されているもので、裸体だが腹の辺りには大きく穴が空いており、代わりに透明な臓器や骨が詰め込まれた芸術作品のような様相に仕上がっていた。
だがレヴィが使っていた時とは違い光を発することはなく、くぐもったガラスのようになめらかな光沢を持って静かに体の中へ収まっている。
「……」
【敗者】はレヴィの体に触れた。
触れると冷たい体に温もりを錯覚する。
「レヴィ……」
二日も会ってないから、だろうか。
夢のような景色で見た彼女の不敵な笑みを再び思い出し、胸が痛くなった。
頑張ってるのはいい。功績を出しているのもいい。
だが、やっぱり無理をしているように感じる。
強制的に休暇を入れれば体を休ませることはできるが、結局心が休んでいない。
ここに来てからは尚更そうだ。
良くなると思っていたレヴィの過労癖がむしろ悪化しており、【敗者】は自分が彼女に致命的な傷を与えたということを自覚していないまま、どうすればいいのかと悩んでいた。
ただ心の底から笑って欲しいだけなのに……
「……!」
(僕はレヴィに幸せになって欲しいのか?)
【敗者】はそんな非合理的な思考に行き着くと首を横に振り慌てて否定しようとするが、しかしレヴィから手を離すと手の内に虚無を感じ、もう一度彼女の器に触れた。
ウォーターベッドのような液体のようで濡れない不思議な感覚が【敗者】の手を包み込むと、彼は深呼吸をしたあと、レヴィの顔を見つめる。
閉じた瞳。子供のような小さな唇。
金色の髪は腰の辺りで無造作に切られ、小さな胸は可愛らしいが下品なほどエロくもある。
「ん……」
【敗者】は顔を近付け、レヴィの唇にキスをした。
ホワイトシチューのような甘しょっぱく優しい味が唇から伝わる。
レヴィの味。
甘く蕩ける彼女の舌。
動かない死体同然の体だと分かっていても手は止まらない。
「は、……、……ん、……」
【敗者】の指は髪をくすぐってレヴィの器の後頭部に回り込み、顔を近付けると頬を寄せる。
動かぬ人形にさえこうなのだから、もし本物の彼女をこうやって貪れば……
そう【敗者】は考えると、パッと器から顔を離した。
本当に、こんなことをしていていいのか?
本当に研究することだけが己にとっての正解なのか?
わけも分からず居なくなった彼女を放っておいて、無視することが彼女への信頼になるのか?
「……行かなければ」
【敗者】はそう呟くと、駆られるように病室から足を遠のき赤黒いダーカーの巣窟を進み始めた。
レヴィから大いなる陰の場所は聞いている。
彼女はそこに居るはずだ。そこに居なければ可笑しいのだ。
そうは分かっていても【敗者】の足はどんどん早くなっていった。
いつもは春風のように緩やかなスピードで歩く彼だというのに、今はまるで台風のような荒々しい足取りで、寄り道することもなくまっすぐ大いなる陰の方へ進んでいく。
「レヴィ、……レヴィ……」
何の皮肉か彼はレヴィを縛る鎖と同じように名前を呼びながら縋るように向かう。
道のりはそう遠くないはず。
だというのに、【敗者】はいつもよりずっと早足で歩いていたはずだがいつもよりずっと距離があるような気がした。
「これが、アンプラム・アンブラか……」
【敗者】はレヴィを見つける前に大いなる陰を見つけた。
湖の底に沈んだ目玉。そこから紅色の肉と紫色の蔦が伸びていき、根を張り木のように伸びている。知らぬ間に大いなる陰はとてつもなく大きくなり胞子のようなものを舞わせていた。
レヴィは、と【敗者】はその周りを調べたが、バイタルサインが出ない。
死んだなんて、そんな訳が。などと思っても、死体も無ければ気配一つすらない。
この場に居なければ、何処にレヴィがいるというのか。
【敗者】は不安に覆われていると、空気が僅かに震える。
「……」
それは微かな声のようだが、大いなる陰の方から聞こえてきた気がした。
その音がレヴィと似ていたから、【敗者】は振り向き大いなる陰の方へ向かうしかなくなる。
「レヴィ?」
【敗者】は大いなる陰の極彩色の色の前に立つ。そこからはレヴィの気配など微塵もせず、不気味でおどろおどろしいオーラがするだけだが、彼はそれでも構わなかった。
彼は手を伸ばし、大いなる陰の肉のような何かに手を触れる。
妙に生温く湿ったような感触に不快感を覚えたが、しかし彼が手を離そうとした瞬間【敗者】は両手を何かに掴まれた。
「ッ!」
彼は抵抗しようと体を動かした。
しかし何故か離すことは出来ず、その上内側からはまた声が響いてきた。
「たすけて……」
どこか聞き覚えのある小さな少女の声に惹かれ、【敗者】はほんの少し力を抜いた瞬間、包み込むようにその肉の中に取り込まれた。
「クッ、ここは……」
極彩色の太陽に蔦の這う紫色の霧がかった景色。
ここは惑星ラグオルの、かつてアンプラム・アンブラが居た場所……【敗者】にとっては初見の景色だ。
そして、中央には赤みがかった肉のような何かが天まで伸び、そこには見た事もない原生生物や異形のようなものがいくつも取り込まれていた。
「こんなものが……」
どこまでも生物のような形をしているというのに、核に突き刺さったアンテナだけは人工的な形をしていた。
その気配は完全なダークファルスのそれよりは小さなものだが、それでも並大抵のダーカーと比べれば圧倒的に悍ましい。
ダークファルス復活のための繭という表現に嘘偽りはないようだ。
そして【敗者】にとって気になるのは、周囲を舞う胞子のようなもの。
「これが菌……か?」
【敗者】は大いなる陰から発せられているそれをカプセルで回収すると、端末を開いた。
レヴィはここまで研究しているのだろうか。
大いなる陰の中に呑まれることで菌を得られると分かっていたから、ずっとこの中にいたのだろうか。
しかし、大いなる陰本体からも菌のようなものは発生していた。
なら、何故わざわざここに。
【敗者】はそう考えながら解析の結果を目で追うと、思わず手を止める。
ダーカー因子のような浸食性に付け足して高い致死性と感染力。だが大いなる陰から発生するこの菌はむしろフォトンのようで、全知存在における記録素子がフォトンなら大いなる陰における記録素子は菌にほかならなかった。
その上、無機物有機物関係なく全てを侵食して進化の意志を芽生えさせ、拡散させ尽くした上にその宿主は死亡しさらに菌を広げていく……
「こんなものを、本当にレヴィが扱えるのか……?」
【敗者】の素朴な疑問は口に出すと不安になって【敗者】を付き纏う。
レヴィから聞いた時は彼女ならば何とか出来る、大丈夫だと確信出来ていたのになぜ独りだとこう不安になってしまうのだろうか。
それが正気なのか、それともレヴィといる時が正気なのか……
だが、【敗者】の中に現れた不安が無くならないほどの恐怖になった時、彼の頭にはガラスのような臓器を持った彼女の姿が思い浮かんだ。
「違う。あの女はグラン類似エネルギーがある限りそう簡単に死にやしない……
運命改変の力は菌を無害化させるはずだ」
【敗者】はそう考えてゆっくりと深呼吸をし、顔を上げた。
自分が大いなる陰に呼ばれた理由を探そうと、そう考えるが……目の前に大いなる陰はもう居らず。
「……?」
【敗者】の視界にはアークスにはない古い建築様式に機械的でありながらどこか生物的なシルエットも残る、懐かしさに溢れた景色が映っていた。
フォトナーの研究所のひとつ、だがそこには生活感があり、テーブルの上には飲みかけのコーヒーや吸殻の入った灰皿、それといくつかの研究内容の書かれた書類が載っている。
【敗者】はこの場所に有り得ないほどの既視感があった。
ここは、ルーサーの家……彼の研究所だ。
【敗者】は思わず歩き出した。
机を押し、空の実験ポッドにちらりと目をやり、数式の書かれたホワイトボードや冷蔵庫を通り過ぎ、ベッド代わりにしていたソファを越え、間仕切りの先へ抜けるとそこには装飾されたベッドがあった。
ルーサーに似合いもしない可愛らしい動物のぬいぐるみや女性らしいインテリアが置いてあり、フリルの付いた白いシーツの上には少女が仰向けになって寝転んでいた。
「……!!」
【敗者】は目を見開き、思わずそこへ駆け寄る。
「ハ、ハリエット……」
ハリエットは眠っているようで目を開けることはなかったが、【敗者】は彼女の声も顔もほとんど忘れており、今この場所で見てようやく思い出した。
そして、彼は唖然とした表情で呟く。
どうしてこんなに大切だった人を今までずっと忘れていたのだろう、と。
ハリエットは【敗者】にとっての根源のようなものだ。
全知存在を求める知識欲の闇という概念の元はハリエットという存在の尊厳の救済を目的としていたのだから。
だが、【敗者】が何度ハリエットに声を掛けても彼女は答えない。
「ハリエット、目を覚ませ、ハリエット。
これが夢でも構わない。
君がここにいるというのなら、僕は、僕にはするべき事があるんだ……!」
【敗者】は耐えられずハリエットに手を伸ばし、彼女の手を握ろうとした。
しかし、血の通った少女の柔らかい肌の感触に触れたかと思えば、景色は暗転する。
「ッ!」
そこはマザーシップ中枢。それも侵食前の姿。
そして目の前には空になったシオンを拘束する為の檻と、クラリッサの姿を象った惑星シオンそのものが【敗者】を無表情で見つめていた。
【敗者】はそっと目を閉じる。
菌とは万物を分解再生し、再構築する力を持つ。
情報を取り込み、それを複製する力を持つというのなら、大いなる陰が取り込んだ相手をどうするのかなど自明の理。
「貴様は今……僕を識ろうとしているのか。アンプラム・アンブラよ」
それに返すようにシオンは目を細めた。
「私は貴方の思い通りにはならない」
シオンは目も覚まさなかったハリエットとは違い【敗者】を見て、言葉を喋り、彼と会話をしようとしている。
それもそうだ。【敗者】にとっては数千年も昔に大切にしていた依代の家族よりも、長い時間ずっと追い求めてきたシオンの方がよく記憶しているのだから。
「これは僕の記憶を再生しているだけなのか?それとも、僕の記憶を介して貴様なりに意志を伝えようとしているのか?どうなんだ」
「【敗者】。……そこまでして私と一つになりたかったのか?」
「……当然だ。君は僕にとっての全てだ。僕が生きている意味も、僕の存在価値も、僕が生きるための活力も全て君に繋がる」
「それは、私を愛しているということか?」
「……愛?」
「それは愛なのか、【敗者】。貴方にとって、私への気持ちは愛なのか」
【敗者】はシオンからあまりにも彼女に相応しくない、予想外の事を言われ続けてきたが、その単語は完全に彼の予想外だった。
全知などくだらない、未来は分からないから楽しい、寂しくなかった……
そんな人らしい言葉を並べて彼を拒絶するシオンに彼はルビィやマトイへの不快感を覚えていたが、さしもの【敗者】もその言葉にルビィやマトイへ責任転嫁するほどの余裕は生まれなかった。
「そんなの君らしくないよ、シオン。君は全知存在で、僕はそれを求める研究者じゃないか。愛や恋だを僕達に求めるなんてあまりにも愚かだ。君にそんな感情を向けるなんて烏滸がましい」
【敗者】は彼女にとって不都合にならないように説き伏せたつもりだが、それでもシオンはやはり納得しないようで。
「……はっきり言って、貴方のそれは愛だ」
「それを僕が肯定すれば、君は喜ぶのかい?」
「それも、……歪んだ愛。執着であり、強迫的で……過去に取り憑かれた亡霊のようだ」
【敗者】はそれを聞いてため息をついた。
果たしてこれが建設的な話し合いになるのだろうか。
シオンは単に彼女のお気に入りのルビィやマトイを害したことを不快に思っていて、自分に対して嫌味を吐いているだけではないのか。
シオンに対するそれが単なる恋愛などでは無いことくらい彼女は分かっているはずだ。
シオンをそんな目で見ていたフォトナーなんていやしない。
「いや、違うな」
そんな醜いことを教え込むとしたら、忌々しいアークス共だけだ。
「君は奴らに捻じ曲げられたんだ。奴らが君のことを人として貶めるから、君は何か勘違いをしているだけなんだ。
全知存在を全知存在として扱って何が悪いんだい?君には確かに知能があり、君は確かに思考をするが、君は人ではない。僕が人じゃないように、君だって人じゃないだろう。僕は君をより"正しく"扱っている。
