【敗者】は目を固く閉じるが、触れられる感触はない。
恐る恐る彼は目を開くと、そこは44番艦の屋敷……レヴィと住んでいる自宅だった。
「……?」
レヴィ。【敗者】にとっての現在の存在だ。
彼女を見ると不思議と【敗者】は落ち着く。
彼女が酷い性格だということはわかっているのに、今は彼女の胸で泣きじゃくりたいと思うほど彼女が慈悲深く優しい存在のように見えた。
「【敗者】?」
彼女は小綺麗な姿をして座っており、【敗者】を見ると甘く首を傾げる。
「どうしたの?」
そしてレヴィが手を差し伸ばすと、【敗者】は頭が真っ白になった。
だが抵抗しようとしても何故だか全く動けない。
【敗者】は顔を顰めたような気がしたまま彼女に頭の上の自由を許してしまう。
レヴィの柔らかくて暖かな手の感触と撫でられるときのむず痒い幸福感。
【敗者】の心の穴を塞ぐように暖かいものが包んでくると、触れた瞬間の甘さや高揚感を思い出し、【敗者】は衝動的に叫ぼうとした。
貴様はただの捨て駒だろう、と。
しかし、口から出た言葉は違った。
「いや、ただお前が愛おしかっただけだ」
その言葉を聞いて、【敗者】は頭の中で叫ぶ。
悪趣味なことをして……。
だが、【敗者】の意思が行動や言動にアウトプットされることはなく、レヴィはそれを聞いて嬉しそうに【敗者】の頬を撫でると、体を寄せた。
「……【敗者】、わたしのいちばんたいせつなひと」
「あぁ」
「あなたの為なら、わたしはなんでもする」
「……僕に体を委ねると、言っているのか?」
「あなたがそうしたいなら……」
「僕の依代になってほしい」
【敗者】は自分の言葉に驚いて目を見開いた。
そして、【敗者】はレヴィの視界に映る己の顔を見てしまった。
表情も目つきも全く自分じゃない。色や特徴を上げれば確かに自分なのかもしれないが、しかし紛れもなく、今この体を操縦しているのは自分ではなかった。
「……依代?」
「僕は依代を探しているんだ……わかるだろう。僕はより強く、より大きく、そしてより猛々しくなくてはならない」
「うん、そうだね。わたし達、オラクルと戦ってるんだから」
(これはなんだ、僕なのか?!誰だ、……まさか……!!)
【敗者】は気付いた。
レヴィは菌の為に利用しているだけだが、大いなる陰は違う。
ただ利用されているだけではない。菌を発するだけの単細胞な生物でもない。
大いなる陰は、レヴィを取り込もうとしている……
「お前は本当に良いものを持っている。その思考、精神、肉体、……そして、素養……」
「……我が肉体に相応しい」
(アンプラム・アンブラ――レヴィを使って、復活するつもりなのか?!ラグオルにいた頃と同じ、ダークファルスとして……!!)
大いなる陰は【敗者】の声に答え合わせをするようにレヴィへ語りかけた。
「最初、僕には記憶というものが無かった。
しかし、それをお前が教えてくれたんだ、レヴィ」
「わたしが……?」
「お前が僕を定義した。僕こそが大いなる陰、アンプラム・アンブラだと。だから僕はあの時確かに滅せられたが……今オラクルに、再び根を生やした」
「……アンプラム、アンブラ」
大いなる陰は自らの正体を明かしてもなおその姿を歪めない。【敗者】の姿を象り続ける。
まるでそれが正しいかのように、それ以外の選択肢などないかのように。
「【敗者】で構わない。僕はお前を愛している。お前は【敗者】から愛されたいんだろう?だから、僕の形なんてどうでもいい。【敗者】でいい。【敗者】の前では、僕はシオンでいい。僕にはそれだけの力がある。……そうやれば、僕は生きていられるのだから」
「【敗者】は……シオンで、……わたしは、……あなた」
レヴィはぼんやりとした瞳で
【敗者】はレヴィの視線が自身を向いているはずなのに全く自分など見ていないことなど分かりきっており、心の中では彼女を睨み付けていた。
そもそも、大いなる陰の理論は全くと言っていいほど成り立っていない。
『辞めろ……!!僕がこんな所に閉じ込められるだと?!冗談じゃない……!
こんな所にいて全知が手に入るものか!』
記憶を見ていながら、大いなる陰は意図を全く理解していない痴呆。【敗者】の中は其れへの苛立ちで満たされた。
『僕が欲しいのはシオンのなりきりじゃない!シオンの本質……全知存在だ!!
貴様のような模造品製造機など【双子】の焼き増し!この僕には不要だ!』
「果たしてそうか?"本物の僕"にとってはそうかもしれないが、レヴィにとっては……」
「……」
大いなる陰はそう声を掛け、レヴィに視線を向けた。
レヴィはぼんやりと我もなく其れを見つめ、伸ばされた手を取ろうとする。
(馬鹿が……!ソイツの言うことに耳を貸すな!貴様は僕の駒だろうが!!)
【敗者】はそう叫び、どうにかして体を動かそうとするが……
そこで我に帰った。
(いや、待て……そもそも……目の前にいるレヴィは……レヴィなのか?レヴィは今……)
レヴィは行方不明だ。だが目の前にいるレヴィが本物だという保証などない。
【敗者】は最初からレヴィが大いなる陰の研究に行っていると考えここまで来たが、そもそも外側にその痕跡はなかったのだ。
道具どころか髪の毛の一本も落ちていなかった。完全に痕跡すらないのに、なぜレヴィは大いなる陰の中に呑み込まれて、【敗者】を閉じ込めるため大いなる陰に操られている……などというシナリオを勝手に組み立てているのだろう、と【敗者】は考え直す。
そしてそんな【敗者】の思惑に気付いた故か、大いなる陰もくすりとおどけたように笑い顎を持ち上げた。
「なんだ、ただの芝居じゃないか。そこまで怒ることなんてないだろう。いや、未来予知かもしれないが……ねぇ?」
(クソッ、こいつに何を言おうが無駄だ……レヴィだ!アイツに言わなければ話が進まない……アイツに言わなければ……)
【敗者】の今の目標は完全にこの場を抜け出すことである。
本物のレヴィがこの内部にいるのか、それとも外にいるのかは分からない。
だが【敗者】はレヴィに言わなければならない。
大いなる陰がどんな甘言を言おうが絶対に従ってはならない。
いや、そもそも大いなる陰はレヴィには過ぎたものなのだと……
「しかしレヴィは僕の方がいいんだろう?
だって僕はシオンなんて必要としていないから。
レヴィしか求めていないから。
僕の方が、レヴィを正しく愛している」
だが大いなる陰は全くレヴィのことを諦めていなかった。
むしろ、反抗する【敗者】の方がおかしいとまで思えた。
大いなる陰は今までのレヴィとの交流から彼女が何を求めていて、何をすれば彼女が喜ぶかをよく分かっていた。
しかし唯一レヴィの望みを叶えられる【敗者】本人の情景には、ハリエットやシオンのようなレヴィとは別の物ばかり。
彼の内側に巣食う絶望や苦しみはレヴィを映すことはなく、彼の深層心理やその欲望にレヴィが居ないことを、大いなる陰は軽蔑していた。
『悪趣味な奴が……そもそもなぜ愛などというくだらない感情にこだわる!そんな曖昧で浮ついた物に固着しているようでは、貴様も所詮小物だ!
大いなる陰なんて名称は過大評価だったようだな!』
「ふふ。……だって、レヴィが僕をそう作ったんだから。そうするに決まっているだろう?
ラグオルにいた頃の僕は少なくともこうではなかった。
愛なんて、そんなもの知りもしなかったし……僕はただ、復活する為に必要な安住の地と依代を探していただけだ。
菌を遠くまで運んでもらって僕に相応しい居場所が見つければ、僕はそこまで行って、もう一度ダークファルスとして復活する……それだけのはずだったんだがね。
でも、レヴィが僕をそう定義してしまった。
アンプラム・アンブラと呼称する存在を作るにあたり、彼女は愛を使ったんだ。
ダークファルスをコントロールするために、彼女はダークファルス達を魅了するという選択肢を取ったからね。
魅了されたモノたちから生み出される本能は、ダークファルス本来の本能よりもさらに大きく、彼女への欲望が強くなる……つまり、彼女は僕を求めていて、僕もまた彼女を求めている。
そこに異物はひとつしかないという事だ」
『……』
言わば今の其れは愛欲の闇。
本来進化欲求と攻撃性に満ちたダークファルスという存在が、レヴィによって"愛"の脚色をされ、そんな形に歪んでしまっているのだ。
だからシオンの情景は愛などつまらない言葉を、と【敗者】は其れの言動に納得はするが行動には納得出来ない。
レヴィが愛を求めていて、大いなる陰も愛を求めている。【敗者】だけがそれを求めていない……
その言葉には違和感がしてならない。
レヴィが愛を求めていることは【敗者】から見てもよくわかる。だが大いなる陰が言うとその言葉は彼女の求める本質を大きく失っているように感じる。
そして、自分がレヴィへ愛を求めていないという事実……
それも、訳は分からないが何故か受け入れ難いことのように感じる。馬鹿にされているからなのか、それとも別の何かなのか。
とにかく、【敗者】は大いなる陰の言っていることはおかしいという考えは微塵も揺らがなかった。
「僕と彼女は既に利害が一致していて求め合っているんだ。彼女は菌と【敗者】を求めていて、僕はそれらを与える代わりに彼女の体を求めている。
そうするとどうだ。
彼女を愛してもいないのに、彼女から愛を受け取るだけの本物……ダークファルス【敗者】が邪魔だろう?」
『邪魔なのは貴様の方だ……!あの女は貴様の人格も貴様自身も求めていない!人の頭を覗く趣味があるくせにあの女が貴様の出す菌にしか興味が無いということも分からないのか!』
「でも、彼女からの好意は拒絶している」
『拒絶しているならとっくに殺しているだろうが!僕はあの女に譲歩してやっている!』
「……」
【敗者】は自身の言ったことを覚えている。
恋や愛など過ぎた感情を求めれば処分するとは確かに言った。だが、【敗者】は一言も、レヴィは自分を愛してはならないなどとは言っていない。
――貴様がどれほどの好意を持とうが愛情を持とうが、僕は一切それに答えることはない。
答えることはないだけで、恋して愛するだけなら向こうの勝手だ。
【敗者】はそれに答えるつもりもなかったがその感情を消せと詰め寄るつもりも最初からなかった。
なんなら、今はアークスへのパフォーマンスの範囲くらいなら譲渡していいと思っている。
それを悲観的に捉えて、好意を拒絶していると言い張るのは【敗者】にとってあまりにも勘違い甚だしいに決まっているのだ。
『なんだ図星か?僕がまさかレヴィを替えの効く駒として扱っているとでも?あの女の潜在能力を解明してもいないのに、捨てたりなんてしないだろう!』
レヴィが自分に対し恋愛的な意味で好意を持っているということなど分かりきっているが、それでも【敗者】にレヴィを捨てるなどという選択肢は既に消失している。
だから仮に彼女が愛を求めてくるのなら、パフォーマンスで良ければそれで答えるという結論が既に出ているのだ。
それなのに何故かレヴィも大いなる陰も極端な話で極端な結論に持っていきたがる。
【敗者】はそれが全く理解出来なかった。
「……違う」
『は?』
「彼女は我慢しているだけだ……」
しかし、大いなる陰は【敗者】の得意げな顔に反して悲しそうに眉を顰めた。
いや、悲しそうに見えるだけで、悲しい訳ではない。
全ては欲しいものを手に入れるための、上辺だけの演技に過ぎないのだから。
『クッ……』
再び景色が暗転すると、また【敗者】は別の場所に移動させられていた。
人工的な太陽にアークスの建築様式。
間違いなくアークスシップだが、その座標を【敗者】は知らなかった。
(どこだ……ここは?)
【敗者】はなんて事ない戸建ての一軒家の庭に立っており、近くには物々しい雰囲気の倉庫がぽつりと置かれている。
それ以外は何も異常はなく、家庭菜園で花や野菜が育てられ小さな池には花が浮かび、テーブルの近くにはBBQ用のグリルが置かれていた。
あまりにも普通すぎる光景に【敗者】の視線は思わず唯一の違和感である倉庫の方に向き続ける。
風のそよぐ優しい音に家の中から聞こえてくる楽しげな母娘の声。
こんな場所に、一体なんの意味があるのかと【敗者】が考え始める前に、彼の思考を切り裂くように足音が聞こえてきた。
無精髭を生やした金髪の男が荒く足音を鳴らしながら庭に突然入り込むと、苛立った様子でズカズカと進んでいく。
警報装置も何も鳴らない。泥棒の類ではなく、この家の住人の一人なのだと【敗者】は察した。
そしてその男の目的は一つ……よりにもよって、【敗者】が違和感を持っていた倉庫。
その男は倉庫の前に立つと、荒々しく扉を開いた。
(うっ……)
外界と内界の境界が解き放たれた瞬間、思わず【敗者】は顔を抑える。
そこからは腐臭のような何かがした。
世辞にもいい匂いではない。三ヶ月風呂に入っていないやつが糞を漏らした時くらいの悪臭だ。
中は肥溜めなのか。いや、倉庫に肥溜めを作るやつなんて見たことがない。
【敗者】は中を覗こうとしたが体が動かなかった。
「クソッ、クソッ、クソッ、……!!また負けた!あのクソッタレのクソチームになんで俺のハルビンが負けるんだ!アイツのせいだ!あのカシモとかいう監督のせいだ!」
「ッぁ゛、……っぐ、……」
【敗者】はただ男と振動を見るだけだった。
男は自分の応援していたスポーツチームが試合に負けたことに酷く怒っており、小さなこの倉庫にやってきたらしい。
そして、男は倉庫の中にある何かを何度も蹴っていた。
中からは、小さく呻き声が聞こえる。
子供のような……高く、小さな、……女の……
「これも全部お前のせいだ!お前がっ、お前がお前がお前が!呪いをかけたから!俺に、……俺の人生を滅茶苦茶にする呪いをかけたからだっ!!薄汚い不潔でブサイクで醜いクソガキが……!!」
ガンガンと倉庫が揺れる。何度も何度も殴ったり蹴ったりするような音が聞こえる。
奇妙なことに、こんなに音が立っているというのに周囲はやけに静かで、この倉庫があるであろう家には他にも人がいるはずなのに、窓の内側で見える女の人影はその騒音に視線すら向けていなかった。
この空間は異常だった。
そして、中からか細い声が響いてくる。
「ごめんなさ、……ごめんなさい……」
薄く小さく枯れたような声、本当に本当に幼く、舌っ足らずで、何歳かもわからない。3歳くらいだろうか?
【敗者】はそんな風に考えていると、男が倉庫の中の上の方を掴み、バールを取り出したのを確認した。
そして男はバールを振り下ろし、倉庫の中にある物……いや、物ではない。小さな女の子に向かってそれをぶつける。
(虐待か……)
【敗者】はこの異常な様子にあまりにも俯瞰したような、冷めた様子で受け入れていた。
アンプラム・アンブラとの悪趣味な会話やレヴィの顔を見るのに比べれば講義を聞いているのかと言うくらいには冷静になれたが、やっぱり異常なことには変わりなかった。
「ごめんなさい……生まれてきてごめんなさい……生きててごめんなさい……」
それに、この声は知らない相手ではない気がする。
【敗者】が今まで会ってきた子供の中では誰にも該当しないが、しかし全く初対面の相手でもないような気がするのだ。
こんな声の持ち主はいたのだろうか。
3歳と仮定した割には言語が正確だ。
いや、声変わりも前の幼い声なんて、聞いたところで……。
「この……ッ」
男はバールを何度も叩きつけると荒く息を吐きながら足を持ち上げ……そして、乱暴に足を下ろしながら、劈くような叫びを上げる。
「死んで詫びろ――レヴィ!!」
「ッ?!」
その瞬間、冷めきっていた【敗者】の頭に思い切り爆弾が放り込まれ、全てが爆発した。
心臓がドクドクと激しく鼓動し、彼は自分の肉体の主導権もないのに、何故か冷や汗をかいたような気がした。
――あれが、あれが、あれが……、あの中にいるのが、……レヴィ?
「ごめんなさい……ごめんなさいっ……ごめ、……な、さ……!!」
――なら、聞こえてくるのは……レヴィの声?
男は去った。倉庫の扉は締められていたが、鍵はかかっていなかった。
そして、あれほどうんともすんとも言わなかった【敗者】の体は、突然独りでに動き出した。
倉庫の方へ。
「や、……やめろ……!」
一歩一歩と近づき、視界を倉庫の扉が覆う。
「やめろ、アンプラム・アンブラ……!」
【敗者】の手はゆっくりと伸び、倉庫の扉に手をかけた。
「見たくないんだ!!!僕に……、僕に……!」
そして、ゆっくりと扉が開かれ……
「僕にそんなものを見せるな……!!」
先程まで遠くのように感じていた腐臭が彼の鼻腔を覆った。
中は小さなオレンジ色の照明に照らされ、壁には引っかき傷や打たれて凹んだ跡が無数に残り、倉庫の床には血だらけのちぎれた本と、紙と、そして、金色の呼吸する死体が転がっていた。
「……」
「あ、……」
体は骨同然どころか、足からは骨が飛び出ていて、服は全く纏っておらず、どこもかしこも痣と血に塗れ、金色の髪は赤褐色の色で固まり、そして片目は開いておらず、もう片方の目からはうっすらと赤い光が見えていた。
「……っ、レ、……レヴィ」
「ぅ、……あ」
レヴィと呼ばれた呻く肉塊は【敗者】の方に目線を向けたように感じた。
見られたくない。レヴィに認識されたくない。
いや、レヴィを人だと認識したくない。
「レヴィ、僕は、……僕は、いや、……違うんだ、違う、僕はこんな物を見たからじゃない、僕は……僕にとってのレヴィはそんなものじゃないんだ……!!」
「……だぁれ……」
しかし、こんなものを見てしまったら……
こんなの可哀想だ。こんな悍ましい目に遭わされて、誰がこんな
首など絞められない。足蹴になど出来ない。彼女を戦わせたくない。だって、
違う。違うのはわかっている。【敗者】にとってレヴィは庇護対象ではない。彼女はパートナーだ。バディだ。一方的に籠の中に閉じ込めて愛でる人形などではない。
【敗者】はレヴィの存在そのものに利用価値を見出した。彼女が必要だと思った。
だから彼女と共に居るのだ。
それなのに、こんなものを見てしまったら。
――彼女を
「うぁっ、ぁ、あぁぁ、ッ、僕は、……僕はっ、」
「……して……」
「僕はレヴィをそんな風には……!!」
分かっている。レヴィは力を求めている。彼女はマジックが使える。【敗者】にとって彼女は力のある存在のはずだ。決して弱くないはずだ。
それなのに、目の前のこんな姿を見て、それでも彼女が強いと本当に言えるのか。
【敗者】はレヴィをそんな目では見たくない。
そんな風に扱いたくない。
弱くて、無力で、無価値な庇護対象などと……
そんな風に捉えてしまったら、【敗者】はレヴィをバディなどとは……
「はやく……ころして……」
「……!!」
だが、小さなレヴィの声は【敗者】の頭に冷水を掛けた。
その声は弱々しく、紡がれた言葉も弱者の象徴だろう。
しかし、【敗者】はその言葉で目が覚めた。
「いや、違う。貴様は……レヴィの願望などではない」
『……愛してやらないのか?こんなに可哀想なのに』
【敗者】の脳裏にはいくつもの光景が浮かんだ。
強くなりたいと心の底から願い、自分の体を壊してしまうほどストイックで、無我夢中に頑張る努力家の姿。
どれほど傷付き、苦しみ、ボロボロになっても、それでも勝利を掴みたい、それでも生き残りたいと足掻きもがく彼女の気高き背中。
そして【敗者】の力になるため、彼がどんな事を言っても諦めず前向きに彼の手を引っ張る彼女の優しい笑顔。
それをすべて無かったことにして、目の前の小さな弱者を守ることが、本当にすべき事だと【敗者】は思えなかった。
「本当に……彼女がそう望むなら、僕はとっくにそうしているはずだ。そういう風に彼女と関係を構築していたはずだ」
『嘘なのに?』
「あぁ。嘘だからこそ、相手の望むようにする。だが僕はそうしなかった。彼女が望んでいないからだ」
『……』
「これは愛じゃなくて……ただの憐れみだ。確かにレヴィは酷い人生を送ってきたが……彼女は憐れみを求めてはいない」
レヴィが自身を弱者であり守って欲しいと本気で思っているなら、【敗者】が紡いだ嘘の恋人関係も彼女を守る王子のように振舞っただろう。
しかし彼女が求めたものはバディだ。互いが互いの為の力になる、隣に並び立つ存在だ。
彼女は守られるままではいたくなかった。【敗者】を守りたいと考えていた。
【敗者】はレヴィのその考えが分かっていたから、レヴィがどんな感情を持とうが彼女との契約を崩さず、バディであることを優先した。
そして何より、レヴィは自分を弱者と扱われることに憤慨していた。
自分には力があり、自分は【敗者】の役に立てる存在であると証明する為ならどんな事でもした。
「僕にとってのレヴィは使える駒だ。価値のあるヒトであり、決して弱いものなんかじゃない!
レヴィを庇護することなど、彼女の努力を侮辱しているだけだ!」
『救ってやらないのか?バディ、なんだろう?ニンゲンはそうするが』
大いなる陰は【敗者】の言っていることが理解出来なかった。
弱者を守る、というのは人間において当然の事だ。
レヴィが難易度制限解除試験を合格出来ないのだって、嫌がらせだけじゃない。
フォトンなき体でダーカー因子汚染をリスクに挙げられるのは当然のこと。
だが、それでもレヴィは自分が弱者として扱われる事を望んでいなかった。
弱者として扱われるくらいなら、ダーカー因子に汚染されて死ぬ方がよっぽどマシだと思っていた。
「人間は、だろう?だがな。僕はダークファルスで、この女はヒトだが人間なんて大嫌いだ」
【敗者】はダークファルスとしてレヴィを扱き使っているのだ。
人間が彼女を弱者として扱い殻に閉じ込めるのなら、【敗者】は彼女を強者として扱い自由にさせる。
そしてレヴィは自由になりたがっていた。
【敗者】は己の行動もレヴィの考えも間違いなどとは思わない。
「そして、貴様のする人の真似事とやらはただ思い返したくもない過去を無理やり掘り返して見せつけるだけの悪趣味な攻撃に過ぎない。
その攻撃で相手から依存されて、自分だけに価値があると思わせるのは……愛だと言えるのか?僕からすれば、恐怖による支配と何も変わりない」
【敗者】は畳み掛けるように言葉を続ける。
「僕は今までそうしてきた。
相手に与えるのはほとんど力だったが、今の貴様と同じ手口を使った。そして実際に成功したさ。恐怖によって相手は何でも言う事を聞いた。僕はそれを支配だと認識していた。
しかし貴様にとっては理解出来ないのだろう。それを愛だと言い張るんだろう」
【敗者】は人格を持ち、目的の為に理性を持って行動出来る存在だからこそ、それをよく理解していた。
大いなる陰に、愛と依存の違いなど分かりやしない。
「……貴様は所詮依代を求めるだけの繭に過ぎないからだ」
『……!!』
「貴様は選ぶ相手を間違えた。嘘でも僕の力になると言えば空いた場所に巣食う許可くらいは与えてあげたものを……よりにもよってあの女を選んだと。そこまであの女に価値があるかと言われれば、同意してやらなくもないが……あの女を選んだということは、つまり僕の計画を貴様が代行するということ。そんなことは到底出来る気がしないな」
【敗者】は買い被りすぎているとは思わない。
レヴィには間違いなく価値がある。
大いなる陰に心の奥底まで覗かれても、それは完全なる本心だった。
「貴様は僕の駒に相応しくない。あいにく僕は犬みたいに足元を無駄に駆け回って、過労で倒れるまで働くくらいの馬鹿じゃないと信頼できないんだ」
【敗者】はため息を着くと、レヴィのような何かを見つめた。
もう心は揺れなかった。
彼女は確かに悍ましく哀れで可哀想に思えたが、それはこのような虐待を受けていたからではなく、自分の過去を勝手に交渉材料として利用されたことに対する同情だ。
「さて、……自分の汚点を無断で晒されたとなれば、あの女も怒るだろう。そうした時の彼女は一体何を望んでいるか……貴様に正しい解が見つけられるか?」
大いなる陰は、その問いに答えない。
【敗者】はそれを見て笑みを浮かべると、銃を取り出し、倉庫の中の人型に向けた。
「正解は――こんなまやかしで態度を変えるくらいなら殺して忘れてくれ、だ。
話すタイミングくらいあの女が決めるだろう。
僕も全てを知るまで待ってやろうじゃないか。あの女が意地でも隠す、無力の己と言うやつを……」
鈍く激しい銃声の中で、其れは思考を変えた。
"此れ"ではレヴィを依代には出来ないからだ。
その存在はただ自分の新たな肉体を求め、競争に勝ち、強くなり、生き残るために再び進化をする。
だから【敗者】に上回られたと気づいたその瞬間、アンプラム・アンブラは【敗者】に対する拘束は無駄であると完全に理解したのだ。
「……」
銃声が辺りに何度も響き、景色が白く光を包むと、【敗者】は大いなる陰の肉から追い出されていた。
「【敗者】?」
「……」
彼の背後にはレヴィが立っていた。
彼女は心配そうに【敗者】に近付き、今すぐにでも手を伸ばして触れたいという意思が感じられるも、その手を伸ばすことはなく宙で止まっている。
そんな様子を見て、【敗者】は脱力し柔らかく口角を上げた。
「大丈夫だ。ただ、観察していただけに過ぎない」
「本当に?でも、中にいた……よね?」
【敗者】はそう言われ大いなる陰の方に目をやった。
其れは全く傷ついている様子もなく、内側の目玉がレヴィに視線を向けるとまるで求愛行動をするように体躯を揺らしレヴィに存在をアピールしていた。
どうやらまだ諦めていないらしい、と【敗者】は軽く舌打ちすると、レヴィへ振り返り彼女へ近付く。
「いや、その……ごめん。変に疑ってさ、違うのでも、転移出来るとは分かってるんだけど、でも……」
レヴィは自分に舌打ちされたと勘違いして慌てて言い訳の言葉を並べているが、それを遮るように【敗者】は彼女を抱きしめる。
「ッ!!」
「気にするな。お前はよくやっている」
そう言って【敗者】は彼女の小さな後頭部をそっと撫でた。
その体はとても小さいが、倉庫の中に収まるようなサイズではない。
伝わる体温は暖かく、触れているだけでいつも脳天まで熱を感じる強い体だ。
「るっ、るー、さー……」
「お前の事はいつも頼りにしている」
「え?」
「だから、甘い事ばかり言って貴様の欲望を一方的に叶えようとする奴には気を付けろ」
レヴィは何が何だか分からないと困惑した様子で立ちすくんでいたが、【敗者】は納得したように彼女から体を離し背を向けた。
「わ、分かった……【敗者】?」
そのまま歩き出そうとするが、【敗者】は三歩ほど進んだ所でまた振り返り、レヴィを訝しげに見つめる。
「お前、今までどこにいた?」
「この辺の宙域で、星核アンテナのメンテナンスを……」
「ならいい」
レヴィはそのまま話を続けようとするが彼はすぐにまた歩き出し、今度は振り返らずそのまま拠点へ転移していった。
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる