切り刻み中です。すみません。
エロシーンはありません。
「……あなたもそうなのね」
静かに告げて渚が目を伏せる。その顔にはどこか諦めにも似たものが浮かんでいた。
「水輝はね。立城さんが戻ることなんて望んでないわ。あの子はただ、ほんの少しだけ、立城さんの声を聞きたいと思っただけなのよ」
揺らぎのない声で言ってから渚は静かに立ち上がった。驚きに息を飲んだ佑の傍を過ぎ、渚がたんすに近づく。引出しからハンカチを取り出して渚は佑の傍に戻った。差し出されたハンカチを受け取り、佑は零れていた涙を拭った。
「どうして!? 水輝さんにとっては、声を聞くのは復活を早めるよりも難しいはずなのに。今の水輝さんからは完全に標の属性は別たれているから」
「あなた、多輝さんが相手でも同じ事が言える?」
再びソファに腰を下ろしながら渚が静かに告げる。それを聞いた佑は思わず目を見張った。
「もしもあなたが何らかの事情で多輝さんの命を散らしたとするわ。その後、もしも多輝さんの声が聞けるかも知れないと思ったらどうする?」
いなくなった人の声を少しでも聞きたいというのはそんなに変かしら。渚はそう淡々と告げた。
「そうですね……。ごめんなさい……」
「でも声を聞きたいと思ってるのに、水輝は聞こえなければいいとも思ってるのよ。矛盾してるわね」
そこまで言って渚は小さく笑った。ハンカチを握りしめて佑は戸惑いの目を渚に向けた。渚はいつの間にか寂しそうな顔をしている。
「望む言葉が得られないことを、怖れているのですか?」
「いいえ。戻る可能性があるということを見てしまうのが怖いのね」
夢は薄い層で出来ている。これまでに積み重ねてきた分だけ、夢は幾重にも折り重なる。夢を見ている当人にも、その本質は見えないものだよ。
時折聞こえる立城の声がいつかそう言葉を紡いだことがある。何故か佑の胸にその時の立城の言葉がはっきりと思い出された。佑はぼんやりと渚を見つめて手の中のハンカチを強く握った。
「可能性が有る無い以前に、立城さんは戻られます。それはもう、百パーセント決まっていることです」
語る立城の声に揺らぎはない。それどころか声を聞いている時にはまるでその場にいるような錯覚すらある。微笑んでいるイメージすら伝わってくるのだ。間違いなくその魂は生きている。
「水輝は木村さんの力を借りて、冥界に立城さんの魂を探したのよ。それこそ死に物狂いでね」
寂しそうに笑いながら渚が言う。それを聞いた佑は驚きに息を飲んだ。近頃、水輝が黙って出かけているのは知っていた。だがそれはいつものように外で人の女性と交わるためだと思っていたのだ。
「水輝さんってば、自分が何を使って立城さんを断ったか、きちんと理解していらっしゃらなかったんですね」
苦笑して佑はため息を吐いた。渚がそうね、と呟くように同意する。だがその顔にはやはり寂しそうな表情が浮かんだままだ。
「あの子……無意識にあの剣を使ったんでしょうね。本当に矛盾してるわ」
ため息混じりに言って渚はそっとソファに寄りかかった。
「そこまで基本的なところで誤解してるなんて、思いもしなかった……」
どうりで、話がすれちがいまくるはずだわ……。そう続けて佑はがっくりと肩を落とした。すると渚が小さく笑って肩を竦める。
「でも仕方がないのかも知れないわ。彼にそう生きろと義務付けたのは間違いなく水輝だもの。結局、水輝は自分のした約束のツケを払っているだけなのよ」
それを聞いて佑は訝りに眉を寄せた。渚は相変わらず淡々とした言葉で語っているだけだ。
「あの、それってどういうことですか?」
「木龍神の特性を知っている? ……ああ、今は桜さんがその役割を持っているみたいだけど」
疑問を口にした佑に渚がすらりと言い返す。佑はしばし考えてから口を開いた。
「それほど、知っているわけではありません。純粋な使い魔というものを持たず、根で繋がった自分の分身的な存在を使い魔として使うとか、その程度です」
かつての立城のことを思い出しながら佑は慎重に告げた。すると渚がそうね、と頷く。
「暗躍よ」
そうひと言で告げてから渚はああ、と小さく笑った。
「そうね。木龍神の特性を継いでいただけだから、正確に言うとこれは紫翠の担う特性なのかしら」
渚の表情に浮かぶ寂しげな色はまだ消えてはいない。だが口調はしっかりとしている。佑は目を細めてじっと渚を見つめた。
「いえ、紫翠龍の持っていた特性を木龍神の特性が強化をしたと考えるのが正しいと思います。張り巡らせた根を使うことで、地上の物事はほぼ把握できますし……。そうか、だから地上の王、なんですね」
「そう。その方が都合が良かったのよ」
考えた末にはじき出した佑の答えに渚が言葉を乗せる。都合が良かった。佑はその言葉を意図的に胸の中で何度か繰り返した。
誰に?
そう考えながら目を上げた佑を渚は静かな眼差しで見つめていた。視線にこもった寂しさの意味を理解して佑は目を見張った。
「渚さんはヒューマノイドになる以前から、別の意味で人形でしたよね?」
人形には製作者がいるはずだ。製作者は誰? 呟くように言葉を継いで佑は額を押さえた。いつの間にかハンカチを握りしめた手は震えている。
あの時、水輝に宿っていたモノは渚のことをこう言った。これはわたしの人形だと。あの時宿っていたモノの正体は紫翠だった。だがあの時に対した優一郎はそれを紫翠の残留思念だと判断したのだ。現に水輝はその思念が消えた後に正気に戻ったのだから。
だがもしも思念が消えたのではなく、ただ閉じただけだとしたら。あの頃の紫にはまだ立城の記憶が残っていた。その紫がやけに気にしていたのだ。
本当に紫翠は死んだのかと。
「今はもう、私が覚えているのは些細なことに過ぎないわ。取るに足らない、情報の断片よ」
ため息混じりに告げて渚が哀しそうに笑う。
水輝の誓約のこもった宝珠を戻した時、紫は二つの誓約の片方を選んだ。そして残った誓約は渚のものとなった。結局、元通りに紫は誓約を選んだのだ。そして渚もまた、かつてと同じ誓約に縛られることになった。
その方が都合が良かったのよ。渚のさっきの言葉が頭の中を巡る。佑は眉を寄せて懸命に考え続けた。
「あの仮説として考えていたことなんですけど、地上の王イコール木龍神、といわけではありませんよね?」
額を強く押さえたまま、佑は呻くように告げた。渚は変わらない寂しそうな顔で頷く。
「そうよ。本当はね。地上の王と呼ばれるほどの力は作られたものなのよ」
殆ど声にならない声で言ってから渚は疲れたようにため息を吐いた。渚にしてみれば思い出したくないことを無理やりに思い出している気分なのだろう。だが渚が握っている情報は今現在、この地上にいる誰よりも正確だ。
「そうですよね? 現実に、桜さんは木龍神の座を得ましたけど、地上の王の座まで引き継いだわけではないですし。未だ、地上の王の座は主龍神預りになったままです」
「綺麗な澄んだ水に一滴ずつ色んな要素を落としていったのよ。地龍神の力、木龍神の力」
歌うように告げてから渚がゆらりと手を伸ばす。気配を感じて伏せていた顔を上げた佑は悲しそうな渚の笑みを見止めて目を細めた。
「あらゆる力を混ぜて、そして彼は地上の王と謳われることになったわ」
魂は言わば力のフィルターだ。いつか聞いた立城の言葉を思い出す。佑は差し伸べられた渚の手の上をじっと見つめた。渚が寄せた力が少しずつ混ざってやがて一つの光の玉になる。それは美しい紫色をしていた。
「渚さん。今の水輝さんは標ではありませんよね? でも、以前の水輝さんは標だったはずです」
「標とは」
少し目を細めて渚が歌うように言葉を継ぐ。渚の手の上に寄せられた光はゆらりと漂って佑の目の前で静止した。恐る恐る差し伸べた佑の手の上に静かに光が乗る。温度も感触も何もない、ただ光があるだけだ。
「何者かの指標となるべく定められた者。また時に遮る者を示す。そして」
踏みしめられて壊れるもの。寂しそうな笑みを浮かべて渚が言う。佑は手の中の光と渚とを見比べた。
「標としては壊れても、そこで終わりということは無いはずです。その事実をあなたは証明しています」
「そうね」
静かな声で呟いて渚が指を鳴らす。すると佑の手に納まっていた光は音もなく弾けて消えた。散った光の残骸が静かに佑の身体に吸い込まれる。これまでに無理を重ねて疲れきっていた佑の身体は優しい力に少しずつ癒されていった。驚きに目を見張った佑に渚が寂しそうな笑いを向ける。
「彼は水輝の標としての力を使って天空の道を開いたわ。当時の主龍神を墜とし、時を呼び、あり得ない未来を築こうとしたわ。でも」
水輝からは標の属性は失われた。主龍神を欠いた龍神たちはそれを機に暴走を始めた。時は戻らず、一人、また一人と龍神は潰えていった。栄華を極めた龍神たちの時代は混乱の時へと進んだのだ。
「彼の取った行動は正しかったと思います。どこかでだれかがやらなければ、完全な破局を迎えていたはずです」
「そうかも……知れないわね」
小さく笑ってから渚はため息を吐いた。
注釈を入れると、水輝は『魂の座』という話で立城を斬ってます。
その時に使ったのが時空を越える翠の剣でした。
(中身というかラスティと呼ばれる奴が変化した剣です)
そのため、立城は死んだのではなく、魂は過去に飛ばされています。