ボクは魔女に囚われている
ボクがルビーにさらわれてから一体どれだけ経ったことだろう。時間の感覚は不思議とない。もしかしたら数ヶ月かもしれないし、数年かもしれない。
それくらいに、ここでの生活は外界と切り離されていて、代わり映えのしない日々が延々と続く。まるでこの家の周りだけ時間が止まっているかのよう。
自分の家を恋しいと思ったことは当然何度もある。
だけど、ただ思うだけで留まり、それがもう絶対に叶うことがないと分かっているから諦めてしまう。
気が狂いそうだった。いっそもう気が狂っていた。しかし、ボクはボクのままでこの奴隷生活を続けていられる。
これもルビーの呪いなのだろうか。考えて出てくるような答えではないし、考えてどうにかなるようなことでもない。
ただ、ボクの心は途方もない故郷への恋しさ、寂しさを拭えなかった。いつか帰れたとしてもボクの記憶の中にある故郷などなくなっていると分かっていてもだ。
このぽっかり空いたものをずっと奴隷としての日々やルビーの玩具にされるだけの日々で埋めてしまっている。もう間もなく埋め尽くされてしまおうとしている。
家族の顔を、故郷の匂いを、少しずつ、上書きされていると自覚しはじめたのは実に大分前のこと。
人はいずれ故郷を旅立つ日が訪れるが、ボクはそれが人より早かっただけなんだろう。だからこんなにも寂しさが込み上げてくるんだ。
しかし、もうこの寂しさを埋めるものはルビーしかないのだと考えると、やはりボクはどうしようもなくも途方ない憂鬱から逃れられないのであった。
※ ※ ※
「ダメよ」
一言で一蹴されてしまった。
いや、当然ダメだということくらい、ルビーの性格からして無理、無駄だと分かっていた。それでもボクは言わずにはいられなかった。
内心、何を血迷ったことを、と思っている自分もいる。
ただ、淡い希望を抱いていただけだ。それがまた砕かれるならいっそのこと清々しくなれるだろう。
「最近はそんなこと言わなかったけど、まだそんなこと考えていたなんてね」
ルビーの顔がしかめる。ツーンとした、いかにも不機嫌な顔だ。
まずい。これはひょっとするとまた新しい呪いを掛けられるかもしれない。
それもちょっとキツめの奴を。もう二度と故郷を思い出させないような強烈な忘却の呪いをかけられてもおかしくはない。やはり少し軽率な発言だったか。
「ま、帰すのはダメだけど外に出るくらいなら許可してあげてもいいわ。どうせアンタのこと覚えてる奴なんていやしないんだし」
ルビーが腕を組んで天井を見上げる。
まさかの返しにボクは思考が止まってしまった。ルビーはなんと言った?
許可してあげると言ったのか?
きっとこれは夢か、幻覚か、ルビーの偽者かもしれない。
そうでなければ、きっとボクの命日が近いんだ。
「何よ、嬉しくないの?」
「いえ、いえ、ただ驚いてしまって……」
「分かってるだろうけど、そのままじゃ出さないわ。ちょっとした刻印をつけとくからね」
そういうと、ルビーが指を差し出す。結局呪いを掛けられるんじゃないか。
その指先から紡がれた光の糸がまたボクの右手の甲と左手の甲の両方にまとわりつくように這う。
有無を言わさずして、二つの青紫の呪印が刻まれる。いつもの刻印と違って少し小さめのようだ。
「この呪印は……?」
「外に出て要らないことぺらぺら喋られても困るしね。左手の方は代弁の呪印。秘密を語ろうとするとソレは別な言葉に置き換わる。もし定着して消えたとき、発する言葉の全てが自分の意思とは全く関係のない言葉に置き換えられてしまうというものよ」
つまり、仮に村や町に出ても無闇に助けを呼べないということだ。まあ、そういうところには当然最初から期待はしていない。
「こっちの、右手の呪印は?」
「教えてあげてもいいけど、ま、内緒にしとくわ。この呪印が定着するのは……どっちも今日の日没くらいかしらね。それまでに帰ってこれたら剥がしてあげる。もしこの時間を過ぎても帰れないなんてことがあるようなら、言わなくても分かるわよね?」
いつもに比べてまた定着が短い。よほど強い呪いなのか、それとも簡単な呪いなのか。その差異なんてボクには分かりようもないこと。
「は、はい……」
少なくとも呪いが定着してしまう。もう片方の呪いがどんなものかは分からないけれど、おそらくきっと、またろくでもない呪いであることは予想できる。
「ちょっと代弁の呪印を試してみましょっか。とりあえず『ボクは魔女の奴隷です』と言ってみなさい」
「え、あ、はい。《今日はいい天気ですね》。あ、あれ?」
「どうやらちゃんと上手く効いてるみたいね」
言おうとした言葉が全く違う言葉になってボクの口から出てきた。
なるほど、これではうっかり口が滑ったとしてもボクがルビーに奴隷にされているなんてことは誰にも分からないわけだ。
これまでの呪いと比べると、なんだかずいぶんと優しい呪いだ。
しかし、もしこの呪いが定着してしまったらボクはどんな言葉も違う言葉に置き換えられてしまう。単純ながらも恐ろしい。
「別に森の外を適当にほっつき歩いてきても構わないけど、そうね、せっかくだからお使いを頼むわ。村でも町でもいいから何か食べられそうなものでも買ってきてちょうだい。そのくらい、いいでしょ?」
「ええ、まあ……」
森の外に出られるだけでもありがたい話だ。呪いを掛けられていたって、お使いを頼まれていたって全く安い。
正直なところ、まだ外に出られる許可が下りただなんて実感がまるでなくて、生返事になってしまう。
ボクは本当に森の外に出てもいいのだろうか。こんなにもあっさりと事が運んでしまったことがまだ信じられない。やっぱり夢を見ているみたいだ。
ルビーなりの気遣いという奴なんだろうか。これまでずっと自分勝手にやってきたあのルビーがボクに気遣い?
普段から森の外に出ることがそんなにないからひょっとするといつもの食卓に並ばない食べ物が少し興味が沸いただけなのかもしれない。
畑を食い散らかすルビーのことだ。おそらくボクの畑の野菜や野草、キノコばかりの料理に飽きて思いついたのだろう。それなら納得だ。
「さ、時間は無駄にしてられないんじゃない? 門限は日没だからね」