光喰らいの魔女レティシア~未亡人クーデレ敬語デカ尻エルフ退魔師が淫魔美少年に完堕ちするまで~ 作:灰鉄蝸@機甲猟兵エルフリーデ発売中
――夕闇の中、男は一人、都市の片隅をぶらついていた。
都市郊外に建設された古い工業区画の名残、いずれ都市計画に沿って解体されるであろう廃工場の一つ。ホームレス――魔族社会は古めかしい階級社会の名残を強く残しており、当然のことながら行き場のない落伍者を生む――が居着きそうな立地にありながら、雨風をしのごうという彼らさえ寄りつかない場所。
そんな場所に足を運んだ男は異相であった。
まず、頭が
人類生存圏であればリザードマンと呼称され、時に魔物の類と混同されたりもする魔族の一つ――竜魔である。
実際のところ彼らは人族と何ら変わりない知性と感情と人格を備えた存在であり、魔族の中にあっても精強な兵として知られる種族であった。
その分厚い鱗に覆われた皮膚は硬く、軽々と
その爪は鋭く、鋼の鎧をも引き裂いてみせる。
まさに人族のお伽噺で歌われる、恐るべき知恵ある蜥蜴そのもの。
しかし現代にあってはそんな竜魔と言えど人化――つまるところ人族に近い形態への収斂――の圧力からは自由ではないし、当然のように服を着るし財布を使いもする。
今、無人の廃工場に足を踏み入れた彼も、ヨレヨレのコートに身を包んでいた。
つま先を包み込むのは特大のブーツで、特に頑丈に作ってあるそれは、彼が見つけているものの中で最も高価な品だった。
一本の刀を除いては。
彼が腰から提げている軍刀だけが、どこにでもいる田舎出の魔族の存在を、都市の風景から浮いた存在にしている。鉄骨で支えられた工場のほこりっぽい空気の中、蜥蜴頭の男は、くん、と鼻を鳴らした。
強烈な闇のにおい。
魔力、呪詛、闇――言い方は様々だが、人間に由来する呪いの力を使役する魔術の痕跡だ。
今まで近辺のホームレスに対して地道な聞き込みをしてきた彼は、最終的に、この場所で数名の命が奪われたのだと結論づけた。
「あぁ……」
反吐が出そうだ。うめいたあと、蜥蜴頭の男はため息。
仕方がない、こうなっては仕方がないとおのれに言い聞かせて――悔恨と共に古い友達の名を呟いた。
「ナタリア、なんて化け物を頼っちまったんだ」
◆
魔族の国である共和国には、建国当時からの名家が存在する。この列島に魔族が移り住む前、大陸で吹き荒れた魔剣大戦の時代には各種族を率いて、異形の姿で戦争に臨んだ長たちの末裔である。
神話曰く。
かつてこの大地を形作った創世の女神は、侵略者である人族への憤怒から、数多の種族を作りあげた。
かの女神は怒り、憎み、あらゆる人族を根絶やしにすべく、我が子たちである魔族に一つの至上命題を刻み込んだ。
――すなわち
魔族とはこの原初の使命に基づき、女神によって創造された人を呪う者どもの末裔の総称なのだ。
もっとも人族との和平が成立した現在では、この『女神との契約』については解釈が分かれている。
最も穏健かつ多数派の解釈では「侵略に対して報復せよという正義の執行を命じているだけであり、人族への復讐が済んだ今では契約は果たされている」としている。
反対に人族への絶滅戦争の遂行を望む原理主義者は「創世の女神との契約は未だ履行されておらず、すべての魔族はこの大いなる戦いへの参戦を義務づけられている」と唱えているのだが――両者の間の温度差がそのまま社会的な断絶であることは言うまでもあるまい。
ともあれ、そういう名家の一つであるスワルヒガが、過去には大陸で猛威を振るった
しかしそんな名家も、今となっては直系の末裔は一人きりだった。
午後の昼下がり、スワルヒガ邸の中庭にて――魔法の訓練をしていた灰髪の美少年、シグルゥス・スワルヒガはご機嫌だった。
その聡明さゆえに自分の置かれている政治的状況の面倒さに思いを馳せ、表情を曇らせていることも珍しくない少年は今、目をキラキラさせて快哉を叫んでいた。
「せんせ! 今のどう!?」
そんな彼の様子も無理はなかった。
魔術が成功したのである。それも〈不浄祓い〉のような地味な術ではない。
「ええ、あつかいを誤るとお屋敷が全焼しますね。おめでとうございます、若様」
今にも飛び跳ねそうなほどよろこんでいる美童に対して、彼の師匠――魔女レティシアは淡々と返答する。
いつも通りの男装でスーツ姿の彼女は、古式ゆかしいローブ姿で呪文を詠唱した弟子に対して、如何にも現代的な格好をしていた。この一年で少し背が伸びた弟子と比べてなお、立って並んでいると明確に身長差がわかる長身――百八十センチメートル近い背丈の持ち主である。
すわりと長い手足の美女は、怜悧な美貌によろこびの感情一つ浮かべていない。そんな彼女の顔を見上げて、シグは不満そうに頬を膨らませた。
「今の一言余計じゃない?」
「一言付け加えないと危なっかしい若様に問題があるかと」
「むうう……でも、成功でいいんだよね?」
「ええ、実際に人に向けて使って欲しくはありませんが」
これはあくまで目くらましの類です、と念押しされた。
自身も卓越した魔術師であり、どうやら相当な手練れの退魔師らしいレティシアは実戦経験が豊富だ。経歴もその過去も血なまぐさい、千年を生きる
シグがナタリアの息子だから守る、と明言している美女は、少年に対して釘を刺すのを忘れない。
「実際の魔術戦においては、この程度の攻撃魔術が通ることは稀です。防御技術が攻撃技術に対して優越しているのが、魔術戦の現状だからです。何度もお伝えしましたが、そもそも
「うー……ちょっと待って、じゃあなんで教えたの?」
「〈火球投射〉は燃焼反応の制御、術式の投射、発射方向の制御など、難易度の高い行程を複合的に組み合わせた術式です。つまりテストにちょうどよかったからです」
身も蓋もない話である。
少年のちょっとしたわくわく感は無残に打ち砕かれた。
「せんせってさ……」
「なんでしょう?」
「おれの気持ちに無頓着じゃない?」
シグは半眼で魔女をじっと見つめた。ちょっと呆れているというか、あまりにも弟子の心に無頓着な師匠のありように抗議の声を上げていた。
前時代的な徒弟制度ならともかく、形の上ではシグとレティシアの関係は雇い主と家庭教師である。そりゃあわがままで教師を困らせるようではボンクラ子息の仲間入りだが、少しぐらい、対等に感情を伝えてもバチは当たるまい。
それこそ人族と魔族が血で血を洗う戦いを繰り返した魔剣大戦の時代ならいざ知らず、今は人族の諸国連合と魔族の共和国の間には和平条約が結ばれている。
表向き、人族と魔族の紛争は収まっているわけだし、如何にレティシアの経歴が血なまぐさいものであろうと、雇い主であるシグルゥス・スワルヒガは気にしない。
というか立場的には気にすべきなのだが、気にしないことにしている。
理由は明白である。
――シグルゥス・スワルヒガはレティシアに一目惚れしており熱狂的恋の最中にいた。
そしてシグは淫魔である。性的には早熟極まりない彼は、現在、レティシアとの間に関係を持っている。
夜這い同然に押し倒してずるずると肉体関係にもつれ込んではいるものの、彼女の本当の気持ちはわからない。少なくとも重たい過去を話して、デートして貰えるぐらいの好感は稼げているとみるべきか。
始まりのはしたなくみっともない経緯――自慰行為にふけった挙げ句、それを目撃されて発情して押し倒した――を思えば、とりあえず強く拒絶されていないことに満足すべきなのだろう。
シグの思い違いでなければ、レティシアの側にも情みたいなものはあるはずだった。
とはいえ、越えられない一線はいくつもある。それ自体が魔術的触媒であり汚染源である淫魔の精液を、レティシアが体内に受け入れることはない。
避妊の意味でも防護皮膜なしでの性行が受け入れられることはまずないだろう――これについてはシグルゥス・スワルヒガも納得している当たり前のことだが――し、何よりも。
レティシアは今まで一度たりとも、少年に対して
淫魔という種族に生まれ落ち、その巨大過ぎる性的機能に翻弄される少年に対して、彼女はとても理解があり優しい。だからこそ
ゆえにおそらくは――これまでの肉体関係はその延長線上にある慰めであって、シグ個人に対してレティシアが心を許したわけではないのだろう。
おおむねそのようにシグルゥス・スワルヒガは自分と美女の関係を理解していた。
――たとえ肉欲でも、せんせと繋がれるのはうれしいけど。
――それは別に、先生の一番になれたわけじゃない。
その程度のことはわきまえているつもりだったが、すねたような気持ちが言葉に乗って出てきたかもしれない。
一方、レティシア――身長百七十八センチの男装の麗人――はと言えば、ぽかん、と呆気に取られていた。切れ長の目を見開いたあと、何度か瞬きしたレティシアは、やがてその青い瞳に理解の色をにじませて。
くすり、と微笑んだ。
桜色の唇が上品に歪められ、くすくすと笑い声がもれる。
「いえいえ、わたしほど若様の機微を理解している家庭教師はいませんよ?」
「何かおれ、馬鹿にされてないかなー!?」
「おそらく被害妄想です、若様」
三十センチ近く背が違うシグとレティシアは、頭一つ分は目線の高さが違う。なのでこうして微笑ましげに見られるのが、シグは苦手だった。
否が応にも自分が子供で、彼女が大人なのだと意識させられるのは、こういう瞬間なのだから。
そのときだった。
屋敷の手入れをしていた使い魔――魔力で構築され黒い影のような魔術的構造体が、ゆらゆらと二人の方に近づいてきた。スワルヒガの家格を考えると使用人をもっと雇うべきなのだが、一度、叔父に殺されかけているシグルゥス・スワルヒガは絶妙に人間不信だ。
そんなわけで目下、使用人の代わりに酷使されている屋敷付きの使い魔たちが、メイド代わりに使役されているのだが――最近、レティシアの発案で使い魔たちにも服を着せることになった。
これは来客が来たときのために、使い魔の役割をわかりやすくするためである。メイドの役割の使い魔にはメイド服を着せておけば、少なくとも外から見たときの屋敷の異様さは軽減される。
大きな屋敷に美少年と妙齢の美女、そして無数の影が詰め込まれているスワルヒガ家は、ちょっとした幽霊屋敷として評判になりつつあった。実際問題、シグの父母と叔父、そして使用人が相次いで死去・行方不明になっているので状況は怪しいことこの上ない。
ひょっとしなくても世間体に問題があった。
『坊ちゃま、お客様です。竜魔種のクゼンと名乗っておられます』
使い魔がそう喋る。
シグルゥス・スワルヒガは未来の当主の顔になった。
訓練を切り上げ、汗を拭いて服を着替えること十分。客人を待たせていた部屋に、早歩きで向かう。彼の護衛でもあるレティシアが、ぴったりとその背後についていた。優秀な秘書でもある彼女は今週のスケジュールを完璧に暗記していた。
「今週、お会いになる方の予定はありません。完全に予定外の来訪者かと。よろしいのですか?」
「ああ、それはいいんだ。だって――」
客間のドアを開く。
レティシアが無詠唱魔術の準備をしている間にも、シグルゥス・スワルヒガは遠慮なく歩を進めていく。客間は聖エリニュスの時代に作られた人族の調度品で適度に飾られた、落ち着いた部屋である。
人族に親和的だったシグの父母が整えた部屋は、二人の人柄が見て取れるように落ち着いた色彩だった。
そんな部屋のソファーに腰を下ろしているのは、一人の魔族だった。
にかっ、とその顔が笑みにほころぶ。リザードマンは表情がわかりづらいから、少し大げさなぐらいに感情表現が大きい。
「おおー、でっかくなったなあ、シグ! いや、本当に久しぶりだ」
そう言って男が立ち上がる。
大きい。
身長百九十センチ以上はあろうかという長身のリザードマンは、骨格レベルで人族とは別種とわかる筋肉の塊だった。
屋内だというのにコートを脱いでいないのは無作法だったが、シグにそれを咎める様子はなく――子供と視線を合わせるように身をかがめるその姿は、まるで親戚の子供と顔を合わせた人懐っこいおじさんそのものだった。
「クゼンおじさん! 帰ってきてたんですね!」
シャツの上から黒いベストを着込んだシグは、やはり顔をほころばせ、久しぶりに会ったおじさんと抱擁を交わす。
二人の親しげな様子に呆気に取られつつ、レティシアは影のように部屋の隅に立って、できる限り存在感を消そうと努めた。雇用契約上は使用人であるレティシアが、シグの個人的な交友関係に口を挟むのは好ましからざる振る舞いだからだ。
だが、シグもリザードマンの客人も、そんな彼女を放っておいてはくれなかった。黒いスーツを上下に着込んだ男装の麗人を、トカゲの目がちろりと見やる。
一瞬、何かを見定めるような鋭い視線。
すぐにそれは消え去って、再び人懐っこいおじさんの声音がリザードマンから発せられる。
「時にシグ坊、そこのご婦人はどういう?」
「この人はレティシア――今の俺の護衛と家庭教師をしてくれてる人ですっ!」
弾んだ少年の声は、おそらく今までレティシアも聞いたことがない類のものだ。
年相応の無邪気な少年の声と言うべきか。少々、その様子に驚きつつも、レティシアは優雅に一礼して名乗った。
「レティシアと申します。以後、お見知りおきを」
「おおっと、申し遅れました。俺はそこのシグ坊の知り合いでクゼンというものです。この子の両親とはちょっとした縁がありましてね――」
筋骨隆々の赤茶けたリザードマンが、やはり人懐っこい声で
赤茶けた鱗のリザードマン、おそらくは剣士の類であろう鍛えられた身のこなし、シグの言から海外渡航していたらしい経歴。
それらの特徴――レティシアの記憶にぴったりと当てはまる魔族がいた。
「……失礼ですが……もしや、〈雷鳴剣〉の?」
クゼンは大して驚くこともなく、鷹揚にうなずいて見せた。
「あぁご存じでしたか。俺は〈雷鳴剣〉のクゼン――まぁ、しがない傭兵をしています」
にっこりと目を細めて、リザードマンの男が笑う。
名高い傭兵のシグルゥス・スワルヒガを観るまなざしは、嘘偽りなく親愛の情がにじんでいたが――レティシアを
「クゼンおじさん……?」
クゼンとレティシアの間に走っている妙な緊張感に気づいて、シグルゥス・スワルヒガはきょとんとした表情で二人の顔を交互に見やる。
そう、クゼンにはまったく害意の兆候がなかった。
にもかかわらず次の瞬間、男の腕がシグの胴体に巻き付いたのは、まさに驚異的と呼ぶほかない早業だった。
「へっ?」
「――シグルゥス!」
レティシアが叫び、無詠唱魔術が行使された。部屋の調度品の影という影から、どす黒い闇が染みだして一斉にリザードマンへと襲いかかっていく。
この屋敷にレティシアが守護として行き渡らせた闇、質量を持って森羅万象を食いちぎる使い魔たる闇の怪物ども。
その触手がリザードマンの四肢に到達するよりも早く、対象は床を蹴っていた。
右脇に灰髪の美少年を抱え込み、傭兵クゼンが跳躍する。身長二メートル近い巨体が、窓ガラスをぶち破って庭へとその身を躍らせる。
ガラスの飛沫から少年を庇いながら、息もつかずに男が跳躍。
庭中を荒れ狂う闇の魔力が、どす黒い影の怪物となって、洪水のようにクゼンへと襲いかかる。
「――剣よ!」
眩い光が弾けた。
屋敷の周りを守護していた結界の一部に穴が開いた証。
男の叫びに応え、鞘に収まったままのサーベル刀が、屋敷に張られた結界をぶち破って飛翔してくる。それはまさに魔法の刀であり、男の呼び掛けに答えてするりと手に収まる愛剣であった。
目を回しているシグルゥス・スワルヒガを抱えたまま、リザードマンの男は跳躍、跳躍、跳躍。
影の洪水から間一髪で逃れて、シグを拉致した男はまんまと敷地の外へと逃げおおせた。
――レティシアが追撃を始めたのは、必然的な成り行きであった。