ボクと魔女の平穏
「あれ? フェル、パンはもうないのー?」
さっきから戸棚をごそごそしていると思ったら、ずっと探していたのか。しかし残念ながら、ボクがこの前に町へ行ったときに持ち帰ったパンはもうとっくに全部ルビーの胃の中だ。
結局ほとんど食べられてしまった。気に入ってくれたことは一応パン屋の自分としては嬉しいことだけれども、あまりガツガツと消費されるのは困る。
ただでさえ、この家の周辺だけでは食料の確保は難しいのだから。
「ねえねえ、まだ残ってなかったっけ?」
「昨日食べたのが最後ですよ」
そこらへんにいるヘビやカエルだって平気で食べられるような悪食のくせに、普通に美味いものは美味いと思えるのが不思議だ。どういう舌を持っているんだろう。
それとも魔女というのはそういうものなんだろうか。そもそも不味いというものの線引きがないのかもしれない。
勝手に何処かでそういうものを食べている分にはボクも安泰なのだが、同じ家に住んでいる以上はそうもいかない。
「大体、ご主人様、さっきもボクの畑で野菜食い散らかしていたでしょう」
まだ収穫には早い時期だったのに蝗害にでも遭ったような惨状だった。あの畑を直すのもそうだし、また作物を始めから育てなければならないのが辛い。早いものでも一月は掛かる。
ハーブ系なら割とすぐに収穫できるけれどそればかりでは食事にならない。
このままではまたしばらくそこらへんの草とキノコのあり合わせスープばかりだ。
そのうちこの森から雑草さえも根こそぎ消えてなくなりそうな気もする。
何でも食べられるルビーはともかく、ボクには正直キツイ。
「しょうがないわね。じゃあ、また行ってきてよ」
「え?」
ルビーが何を言ったのか理解するまでボクは時間が掛かってしまった。
※ ※ ※
薄暗い森を抜けた先で、心地よいくらいに暖かい日差しがボクを迎え入れてくれる。きっと今日は猛烈な吹雪が吹き荒れるに違いない。
またこの道を踏むことができるとは思ってもみなかった。ほんの一日限りの夢かと思っていたのに、どういうわけかボクはこうして森の外に出ることができた。
雪が降る前に早いところ用事を済ませなくては。
それにしたって最近のルビーはずいぶんと丸くなったような気はする。
前だったら気が向いたときに突然現れてはそのときにボクが何をしていようとお構いなしに、魔法なり呪いをかけるなりしてボクをずっと玩具にしてきたものだけれど、研究に没頭する時間が伸びてきた調子で、多くても一日に数回。
夜もそれまでよりも大分短くなったように思える。
別に、ボクはちょっと寂しいとか、物足りないとか、そんなことは思っていない。全然思っていない。
むしろ少なくなったのだから、なんというかそう、平穏な一時が増えるのだからいい。
いいに決まってる。たまには前みたいにもうちょっとかまってほしいとか思ってもいないし、こういうのが一番なんだ。
今回また外出が許可されたのはどういうことなのか。
考えても分かるようなことじゃないのだろうけれど、持って帰ってきた食べ物が美味しかったからまた食べたくなったとかそういう単純な理由なのかもしれない。
ともなれば、ルビーに満足してもらえるようにもっといっぱいお土産を持ち帰ったほうがいいのだろうか。ひょっとすればまたいつでも村に帰られるかもしれないし。
前回のときは帰れることしか考えていなかったし、何より落ち着けるような状態じゃなかった。
でも今は違う。また村に帰ってこれる保証があるようなもの。ルビーへのおいしい手土産をどれだけ見繕えるか。
幸い、ボクの村には食べられるものが多い。この作戦で行った方が無難だろう。
なんだか、少し気分が晴れてきた。こんな気分になったのは久しぶりのような気もする。
気持ちのいいことはたくさんあったかもしれないけれど、むしろ毎日そんな感じだったけれども、ずっとルビーの下で奴隷として仕事し続けていたからこうやって自由に動けることにとても開放感がある。
こうしてたまに外に出られるのならこれほど嬉しいことはないだろう。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。このままずっとボクは魔女の奴隷のままでいいのだろうか。
前に村に帰ったとき、ボクがいた事実はなかったことになっていたけれども、村そのものは何ら変わらなかったし、ボクが帰る帰らないの話はもはや些細なことでしかない。
つまりはボクが奴隷のままであっても、誰かが困るということはないということだ。
ボクはそれでもいいのだろうか。
仮に、ボクが奴隷を辞めたとき、どんなことが解決するのだろう。
ルビーは家事もろくにしないだろうし、またあの家はゴミ屋敷と化して、食事だって不老不死なのをいいことにまたゲテモノまみれの酷い悪食三昧になるのも目に見える。
ルビーの読み散らかした魔道書の整理も、実験で付いたよく分からない汚れと腐臭にまみれたローブの洗濯も、全部、全部ボクがやってきたのだ。
それに、あのルビーのことだ。夜の相手がいなくなってしまったら、あのケダモノのような性欲を何で解消するというのか。
ボクをさらったときのように、近くの村まで飛び立って、ボクじゃない誰かをさらってまた奴隷にしてしまうのかもしれない。
ボク自身のこともどうだろう。
奴隷を辞めて村に戻ったって、結局、あの村にはボクの居場所なんてないのだから。
誤魔化し誤魔化し住み着いたって辛いだけなんじゃないだろうか。打ち明けられるのならいっそのこと打ち明けてしまおうか。「ボクは魔女の呪いで忘れられてしまいましたが、本当はこの村の住人なんです」と。
ちょっと頭のおかしい人にしか思われないだろうな。新手の乞食と思われても仕方ない。
あれ? それじゃどういうことなんだ。ボクはルビーの奴隷でいた方がいいってことなのか。そんなまさか。そんなバカな。少しボクはルビーに毒されすぎてしまったのかもしれない。
ルビーの元にいたって、毎日こき使われて、毎日玩具にされるだけだというのに。そんな生活に馴染みすぎてしまったんだろうか。
いや、もうすでにこびりついてとれないくらいにボクの日常の中にルビーは染み付いてしまってるのだろう。
変に考えるのはもうやめよう。そもそもルビーが奴隷であるボクを開放することはないんだ。
ボクがこうやってルビーのために働いている限りは、他に被害が及ぶことがないのだから、それでいい。それだけでいい。余計なことを考えると頭がおかしくなりそうだ。
それよりも、そうだ。ルビーにどんなお土産を持って帰るか考えておかなくては。
※ ※ ※
村に着く。この前帰ってきたときはお祭りのような賑わいだったが、もう収穫の時期は過ぎてしまったのでとてものどかだ。
出店や屋台など何処にもないし、まるでこの間のことは嘘だったかのように人気も少ない何処にでもあるような平凡そのものの田舎の村。
元々この村はこんな感じだ。ああいう時期を過ぎれば忘れ去られたかのように人がいなくなる。
大体、作物を大量に買いに訪れる商人以外にこの村のことを、この村の存在を知っている人もそう多くはないだろう。
それくらいに辺境で偏狭な地だ。都会へ続く街道の端に位置しているからこそ、隠れた名所のような扱いなのだ。
こうしてあらためて普段の村を見ると、やはり小さく見える。
そういえば、少し前までこの村を離れて都会に行きたいとか夢見ていたような気もする。
そこで何をしたいというわけでもなく、ただ都会の華やかさに憧れていただけ。
度々訪れるあの村の賑わいに感化されていたんだと思う。今ではこんな寂しい村に戻りたいと思っているのだから不思議なものだ。
あのまま、ルビーと出会うことなくこの村で過ごしていたらボクはどうしていたのだろう。もしかしたら、いつか村を離れて都会に行っていたのかもしれない。
いや都会でなくとも、いずれにせよ、ボクは村を離れていたのかもしれない。
結局ボクは村を離れたかったんじゃないか。そう思うと、ボクはなんてわがままなんだろう。離れたいと思っていたのに帰りたいだなんて都合がよすぎる。
どうも、この村に帰ってくると、心の中が複雑になってしまうようだ。早いところ用事を済ませなければ。
当然のように今回も呪いをかけられている。
日没までに帰られればこの呪いも解いてもらえるそうだが、今回はできるだけ早めに帰ろうと思っている。呪いを解くときにまたあの激痛を味わいたくないからだ。
せめて日が傾く前には帰りたいものだ。
さて、ルビーの喜びそうなお土産は何がいいだろう。
無論、食べ物以外にはないんだろうけれど、とりあえずあの荒れ果ててしまった畑に新しい種を持って帰るのもいいかもしれない。
時間は掛かるだろうけれども、少しでも野菜の種類を増やしておいてもいいだろう。
あまり大きな畑ではないから耕しなおすついでに、もうちょっと大きめに作り直すのもいいかもしれない。
そのくらいやっておかないと次またいつ食い荒らされるか分かったものではない。
作物の種に関してはこの村では簡単に手に入る。
そうだ、道具も揃えておこう。ルビーの家にはろくにそういったものが置いていない。
農家の家じゃなくて魔女の家なのだから当然といえば当然の話。日ごろからボクは小さいながらも畑仕事をしているのだからそういったところにも気を配らなくては。
そうと決まったらボクは、知り合いの、とはいってももう向こうは覚えていないんだろうけど、農家の家をたずねることにした。
ちょうどこの前に村を訪れるときに出会ったおじさんだ。
手が空いているときはいつもあのおじさんのところで仕事を手伝っていた。ボクの持っている農業の知識も全部あのおじさんに教わったものだ。
やさしいおじさんとはいえ、ボクを全く知らない状態で作物の種や道具をゆずってくれるかどうかはちょっと不安なところだけれども、当たるだけ当たってみるべきだろう。
おじさんの家の近くまでやってくると、人が集まっていた。近くの農家の人や隣の村の農家の人、旅の商人なんかもいる。
やはり村の中でも広い土地を持っているとこれだけの人が集まってくるのだろう。おそらくボクと同じように作物やその種なんかを買いに来た人ばかりのようだ。
よし、ボクもあの中に混ざろう。
と、そう思った矢先だ。
「ねえ、アンタ。ちょっといい?」
ふと、ボクは服の端を引っ張られ、声を掛けられた。とても幼い少女の声のようだった。ボクはとっさに振り向く。
すると、そこには声から予想できるくらいの少女が立っていた。
年はボクと同じかそれより下か。少なくとも身長はボクの方が高い。
目に付いたのは、空のように青く長い髪と、海のように透き通った青い瞳だ。
こんな農民の村には似つかわしくない貴族のような真っ白いフリフリの格好をしていて、明らかにこの村の人間ではないことが分かる。
こんな女の子、ボクの記憶の中にもいなかったし、おそらく商人の娘だろう。
「えっと、なんでしょう?」
女の子は、ボクの顔や体をじろじろと見る。そんなもの珍しい格好はしていないと思うんだけど。
「ふぅん……、ふふっ」
なんか鼻で笑われた。
「ボク、そんなにおかしな格好してますか?」
「あ、いや、違うよ。違うの。そういうんじゃなくってね」
じゃあ、どういうのなんだろう。
「アンタ、名前は? あ、私はマリンね」
「ああ、よろしくマリン。ボクはフェルっていうんだ」
「フェル君ね。いい名前。ふふ、ありがとう。それじゃ、さようなら」
それだけいうとマリンはあっさりと何処かへと駆けていった。
本当にずいぶんとあっさりしている。一体なんだったのだろう、と思っている間にもうマリンの姿はなくなっていた。
商人の親に連れられて初めて都会から田舎に訪れたけれども、見るものが全部珍しくて、ついつい気分が浮ついちゃって、ボクに話しかけてみた、という感じなんだろうか。
遠出するとそういう気分にもなるから不思議ではない。
けれど、何故かそうじゃない、もっと別な何かがあったような、そんな気がした。でもやっぱり考えても仕方ない。また会えるかどうかも分からないし。
それとも、また何処かで会えるんだろうか。
何処か、心の片隅にマリンを残したまま、ボクはおじさんの家で取り揃えるものを取り揃えることにした。
※ ※ ※
「よし、呪印とれたわよ」
「ありがとうございます、ご主人様」
あれから一通りの買い物を済ませ、間もなくしてルビーの家に帰り、すぐさま呪印を剥がしてもらった。
前とは違って痛みがないどころか、何かをしてもらったのかも分からないくらい、あっという間にことが済んだ。やはり定着寸前に呪印を解くのはよくないのだろう。
もし次があるのなら、早めに帰れるよう心がけておこう。
「それにしても、ずいぶんと早く帰ってきたのね」
「痛いのは嫌ですからね。それに、夕飯が遅くなります」
「ほほぅ、それじゃ今日のごはんは期待していいってことかしら?」
ルビーがジュルリと舌なめずりする。なんてはしたない。魔女というからには一応女なんだろうけれども、ルビーにはそういう女らしさが見えてこない。
いや、見た目だけなら女なんだろうけれども、むしろ女の魅力が色濃いんだろうけれども、なんというのだろう。そう、おしとやかさがない。足りないのではなく、ない。
ふとボクの頭の中にはマリンの姿がよぎっていた。ルビーなんかと比較しちゃいけないんだろうけれども、女の子というとボクの中ではマリンがイメージにとても近い。
ちょっとよく分からないところもあったけれど、あのくらいあどけない感じが女の子らしさというのではないだろうか。ルビーにもああいうところを見習ってほしいものだ。
ボクは、ふぅ、とため息をひとつついた。