「あなたがフェル様ね、あたし、アリザリンっていうの。よろしくね」
「全くもう……もう少し丁寧に挨拶したら?」
おそらくアリザリンの丁寧な作法のお辞儀とは裏腹にぶっきらぼうな言葉遣いの挨拶を指摘したつもりなんだろう。
それを言い出したら、名乗る前にいきなりベッドの上によじ登ってきたスカーレットはどうなんだ、とは思ったけれど、口にするのは止めておいた。
スカーレットはこのお城の、この国のお姫様。そしてアリザリンは海を渡った先の隣国のお姫様だと記憶している。
もちろん会うのも初めてだし、顔を見たのも初めてだ。こうして二人を目の前にすると噂で聞いていたよりも案外普通の女の子に思える。
むしろこんな一面があったことに驚きだ。
二人は血は繋がっていないが、姉妹のように仲が良いという話を聞いたことがあるが、本当のようだ。
「それじゃ、あたしも挨拶しよっか」
え? 自己紹介ならたった今したはずじゃ……と思ったときには、アリザリンは、跳んでいた。しかもボクに目掛けて。
ボフッ。ドッス。ベッドごとボクの体が跳ねる。とっさに身構えようとするも、ボクの腕をすり抜けて、アリザリンの両腕がボクの肩まで回り込んでいた。
一方的にぬいぐるみのように抱かれてしまったボクはされるがままに背中はギューっと締め付けられつつ、正面はむにゅりとやわらかい感触を押し付けられていた。
きっとアリザリンは普通に抱きついたつもりなのだろうが、悲しいことにボクの身長が足りていなかったようだ。
「ほぅら、うりうりぃ~」
目の前は何も見えなくて、何か心地いい匂いと感触が広がっている。
あ、でも、これってまずいかも。だって、背中に回る手はアリザリンの身体に引き寄せられて、むにゅむにゅとした感触がさらにむにゅむにゅと顔面いっぱいに迫ってくる。なんというか、息が、できない。
離して、と言おうにもこれじゃどうやって声を出せばいいんだ。
アリザリンも面白がって、手の力をゆるめない、というかむしろもっともっと押し付けてやろうといわんばかりだ。い、息苦しい。
「アリザリン! フェル様がおっぱいで溺れますわよ!」
いや、言葉にしないで。なんか恥ずかしいから。
もがいてもがいて、頭だけでも出さなきゃ窒息してしまう。
ここはどの位置だ。どのくらい上がれば脱出できるんだ。他人との身長差をこれほど恨んだことなんて今まであっただろうか。
「ぷふ……ぅぅ、んんん!?」
身体をよじり、上り詰めて、ようやくおっぱいの上まで抜け出したと思ったら、呼吸はおあずけだった。何故なら、おっぱいの上にはアリザリンの顔が、アヒルのような口をして待ち構えていたから。
「んっ、ちぅ……」
息もつかせないとはこういうことか。
じっとりと甘く、そして執拗にボクの口の中でとっくにくたくたになった舌をするり、そろりといやらしくくすぶる。その刺激がのど奥までを震わせて、残り少ない息も奪っていく。も、もう限界だ……。
「……っふはぁ! っは! ひぃ……はぁ……はぁ、ひゅぅぅ……」
頃合を見計らっていたのか、アリザリンの両手と顔の拘束が剥がされ、ボクの頭が逃げる。
整わない呼吸を、整える。肩もキュウッと震えて、心臓がバクバクしてる。
「あはは、顔、真っ赤っかんなっちゃった」
「笑い事じゃありませんわ。大切なお客様になんて失礼なことを」
まだ呼吸が整わない。間一髪、危うかった。本当に死に掛けたんじゃないだろうか。沸騰した熱湯を頭から被ったみたいに顔中が熱くて、このまま溶けてしまいそうなくらいフラフラしてきた。
なんてお転婆なんだろう。これが貴族の挨拶なのか。なんと恐ろしい。
「ふぅ~……、はぁ、はぁ……」
落ち着こう。ああ、落ち着こう。そろそろ目を覚ますんだ。
ボクは平民だ。貴族とは無縁。どうしてそんなボクが一国のお姫様二人と同じ部屋にいて、会話もして、その上、こんなことをしているんだ。
何かがおかしいはずだ。
「二人とも、自己紹介は済んだ?」
聞き覚えのある幼い声が、耳に飛び込んできた。
咄嗟に部屋の入り口に再び視線が動く。
空のように青く長い髪と、海のように透き通った青い瞳。貴族のような真っ白いフリフリの格好をしていて、それらに思い当たる人物は一人しかいない。
「マリン!?」
「マリン様」
「マリンちゃん」
真っ先にアリザリンがベッドからマリンの元へと跳んでいく。そしてまたギューっと抱きかかえるように腕を回す。
しかし身長差の悲劇か、顔が埋もれる。さっきのボクもあんな感じだったのか。
それどころか、マリンの身体が爪先立ちで若干浮いている。
本当によく生きていたな。しかしその腕もそっとやさしく跳ねのけられ、てへ、とアリザリンが笑みと共に会釈する。
「王室の目覚めはどう?」
「えっと……、マリン、だよね?」
ボクの混乱は未だ整理がついていない。
そういえばマリンがこうしているのも何かおかしくないか?
あれ? そういえば昨晩、マリンはノワール様に道具のように変化させられていたような……、ってそういえば。
「あ、ごっ、そ、その、ごめ……っ!」
「ああ、うん。あんま気にしないで」
しどろもどろに言葉の詰まるボクとは裏腹に、ずいぶんとあっさり、すんなりとした返しだった。そんな一言二言謝って済むようなことだったのだろうか。
「スカーレット、アリザリン。朝食の準備が整ってるわ」
「あ、はい。分かりました。わざわざ申し訳ございません」
「あー、もうそんなですか。それじゃ、失礼して」
と、マリンの一言でこちらもすんなりだ。
「それではフェル様、ごきげんよう」
「またね」
二人揃ってボクに向けてやさしいお辞儀をすると、まるでお姫様のようにおしとやかに部屋を出ていく。
パタリと扉が静かにしまり、壁越しに二人の楽しそうな笑い声が遠くなっていくのが聞こえた。
「さて、と」
仕切りなおすようにマリンが息をふんすとこもらせる。
「えっと、マリン、ごめん。でも、大丈夫、だったの?」
途切れる息をつなぎ合わせるようになんとか言葉にする。
今のマリンの姿形を見る限り、昨晩のことは全てが夢だったかのよう。
それどころか、立ち振る舞いもしっくりと落ち着いていて、普通の女の子のようで、かえって違和感があるくらいだ。