視界が戻り地獄の中にも宇宙の晴空が差し込む中、二人は貨物移動型小型遠征用商船の搭乗席に乗り込み、ついにこのダーカーの巣窟を飛び立とうとしていた。
「もう一ヶ月以上も経ったんだね……オラクルの景色が懐かしいくらい」
「普通のアークスなら侵食されて終わりだからな。そう思えるほどここに滞在したアークスは居ないだろう」
「確かにね。わたし達みたいにバカンス設備整えてくるような場所でもないし」
通信妨害のかかっていない完璧なレーダーシステムとハッキングで得られたアークス管制のオペレーターシステムデータで44番艦までのルートと時間を確認し、【敗者】はモニターを操作すると自動運転が始まり船がゆっくりと浮き上がった。
レヴィは不思議と緊張しており、船がダーカー因子の力で転移体制に入ると彼女の拳には自然と力が入る。
「オラクルに戻るのが怖いか?」
「怖いとか、じゃないけど……」
「オラクルではフォトンが全て。お前にどのような素養があろうが、あの場所に生きる人類にそれを認識させるのは難しい」
「……」
レヴィの体は自然と強ばっており、頭に思い浮かんだどのような言葉もオラクルへの恐怖がまとわりついた。
「わたしは、その……今の環境に、まだ慣れてない」
レヴィは迷った末、少しずつ言葉を並べていく。
「【敗者】は凄く純粋で、優しい人で、あいつらが目にも向けなかった力も、わたしが良くないことだと思ってた物も、あんたにとってはみんな良いものになる。
だからわたしはあんたからの評価が正しいのか、オラクルからの評価が正しいのかはまだ分からない」
「多数派というだけならオラクルの方だというのは間違いないが……少なくとも、僕は感情ではなく数値で判断しており、懸念事項を含めたとしてもある一方の数値が劣っているからといって他全ての優れた才能が無かったことになる、なんて道理は適用していないな」
「数値、ね……」
確かに、【敗者】はフォトンアレルギーや最弱のような分かりやすい記号に囚われることはなく、グラン類似エネルギーや反フォトンのような体質をアレルギーと切り分けていたり、レベルやスキルの不足をフォーマットの問題に過ぎないと考え特異的かつ実用的な独自の基準を適用し再評価を行っている。
しかし、レヴィは数値という絶対的な基準で評価する【敗者】に有り難さを覚えつつも不安感もあった。
数字に頼るのはいい。
だが、評価する【敗者】にも感情があり、評価されるレヴィにもそれがある。
人間同士の関係は数字のような単純なデータで片付けられるようなものではなく、レヴィは自分が【敗者】にとって都合のいい、楽な性格をしている自覚もない。
「あんたは、ほんとにわたしでいいの?」
数多の星とその欠片が広がる宇宙を背に、レヴィは切なげに目を細める。
「わたしは強くもないし、喧嘩だってするし、あんたにとって都合の悪いことするよ。言うことだって、聞かないかもしれないよ。
わたしは不完全だし、間違ってるよ?」
評価されているのは分かっている。だが二人の関係は永遠じゃない。
つつけば死んでしまう脆い体のレヴィと不老不滅のダークファルスでは、時間の感覚も肉体の耐久値も、精神の成熟度合いも何もかも違う。
だが【敗者】にそんな悩みは愚問だ。
「それでもいい」
「……!」
「最初から完璧になろうとしなくていい。失敗を恐れなくていい。それは、戦闘訓練はもちろん、芸や技術に関することもそうだが……僕たちの関係だってそうじゃないか?」
【敗者】は最初正しくあろうとした。
全知存在を取りこぼしたその時から、二度と失敗はしないと誓った。しかし彼はレヴィと交流する中で間違いのように思えた恋愛感情を受け入れ、全知の為とは限らない寄り道を許容するようになった。
真っ直ぐな所が純粋だと【敗者】はレヴィから評価されているが、彼は愛する女の為にならその純粋さを捻じ曲げても構わないと本気で思っている。
「失敗して……いいの?」
「そうだ。意思が合わず喧嘩だって何回してもいいだろう。完全に意思疎通が取れて、何もかも上手くいくなんて事がなくてもいいだろう。互いに人であり、コミュニケーションを取れるというのなら、何度でも失敗して、その度に成長していく方がいいはずだ。一度で完璧に勝利する、なんてものよりよっぽどいい経験になるんじゃないか?
プログラミングが得意なお前なら、それが分かるだろう」
「……うん」
バグの全く存在しないテストデータなんてあるわけがない。それはただ見つかっていないだけで、確かにそこに存在している。プログラマーはそれを分かっているからこそ、完全な成功ほど恐れるものだった。
「僕たちの関係だって、完成されている訳じゃない。指導形態も、契約も、最終地点が動かなければその道筋を変えたって構わない」
【敗者】は真っ直ぐな瞳でレヴィと目を合わせ、優しく言葉を紡ぐ。
これから先何があるかは分からない。二人の関係は永遠に続くことはないのかもしれない。
だが、そうであったとしても、刹那のこの一瞬をより良い未来の為に使わない理由などないのだ。
「レヴィ、道は一本筋ではないんだ。苦楽の差はあるだろうが、道はいくらでも存在するし、道のない場所に道を作ったって構わない。そうだろう?」
彼は気の狂う程かけた時間の中で、どれ程の試行錯誤をしてきたかなど言うまでもない。
だが今の彼の進路は昔よりも広がっている。
「そうだね……」
レヴィはそれを聞くとゆっくりと目を閉じた。
【敗者】は特別だ。
【敗者】はちゃんと評価してくれている。
例えレヴィがどんな存在であろうとも、欠陥品で不出来な物だったとしても、彼は良い面を見出し、さらに良くしようと導いてもくれる。
「……」
そんな【敗者】に、レヴィはいい加減ケジメをつけなくてはいけないと感じた。
怖くないことなどない。恐れはある。彼の声で気持ち悪いと言われる可能性に怯えてもいる。
だが、それでもレヴィは話したかった。
世界の別階層に干渉できる、高低次元のベクトル……本来見えてはいけないものが視界に入ってしまう素養を。
「あのさ。
……あんたは、誰かに気持ち悪いって、思ったことある?」
レヴィは目を開いたあと、【敗者】からそっと顔を逸らし窓の外に目を向けた。
「気持ち悪い?」
【敗者】は突然の言葉に呆気に取られ、首を傾げる。
彼はレヴィが一体何を考えているのか分からず彼女の表情を伺おうとするが、それよりも先に彼女が口を開いた。
「生理的に受け付けないというか、……自分の目の前に立ちはだかった理解不能で受け入れ難い物に対して、言葉に出来ないようなおぞましさ……不快感を覚えたりとか、する?」
レヴィの声は淡々としていて、彼女はいい終わった後に口を閉じるとゆっくりと大きい呼吸を始める。
【敗者】はその言葉にどう返そうか迷った。
アークスやフォトナーの俗物共がした行いに対して不快感を感じたことがある、と彼女に同意するべきなのか、それとも"受け入れ難い物"をコミュニケーションや感情の中ではなく単純な物体や事象として考えるべきか。
だが、わざわざレヴィが口に出す言葉で、簡単な同意だけ求めることなんて早々ないだろう。
「科学者は、未知を前に不快という言葉で逃げる選択肢などない。
そこに可能性があるのなら、手を伸ばし続けるのが性というものだ」
彼のその言葉に嘘はない。全知を追い求めるということは理解不能の未知を追うことと同義だから。
「……そう」
レヴィはその言葉を聞いてもさして湧き上がることはなく、冷静に淡々と言葉を紡いだ。
「統合失調症って分かるよね」
「……精神疾患であり脳の神経回路の機能障害。幻覚や妄想、鬱、思考や判断能力の低下が起こる病気だ」
「統合失調症は電気治療で症状が改善するってさ、よく言われるみたい」
「投薬などで制御することも出来るが、やはり電気信号の異常は電気で治すというのが理に適っているように僕は感じるな」
レヴィは誘導するように話題を出しては【敗者】からの返答を聞いて細かく判断をしているような、牛歩な話の進め方をしている。
まるで怒られる前の子供のようだ。
「でもさ、統合失調症の人間が見る"幻覚"って、傲慢な言い方だよね。わたし達の目は紫外線もガンマ線も見えないのに、わたし達が本当の世界を見てるみたいに言うなんてさ」
「全知存在こそが"正しい"世界を観測出来るだろう」
【敗者】からしてみれば、レヴィの考えは見識の狭い子供のそれだ。
彼女のそれは既にオラクルで答えが出ている話なのだから。
しかし彼女のそれを頭ごなしに否定し、幼稚だと馬鹿に出来ないのは彼にもそのような疑問が湧いているからで。
「だが、そうだな。僕は最近思う。全知存在に記録されないなら、それは"幻"なのか、と。
記憶にのみ存在し、記録に残らない物は、幻覚なのではないか、と。
だが、僕からすれば音が聞こえて、見ることもできて、触れられて、匂いも感じられて、味わうことも出来るんだ。そこに魂だってある。
ただ記録されないだけ……それだけなのに、全知存在に記録されないなら、それは偽りであり欺瞞の存在になるのか、と」
「……わたしは全知存在なんて信じてない」
「よくもまあ、僕の前で言えたものだな」
【敗者】はくすりと笑い、レヴィを見つめた。
魂があり、感触があり、それなのに真実の世界に記録されない存在。
(無数の分岐とその終わりが蓄積される全知存在の中にただの一ビットも載っておらず、千年ごとに全てのデジタルデータから記録が削除されるという解を話したら、君は一体どう反応するだろうか)
【敗者】は残酷な真実をどう打ち明けようか悩んでいる中、彼女は【敗者】の話を聞いてまるで他人事のように、ただの人間のようにそれに返す。
「例え全知存在がこれが正しいって定めてたとしても、わたしは自分で見たものしか納得出来ないよ。だってあるって言われてるものが見えないんだもん。ないんだもん。わたしが見えないものがそこに存在する事を、どうやって証明すればいいの?受け入れればいいの?
……あんたは、そう思わない?」
「そうやって人の目に見えないものがあるから、観測機器というものが生まれたんだろう?
ようは、どんな手段を使おうがそこにある事が証明出来ればいい。
全知存在に記録されていないものだとしても、そこに存在したという証を残せばいいじゃないか。情報であれ、物体であれ、全知存在か自分か、なんて二択に絞る必要はないと思うが」
もし記録がなくなってしまったら、存在しなかったと言っていいのだろうか。【敗者】はそう思えなかった。"あの子"は確かにオラクルに存在していたし、レヴィだって今ここにいる。
デジタルデータで残らないのなら、アナログデータで残せばいい。石板でも彫刻でも構わないから、とにかく存在を証明出来れば。
しかしレヴィの考えはまた違った。
「わたしはさ、情報があったって、物体があったって、それを見てくれる人……記憶してくれる人がいないと寂しいよ。
わたしは記憶して欲しい。覚えてて欲しい。ほんの少しでも、悪い思い出でもいいから……」
彼女にとって記録の本質とは、情報そのものではなくそれを観測する存在があってこそのものだったから。
だからデータがアナログであろうがデジタルであろうが、誰かがそれを見て記憶しないと意味がないと思っていた。
「記憶はお前にとってそれほど大切な物か?」
レヴィがそう思うのは、今まで彼女がそう生きてきたからだ。
彼女は戸籍を消された。本当はルビィの姉として両親の元に生まれたが、彼女が措置なしとして見放された時、その記録は抹消された。
レヴィはそこにいるのにいないことになり、彼女の存在をデータが証明することは出来なかった。
学生時代もそうだ。彼女は座学で完璧な回答を出しても、全て0点で返された。
不当な嘘を重ね卒業出来なくなった時も、賄賂一つでそれを覆す事ができた。
彼女は昔から世界というデータをクラッキングし、自らの力で抹消された存在を書き換え続けた。
彼女は記録を信頼していなかった。
だが戸籍がなくてもルビィの妹として噂されたように、金の束一つでアークスに入隊出来たように、そこにいる人とそこにある記憶には間違いなくレヴィの存在を証明する物があった。
「記憶は、わたしそのものだよ」
【敗者】はその言葉を聞いて背筋が震えた。
その単純な一言はレヴィの本質を一言で示すようなものだったから。
だが、彼の理性はそれを否定したかった。
レヴィが記憶だけの存在なら、観測ありきの概念だというのなら、彼が追い求めるレヴィの真理は何処にも無いことになってしまうのだから……
「だか、他者からの記憶にはバイアスがかかるだろう。
他人から認識される自分が、本当の自分ではない……他人にとって都合のいい自分に捻じ曲げられても、お前はそれでいいのか?
情報や物体のような、曲解されることのない確実な記録が残っている方が、いいんじゃないか?」
「違うよ。誤った解釈をされてるんじゃない。その人の中で、わたしが造られてるってことだよ」
【敗者】の瞳に映る彼女は柔らかく微笑んでいた。
「記憶をしてくれたら、わたしが死んでもその人の中でわたしは生き続ける。
その人の望む形のわたしとして、わたしではなくもう一人のわたしとして、わたしが誰かに記憶されていく限り、わたしは誰かの心に存在して、そして情報が伝播していく。
だから、あなたの中にあるわたしが正しいか本物かなんて関係ないの。
ほんの少し、名前だけでもいい……
わたしのことを覚えていてくれたら、あなたの中でわたしがずっとそばにいられる」
レヴィの繊細な考えと彼女の感性は【敗者】の不安を柔らかく拭う。
全知存在にないから幻とか、記録されないから存在しないとか、そんな事を考える必要はない。
自分の中にレヴィがいるのなら、彼女はそこで存在していられる……その考えは【敗者】を安堵させた。
「……愚問だったな。僕にとってお前は幻なんかじゃない。それで良かっただけだ」
「そう……」
「記憶が記録に映らない情報を蓄積できるのなら、記憶と記録は別の基準を用いており……結果、記憶で構成された世界と記録で構成された世界は別物だと言える。
お前はきっと、記憶で構成された世界から来たんだろう」
記憶だけで構成された世界なんて、知識のない人からしてみればバカバカしい話だ。
だが別次元ではフォトンという同じ名前を持つ物が別の機能と性質を有しているように、世界の構成要素や宇宙の成り立ちが根本から違う異世界が別にあるというのは、【敗者】からしてみれば何も不思議な話ではない。
レヴィはどちらかと言うと知識のない側……そのような要素に対する理解が浅い方だったが、自分よりも賢い【敗者】がそう言っているのを聞いてなんとなくそうなのかもしれない、と思った。
「……貴方は信じる?この世界は記録だけではなくて、記憶によって構成された世界があるってこと」
【敗者】は頷いた。
レヴィは思う。自分の体に根本的な造りの違いがあるというのなら、不気味極まりない特異的な力もきっと、その構成要素から来ているのではないか、と。
「……わたしは、多分、よくわかんないけど、あんたのいう記憶で構成された世界から来たんだと思う。きっとね。
わたしはオラクルで生まれたし、アークスのはずなんだけどさ、多分、そんな感じだと思う」
レヴィは【敗者】の言うことを完全に受け止められたわけではない。
彼女はオラクルで生まれ育ったデューマンという種族であり、親の腹の感覚も生まれた時の寒い空気も全て記憶に残る彼女からすれば、別世界という概念など介入する余地がないに決まっているからだ。
だが信頼していない事でもそれを利用すれば自分の価値を歪められるというのなら、レヴィはそれに寄せるべきだと感じた。
それでもレヴィは言葉に詰まり、吐き出しかけた言葉を直ぐに抑えなかったことにする。
「でさ、……それで」
迷った末、レヴィは目を逸らした。
「人に見えないものが、見えるって。そんな感じ、なのかもね。
記録で構成された世界に、記憶で構成されたわたしがいるのは」
レヴィはきょろきょろと視線を移しながらたどたどしく言葉を並べる。
「記録に映らない情報って奴が、認識出来る……
そうすると、なんて言ったらいいかな……変な話だよ。変な話、何も無いところから、よくわからないものが見えて、よく分からないものに干渉できる、みたいな。そんな感じ、なんじゃないかな」
「そうか……」
「いやまあ、本当に変な話なんだけどさ」
「僕はもっと聞きたい」
食い入るように言葉を挟んだ後、【敗者】は体を引きそっと深呼吸する。
レヴィの異様な雰囲気に飲まれることはなく【敗者】は真剣な眼差しでレヴィを見つめた。
「荒唐無稽な話であろうが、世紀の新発見であろうが、僕の知らないことをレヴィが知っているのなら聞かせて欲しい。知りたいんだ」
その真っ直ぐで好奇心という輝きを纏った瞳にレヴィは思わず顔を綻ばせる。
「……本当に、あんたは純粋だね」
レヴィはそう言ったあと、瞬きする。
闇から解き放たれたその視界には、世界を割るように幾つもの裂け目が映っていた。
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
-
続編として作品を分ける
-
分けないで一つの作品でまとめる