アンプラム・アンブラの存在は危険だ。
【敗者】はレヴィへの監視を強め警戒しているものの、それがかえって自分への不信感になるのではないかと少し恐れてもいる。
だが今のところはレヴィが大いなる陰に心を許した様子はなく、そもそも大いなる陰がどのような手段でレヴィを懐柔しようとしているのかすら検討が付かない。
レヴィは自分の過去や弱みを見せられて相手に心を開く人間では無い。むしろ怒り狂い拒絶するだろう。
かといって大いなる陰が諦めた訳ではなく、レヴィに対し邪な目線を向けているのは【敗者】にもすぐに分かった。
「あんなものに誑かされるほど馬鹿ではないと思いたいが……」
【敗者】はそう言いながら己の内側にあるダーカー因子を湧き立たせては、少しずつ抑え込み極限までその力を器の内側へ覆い隠す。
彼は吸収と侵食を繰り返す事で力を完全に取り戻しており、その強大な力をアークスシップで潜伏する為に限界まで抑えるというのは至難の業だ。
この制御は器の損傷が激しく、練習だけで既に器を二回変えている。
今はルーサーを依代にしていた頃とは違うのだ。
いくら人形を依代と言っても、その器の中には潜伏出来るだけの人の魂が無いものだから。
「はぁ……」
【敗者】は疲れたように溜息をつき、赤黒い天井を見上げる。
孤独というものには慣れたはずだ。
文字通り誰とも交流しない時期だっていくらでもあった。
それでも今訪れている孤独というものにはどこか不安で後ろめたいような感覚が付き纏っている。
レヴィから逃げているから?
ユニゾン波を恐れているから?
【敗者】は強ばる手を引き寄せ呼吸の真似事を繰り返す。
自分は悪くないはずだ。
ユニゾン波で洗脳してきたレヴィの方が悪いのだ。
だから避けようが突き放そうがそれは全部レヴィのせいで、レヴィが死んでもそれは無茶をしたレヴィのせいだ。自分の罪にはならないはずだ。
それでも、もし。
仮の話だ。仮の話だが、レヴィが死んでしまったとしたら、自分はそれを受け入れられるのだろうか。
これから何百年何千年と生きていく中で、たかが数ヶ月一緒に居ただけの女を、忘れられないと思う程心の中に留めてしまうのか。
そもそも、受け入れられないかもしれないと思う事こそが自分にとっていけないことなのではないか……
「やめよう」
【敗者】はそこまで迷って、衝動的に立ち上がった。
もうそれしか択がなかった。
これ以上思考したら自分の頭がおかしくなってしまいそうで。
「好きだ嫌いだの話じゃないだろう……ヤツはただのパートナーだ」
【敗者】は自分にそう言い聞かせると足速に船の中へ戻っていった。
「あっ、……ちょ……」
船の中にはレヴィが居た。
滑らかに湿り温もった肌とそれを僅かに隠す下着のワインレッド。
傷だらけの体にバレエの稽古のせいか僅かに歪んだ足。手はマメだらけで、芸術品とは言い難い働き者の体だが、色気に満ちている。
レヴィはどうやらお風呂上がりのようで、彼女はそっとバスタオルで体を隠すと僅かに顔を赤らめそそくさと洗面所へ戻っていった。
散々セックスした身で今更何を恥ずかしがっているのやら。
【敗者】はそう思いつつも、レヴィの艶かしい姿を見てどこか安心する。
今は官能的だと思う以上にレヴィの暖かく可愛らしい姿に若々しさと朗らかさを感じたのだ。
だが、レヴィが戻ってくると彼女はしっかりと服を着込んでおり、まばらにバッサリと切られた髪の毛は雑に結ばれ今すぐにでも作業を再開すると言わんばかりの様子で。
はぁあ、と【敗者】は思わず盛大にため息をつく。
何も無いはずなのにまるで誘いを断られたかのような微妙なショックを受けながら彼はあからさまに荒々しくソファへ腰を下ろした。
「……どうしたの?」
レヴィはそんな様子の【敗者】に気付きソファの縁に手を置きそっと彼の様子を伺う。
「……」
【敗者】は最初不貞腐れたようにレヴィから顔を背け肘をついていたが、レヴィが彼から離れず不安げに見下ろす物だから耐えきれず振り返った。
「少しくらいめかしこんだらどうだ?」
「はぁ?ここで?一体誰のために?」
「好きな相手の前では少しくらい綺麗な姿を見せたいもの、と思う女も多いがな」
レヴィはそう言われると眉を歪め困ったように顔を逸らす。
【敗者】はそんなレヴィの表情を見てチクリと胸が痛くなった。
(まさか、冷めたのか?)
【敗者】は怪訝な顔でレヴィを見上げていたが、彼女はそんな視線はまるでないもののように指を擦り腕を組む。
「わたしは、好きな相手なら自分の汚い姿を見せてもいいと思ってるけど」
「汚い姿を見せていいのかどうかと、意図的に汚らしくあるのかは違うと思わないか?」
「別に、洒落た格好したって誰にも見られないでしょ?」
ここには他のアークスや市民の類も居ないのだから……と、レヴィはさも当然のように考える。
「貴様は一体誰と喋っているんだ?」
「?」
【敗者】の思いは中々伝わらず、彼はこれもユニゾン波のせいだ、なんていつもの他責思考になりつつももどかしい感情を抑えこんだ。
「僕は粗末な身なりをしているつもりはない。ここに居てもオラクルにいても、ただの一度も損なうことなくまともな装いをしている。何故だか分かるか?」
「【敗者】が几帳面で、緩い服が着れないから?」
カジュアルな服を好まない【敗者】としてはその回答を正解と言いたいところだが、今のレヴィに対する回答には相応しくない。
その為【敗者】はわざとらしくレヴィの目を睨み、指を突きつけて淡々と言葉を紡いだ。
「お前が居るからだ」
その答えにレヴィは首を傾げる。
まさか分からないのか、本当に?
と、【敗者】は自分に恋する女の前で、何故か相手に惚れた訳でもないのに自分が如何に相手をそういう目で見ているか、という話をする事になってしまっている。
これも全て恋愛初心者で常識知らずなコイツのせいだと思いつつ、【敗者】は後から思い出せば羞恥と後悔で埋め尽くされるであろう今の行為を止めることは出来なかった。
「人間の尺度で見てみろ。仮にも二十代前半の若く未婚な女の前で、男が適当な身なりで接すると思うか?」
「そういうマナー?なら気にしなくていいよ、別に」
そこまで聞いて【敗者】はいてもたっても居られなくなり、腰を持ち上げてレヴィの方に近付いた。
「そんな馬鹿げたマナーが存在するならオラクルは何をせずとも破滅一直線だな」
「ひゃっ?!」
そして手首を引っ張ると、転ばせるかのようにレヴィをソファへ押し込み無理やり座らせる。
「お前を口説きたいから自分を良く見せている、とは思わないのか?」
「く、口説くって……いつものあんたのエロいようでエロくない言葉遊びでしょっ?」
レヴィは突然距離が詰まり誘うような言葉をかけられ反応しつつも、今までの彼の態度を思い出しどうにかこじつけて否定しようとする。
が、【敗者】はそんな彼女を見て意地悪に微笑み。
「ふふふ、それはどうだろうか」
長大な男の腰から上がレヴィの側面から正面にまで触れていき、彼の垂れたアシンメトリーの髪の毛が頬を擽る。
【敗者】は確かに堅苦しいと思えるほどいつも、寝る時にまでYシャツのボタンを閉め、スラックスを履き、髪の毛をきちんとセットしていた。
その几帳面な姿が崩れる時などそういう行為しかない。
だが、それがもし、完璧主義以外の理由があるのだとしたら……
レヴィはそんなことを思うと思わず貼り付けられたように動けなくなり、彼が耳の近くまで顔を寄せる動作を一切振り払えなかった。
「では、言い方を変えようか」
低く脳の奥まで響き渡るような彼の官能的なボイスがレヴィの鼓膜を包み込む。
「男はお前のいやらしく無防備な体を見て我が物にしたがっている……ということだ」
「〜〜ッ?!」
【敗者】は息を吸う僅かな音すら官能的で、そんな彼の紡ぐ言葉の一つ一つがまるで檻のようにレヴィの心を囲う。
彼の瞳がスコープのように丸く歪み、レヴィの赤くなった顔を定めて弧を描くと、【敗者】は誘うようにレヴィの太ももを撫でた。
流石のレヴィも直球極まる言葉に勝利の逃げ道は用意出来ない。
【敗者】は彼女の期待しきった表情を見るとくつろいだような笑みを浮かべる。
「逆に考えれば分かるだろう?お前だって、相手とそういうことをしたいなら身なりを整えて相手に少しでも良く見てもらおうと考えないか?
それはそういう目的だけではなく、恋人や夫婦という終点としても、だ」
「わっ、……わたしは、そんなことは叶わなくたっていいから、別に、わたしはただ、わたしの見える所に【敗者】がいたらそれで……」
「レヴィの視界に僕がいるということは、逆も同じだ。相手から目に入るというのなら、その印象は少しでも良くあった方がいいだろう?」
「……」
レヴィは口を噤んだ。
彼女の中の理性の全てが勘違いだと叫び続けている。一度箍が外れたら我慢できなくなると彼女は分かっていたから。
だが、それでもレヴィにとって【敗者】は好きな人なのだ。
愛しい相手なのだ。
だから、彼女は理性を信じつつも彼の言葉を断りきれず黙ることしか出来ない。
「何かしたいなら、着替えてきたらどうだ?」
「え?」
しかし【敗者】はレヴィのそんな心を見抜いた。
ここまで分かりやすく誘っても躊躇う理由なんてそれしかない。
だがレヴィには断る勇気もない。
「自分の思う一番の服で、閨に行って待っていろ」
【敗者】は彼女の心を引くように声を掛けた。
粗雑な格好というのも彼女にとっては鎖のひとつなのだろう。
彼女は無意識に女らしさを捨て、【敗者】を男という対象から外すことで自制心を保っている。
だから、厳密に言えば好意を持った相手の前で綺麗に振る舞うという考えを全く理解できないのではなく、それを選択肢から外し、代わりに別の物……相手に対する価値を示すことで、同等の役割を果たそうとしている。
そこが同じベクトルであるのなら、レヴィがそこをわざわざ切り替えなくても【敗者】に対して誘惑出来ると示せばいいだけ。
【敗者】はレヴィと愛や恋だなんて、と自らの感情を汚らわしく思う気持ちはあったが、彼女から向けられるそれらの感情はむしろ無いと落ち着かないものだった。
いや、汚らわしく思うというのも、自らが変わってしまった驚きやショックの一部分なのだろう。
「っ、わ、わたしは……」
レヴィは目を熱くして、泣きそうになった。
嫌悪や悲しみではなく、【敗者】の優しさ……彼が自分をどれ程手塩にかけ大切に向き合ってくれているか、彼のセックスへの誘いという卑猥な会話でさえそれを感じられて、彼女の心は一杯になる。
「僕の気に召せば、望みが叶うかもしれないぞ?
もっとも、襲われたくないのならそのままの服がいいのかもしれないが……ね」
「う、うぁ、えっと……」
やっぱり、この人は優しすぎる。
レヴィはそう思うが、しかし欲求を出せるほど自分を許せる訳ではなく、自罰的な鎖はぐちゃぐちゃと絡まったまま、中途半端に解けて【敗者】の方へ伸びていた。
「僕もシャワーを浴びて来ようか」
「待っ、ちょっ……かっ、勝手に決めないで……」
レヴィは慌てて去る彼を止めようとする。
【敗者】は果たして自分の浅ましい性欲を剥き出しにしていい相手なのか。
心の中に潜めた彼への独占欲や彼と関わってきた全てに対する嫉妬を露呈させたらそれこそ彼から捨てられるのではないか。
また、伸ばした手を振り払われるのではないか……
「命令はしていない。そのつもりがないのなら、何もしなければいい」
「【敗者】、ちょっと、【敗者】……!」
レヴィはその答えを出す前に、【敗者】はシャワーに向かっていった。
【敗者】はレヴィが明らかに迷って困っていることは分かっていたが、それでも逃げるように彼女の元から去る。
やることはやった。あとは一人で考えるべきだ……と。
「どうしよう……」
レヴィは【敗者】に言われるがまま着替えるか迷ったが、恐怖心があっという間に心の穴を埋めつくし頭を抱えた。
「嫌だ……」
誘われていたとて、もしレヴィが思ってるよりずっと軽い行為で終わらせるつもりだったら?
対応を間違えて彼を不愉快にさせてしまったら?
本当は単なる罠で嘘だったら?
「嫌だ、そばにいて欲しい、【敗者】と一緒に居たい、わたし、【敗者】が好き……」
レヴィの心の中はぐちゃぐちゃだった。
【敗者】からはただそういうことをしようと誘われているだけなのに、脱げと言われれば従うだけなのに、恋愛を持ち出されてレヴィ自身の話をされたら彼女はまともでは居られない。
「どうすればいいの……」
【敗者】を好きだと思うほど、彼が愛おしいと思うほど後ろめたく感じる。
自らの感情を罪だと。存在そのものが許されないものだと……
「こんなに【敗者】が好きなのに、こんなに【敗者】が誘ってくれてるのに、怖い……」
レヴィは真っ暗な視界を手で覆い、深く深く暗闇に沈みこんだ。
【敗者】の表情はずっと見えなかった。
彼の声色は優しかったが、その顔は冷たかったかもしれない。
「アイヲ、……アイヲ、アタエルノナラ……」
レヴィは独りでに言葉を紡ぐ。
自分の喉から発した声なのに、レヴィはそれが自分の言葉でないことを分かっていた。
愛されたいのなら、愛してあげる。
何も考えずに、こちらにおいで。
と、レヴィの頭の中で声が響いた。
(【敗者】じゃなければ、許される……?
わたしが盲目で、ルビィより弱くても、愛してくれる……?)
ワタシだけが、レヴィを愛している。
レヴィの脳内に声はより一層大きく響き、彼女は立ち上がろうとした。
なら、そちらに行けばいい。
レヴィは行く方向が分かっていた。
しかし、膝に力を入れた瞬間、レヴィの曇った脳内を切り裂くように【敗者】の感触がふっと蘇る。
【敗者】が太ももを優しく撫で、すうと息を吸い、レヴィの方を甘ったるく見つめて微笑む姿。
彼の耳が柔らかく赤らみ、レヴィの小さな一挙一動を喜ぶように緩むさま。
『お前のことはいつも、頼りにしている』
そんな風に囁いてくれた彼の言葉に、嘘はない気がした。
そんな気がするだけだが、それでもレヴィは心が暖かくなった。
「【敗者】で、……いいんだよね?」
『だから、甘い事ばかり言って貴様の欲望を一方的に叶えようとする奴には気を付けろ』
「分かってる。だから、貴方のことが信じられる……」
レヴィは【敗者】から言われた言葉を思い出して、立ち上がると先程とは全く別の方向に進み出した。
物を退け、扉を開き、廊下を進んでいくと、一歩一歩足を踏みしめる度に【敗者】の事がより鮮明に思い浮かぶ。
『僕は他の誰でもなく、レヴィだけが良いんだ。
お前は、どうなんだ?』
ロッカールームの扉に手を掛けると、【敗者】のそんな声が聞こえた気がした。
実際彼がそう言ったかどうかは今のレヴィには関係ない。
だが、レヴィはようやく小さな一歩を踏み出せる気がした。
「わたし、【敗者】がいい……」
この船に来てからほとんど訪れたことのなかった場所。
服を保存しているコンテナの中でも、特にお洒落な服がしまわれているスペース。
レヴィは清潔な空気に包まれながらゆっくりと深呼吸をした。
今の自分に盲目を打ち明ける勇気はない。
自分から彼に触れられる勇気もない。
彼に自分の愛を認めてもらう事だってもちろん出来ない。
だが、差し伸べられた取る事くらいならできる。
振り払わずに、恐る恐るでもいいから、手に取って、握り締めることはできる。
「こんな真面目に、恋人みたいにエッチなことするなんて……なんか、恥ずかしいかも」
なんてレヴィは呟きつつも、勝負下着となるであろうインナーや自らの思う粗雑の対極である丁寧で作り込まれた服を取り出していき、アクセサリーケースを開いて並べていった。
それが【敗者】にとっての正解になるかどうかは分からない。
分からないが、レヴィはこのまま一歩も踏み出せず立ち止まっているのは嫌だった。
違う方向に歩き出すのも同じくらい嫌だった。
彼と同じ道を、一歩。
後ろではなく、隣にいるために……
「わたしにとっての、一番……かぁ」
一言。掻き消えるほど小さな声で呟くと、レヴィは自分の体を覆う布を脱ぎ捨て、代わりにコンテナから取り出した服を一枚ずつ身に付けていく。
大事な所があらわになったボンデージのような下着にガーターベルトの付いたニーソックス。
フリルのブラウスにリボンを巻いて、ストライプの入ったベストの金ボタンを嵌めていき、チェーンで繋ぐ。
脱がしにくいということを頭から捨ててレヴィは自らの思う一番の服……【敗者】が数多に取り揃えた服の中で、もっとも豪華でもっとも可愛らしい服を選択した。
普段無意味だからと付けないアクセサリーや装飾品もきちんと付けて、艶やかな大粒のジュエリーが付いたブローチを胸元に据え、レヴィは久しぶりのツインテールもしっかりとセットしてアクセサリーを付ける。
目が見えない環境の中で頼れるのは端末の人工知能のみ。
間違っている、合っている、をそれの基準に合わせながら数ミリ単位まで揃えた長いツインテールにリボンを垂らすと、レヴィはベッドに座り込む。
何か期待外れでは無いのだろうか。
もしかしたら、ほとんど全裸なのが正解ではないのだろうか。
そう考えながらレヴィは悶々と、遠くからほんの僅かに聞こえてくるシャワーの音を聞いていた。
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる