夢の先の景色 〜3年後のアイドル達とのハーレムな日常〜 作:tonoka
【とある都心のBAR】
P「そうですか。それでジュピターに楽曲の権利を……。」
黒井「ふんっ。セレブは過去の遺産になど興味はないのだ。あんなもの奴らが好きに使えばいい。……お前に言われたからではないぞ。」
P「はははっ、分かってますよ。それに今までも好きに使わせてたじゃないですか。ささ、どうぞもう1杯。」
黒井「ウィ。……全く、相変わらずな男だ。弱小765プロを辞めて少しは変わったかと思えば他人の事ばかり気にしおって……。」
そう言うと黒井崇男は注がれたワインを一杯セレブに傾けて、ふんっと鼻を鳴らした。どうやら満足いくものだったらしい。
夜。数日前にメールを貰い、とある都心近くのBARに行くと待っていたのは961プロの社長、黒井崇男だった。Pの所属していた765プロとは随分と色々やりあったものだが……Pとしては未だに、なんなら765プロの高木社長以上に付き合いの多い相手でもあった。月に1度は何だかんだで顔を合わせ、BARなり寿司屋なり、フレンチなりと同行している。現在はビジネスパートナーとも、単なる飲み友達とも言えるような……まあそんな奇妙な関係だ。
敵だった期間は長くはあったが、個人的にはそんなに嫌いになれない人だった。高木社長と酷く仲が悪く、意地っ張りで、高木社長相手には手段を選ばなくなって暴走してしまうだけで………まあ、それが悪事にまで発展してしまう事があるのは問題で、未だに話のネタにすると嫌がられるのだが……。まあ、呆れるほどに不器用な人なのである、この人は。
黒井「お前のことは昔から甘い男だと思っていた。高木に似ているが……しかし違う。お前はさらに甘い。ウチに来れば鍛えてやるものを。」
P「甘いですかねえ? でも961プロに行っても、俺には合わないんじゃないですか?」
黒井「甘い。それが合わないなら合わせれば良い。……なんなら詩花のプロデュースでもしてみるか? 詩花もお前と同じでまだ甘いからな。」
P「はははっ、詩花ちゃんとなら楽しそうですが、辞めておきますよ。」
黒井「ふん。いつまでもフラフラしおって。貧乏暇なしが暇になっては時間を持て余すだけだろう。……全く、この私が誘ってやっているというのに……。」
たまに、こんな事も言ってくれる人だ。やはり高木社長が絡まなければ割と面倒見が良い所もあるのだ。Pは自分のグラスにもワインを貰いながら、それを傾けた。
P「あっ。そういえば、あの話どうでした? 961プロの広報部に紹介した。」
黒井「ああ、奴か。まあまあ使える男だったからこのままウチでヘッドハントして雇う事にした……って、また他人の話か貴様っ!! だから甘いというのだっ!!」
P「まあまあ、良いじゃないですか。良い子だったでしょう? あのまま潰れていくのを見るのは忍びなくて。」
黒井「貴様はっ……人材紹介会社でも作ったらいいんだ! ウチが買収してくれるっ!!」
P「あはははっ! それも面白いかも知れませんねー。あ、無くなっちゃいましたね。バーテンさん、ボトルで良さそうなやつをお願いします。」
そんな話をしながら、黒井社長との飲みの時間は過ぎていく。仕事の話をすることもあるが、大体はこんな感じだ。
……しかしそんな折、少しだけ普段と違う事に気が付いた。
黒井「………ふむ。」
P「どうしました? 結構時計気にしてますね。この後予定でも?」
黒井「……ウィ、暇人とは違って私は多忙だ。しかしまあ、今日は予定はない。ただ少しばかり遅れているな。飛行機の遅延でもあったか。」
P「?」
飛行機。遅延。仄かに酔った頭でその言葉の意味を考えていると……その瞬間、BARのホールに良く通る声が響いた。
「プロデューサーっ!!」
P「……ん?」
自分は既にプロデューサーではないが、その声に反応してしまうのは未だに多くの子達からそう呼ばれるが故か、沁みついたものがあるからか。Pはそちらを振り返った。
艶やかな長い黒髪に、スレンダーな立ち姿、真っ直ぐにこちらだけ見詰めるその視線と表情に、Pは自然と席から立ち上がった。キャリーバッグとフォーマルなナイトスーツ姿から、きっと空港からここまで直接来たのだろうと分かる。そして彼女は、荷物を置いて駆け寄った。
P「千早っ! お前戻っ!?」
千早「プロデューサーぁっ!!」
ガバッ!!
P「おわっ!」
勢いがついたまま飛び込んできた彼女をなんとか受け止める。
最後に会った時より、少し大人びた彼女を見るのは本当に久しぶりだった。
千早「ヨーロッパ公演っ……成功しましたっ! プロデューサーのお蔭ですっ!!」
P「千早……そうかっ、良かったな。コンサートの映像見たぞ、頑張ったな!」
千早「はいっ……はいっ……!!」
人目をはばからずに抱き着いて来た彼女は『如月 千早』、約1年ぶりに再会した元765プロアイドルにして、現961プロで海外公演中の人気歌手であった。
…………
……………
【数分後】
黒井「全く、恥ずかしい奴らだ。時と場所を考えろペッポコ765プロ退職コンビめ。」
千早「え………? あ、黒井社長。ただいま帰国しました。」
黒井「今更気付いたのか貴様!? ずっとここに居ただろう!!」
千早「すみません。プロデューサーが居たので。……そういえば、プロデューサーが此処に居るとメッセージをくれたのも社長だったような……ありがとうございます?」
黒井「そ、それすら曖昧なのか貴様っ……!」
P「まあまあまあ、ほら千早、何か頼め。お腹空いたんじゃないか?」
千早「はいっ。それじゃあ少し頂きます。」
黒井「……あ、相変わらず可愛げのない女だ。」
暫くの再会の抱擁の後、黒井にあっさりとした帰国の挨拶を終えた千早は早速Pの隣に腰を降ろした。本当に久しぶりの再会だった。千早は今、961プロの海外進出に合わせてヨーロッパ公演に出ていたのだ。
961プロも海外への足掛かりとして力を入れていたプロジェクトだけに、本人もプロジェクト中は現地に長期滞在する事になっていたのだが、どうやら無事に成功で終わってくれたらしい。
P(千早を961プロに預けて正解だったな。やはり、海外となると組織力が物を言う。一人でやっていくには限界があるしな。)
P「いやー、しかし驚きました。黒井社長、粋な事をしてくれますね。」
黒井「ふんっ。成功を納めて戻った社員に対してそれなりに計らってやるのがセレブな社長と言うものだ。弱小765プロとは違うのだよ。」
P「あははっ、まあ会社の大きさは関係ないと思いますが……久しぶりだなー千早。元気にしてたか? 1年ぶりくらいだろう?」
千早「はいっ。9カ月と5日振りです。食べ物と言葉を合わせるのに随分と掛かりましたが、なんとかコンサートに間に合いました。」
P「はははっ、そうかそうか。電話はしてたけど、やっぱり顔を見ると安心するなー。」
黒井「そんなに言うなら会いに行けば良かっただろう。たった1日の距離だ。」
P「それをしちゃうと心配になって付き合っちゃいそうでしたので。」
千早「……ふふっ。でも、プロデューサーが信じてくれていたのが分かりました。通訳スタッフに、メイクスタッフ、機材スタッフにまで眼と声を通して頂いて………向こうの方も随分私に好意的でしたし。」
P「いやいや、俺は何もしてないよ。スタッフを用意してくれたのは961プロだし、あちらさんともちょっと交流したくらいだ。矢面に立ったのは殆ど黒井社長だ。」
千早「……クスッ。じゃあ、そういう事にしておきます。でないと春香達に悪いですし。」
黒井「別に悪い事などあるまい。ウチのスタッフとも随分と交流していたようだし、そのままウチに来ると言えばいいんだ。元々こちらは如月千早と一緒に来るものだとばかり思っていたのだからな。」
P「それはちょっと。今の俺はプロデューサーじゃありませんし。」
黒井「フンッ。面倒な事だ。」
まあ、プロデューサーを辞めたと言いつつ千早にだけは未だにプロデュースの様な事をしている事は他のアイドル達も知っているのだろうが……これはケジメでもあるのだ。千早と皆の間に個人的な諍いも起こって欲しくはないし。
P(千早は俺以外と頑なに手を組もうとしないからなあ……美希ですら律子の言う事は多少は聞くのに。)
実際に、千早はPの引退に合わせて2年前に歌手に転向、そのままハリウッドに進出して……大失敗とは言えないまでも、とても成功とはいえない結果を出してしまった。765プロの援助もあったとはいえ、殆ど一人での再出発をしたのだ。海外が厳しいのは本人も分かっていたようだし、経験だと割り切る事も必要だが、千早の先を考えるとただ放っておく事も出来ない。そんな時に、少し手と口を出させて貰って千早と961プロとを繋げたのだ。
千早「……ふふっ♪」
『ほら、全力でやりましたよ。私はプロデューサーがいないと駄目なんです。』とでも言いたげな表情でハリウッドから戻って来た時の、失敗した後とは思えない表情の千早を思い出す。……いや、結局この信頼度100%の眼差しを拒否する事など最初から無理だったのだ。
千早「あ、社長。これお土産です。絵葉書ですが。」
黒井「ウィ。なんだ、気が利くじゃないか。」
P「へー、凱旋門とかある。ちなみに俺のは?」
千早「ありません。絵葉書もお菓子も買って来ていません。私より伊織との約束を優先した罰です。」
P「」
黒井「ふははははっ!! 残念だったなヒモデューサー、まあ古巣に塩を送るのも良いだろう。この巴里の街並みの絵葉書を分けてやろうではないか。」
千早「駄目ですよ社長。プロデューサーを甘やかさないでください。……プロデューサーはいつか、私と一緒に行くから良いんです。その時まではお預けです。」
黒井「」
P「……そういえば昔そんな話したなあ。メール貰ったっけ。」
黒井「……ふんっ、なんだつまらん。そういうのは他所でやるといい。」
P「まあまあまあ、あ、実は俺その頃のメール全部取ってあるんですよ。ほらこれ、千早がまだとげとげしてた頃のメールなんですけd」
千早「きゃああああああああああっ!!? なっ、何他人に見せようとしてるんですかプロデューサーっ!!! というか消してくださいっ! あ、いや、消さなくても良いですけど見るなら一人で見てくださいっ!!」
P「あっはっはっ、冗談だよ冗談っ。千早は可愛いなあっ♪」
黒井(私は一体何を見せられているんだ。)
スマホにも家にも家のパソコンにも千早に関する記録なら事欠かない。昔、部屋を掃除してくれていた伊織に見付かって素でドン引きされたがそれも仕方がないと割り切った。最早趣味なのだ。
千早「もうっ、直ぐからかうんですから……。」
黒井「というか性格が変わっているではないか……。頭でも打ったか。」
P「いやー。なんか千早を前にするとつい千早を可愛がりたい人格が現れちゃう病気なんですよ。そして千早の反応が可愛いのでそれが無限に続くというこれが『現代版千早スパイラル』。命名は私です。」
千早「本当にもう……昔はこんな風じゃなかったんですけど、いつからか……ふふふっ♪」
黒井「現代版って……過去の千早スパイラルとやらがあるのか。」
P「ありますよ。ネガティブな千早のやつが。家に沢山ビデオデータも残ってます。スマホにもほら、『千早の軌跡1(ネガティブちーちゃん編)』から見てくださいよ。昔は挨拶の終わりにも溜息をつくアンニュイな千早が沢s」
千早「だ、だから止めてくださいっ!? そんなもの大事に持ち歩かないでくださいっ!!」
P「それは出来ん。俺の起爆剤だ。」
いや、本当は千早の気持ちを前向きにさせるのが難しくて必死になってたが故の記録何だけど、いつからか趣味になってしまったんだよなあ。いやはや本当に丸くなったもんだ。
P「今の千早も、とげとげしてた頃の千早もどっちも可愛いんだよなあ……初めて『頑張りました。』って褒めて欲しそうにしてくれた時なんてもう家で泣いて祝杯上げちゃって……っ。」
黒井「娘に鬱陶しがられる父親か貴様は。」
千早「……べ、別に鬱陶しいとまでは……思ってません。こ、これが私のプロデューサーですから……。」
P「それが今では一人でヨーロッパでコンサートまで成功させて帰って来るなんてもうっ!!」
千早「それは嬉しいですけど、『一人で』って所は本当はダメなんですからね? プロデューサーが海外は行けないって言うから仕方なく一人で行ってるんです。……水瀬さんに先にプロデューサーを取られたのが悔やまれます。本当ならプロデューサーと世界を巡ろうと思っていたのに……。」
黒井「父親が父親なら娘も娘だな……いや、アイドルとプロデューサーだったか。どっちにしろ病気だ。」
不満そうな千早も可愛い。
P「まあ今の俺にプロデューサーを辞めて後悔があるとしたら千早のビデオや写真を撮る機会が減った事くらいですかね……それだけはしんどい。」
千早「プロデューサー……それ元々隠し撮りですからね? まあ、今更なので良いですけど。」
黒井「良いのか……私が詩花にやったら間違いなく変態扱いされた挙句口を聞いて貰えなくなるぞ。」
P「ふっ。」
黒井「いや、別に羨ましくはないのだが。……って、もう貴様の娘……じゃないアイドル自慢はいい。全く、聞いていても疲れるだけだ。」
P「えー……久しぶりにノって来たのに。律子は忙しくて会えないし、小鳥さんは最近この話すると泣くから黒井社長しかいないんですよ。」
黒井「そりゃあ音無君も泣くだろうな……。」
そして結婚の話に話題は変わってしまうのだ。小鳥さんも普通に相手探せばいっぱいいるだろうに、身持ちが堅い上に実は結構理想高いからなあ。この前の9月9日は荒れたもんだ。遂に2X歳が通用しなくなったからな。これから小鳥さんに年齢の話題はタブーである。
千早「ふふふっ……そういえば、皆にも随分会っていませんね。日本を出る前に春香に会ったのが最後でした。」
P「そういえば言ってたな。皆見送りには来れなかったし。」
千早「プロデューサー……。」
黒井「それはお前達に気を使ったんだ。」
P「え?」
黒井「貴様は自分の事になると本当にへっぽこだな。」
千早「ふふふっ……まあ、プロデューサーですから。ちなみに、ちゃんと皆からは応援のメッセージを貰いましたよ。皆色々気を使ってプロデューサーと二人にしてくれたみたいです。」
P「そういえば、伊織とか雪歩まで来なかったのはおかしいなとは思ったんだよなあ。こういう所は765プロなんだよな、本当に。」
千早「………はい。本当に。」
……違う理由もあると思いますけど。
P「ん?」
「お待たせ致しました。季節のアヒージョとバゲットになります。」
千早の小さな呟きが聞こえた瞬間、頼んでいたものが到着する。……まあ、この話はまたにしよう。千早は先程帰って来たばかりだ。
そうして黒井社長発の集まりは千早のお疲れ様会へと姿を変えて、Pと黒井社長は飲み直しながら、千早は終始楽しそうに笑顔を見せてくれたのだった。
…………
……………
黒井「きさまああああああっ!! このわたしがっ、しいかのプロデュースをやらせてやるといっておるのだあっ!! 高木のところよりウチの方が優れていることをだなあっ!!」
P「はいはい。セレブは酔っぱらわないんじゃなかったんですか? それに961プロが凄いのは身に染みてますって。」
黒井「酔っとらんっ!! おいっきさらぎちはやっ! お前もこいつにいってやれっ! ムダな抵抗はやめろとなあっ!!」
千早「ふふっ。そうですね。961プロも素晴らしい事務所です。あ、ほら社長。迎えの車来ましたよ。」
黒井「う、ウィィ……せ、せれぶは去り際も……。」
P「絶対王者の風格出てますよ。はい、ドア閉めてくださーい。」
黒井「ぐふっ。」
P「それじゃあ黒井社長、ご馳走様でしたー。」
千早「ご馳走様でした。社長。」
バタンッ
ウィィぃぃぃぃぃぃぃっ!!
……………
千早「ふふっ、あんなに酔うんですね。社長。」
P「お前の成功がそれだけ嬉しかったんだろうな。感謝しとけよ、千早。」
千早「はいっ。」
お疲れ様会は黒井社長ダウンによりお開きとなり、後には千早と二人残されることになった。Pもそこそこ酔ってはいたものの、適度に水も飲んでいたので問題はない。千早は元よりまだ飲酒は出来ない年齢だ。
P「さて、じゃあ俺達も帰るか。ちなみに千早、ホテルは?」
千早「取ってません。社長に話を聞いて、今夜は元々プロデューサーの家に行くつもりでしたので。」
P「だよな。だと思った。ほら、荷物貸せ。近いから歩くぞ。」
千早「ふふっ。はい、プロデューサー♪」
今の会話を聞かれたら一部のアイドルには千早には特別甘いと言われるかも知れないが、千早はもうアイドルではないし、他の子達を泊めている以上今更だ。その上、千早は『帰れ』と言えば素直に帰るし、その上で寂しいと思ってもあまり口に出さないので、こちらからしっかり受け止めてやる必要があるのだ。色々と人格面でも成長はしているが、この性格は相変わらずだった。……つまりはまあ、確かに甘いのだろうが。
そんな事を思いながら、千早と二人で帰りの道を歩き始める。もう冬も良い所になっていたが、今日はいつもより寒さもマシだった。
P「千早もそろそろ20歳か。早いなー。」
千早「本当ですね。アルコールは喉を傷めるかも知れませんし、お酒を飲む気はありませんが……プロデューサーとなら、ちょっとくらい良いかも知れません。」
P「はははっ、止めとけ止めとけ。飲んでも別に得になることはないぞ。俺は付き合いで飲み始めたけど、多分千早には合わない。ただまあ、お祝いはしないとな。」
千早「ふふっ……はい。プロデューサーがそう言うなら。」
飲んだことがないと言うのは頑な過ぎるが、経験だけしておけばその後敢えて飲む必要もない。上手い断り方も含めて教えてやらなくてはいけないだろう。
そんな他愛もない会話をしつつ、千早と一緒に道を往く。キャリーバッグを引く音が、夜の静けさに溶けていく。
カラカラカラカラ
千早「…………。」
P「…………。」
千早「……私は、本当に幸せ者ですね。」
P「ん? そうだなー。でもまあ、それに見合うだけ努力をして来てるんだから良いんだよ、千早は。」
千早「はい。確かに色々と努力はしているつもりです。プロデューサーと一緒に出す結果に、私は誇りを持っています。……誰にも文句は言わせません。」
P「ああ、お前はそれで良いんだ。別に俺の事に関しても、他の子に気を遣う必要はない。俺が決めた事だ。」
千早「……はい。分かっています。」
やはり千早は、どこか765プロの仲間の事について思うところがあるらしい。……まあ、そうだろうとは思っていた。765プロに表面に出すような子はいないが、傍目から見れば俺が千早を贔屓しているように感じても仕方がない状態なのだから。
千早「プロデューサー。今だから言いますが、私、ハリウッドに行っても失敗するのなんて最初から分かってました。」
P「……まあ、そうだな。元より世界は甘くない。人種の問題や、文化、情報発信のスタイルも違う。特に千早はまだ未成年だ。765プロも海外でのサポートは初めてだったはずだから尚更厳しい。それは俺も千早が行く前から分かっていたよ。でも、良い経験になったろ?」
千早「もう、酷い言い草ですね。でも確かに良い経験になりました。もうどんな手を使っても貴方と離れてはならないと実感出来ましたから。」
P「うーん。そういう意味で言ったんじゃないんだけどな。」
千早「分かってますよ。でも、私にとって一番大切なのはそっちだったんです。万が一成功していても、そこだけは変わらなかったと思います。」
そう言った千早は、失敗談を語るようには見えないくらい自信満々だった。昔を思い返すように、千早は続けた。
千早「アメリカで失敗しても、悔しくありませんでした。成功しても、嬉しくないんです。本気で歌っているはずなのに、どちらも自分でやった実感がなくて……だから、あの時の私は私じゃなかったんだと思います。」
P「私じゃない?」
千早「はい。……本当の私はきっと、ずっとプロデューサーと一緒に居たんです。ハリウッドには行っていませんでした。だから海外で歌うのは今回のヨーロッパが初めてだったんです。きっと。」
P「千早……。」
千早「プロデューサーが送り出してくれたから、見ていてくれたから、私は海外で歌えました。……私、挑戦して良かったです。最高のステージでしたっ!」
P「……そうか。」
千早「はいっ。」
今日の千早は饒舌で、笑顔だった。それを聞いて思う。千早をプロデュースして来て本当に良かったと。いつしか、自然と歩みも止まっていた。
……そして千早は、本題を切り出した。
千早「あの、プロデューサー。私もう分かってるんです。765プロとプロデューサーを辞めるって言い出したの……本当は、私の為なんですよね?」
P「…………。」
千早「勿論全ての理由が私とは言いません、でも……。」
P「……そうだな。正直退職を考え始めたきっかけは千早だった。」
千早「やっぱり、そうだったんですね。」
昔だったら否定していたその言葉を、Pは肯定した。嘘をついても仕方がない。それに、千早は既に自分の中で結論を持っている。
P「千早。765プロは……良く言えば平等で、博愛的だ。あの頃の俺も含めてな。だから社内風土的に一人のアイドルだけに焦点を当てた大きな挑戦はしずらかった。予算の問題じゃない、俺の時間的な問題が大きい。961プロでなく765プロの未熟な海外ノウハウでは尚更だ。」
千早「はい。765プロでなら、数年単位でプロデューサーを私が独占する事になったかも知れませんね。成功して、結果が出るまで何年も。もしかしたらそれ以降も。……そうなったら当然、私達には明らかな差が生まれます。」
P「その通りだ。プロデュースするにしても、他のアイドルが中途半端になるくらいならいっそ俺が中心に居ない方が良い。俺が忙しそうにしてたら他の子も俺に遠慮して新しい挑戦なんて言い出せないしな。だが、俺のプロデュース下でのアイドル活動にこだわりがある子も多く居た。そんな状態じゃ皆が停滞するのも無理はない。」
千早「……そうですね。私だってプロデューサーが765プロにいるなら、961プロには行きませんでした。でもだからと言って、皆を差し置いて二人で一緒に移籍なんて出来ませんし。……実際、私もプロデューサーが辞めていなければ海外への挑戦もしていなかったと思います。」
平等と仲間を重んじる精神が、『挑戦』を『我儘』と感じさせてしまう環境となっていた。これが予算くらいの問題であれば良かった。しかし予算ではなく、問題はPのプロデュースの比重にあるのだ。多分、あの頃も挑戦したいと言えば皆今の様に千早を応援してくれていたはずだ。……が、言い出せない。それが765プロの絆の弱点でもあったのだ。
千早「やっぱりプロデューサーは、言わなくても私の挑戦したいって気持ちに気付いていたんですね。」
P「まあな、昔メールでもちょっとだけ聞いてたし。……だがな千早、これだけは言っておくぞ。」
千早「はい。」
P「辞めた最大の理由は、俺の気持ちだ。そして誤解しないで欲しいのは、765プロは本当に最高の事務所だったって事だ。俺が今言った、仲が良すぎて挑戦出来ないって弱点を含めても良い。俺はあそこで働けたことは生涯の宝だと思っている。」
千早「プロデューサー……。」
今まで言ったことは全て本心だ。765プロにも弱点はあった。しかし、それでもハッキリと伝えておきたい事だった。
P「仲の良さが互いを縛ってしまって居たのだとしても、平等を意識して挑戦出来ない場所だったとしても、あの場所は俺にとっては掛け替えのない大切な場所だ。アイドルのお前達と、プロデューサーの俺と、小鳥さんや社長と、皆で作った大切な事務所だ。」
千早「はい。」
P「そしてだからこそ、俺は辞めたんだ。俺は……あの平等と親愛の聖域の様な事務所を、俺自身の不満や不安感で変えてしまいたくなかった。あの事務所にはあのまま、アイドルや俺達皆に取って最高の事務所で居て欲しかったんだ。……ぬるま湯でも良い。変化が怖くなるくらい幸せな場所で良いんだ。俺はそんな765プロが大好きなんだから。」
千早「………はい。私も、あの場所が大好きです。」
もしかしたら、自分は765プロと言う絶対の聖域に惚れているのかも知れない。誰に対しても優しく、暖かく、平等で、幸せな場所。自分もその一員だと思えていたからこそ、プロデューサーで居る間はどんな不誠実も行わなかった自負がある。
P「俺自身が一番、765プロの平等と博愛の精神が好きだったからこそ、停滞に不満を抱いていた自分の居る場所じゃないと思った。その結果千早がそのままアイドルを続けるならそれでも良かったんだ。一番は俺の気持ちなんだよ。」
千早「…………。」
P「俺はあの765プロが好きだった。でも同時に自分達が停滞しているのに疑問を感じていた。その上で……最後までお前達の最高のプロデューサーで居たかった。全て俺のエゴだ。結局はな。」
理由は色々あったし、色々悩んだ。しかし結局は、美希に気付かされた自分自身のエゴが最大の理由だ。
『最高のプロデューサー』が考えるべき事を追い求め、彼女達の未来に大きな道を開かせてやりたいと思った。プロデューサーとしての、自分のエゴだ。
千早「私。プロデューサーの決断は間違ってないと思います。アイドルを辞めた娘達も、きっとそう言います。」
P「ああ。俺も悩んだ末の結論だ。……でもな、最近ちょっとだけ考えが変わって来たんだ。」
千早「え?」
P「プロデューサーを辞めて。1人の人間としてお前達と向き合って。……結局、一番大事なのは俺やお前達の個人の幸せなんじゃないかって思うようになったんだ。アイドルやプロデューサーは手段に過ぎないのに、俺はプロデューサーとしてお前達を輝かせることそのものに拘り過ぎていたんじゃないか? ってな。お前達自身をちゃんと見ていなかったのかも知れない。」
千早「…………。」
アイドルも、歌手も、プロデューサーも……どれも目標じゃなくて手段の一つだ。それで不幸になってしまっては意味がない。黒井社長と高木社長が担当したアイドルが失踪してしまったように。
もしかしたら自分はもう少し、完璧なプロデューサーでなくても良かったのかも知れない。
……しかし、そう言って見返した千早の表情は……何とも微妙な表情になっていた。
千早「……プロデューサーが、私達を見ていなかった……?」
P「ああ。なんかおかしいか?」
千早「……いえ、おかしいも何も呆れてしまって……。プロデューサーがあまりにも、自分自身が分かっていないようなので。」
P「………へ?」
千早はそう言うと、呆れた顔で目の前まで歩いて来た。そして、唐突にこんな事を言い出した。
千早「プロデューサー。私は誰ですか?」
P「え。如月千早だけど。」
千早「そうです。貴方が選んだ最初のアイドルです。最初にプロデュースを始めて、最初にデビューさせたアイドルです。水瀬さんより、美希より、春香より先にです。」
P「そうだな。」
千早「…………はぁっ。」
あ、なんか懐かしい。この溜息つかれる感じ。バッドコミュニケーションな感じがする。難しい千早だ。
P「……うーん、すまん。分からん。」
千早「千早スパイラル。」
P「は?」
千早「牙の抜けたちーちゃん。ネガティブちーちゃん。」
P「」
千早「貴方が言ったんじゃないですか。全部。」
P「もしかして、傷付いてた?」
千早「全然。全て事実ですので。」
だとしたら、なんなんだ。千早の視線に失望はない。呆れと……そして、あの頃にはなかった絶対の親愛があるだけだ。
千早「私、面倒なアイドルだったと思います。本当になんでプロデューサーは最初の担当アイドルに私を選んだのでしょうか。歌にしか興味のなかった私より、アイドルに向いていた子なんて沢山居ましたよね? 春香に、萩原さんに……いいえ、誰と比べても私が一番難しいアイドルだったんじゃないですか?」
P「それはまあ、結果的にそうかもな……断トツで。」
千早「じゃあ何故ですか? 何で私を最初に選んだんですか? 私に拘って、最初にデビューさせたんですか?」
P「それは………。」
何故だったか……そうだ、確かあれは……。
P「可愛いのに、何だかいつも退屈そうで……。千早が笑ってる所が見てみたいなって、思ったんだ。」
千早「ふふっ………ほら、やっぱり。」
ゆっくりと、千早の両手が頬を包み込んでくる。
その表情は先程の呆れ顔ではなく、まるで大切な宝物を愛でるような愛情と信頼の溢れる笑顔だった。
千早「『アイドル候補生』を選ぶなら、私を選ばなかった筈です。でも貴方は、面倒で気難しい『如月千早』を選んでくれた……。」
P「千早……。」
千早「私は知っています。貴方が他の誰でもなく……『アイドル』でもなく、『私』の笑顔を一番に望んでくれた事を。」
P「……!!」
千早「プロデューサーが私自身を見ていない? そんな事はありえません。だって、むしろ最初から……。」
千早「プロデューサーは、『如月千早』しか見ていなかったんですから。」
千早は自信を持ってそう言うと、そのまま抱き締める様に首に腕を回し、その身体を寄り添わせた。
千早「だから貴方は『アイドル』のプロデューサーを辞めても……『如月千早』の、たった1人のプロデューサーなんです。……永遠に、辞めさせません。」
そしてゆっくりと、アイドルでは出来ないキスをして、あの時願った幸せな表情を見せてくれた。
慈しむように、甘えるように、諭すように……何処までもストレートに。
千早「これからもプロデュース、宜しくお願いします。プロデューサー。」
P「……ああ。こちらこそ宜しくな、千早。」
千早「はいっ♪」
終わることのない二人の時間。これは続きか、始まりか。
ただ時に道が険しい事はあっても、きっと何処までも幸福な道である事は間違いないと、心から確信出来る夜だった。