ボクと魔女ともう一人の魔女
「あ、これも食われてる……」
歯形がくっきりとついた未熟な果実が茎から見る影もなくしなだれている。考えるまでもなくルビーの仕業だろう。
相変わらずこっそりとボクの畑から盗み食いしているようだ。
いっそのこと、殺虫剤でもまこうかなどと一瞬思ってもみたが、そもそもルビーにそんなものは効果がないだろうからやるだけ無駄だろう。困ったものだ。
簡易なものとはいえ、手塩にかけた作物がやられてしまうのはなかなかいい気分ではない。
自分で食べるだけのものだからまだいいが、これが売り物だったりしたらとんでもない損害だ。もう少し農業というものの大切さを知ってもらえないものだろうか。
下手したら畑の中のミミズまで穿り返して食べてしまいそうなルビーのことだから、やはり無駄なのだろう。ため息以外に出るものがない。
せめて上質な肥料でもあれば、と相談を持ちかけたことはある。
魔女なんだし、一晩で芽が出て、二晩で実が成り、三晩で食べられるような、そんな魔法の土でも作れないのだろうか、などと言ってみたりもしたが、「面倒くさい」の一言で片付けられてしまった。
一応、食べられるものがいくらでも増やせるということで、それなりに検討はしているようだが、何処まで信用していいのやら。
ここのところのルビーの異様な研究の熱心さはなんだか不気味としか思えない。
元々行動原理そのものが理解できないほど不気味なのだから今更ではあるけれども、日に日に増して、どんどん燃料をくべ込んでいる暖炉のように燃えている。そのうちあっという間に炭になってしまうんじゃないかというくらいだ。
燃え上がるのはいいけれど、消耗した分をボクの作物で補わないでほしいものだ。
そんなこんなで、今日もボクは雑用の片手間に畑で土いじりだ。この泥のにおいがクセになるくらい、ここのところは畑の中にいる時間が長くなっているような気さえする。小さいとはいえ、ここはボクの畑、ボクだけの場所なのだ。
さて、そろそろ水を撒かなきゃ。そして食べられそうな分だけ収穫したらそれを朝食に……。
そう思って、畑の柵を出ようとした、そのときだ。
ドゴォンッ。そんな、例えようのない轟音だ。
小麦の入った袋の束に勢いよく岩をぶつけるとこんな感じの音がするのかもしれない。少なくともやさしい音ではない。
何かが壊れたような、そんな音だ。そしてその音とほぼ同時に、砂利まじりの突風がボクの身体を弾き飛ばした。
一瞬だけ、宙に浮かされたほどの勢い。一体何があったのかまだ理解できない。
辺りに砂煙が立っている。ちょっと耳鳴りもする。
目に砂が入らない程度に薄目で周囲を見渡す。すると、少し距離を置いたところ、小さな影があった。
いや、何かがおかしい。ボクは今、顔を見上げている。それなのにその相手の姿が見えるということはそれはよほど大きな鳥なのだろうか。
まさか。薄目をゆっくりを開けて、よく見てみる。
「あー……、間違えちゃった。ごめんね」
空のように青く長い髪で、海のように透き通る青い瞳の女の子が、箒に跨って、家の屋根より高い位置、ボクのやや斜め上を飛んでいた。
すぐさまそれが魔女だと分かったが、ボクはその正体の名前も知っていた。
ボクが村に帰ったとき、出会った少女だ。田舎の村に似つかわしくない貴族のような格好をしていた青髪の少女。
マリン。確かそう名乗っていた。
状況がうまく飲み込めない。なんで今、大体形を整えたばかりの畑が整える前よりもずっとボロボロになっているのか。
そして、なんでマリンがここにいて空なんて飛んでいるのか。ボクは中途半端な夢を見ているのだろうか。
「フェル君だよね。違うの。違うのよ。アンタを狙ったわけじゃないの」
挙動不審なくらい、辺りを見回して思考も回す。どうやら畑は何者かに攻撃されたらしい。しかしこの壊れ具合は生半可なものじゃない。
大きな何かを思いっきり叩きつけられたようなのだが、それは影も形もない。まるで魔法のよう。
ああ、そうか。魔法で攻撃されたんだ。どうして畑が? いや畑じゃない、ボクがだ。なんで? ボクが? ああ、間違えたって聞こえた気がする。
目の前に浮かんでいるマリンは、一体誰と間違えてボクを攻撃したのか。もう頭もはっきりしてきた。
「フェルー、何、今の爆音。大丈夫ー?」
「現れたわね、紅の魔女」
先ほどの音を聞きつけてか、ルビーが現れる。その姿に気づいたマリンが颯爽と地面に降りてきた。
「ここで会ったが百年目よ、紅の魔女」
「ああ、マリン。百年ぶりね」
マリンはルビーに向けて指を突き立ててまで気合を入れているのに対し、ルビーはなんだか寝起きの気抜けしたような返事を返す。
なんだろうこの二人の温度差は。というか、百年ぶりということはやはりマリンはルビーと同じく魔女だったのか。
いや、箒にまたがっていて空を飛んでいたのをたった今見たばかりだ。その時点で疑いようもないだろう。
この状況、嫌な予感しかしない。久しぶりに出会った二人が仲良くお茶を片手に昔を語り合うなどといった平和な光景が目に浮かばない。
すでに攻撃は開始されている。何故かボクの畑が、だけど。このまま穏便に事が進むなんて無理という話だ。
「ねえ、フェル。朝ごはんまだ?」
全く場違いなすっとんきょうなことを言う。
これがそんな状況下に見えたんだろうか。
「あの、すみません、ご主人様。あの、畑がですね」
そもそも朝食を用意しようにも、畑が酷い有様だ。
ルビーなら泥にまみれても食べられそうだが、少なくともボクはそんなもの食べられないし、今から準備するとしたらせいぜい出せるのは村で買ってきたばかりのパンを一切れ出すくらいか。
なんにせよ、こんな状態でまともな朝食が作れるわけがない。
「あぁーっ!! アンタ、あたしの畑になんてことしてくれんのよ!!」
それ、ボクの畑です。
「姿くらましてるアンタが悪いのよ、紅の魔女」
「マリン、アンタ許さないわよ」
ルビーが怒っていた。が、割とよく見かける光景だ。ご飯の準備が遅れたり、魔法の実験を露骨に嫌がったりするといつもこんな調子で怒る。
こういうときは限ってキツイ呪いが掛けられたりするが、相手は魔女だ。そんなものが効くのだろうか。