その方が、彼らよりよっぽど真っ当な愛情なんじゃないか?」
「だったら、貴方は彼女のことをどう思っているんだ?」
「彼女?」
「ハリエット」
【敗者】はシオンの口からその言葉が出た事に少し恨めしく感じた。
あれほど馬鹿げた正義を掲げるアークスに迎合していたのに、ハリエットを救おうと足掻いたルーサーにシオンは何も答えなかったのだから。
「……とても、大切だったことは覚えている。僕がこんな姿になってしまうくらいにはね」
「……覚えていないのだろう?」
だが恨めしく感じても、そう言われたら後ろめたく感じてしまう。
あの局面で再開するまで【敗者】は完全にハリエットのことを忘れていた。シオンこそ全てだと考えていた。
いや、それは今も変わらない。
【敗者】にとっては全知であるシオンが全てだ。
ハリエットが自身の大切な存在だったとしても、ハリエットが全知存在でないのなら彼女とシオンは天秤にかけるまでもない。
自身の根源であろうが、どれほど救おうと足掻いた過去があろうが、今現在、全知存在を得るためにハリエットが不要ならば、いや、むしろその邪魔をするというのなら、【敗者】は例え相手がハリエットであろうと容赦はしないと思えた。
それはそれ、これはこれである。
「あぁ……悲しいことにね」
だが悍ましいのは、ハリエットとシオンを比べることじゃない。ハリエットのことを覚えていないことでもない。
「彼女を失った事が悲しかったからこそ今の僕がいるというのに……僕は彼女との明るい思い出を思い出せない。
僕の脳裏に過ぎるのはいつも同じ景色だ。
フォトナー共によって奪われる彼女の景色。彼女の一番大切な部分が抜き取られ、消されていく景色。
そして、僕の感情――この心に巣食う苦痛と悲愴の感覚。そんなものばかりが残っている」
ハリエットのことを覚えてもいないのに、フォトナーから受けた憎悪や苦痛は覚え続けている。
彼女の名前すら思い出せなかったのに、その喪失はいつも心の中にある。
これが悍ましい以外どのように表現出来るのだろう。
「いつか……私だってそうなるだろう」
「いや、そうはならないよ」
――シオンは勘違いしている。
【敗者】は心の中でそう呟いた。
【敗者】にとってハリエットは過去だ。
時の戻せない自分にとって過去とは不可逆的な物であり、その尊厳の一つも救えなかった彼にとってハリエットの存在は抹消することしか出来なかった。
オラクルにとってハリエットの犠牲は必然であり、正義であったという歴史など、認めてはならないものだから。
だがシオンは違う。【敗者】にとってシオンは"ついさっき"だ。
「僕は今でも君を追い求めている。生き返ってくれたら、と思っている。そうならないから、僕は世界の全てを呑み込むしかないんだ。
君さえいれば……君さえ在れば、他の何も必要ない。君さえ存在すればそれでいいんだ」
プランBなどではなく、シオンを生き返らせる事で、もう一度【敗者】がその本懐を果たせるというのなら彼はそれを躊躇わない。
「本当に?」
「あぁ、本当だ。君に真実だと理解してもらうために、僕は一体何に誓えばいい?」
それでシオンが自分のモノになるなら最悪愛でも構わない。
【敗者】は心の底から本気でそう思っていたが、しかしシオンは不気味なほど無感情であり、【敗者】を伏し目でじっと見つめたあと、ゆっくりと瞬きをした。
「……だったら」
その言葉と共に開かれたシオンの銀の瞳は蛍色に光を発する。
「だったら、貴方はここにいればいい。
貴方には既に巣食うものがあるだろう」
「シオン?」
シオンは【敗者】から目を背け、己の手を開くとじっとその内側を見つめる。
まるでそこに何かが乗っているかのように、慈しむような瞳で眺めた後、そっと【敗者】に視線を移す。
「私はアレの為の繭だ。……アレは、私のモノだ」
そして、シオンはその手を【敗者】に伸ばしてきた。
彼の顔に向けて真っ直ぐに、その面の皮を破るかのように強引に掴もうとして、また景色が暗転する。
「……ッ!」
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる