「わんわんっ!」
目の前で小さくかわいい毛むくじゃらが吠える。
「どう? 可愛いでしょ?」
「なんですかそれ」
「犬よ」
「見れば分かりますよ。今夜のおかずですか?」
「いやぁ、今夜のおかずもやっぱフェルかなぁ」
「聞いてません」
ルビーが何故だか突然、森の外までビューンと飛んで行ったかと思えば、腕で抱えこめられる程度の小さな犬を持って帰ってきた。一体何処でさらってきたのだろう。
つぶらな瞳があまりにもまぶしく、ルビーに捕獲されてしまったことに対して同情以外の感情が湧き上がってこない。まるでかつてのボクを髣髴とさせるようだ。
「ちょっとね、試してみたい魔法があってね」
「そうですか」
「というわけで協力してもらうからね」
協力するも何も、奴隷なんだから拒否権はないだろう。白々しいことだ。
「ボクに何をしろっていうんです?」
「まあま、そこの魔法陣に乗りなさい」
そういうとルビーはいつの間にか床に描いた魔法陣の中へとボクを押す。
あまりいい予感はしないが、これもまたいつものことだ。せめてあの子犬が無事でいてくれればもうそれでいいとさえ思ってる。
「で、こっちの犬はちょっと眠ってもらって、と」
何処からか取り出した粒のような薬を子犬の口に運ぶ。
餌と思ったのか、子犬は何の疑いもなくそれをパクリと食べてしまう。
すると、すぐさまぐったりと眠りこけてしまった。
そしてルビーは小さな寝息をたてる子犬を抱え込み、部屋のもう片隅、ちょうど子犬の大きさに合わせた小さな魔法陣の上に寝かせた。
わざわざ寝かせたのはここから動かれないためだろう。
「さてと。あ、動いちゃダメだからね」
魔法の類で恐ろしいのは失敗したときだ。まず何が起こるか分からない。
下手に暴れて魔法陣を踏み消そうものなら魔力が暴走してしまい、想定外の事態は必ず起こる。この上に乗るときはいつもそんな恐怖と隣り合わせだ。
いつだったか、魔法陣のすぐそばに置いてあった薬瓶をうっかり零してしまったときがある。そのせいで魔法陣の一部が書き換わってしまったらしく、魔法は大失敗。
ドカンと大爆発だけで済むはずもなく、あろうことか魔法陣の中心にいたボクは全身の骨という骨が泥のようにぐちゃぐちゃに脆くなってしまい、とんでもないことになった。
治るまでろくに動けなくなったことは勿論、骨を元に戻すまで酷く気分が悪かった。常に水の上を浮かんだままみたいな状態で、何度吐きそうになったことか。
以来、ボクは魔法陣の上に立つと身動き取れなくなるくらい、足がカチカチになる。嫌な後遺症だ。
「よし、この術式だ」
ルビーがいかにも古臭そうな本をめくり、よく分からない呪文を唱え始める。
すると、魔法陣が光を放ち始め、魔法陣の中にいるボクと子犬に光の蔓のようなものが巻きついてくる。この蔓は触れることもできないし、触れていても熱くも冷たくもない。
ただ、まとわりついていていると身体がぐにゃぐにゃにされている異様な不快感に襲われる。
辺りが眩しくなって、目の前が真っ白に染まる。
とても目も開けられない。
そう思った直後、光はあっという間に掻き消え、いつもの部屋の光景に戻ってきた。どれだけ掃除してもすぐに散らかる埃の臭いの充満したルビーの部屋だ。
一体何が変化したのだろう。ああ、そうだ、あの子犬はどうなったんだ。
咄嗟に小さな魔法陣の方に目が行くが、そこには魔法陣はなく、子犬の姿もなかった。
「ふぅ……、成功した、かな」
ご主人様が、一息をつく。とても集中していたようで、汗ばんでいる。ここからでも汗の匂いが感じられるほどだ。なんだかとてもいい匂いだ。ご主人様の汗……。
「何か変わりましたか?」
ご主人様はボクを見て、ニヤニヤとしている。一体何があったというのか。
鏡もないこの部屋では自分の身体も確かめられない。
ただ魔法の余韻かどうも頭がボーっとする。
「フェル、お手」
「はい」
ご主人様が手を差し出し、そう言った。だからボクは咄嗟にその手をとった。アレ?
「フェル、お座り」
「はい」
次の瞬間、ボクは床に手をついて座り込んでいた。
「いいこいいこ~」
ご主人様がボクの頭をなでてくれる。何故だかそれがものすごく嬉しかった。
もっと、もっともっとなでてほしい。褒めてほしい。そんな感情が奥からあふれてくる。そして思わず、ボクの口から声が漏れてしまう。
「くぅぅん……」
嬉しくなってきて、ボクは尻尾を振っていた。ん? 尻尾?
「これってひょっとして……」
「大成功ね」
慌ててボクは自分の身体中をまさぐる。頭や手足、お尻などあちこちだ。すると、思ったとおりだった。
耳が大きくなっている。まるで犬の耳だ。
鼻も何だか湿っていて、よくよくひくつかせるといつも以上に色んな匂いが感じ取れる。
お尻に尻尾も生えてる。ものすごくふわふわしていて、触るととても敏感だ。
そして全身が、妙に毛深くなっている。
つまり、さっきの子犬はいなくなったわけじゃない。あの魔法でボクになったんだ。
「これまた可愛くなったわね。抱きごこちも最高っ」
ギューっとご主人様が抱っこしてくれる。身長もいつもより少し縮んでいるようだ。
それより何より、ご主人様からものすごくふわりといい匂いが漂ってきて思わず、口元が緩んでしまう。いや、ダメだ。ダメダメ。
犬に流されてしまっている。ご主人様から重要なことを聞かなければ。
「ご主人様……、これ元に戻るんですか……?」
「残念だけど、時間が経つと戻っちゃうみたいね」
何が残念だけどなのかは分からないが、どうやら大丈夫なようだ。
「でもま、せっかくだし、今日はこのフェルに楽しませてもらおっかな」
と、それだけいうと、ご主人様はボクの身体を軽々と持ち上げて、そのままベッドに放り投げられてしまった。
ベッドはご主人様の匂いが充満していて、ベッドの上に落ちた衝撃で一気にそれが巻き上がり、身体中を、全身をご主人様に包まれているような、そんな気分になってしまう。
どうしてだろう。どうしてこんなにもご主人様の匂いは落ち着くんだろう。
そうやってしばらく惚けているといつの間にかボクもご主人様も裸になっていた。小さくなったせいで服が簡単にすり抜けていともたやすく剥ぎ取られたようだ。