ゴツゴツとした岩肌の続く荒野と、そこら中から湯気の立ち上るホムスビ山地にはヒノノギ火山があり、その麓にはホムラの里というところが存在していた。
製鉄や鍛冶が盛んなこの里では、温泉の熱を利用した蒸し風呂屋が開業し始めて、最近では遠くの地方からも評判を聞きつけてやってくる旅人も多い。
そんなホムラの里に、丁度二人の女性が訪れていた。
ヘアバンドを付けた緑の服の女性と、杖を持った赤い服の三つ編みの女性だ。
「おやおや、美しくきれいなお嬢さんがた、見たところ、旅の方とお見受けします。いやあいい時にいらっしゃいましたね」
里の入り口、恰幅のいい男が笑顔を見せながらその二人の女性に声を掛ける。
二人ともきょとんとした表情を浮かべながら対称的に首を傾げた。
「わたくし、つい先日にこの里の奥のほうに蒸し風呂屋を開店したばかりでして……今でしたら先着100名まで無料でご入浴いただけます!」
「あら、お姉さま、蒸し風呂ですって」
「いいわね。お肌がピチピチになりそうじゃない」
緑のヘアバンドで長い髪をまとめた方の女性がおっとり口調で言う。
その隣で大きな赤い帽子を被る同じ顔をした女性は嬉々とした顔だ。
おそらく二人は双子の姉妹であることが伺えた。
「ねえ、セーニャ。あたし、蒸し風呂に行ってくるわ」
「ええ、分かりました。では私は先に宿のほうをとっておきますわね」
「ありがとうございます。では、一名様ご案内いたします!」
恰幅のいい男はパァーっと明るく振舞い、赤い帽子の女性を案内する。
緑のヘアバンドの妹――セーニャはそれをにっこりと見送りながら。
……それが今生の別れとも知らずに。
※ ※ ※
苔生す石段を上っていった先、木材を枠組みとして石レンガの壁の建物があった。
丁度その建物の下には温泉が棚田のように流れており、湯けむりが沸いている。
それを眺めているだけでホクホクな気分になっていたベロニカに、ふと里のものらしき人が視線を送る。
「お嬢さん、そこの風呂には入らない方がいい! 亡霊が出るんだ!」
「はあ? 急に何言ってんのよ」
これから温まるってときに急に冷めたことを言われてカチンときたベロニカは、特に気にすることもなく無視を決め込み、蒸し風呂屋の中へと入っていった。
「ほほう、お嬢さんは聖地ラムダからお越しになったのですか」
「そう、天才魔法使いのベロニカ様よ。まあ旅の事情は話せないけど」
「いえいえ、旅路は人それぞれ。今日は旅の汚れも疲れも落としていってください」
そういって赤い帽子の女性――ベロニカは、受付から蒸し風呂用の服を受け取り、赤いのれんをくぐって温泉の見える廊下を渡ると、竹製の扉を開いた。
そこはまだ脱衣所だったが、既に温泉の熱気が漏れているようで、やや汗ばむ。
「ふーん、なかなか効果がありそうじゃない」
ベロニカは服を脱ぎ、蒸し風呂の服へと着替えるとその部屋へと入る。
視界を遮るくらいムワムワの蒸気に満ちた室内は、驚くほどに暑かった。
まさに蒸されていると実感する。
「宿なんて後にしてセーニャも一緒に連れてくればよかったかしら。ふぅ……」
さっそく汗を流しながらも、丁度よい木組みの段差の上に腰を掛ける。
長旅の疲れがしとしとと流れ落ちていくのを感じながら、リラックスしていた。
もうしばらく休んだらセーニャを呼びに行こう。
そんなことを考えていた矢先だ。
「――む? 誰?」
不意な視線を感じ、咄嗟に立ち上がる。誰かに覗かれているような気がしたのだ。さしものベロニカも着衣とはいえ軽装。易々と見られたくはなかったに違いない。
いるのかいないのか、相手の正体も掴めないが居心地が悪い。
警戒しつつ脱衣所へと戻り、汗を拭うのも惜しみ身を潜めるようにして着替える。そして手に馴染んだ杖を構えて周囲の気配を探る。
「覗きなんて趣味が悪いわね。容赦しないから覚悟しなさい」
牽制するつもりでか、ベロニカは蒸し風呂部屋の方に向かってその杖を突き出す。いつでも攻撃ができる体勢を整えていたが、やはり相手の姿は見えない。
じっとりと嫌な汗がしたたり落ち、緊張が解けない。
室内にはもういないのか。そう思って覗き込もうとしたそのとき、湯煙が揺らぐ。まるで蒸気が意思を持っているかのような不可解な動きだ。
「な……っ! 魔物!?」
意表を突かれ、一瞬怯みそうになる。揺らめく影のようなものがそこにいたのだ。何も知らなければおそらく幽霊か亡霊か何かかと見間違えただろう。
それは紛れもなくモンスターだった。
「ちっ……、こっそり行くつもりだったが、見つかっちまったら仕方ねえな」
「この天才魔法使いベロニカさまの入浴を覗こうなんて100年早いのよ!」
すかさずベロニカは呪文を詠唱し始め、杖の先に魔力を集中させる。
自称天才と呼ぶだけあって、練り上げられるその魔力の量に魔物も驚く。
「こいつは、逸材かもしれない……、デンダさまも喜ぶに違えねえ!」
「何の話よ! さっさと消えなさい!」
魔法が放たれようとした、その次の瞬間、ベロニカは意表を突かれる。
「うわっ、なんだなんだぁ!?」
「へっ?」
突如脱衣所に闖入者が現れたのだ。しかも、ここは女湯だというのに見知らぬ男。その刹那、混乱してしまったベロニカの集中が弾け飛ぶ。
よもや男湯と女湯を間違えて入ってくる男がいるなんて直ぐに理解できなかった。
「わわわ、ちょ……っ」
魔法使いにとって、呪文詠唱の途中で邪魔されるのは致命的だ。
ぽすんっ、とベロニカの杖の先の魔法が消失する。暴発しなかっただけマシだが、その失敗はあまりにも大きすぎる隙となってしまった。
「へへへっ、なんかよく分からないが――ラリホー!」
「しまっ――」
湯気のように揺らめていた影の魔物が先に呪文を唱え終わる。それは眠りの魔法。気付いた時にはもう遅く、ベロニカも――ついでに乱入した男も睡魔に襲われる。
意識を保つこともままならず、二人ともバタリと床へと倒れこんだ。
「余計なもんがついちまったが、まあ獲物は多いにこしたことはないな。へへっ」
こうして、揺れる影の魔物は蒸し風呂屋の主人や客たちに気付かれることもなく、ベロニカたちを連れさらっていき、ホムラの里を離れ、去っていくのだった。
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