レヴィは工具を掴み、端末に書かれたデータを聞きながら武器を調整していた。
ラジオひとつ流れない無音の環境。
今の彼女にはどんな音も集中を阻害するノイズにしか感じられなかった。
「……」
気まずい。
レヴィは数日前の己を思い出し顔を顰める。
ナイフを持って部屋を暴れ回り、【敗者】から諭され不安になれば自分を落ち着けるため喉元を撃ち抜いて【敗者】に甘えた。
あんな姿がまともな訳はなく、レヴィはあれから【敗者】と会わないよう意図的に避け独りで作業を続けていた。
――触れてもいい、嫌いになったことはない。
何をされたって構わない、殺されたっていいと……
(あいつがあんな事本気で言うと思う?!詭弁に決まってるでしょう……!)
レヴィは自分が彼に対して行った暴虐に対して与えられた言葉の甘さに耐えられなくなり、真正面からその言葉を真実として受け止めるほど自らの愚かさと醜さに打ちひしがれてしまっていた。
逃げるには彼の言葉を否定するしかない。
自分の行動がどれ程荒唐無稽な物だったかを自責しつつ、彼の言葉が欺瞞であり、同時にあの時の行いでさらに追い打ちをかけたのだと自分に言い聞かせなければ納得出来ない。
そうだ、あれだけの事をしたらもうまともに関わってくれることはないだろう。
【敗者】はこの世界よりも大切で、この宇宙で唯一愛おしく、他の何者にも変え難い、しかし相手からみた自分は使い捨てのカトラリーほどに価値のないもの。
そうでしかない、そうでしか……
そんな時、レヴィの鬱屈な思考を払うように機械的な高音が鳴り響いた。
彼女は端末に手を取ろうとして寸前で離し、前髪をくしゃりと掻き乱して動かした手を誤魔化そうとしたが、レヴィが触れるまでもなく勝手に通話は応答状態になった。
《レヴィ》
「……!」
レヴィの悩みようを知ったことないと言わんばかりに【敗者】の声が部屋に響き、レヴィは体をビクリと跳ねさせた。
窓の外からは眷属が覗き、顔色悪く疲れきった表情の彼女を見て何度か瞬きをしている。
《今、用事はないか?》
寝たふりをして返事をしなければやり過ごせるかもしれないとレヴィの頭に一瞬邪な意思が過ぎるが、レヴィの姿は端末のカメラにしっかり映っている。
勝手に電話を応答させてくるような相手が、居留守行為をされてカメラを覗かないわけがない。
そんな【敗者】への信頼なのか嫌味なのかよく分からない思考でレヴィは顔に皺を寄せ、渋々声を出した。
「ない……、けど」
《いつものところで待っている。今すぐ来てくれ》
要件を言わないなんて珍しい。
その上【敗者】の声は何の感情も読み取れないほどいつも通りで、レヴィの途切れ途切れで詰まったような低い言葉にも無反応である。
「……わかった」
返事の後、通話は勝手に終了した。
行かなければならない。
だが胸が苦しい。食道のあたりで中途半端にぬるくなったゼリーを拳で何度も潰されているような感覚がする。
気持ち悪い。頭が痛い。動きたくない。
吐く息がいつもより湿っている気がする。
吐きそう。吐きそう。ダメだ、吐きそう。
「っうぐぅう……」
レヴィは胸を抑えてへたりこみ、床に向かって込み上げたものをぶちまけた。
と言っても、ろくに食事も取っていない彼女からは胃液しか出てこない。
吐いて落ち着くかと言われればそんなことはなく、ぞわぞわと鳥肌が立ち変な痒みが全身を襲っていた。
「はっ、……はっ……」
【敗者】の元に行かなければならないと分かっているのにレヴィは起き上がれなかった。
荒く息を吐いたまま地面に頭を突き、背中を丸めて蹲る。
「う゛ぅ゛ぅ゛……っ、う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛う……!!」
レヴィの瞳からは涙が零れ、彼女は体を包む不快感に蝕まれながら枯れた咳と嗚咽を繰り返し髪をぐちゃぐちゃに掻き乱していた。
「行かないと……い゛がな゛い゛と……」
乱れた髪を治す余裕も無く壁にしがみつきながら無理やり立ち上がると、色々な物に体をぶつけてよろけながらも倒れないように扉を開けて【敗者】の方へ向かっていった。
今度体を崩したらもう二度と起き上がれないような気がして、レヴィは身体中に脂汗をかきながらあまりにも遅い一歩を急ぐような気持ちで踏み続ける。
これは菌のせいか、精神的なものか、それとも単なる体調不良か……
レヴィの頭には一瞬麻酔に使われる例の薬の姿が過ぎったが、痛みもない状況であれを使うのは勿体ないと思う気持ちがあった。
だがなんとなくあれを使えば落ち着くような気がするとも思ってしまう。
「はぁ……はぁ……」
泣き腫らした赤い眼にボサボサの頭で、愛する人に会いに行く格好にしてはあまりにもみっともないが、目の見えない彼女からしたら自分の容姿がどれほどみっともないかなど気付く由もない。
船から出るだけの本来なら一分も掛からないであろう距離が永遠のように遠く感じ、レヴィは罠か何かで空間を狂わされているだろうか、なんて考えながら、出入口の扉に手を掛けた。
「レ……!!……、ヴィ」
瞬間、扉が独りでに開きレヴィはよろけるとその身体を【敗者】が掴んだ。
「う゛ぁ……?」
窓の外に据えていた眷属は羽音を立てて消えていき、【敗者】はレヴィを抱き抱えそっと顔を覗く。
「レヴィ、……どうした、レヴィ、大丈夫か」
「ぁー……」
しかしレヴィの顔は黄色く、【敗者】は急いでバイタルを見ると彼女の肉体内部のありとあらゆる部分が異常な程損傷を受けていた。
「このバイタルの乱れはなんだ?精神的なもの?菌?いや、脳神経の萎縮……何が起きている?」
今から出来る処置はなんだろうか?
こんな原因もわからず全身ぐちゃぐちゃなのに、一体どこから手を付ければ?
「クソッ、とにかくだ。使いたくない手だが……貴様の体を少し安定させてやる」
【敗者】は焦燥の末手を翳し、ダーカー因子を彼女へ送り込んだ。
いくら遺伝子的に抗体があるとはいえ、意図的なダーカー因子の汚染はハイリスクにも程があるが、逆に肉体のポテンシャルを大きく上昇させ消耗した死にかけの状態から持ち直すことは出来るだろう。
「あ……」
ダーカー因子の侵食でレヴィの体を襲っていた不快感は少しずつ消えていき、彼女には体調不良どころかどこか全能感すら感じさせるような高揚が感じられてきた。
「ダーカー因子に汚染させることで低下していた免疫力や抵抗力を底上げし、体を動かすための力を後押ししている状態だ。
とはいえ、ありとあらゆる病に侵されていた肉体に最も強いウイルスを感染させることで他の細菌やウイルスを抹殺したようなものだ。原因を掴み次第ダーカー因子は浄化して肉体を治癒する必要がある」
「……」
「どうだ、話せるか」
「うん……」
レヴィは【敗者】の話を聞きつつも自分の異常にはどこか他人事で、【敗者】に撫でられていても拒絶することもなければ喜ぶこともなくぼんやりと頷いている。
だが無感情という訳でもなく、彼女はなぜ【敗者】が自分を呼んだのか、という事ばかり考えていた。
そんな様子に気付いたのか、【敗者】は懐から小さな薬箱を取り出しレヴィに触れさせる。
「怒る為に呼び出した訳じゃない。菌の致死的な毒性と侵食作用を大幅に抑制・予防するワクチンを開発した。貴様には一番にそれを摂取してもらう必要がある」
(ワクチンか……解毒剤もそうだけど、自分で使うものだし全然考えてなかったな)
【敗者】が使うならともかく、レヴィは自分が使うものにそこまで神経質になることはなく彼女は【敗者】からそれを言われて初めて予防や対策という概念を思い出した。
「貴様は両利きだが……右の方がいいか?」
「どっちでもいいよ」
その言葉を聞いて【敗者】は彼女の手を取り、袖を捲る。
消毒綿で拭い、ほんのり太い針の注射器を近付けるとレヴィへ声を掛ける。
「少し太いが力まないように。3秒数えた後に打つ」
「子供扱いしないでよ、自分にメスだって入れたことあるのに」
「こういう……見えないような状況だと怖くも感じるだろう?」
レヴィはその言葉に肩を跳ねさせるが、よく考えれば自分が全く腕の方に顔を向けていなかったことに気づきそれもそうか、とため息をつく。
三、二、一と【敗者】の低く艶かしい声がレヴィの耳に入ると、チクリと痛みが走った。
今はダーカー因子で統制されている以上、菌が抑制されているのかどうかは分からないが少なくともワクチンを打って体調不良になるようなことはない。
「……どうも思わないの?」
「?」
「わたしのこと、変なやつだって。
ヒステリックで、わがままで、頭のおかしい関わりたくないやつだって思わないの?」
「それは、昔からずっと思っていることだ」
「ッ……」
「だが、それが関わらない理由にはならないだろう。
この世に欠点のない完璧な人間なんていない。
だが、欠点を凌駕するほどの好意があるからこそ人は共にあろうとするんだ」
【敗者】の目は真っ直ぐに彼女を見つめていた。レヴィにその視線は分からない。【敗者】はそれでもよかった。
「僕は貴様の悪い部分を見なかったことにはしない。向き合った上で、それでも好きだと迷わず言える。欠点から目を逸らし、盲目になる事など愚かの極みだろう?」
レヴィはそう言われて【敗者】の悪い所を探そうとするが、上手く見つからない。
彼がどれ程優しく暖かい人間なのかは分かっているし、冷たい所や恐ろしい所も彼にとっては正しいことだ。それをレヴィが嫌いだと言って拒絶する理由なんてない。
自身が嫌だと思う部分は全て正しくて受け入れなければいけない所で、好きだと思う部分は全て都合のいい慈悲で。
「わたしは……、わたしはあんたの悪い所は……分からない」
悪いと思ってはいけない。嫌な部分だと考えてはいけない。それが全て正しいものだと考えなくてはいけない。
レヴィはその思考こそ逃げであり彼の言う盲目である事には気付かず、その言葉が彼への慈悲と優しさであり配慮であると考えていた。
「僕は凡そ自分が好かれる人間だとは思わないが?」
「ないったらないんだもん。あんたはダークファルスで、強くて、賢くて、正しいんだから」
「……」
「だから、大丈夫だよ……」
レヴィは【敗者】から離れて起き上がろうとするが平衡感覚を失っており、四つん這いでテーブルの足を掴みながら恐る恐る立ち上がっていた。
彼女にとっては体調不良の異常事態だが、これが一般人における盲目の状態である。
本来は盲目で精密作業や戦闘が出来る方がおかしい。
今のレヴィは自分を支えていたありとあらゆる物から逃げ続け、掴むものもなく孤立している状態になっていた。
「まだ、自分が役たたずだと思っているのか?」
「……」
レヴィは【敗者】の問いに否定も肯定もしなかった。
が、その答えこそ肯定以外の何物でもない。
「僕は心の底からお前に頼っているんだが……そこまで意固地だとな。
一体お前は何を言って何をしたら理解して貰えるんだ?」
「……」
レヴィにとって難問である。
そんなこと返せるわけがない。
だって、今の状態を正しいと本気で言い聞かせているのだから、感情でそうでないと抑え込んでいるのだから、それをどうすればいいかなんてレヴィ本人にも分からないのだ。
【敗者】は返事もせず顔すら向けないレヴィに眉を顰め考え込む。
ダーカー因子や大いなる陰のせいで精神的に不安定なのはわかる。だが【敗者】はやれる限りのことはやったつもりだ。それでもレヴィの中で納得出来ないのは、【敗者】の問題ではなくレヴィの現実逃避をどうにかして辞めてもらわなければいけないという話になる。
「その……レヴィはいつもよくやっているじゃないか。
褒美だ。……貴様が望むなら、何でも与えるが」
「そんな、やる事やってもないのに褒美なんて……」
「いや、報酬が少ないとはずっと思っていた。
与えられるならいくらでも与えたい」
【敗者】の言葉に嘘という感じはないが、レヴィの中には後ろめたさがまだ付きまとっている。
「その、何かお願いして……それで、わたしのこと避けたり、関わりたくないとか、引いたりとか……しない?」
「今からオラクルを滅亡させてこい、という願いくらい非現実的な物でもなければ引いたりすることはないがね」
レヴィはそう言われて考え込んだ。
とは言われても褒美など思いつかない。
セックス?褒めてもらう?キス?それとも【敗者】に首輪をつけて束縛する?頭を撫でて貰う?
色々と悩んだ結果、彼女は【敗者】の方に頭を向け恐る恐る声を出した。
「なら……ハグ、……とか、してほしい、かも。いや!そのっ、ちが、えと……。それは嘘で、器具をちょっと調達したくて……」
「いちいちそんなことで許可を取るんじゃない」
【敗者】は否定しようと支えを離しよろけた彼女の体を受け止め強く抱き締める。
「っ?!あ……【敗者】……」
「レヴィ、……」
【敗者】は小さく痩せ細った肢体からふんわりと漂う甘い香りを顔を埋めて吸った。
彼の手には力が入り、レヴィの軋んだ髪を絡め取ってさらにキツく抱き締める。
その手からはどこか哀愁が漂っている。
寂しさ、苦しさ、愛おしさ……
レヴィはそれを感じると体を離し、彼の胸元を掴んだ。
「【敗者】、わたし、あのね……」
本当はわたしじゃない方がいいんじゃない?
他の人の方が、フォトンを使える、普通の人の方が……
なんて、レヴィの言葉が漏れる前に【敗者】が彼女の言葉を遮った。
「レヴィ」
「な、なに?」
【敗者】はレヴィの頬に手を置き、そっと撫でる。
「まだ足りないんだが……もっとくれないか?」
「い、……いいけど」
いいけど、の先をレヴィが言おうとすると、また遮られるように【敗者】の唇が彼女を覆った。
【敗者】の大きな舌は容赦なくレヴィの中を埋めつくし、舌が交わるほどに熱がどんどん上がっていって、レヴィの瞳からはほろりと涙が零れ彼にしがみついていた。
「んっ、……は、……っ、……」
《好き、……好きっ、……【敗者】、好き……》
「レヴィ……」
レヴィから伝わる意思は紛れもなく好意。
そうだ、嫌いなわけなどない。好きに決まっている。それなのに、どうしてレヴィは逃げてしまうのか。上手く交わってくれないのか。
「……こっちを見るんだ」
「ぁ、……【敗者】……」
心が交わらないというのなら、行く道を共にしたくないというのなら、せめてこの目線だけでも共にあってくれればいいというのに。
【敗者】の淡い恋心は出来る限りのまっすぐな意思で彼女に視線を向けたが、レヴィは【敗者】の方を見ても彼の眉間の辺りをぼんやりと眺めるだけだった。
「……ッ、」
「レヴィ、……」
目が合わない。
ここまで言って、ここまでして、やれることはやってきても、まだ。
これは嫌がらせでも嫌われてる訳でもない。
そんな領域ではないと、分かっている……
ずっと感じていた違和感。
わかっていつつも、そんな重大なことを言わないはずがないと信じたかった。
だが、レヴィは言わなかった。言ってくれなかった。
【敗者】はいよいよその狼藉に我慢出来なくなった。
「お前……目が見えてないんだろう?」
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる