「……、ぁ……」
言葉を失う、という言葉の通りで、コリンは口をぱくぱくさせて何も言葉を発することができなかった。
もう少し大人の女かと思ったら少女で、かと思えば魔女で、血まみれと思ったら絵の具で、何故か炎の絵が本物の炎みたいにメラメラしてて、それでそれで。コリンの中で、頭の整理は色々と追いついていない様子だ。
「魔女なんですか!?」
一つの言葉をかなりの間を置いて弾き出した。
「そうよ。そう名乗ったわ」
混乱のあまりコリンは、どうしてこんなところに魔女が、と思わず口にするところだったが、よくよく考えてみれば、こんなにも人の気のない森の奥にいるのだから逆に魔女以外にいるわけがない、と明確な答えに辿り着いた。
「ひょっとして魔法を見るのは初めて? ……っぽいわね」
コリンは無言でコクコクと頷く。
「最近はてんで森の外に出てないし、社会もまるっと変わってるんだろうね。仕方ないといえば、仕方ないんだけど」
この場面ではどのような言葉を取り繕うのが正解か、思い悩んでいたコリンだったが、何も絞り出せないでいると、アルテの方から手を差しのべられる。
「ほら、アンタ。変なものにガオーって食べられたくなければついてきなさい。ここより少しは安全なところに案内してあげるわ」
森の奥へと案内されていくうちに、コリンはほぼ一方的にアルテから話しかけられ、色々なことを知り、そして色々と察した。
アルテは、杖の代わりに絵筆を使い、魔法を描くピクトマンサーと呼ばれる魔女だということ。そもそも魔女のことをそれほど分かっていなかったコリンにとってはソレ以外の魔女がどのようにして魔法を使うのかも知らなかったが。
あと、ほのかに理解していたのは、アルテが見た目よりも年がいっていて、少なくともコリンよりもずっと年上だということ。どうして少女のような姿をしているのかまではさておき、それは何となく雰囲気で察した。
そして、コリンはもう一つ察していた。
魔女は何者にも相容れなかった存在。それが何処の誰とも知らないコリンに対し、あまりにも友好的に接しているということは、何か裏があるのではないかと。
「この先だから、もう一踏ん張り!」
絵筆を振るい、「ガンバレ」と光る文字を描く。それに照らされながらコリンは急斜面をよじ登る。
体力は流石に限界で、これ以上歩くには足の裏の豆は潰れすぎていた。
はふぅはふぅ、と息づかいを整えるのも必死になって、ようやく上の方まで辿り着くと、そこにあったのはそのまま言葉通り、絵に描いたような家が建っていた。
何の誇張もない、本当に絵に描かれたかのような家だ。つい今しがた、ピクトマンサーの話を聞いていなかったのなら、おそらくコリンは目の前のソレを夢か幻かと思ったに違いない。
「ここ、私の家」
でしょうね、と思わず答えそうになったが、とりあえずコリンは、へえそうなんですか、という顔をすることにした。
「そういえば、アンタ名乗ったっけ? 名前。なんていうの?」
「あ、えと、コリン。ラースカ・コリン・トリーフォノヴィチ、です」
「そ。コリンくんね」
そこはかとなく、合点がいった、という顔を浮かべつつも、アルテは玄関の扉を開く。
外観こそいかにも絵に描いたような家だったが、内装は思ったより平凡で、あたかも外側だけ塗り替えたかのような不思議な錯覚に陥る。
よもや元々あったボロ小屋の外周に絵を被せたのではないか、という疑惑がコリンの中で沸いてきていた。
「さ、外は寒かったでしょ?」
こくりと頷き、コリンはアルテに続いて家へとお邪魔する。
中は思ったよりも暖かく、こんなすきま風の吹き抜けそうな家の一体何処にそれほどまでの暖房が用意されているのか、コリンには皆目検討もつかなかった。
「狭い家だけど、そこいらでぶらつくよりかはずっと安全だからね。ま、ゆっくりしていきなさい。遠慮することはないわ」
「あ、あの、ありがとうございます」
たどたどしくコリンはお礼を述べ、次にどんな言葉を発したらいいか戸惑っていると、いいからいいから、という呆れ顔でアルテに鼻で笑われる。
廊下を進み、扉をくぐると、ますますボロ小屋のような部屋が広がっていた。危うく顔をしかめるところだったが、コリンはこれを堪え、ひきつった笑顔に留まった。
ふと汚いという言葉がどうして生まれたのかを考えたとき、おそらくきっと目の前の光景を形容するためだったのだろうと強い確信を抱いた。
ガラクタが無造作に転がっている。何に使うかも分からない道具が散らばっている。ここに人を招き入れようとしたアルテの気がしれない。
足の折れたテーブルや、背もたれに亀裂入った椅子が視界に入り、ここが作業部屋のような場所だとようやく理解することができた。
転がっていたガラクタもよくよく見れば、バケツや木箱。床に散っているソレも絵筆の残骸などだ。
この部屋に足を踏み入れる直前のアルテの表情の意図を汲み取れた。
ギシッ、ミシッ、と大袈裟なくらい音を立てる床を踏み抜かぬよう注意しつつ進んでいくと、コリンはふと足を止めた。ソレが目に入ったからだ。
何故かテーブルや椅子、バケツや木箱はその用途を満たせないくらいに形を失っていたのに、ソレはしっかりと立っていた。そこにあったソレは、キャンパスを置くための道具、イーゼルだった。そしてイーゼルには絵画が鎮座していた。
場違いというと語弊はあるかもしれない。ただ、ソレだけが、このボロ小屋のゴミ溜めのような部屋とは異質なほど異彩を放っていた。
汚泥の中に光る宝石、はたまた太陽のごとく輝いてさえ見えた。もしピクトマンサーなる力による魔法なのだとしたらそうは驚くこともなかった。
だが、コリンには一目で理解できていた。その絵画は絵画でしかなかった。光りもしないし、燃えてもいない。正真正銘、絵だった。
にもかかわらず、コリンにその絵を言葉で語ることはできなかった。美しいとか、綺麗という言葉さえも侮辱にあたると思うほど。おそらく、ソレを指して、ソレは一体何の絵なのかを口頭で説明することもコリンにはできそうにもなかった。
「その絵、気になるの? まあまだ未完成だからあんま見られると恥ずかしいんだけどね」
「え? 未完成って……これで? だって、だってこんなに……」
間違いなくコリンは魔法にかけられたかのように魅了されていた。否、その絵画には魔法などかけられてはいない。確かな色彩と技術の結晶以外の何者でもない。
その感動は、いつかのブラット卿の館で見たあの魔女の絵にも匹敵した。
「絵の具がちょっと足りてないのよ。それでもうちょっと描き足したら完成」
コリンは、なんだそんなことか、と思うよりもまず、この絵が完成することに大きな期待を抱いていた。もし、絵の具があれば、この絵が完成するというのならば、それを見てみたい。その意思が固まっていた。
「絵の具だったら僕が買ってきますよ。高いものなんですか?」
その言葉は自然と出た。
コリンの見たところ、画材以外のほとんどのものがガラクタなこのボロ小屋では絵の具が満足に買えるようには到底思えなかった。何より、ついさっきこの家主の魔女は森をぶらついて木の実で腹を満たそうとしていたほどだ。
「ふぅん、協力してくれるんだ」
アルテの目が怪しく光っていたことに、コリンは気付かない。
「助けてもらったお礼も兼ねて、です」
もっともらしいことを口にするが、コリンの本音は絵の完成以外にない。