「そうだ、ついでだし、こっちの呪印も試させてもらおうかな」
また思いつきで、ご主人様がボクのお腹に指を当てると、ふわふわした光の線が走り、それらが文字となってボクの上に描かれていく。
光が収まるとそれはいつもの青紫色の刻印となってしっかりと刻まれていた。今度は一体なんの呪いだろう。ただでさえいつもと身体の調子がおかしいせいか、不安が膨れ上がっていく。
「これは美食の呪印。これが刻まれたものが口に物を運ぶとそれの味を覚えてしまい、どんどん好きになっていくの。そしてその刻印が定着して消えたとき、覚えた味が欲しくて欲しくてたまらなくなっちゃうの」
つまり相手を中毒にしてしまう呪いなわけだ。でも、なんで今ここでその呪いをかけるんだろう。だって。
「でも、口に運ぶって、食べ物とか何処にあるんですか?」
「ここに、あるじゃない」
いたずらっぽくそういうとご主人様はボクの身体を両足で絡めとった。
するとこの体勢の場合、ボクの頭はご主人様の身体にべったりと押し付けられる形になる。つまり、ボクの目の前にあるのはご主人様の、ソレだ。
「うっふっふ……好きなだけ召し上がれっ」
たった今、あんな呪いの説明をされてわざわざ口にするわけがない。
そう思っていたのに、どうしてか身体がいうことを利かなかった。ご主人様の奥から、それの匂いが漂ってきていたから、ボクの敏感な鼻がその匂いを追求してしまう。
これはボクの意思じゃない、あの子犬の意思だ。
「はぁ……はぁ……んんむぅ……、ぁー……ん」
気がついたときには、舌が出ていた。ご主人様のそこに顔をうずめて、舐めたくてしょうがない衝動にかられてしまった。
抑えようがなく、一心不乱にボクはペロペロ、ペロペロと犬のようにご主人様を舐めていた。
「ぁん…っ! がっつくわねフェル」
「くちゅ、んちゅ、えろん……、はぁ……はぁ……」
ボクの舌は全く自分勝手にご主人様の奥へ奥へと入り込んでいき、口の中にいっぱい、ご主人様の味が広がっていく。
ソレはご主人様から泉のようにあふれ出てくるから何度も何度もおかわりできた。
息もできないくらいなのに、止められなくて、それどころか舐める度にその味が心に染み付いてきてどんどん舐めたい衝動が強くなる。
おいしい。ご主人様、おいしい。もっと、もっと舐めたい。
「よしよし、もっと奥まで舐めていいのよ……んふふ」
ご主人様がボクの頭をなでてくれる。ああ、嬉しい。嬉しい。
もっとなでてほしい。ボクもっとご主人様を舐めていたい。
そこには留め金がなく、ボクの心はどんどん犬になっていくようだった。ご主人様が好きで好きでたまらなくなる。
「わふぅぅ……っ」
抑えられない興奮に、どんどん心が高ぶる。
それはご主人様も一緒だったようで、ボクの身体を押さえつける足がギュッと強くなる。
どうやらイッたようだった。それでも、ボクは舐めるのを止めることができない。
ご主人様が悦んでくれるからボクは嬉しくて嬉しくて仕方がない。
もっと、もっと、もっとご主人様のものになりたい。ボクは強くねだった。
「うぅぅ……ちょっと、フィル、さすがに舐めすぎ……、ふやけちゃうって」
「わんっ! わんっ!」
ご主人様、ご主人様、大好きです。もっと舐めたいです。
「あぅ……っ!」
ご主人様が潮を噴いてくれる。それがまたたまらなく美味しくてボクはとても幸せだった。
「や、……これはちょっと、マズイ、かも?」
「わぅん! はっはっはっ!」
ボクはもう、完全に犬になっていた。
もう二度と元に戻れなくてもいい、ただただご主人様のそばにいたいと願う、そんな犬に。
※ ※ ※
あれから何日かして、ボクと子犬はようやく分離することができた。
思っていたよりも長くて、本当にボクはずっと犬のままなんじゃないかと、ちょっと期待さえしてしまっていた。
ルビーはさすがにやりすぎたらしく、今朝もベッドでぐったりしていた。
もうしばらくは足腰が経たないんじゃないだろうか。
子犬とくっついていた期間があまりにも長すぎてどうもまた調子がおかしい。
鼻が詰まったように利かなくなったり、二本足で歩くのもフラフラしてしまう。
肉球の手じゃご飯もろくに作れなくてずっとルビーの、その、アレばかり飲んでいたからお腹の中もちゃぷちゃぷだ。しばらく調子を取り戻すのにこれは時間が掛かりそうだ。
一方の子犬の方はといえば全くピンピンしていてて、ボクと離れて元の犬に戻るなり、元気一杯に駆け出していって森の中へと消えてしまった。
子犬にはルビーの魔法が掛かってないからか、どうやらそのまま森の外まで抜け出せたのだろう。せっかくだから飼おうかとも思ったけれど、さすがにこの家で犬を飼うのは無理があるか。
ともあれ、狂った生活観を早く直さなければいけない。
いつまでも犬のままではいられないから。
ボクは気持ちを切り替えて畑仕事の支度を整えた。
畑に入るのもなんだか久しぶりな感じだった。
触る土はどうもぎこちなくて違和感がある。
というよりも、何故だか無性に掘り返したい衝動に駆られる。まだあの子犬が何処かに残ってしまっているのかもしれない。何日もずっと犬だったんだ。それも仕方ない。
畑の方もしばらく少し手入れを怠ってしまったけれど、作物は何とか無事で、見るからに美味しそうに実っていた。今日の夕飯にしようと一つもぎり、ちょっと味見をしようとした。
ところが、齧るつもりが歯が立たない。噛めないわけではなく、噛みたいとも思わない。
こんなに芳醇ないい香りがするのに、食欲が不思議と沸かない。まるで石ころを手にしているみたいだ。それが食べ物だという認識ができない。
「あれ……?」
そこで嫌な予感がして、ボクはそっと服をめくり、自分のお腹を見た。
何もないキレイなお腹だった。
美食の呪印が消えてなくなっている……。
覚えた味しか欲しくてたまらなくなる呪いが、完成してしまっている。
ふと、ボクは何故か急激な空腹感に駆られ、ふらりと、さっきまで弄っていた畑を中途半端のままに、家の中へと戻っていた。
泥にまみれた格好も気にせず、ボクはまっすぐ、ルビーの部屋に、ルビーの寝ている部屋に向かっていた。
―――アア、オナカスイタ。アレヲノマナキャ。