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「妊婦さんがそんなに激しく動いていいの?」
そう佑に告げて渚は静かに階段を降りた。目配せすると祐が頷いてスカートの中に手を入れる。二、三の会話をしてから祐は渚に頷いた。渚は祐に頷き返して階段を降り切った。
「波絵に連絡したわ」
「いい子ね」
腕に抱かれて大人しくしている祐に渚は笑みかけた。
「お帰りですか?」
玄関のホールにたどり着いた時、執事が静かに現れてにこやかに訊ねる。ええ、と微笑んで渚は振り返った。後ろについて来ていた佑にどうするの、と訊ねてみる。
「今日は泊まっていかれたらどうですか?」
穏やかな口調で言われて渚は首を横に振った。
「ごめんなさいね。祐ちゃんを早く直したいから残念ながら泊まれないわ。まさかあなたに修理をお願いする訳にもいかないし」
さらりと言ってから渚は佑に向き直った。祐は渚の腕の中で大人しくしている。
「ご遠慮なさらなくても祐さんなら喜んで修理します」
「いいえ。あなたに祐ちゃんを触らせたくないの」
にっこりと笑って言ってから渚は振り返った。戸惑ったような顔をしている執事に会釈をする。すると執事は静かに扉を開けた。開かれたドアの向こうから生温かい空気が流れてくる。
「それでは渚さん、祐さんの修理が終わったらここに戻ってこられるという理解でよろしいですね?」
「あら。話が聞きたいならついてくればいいんじゃないかしら。勝手知ったる場所でしょうし」
くすりと笑って渚は玄関を出た。困惑した顔をしたままで佑がついてくる。広々とした屋敷の庭の向こうには既にハイヤーが停まっている。待たせておいたハイヤーを波絵が連絡して玄関先に回してくれたのだ。
「かまわないのですか?」
「私の方は別に構わないわよ」
静かに庭を歩きながら渚は微かに笑った。ヒューマノイドの彼女たちは佑が来れば多少は驚くかも知れないが、特に問題はない。彼女たちは渚をマスターとして登録してある以上、渚のすることに文句を言ったりはしない。
ハイヤーの傍で待ち構えていた一人の女性が深々と頭を下げる。二十歳ほどの容姿をした大前道代という彼女もヒューマノイドの一人だ。道代は静かに後部席のドアを開いた。渚は先に祐を車に乗せてから振り返った。すると道代が深々と頭を下げる。
「優一郎様。いえ、佑様、お久しぶりです。こちらへどうぞ」
そう言いながら道代が後部席を手で示す。先に乗り込んだ渚はハイヤーの脇に立つ佑に笑みを向けた。佑が軽く会釈をしてから車に乗り込む。恭しく頭を下げた道代がドアを閉じ、前の席に乗り込む。硝子で仕切られた前の席で道代が運転手に話し掛けると車は静かに動き出した。
車は渋滞に引っかかりつつも三十分ほどで大きなオフィスビルの前に着いた。吉良瀬トータルソリューション。それが渚たちの普段生活している場所だ。表向きはオフィスビルであるこの場所の地下には広々としたヒューマノイドのための施設が築かれている。渚は祐を抱えて車から降り、二人を促してビルに入った。受付のところにいた二人の女性がお帰りなさいませ、行儀よく頭を下げる。彼女達もまたヒューマノイドだ。
特別なエレベーターに乗り込んで地下施設に向かう。慣れている場所だろうに、佑はここに来た時から妙に落ち着かない表情をしている。渚はだがそのことに気付かない振りをして地下にたどり着いたエレベーターから降りた。
「とりあえず彼女を私の部屋に案内しておいて頂戴」
そう道代に言ってから渚は波絵のいる部屋に向かった。波絵というのはこの施設内のヒューマノイドの機体の修理や点検などの、メンテナンスを担当する技師だ。もちろん波絵もやはりヒューマノイドだ。この施設の渚以外の者は全てヒューマノイドなのだ。
「ここはもう、完全にあなたの城になっているんですね」
途中まで方向が同じために並んで歩いていた佑がそう告げる。渚は小さく笑って首を傾げてみせた。
「そうね。住処というよりは城塞に近いかも知れないわ」
ヒューマノイドはその特性ゆえに決して主を裏切らない。それは龍神の使い魔にもよく似ている。
「佑さま、こちらへどうぞ」
廊下が二手に分かれたところで道代が深々と頭を下げる。佑は会釈をして道代に連れられて行った。それを途中まで目で見送ってから渚は少し早足で波絵のいる部屋に向かった。それまでじっと黙っていた祐が渚を見上げる。
「あいつ、バカ? わざわざ食われにこなくても」
にやりと意味ありげに笑って祐が小声で言う。渚はくすりと笑ってそうね、と答えた。
「でも彼女、気付いていないんじゃないかしら。餌が餌ですもの」
こちらもごく小声で言ってから渚は波絵の部屋のドアを軽く叩いた。待ち構えていたのだろう。すぐにドアが開く。中から顔を出したのは三つ編みの少女だ。眼鏡をかけた愛くるしい顔をしたこの少女が波絵だ。渚は軽く波絵に口づけをしてから笑みかけた。
「けっこう負荷かけたから。ちょっと修理面倒かも。ごめんなさい」
渚が詫びるより先に祐が申し訳なさそうに波絵に言う。嬉しそうに渚の口づけに応えていた波絵が焦ったように首を横に振る。大きくドアを開いて中に渚を促してから、波絵は答えた。
「祐さんのお、マゾトイタイプの機体はメンテナンス性はかなり高いですからー。壊れることは気にしなくても。っていうかあたしも含めて、完全機械式のヒューマノイドは壊れてなんぼですからぁ」
「そこ! いちいちマゾとか言わない!」
祐を静かにメンテナンス台に乗せてから渚はぎらりと波絵を睨んだ。すると波絵が首を竦めてごめんなさい、と慌てて詫びる。祐の機体はかつて渚が使っていたものなのだ。
「えっとまあ、とりあえず今日のうちには直しますからあ。安心してくださあい」
恐々と言った波絵によろしい、と頷いて渚は部屋を出た。ドア越しに怖いなあ、もう。という波絵の声が聞こえてくる。
「聞こえてるわよ!」
閉まったドア越しに言ってから渚は歩き出した。
佑が罠に嵌まる的な。