「いやホント! マジでオレ、全然ダイジョブだからさ! あはは、心配してくれてありがとー!」
そう言って順が傍の窓に駆け寄ろうとする。阿呆か、と呟いて水輝は順の足元に小さな力を飛ばした。すると見事に順が足を取られてその場に引っくり返る。
「いいからここにいろ。……重森」
人の悪い笑みを浮かべて水輝は執事を呼んだ。はい、と行儀よく返事して執事が頭を下げる。
「奴は木村順と言ってな。木村財閥の当主なんだが、おれの知り合いでもあるんだ。お前からもここで休むように言ってくれ」
躾の行き届いている執事は水輝の言葉を受けて判りました、と返事した。
「木村様。水輝様もこのように仰っておられますし、お部屋を用意させて頂きますのでどうかお屋敷でひとまずお休みになってください」
恭しく一礼した執事を見ていた順が床にへたり込んで情けない声を漏らす。だがその声に反論の言葉はない。よし、と呟いて水輝は執事に手を振った。礼をした執事が静かに部屋を後にする。ぱたん、とドアが閉まった瞬間にへたり込んでいた順ががば、と起き上がる。もの凄い勢いで水輝に迫った順は悲鳴じみた声を上げた。
「何なのアレ何なのアレ何なのアレ! どういうことよ!?」
水輝の胸倉をつかんで順が泣きそうな顔で言う。落ち着け、とため息を吐いて水輝は順の手を解いた。
「あの方に何か問題が? 普通の人間の男性にしか見えませんでしたけど?」
不思議そうに首を傾げて佑が言う。そうだよな、と笑って水輝は横目に順を見た。順が頭を抱えて苦悩の声を漏らす。面白い奴、と呟いて水輝は笑いを堪えた。
「あああ、オレのばら色の未来が! いや待て、いちおーは紫ちゃんゲット出来てるんだし、ほら、ぜんぜんオッケーよオレ。今さら別になんてことは」
「ちなみにうちの執事は童貞だ」
順の独り言を遮って水輝は言葉を挟んだ。するとうっ、と順が声を詰まらせる。
「とりあえず、茜さん。叔母にしたことの責任はとってください。叔母の状態次第では、仮宿に居る間、少しでもストレスギャップを解消するため、メンテナンス行為を手伝っていただくことも有り得ますから」
淡々と告げて佑が立ち上がる。すると順はあー、と力ない声を漏らして頷いた。
「そだね。今回はオレが全面的に悪いしね。カノジョにも悪いことしちゃったな」
珍しく殊勝なことを口走って順が呉羽を見つめる。へえ、と笑って水輝は順のわき腹を小突いた。すると順が眉を寄せてため息を吐く。
「オレだってねぇ。少しは良心咎める時くらいあんのよ? そりゃあ、いっつもろくなことしないけどさあ」
愚痴なのかぼやきなのか判らないことを言って順が頭をかく。どうやら執事との対面の衝撃は収まったらしい。
「茜さんと叔母がどういう関係にあったのかは問いませんが、なまじ肉親であるぶん、僕がメンテナンス行為を行う事を叔母が嫌がる可能性が高いですから」
自慰だけで済めばそれに越したことは無いんですけど……。そう続けた佑に順がきっぱりと言う。
「や、それはないっしょ」
「それはどの部分にかかるんだ」
眉を寄せて呻くように言ってから水輝は順を見つめた。すると順があはは、と笑う。
「呉羽ちゃん、優一郎くんのこと愛しちゃってるからねえ。嫌がったりはしないと思うよ」
すらすらと言ってから順が佑に笑みかける。すると佑は目を見張って順と呉羽とを見比べた。
「とりあえず、こういう時に冗談はやめてください。それでは僕は地下に下りて作業にかかりますから」
とりあえず宇田川さん用の予備機体を使うしかないな。そう続けて佑が踵を返す。だがそこに順が呑気に声をかけた。
「冗談のつもりはないんだけどなあ。酷いな、優一郎くん。オレのこと何だと思ってるのさ」
相変わらずの口調で言いつつも順は珍しく真顔になっている。へえ、と呟いて水輝はベッドに横たわる呉羽を見つめた。ざっと呉羽の思惟を読んでから苦笑する。
「おい、佑。こいつの言ってることは本当だぞ」
歩き出しかけていた佑が慌てたように振り返る。
「水輝さん、まさか、本当に?」
「ああ。どうやらずっとお前の力になりたいと思っているらしいな。……愛やら恋やらの概念はおれにはよく判らんが、多分そういうことなんだろ」
そう言いながら水輝は順のポケットに手を伸ばした。無断で煙草を一本抜く。苦笑した順がタイミングよく火を灯す。ありがたく煙草の先に火を点けて水輝は深く息を吸い込んだ。
「水輝さん、茜さん、生身の仮宿用の宿体を、なんとか用意できませんか?」
途方に暮れた顔で佑が言う。水輝は順と顔を見合わせてため息を吐いた。どうせ最初から順はそのつもりでここに来たに違いない。
「報酬は?」
水輝は横目に順を睨みながら言った。するとへらへらと笑いながら順が指を一本立てる。水輝は渋い顔で安いだろ、とぼやいた。
「じゃ、これだけ。あのさあ、どうでもいいけどキミっていちおー、財閥当主のダンナでしょお? オレなんかにたかってどーすんのよ」
呆れたような顔をしつつも順が立てていた指を二本にする。水輝は眉を寄せてため息を吐いた。
「阿呆か。誰が現金寄越せっつったよ」
「じゃあ、十枚綴り肩叩き券で」
だらしない笑みを浮かべて順が言う。こら、と順に言ってから水輝は呉羽を見下ろした。月明かりに照らされた顔は蒼白で、だがそこに苦しみを感じている風はない。恐らく順が呉羽が苦痛を感じる前に失神させてしまったのだ。
「まあいい。今回は特別にサービスにしておいてやる。……借りもあるしな」
最後の部分で声を落として水輝はベッドから離れた。
「あの、叔母が求めているのは自由と自立だと思います。そのうえで僕に好意を感じてくれているんでしょう。もし、僕でなく水輝さんや茜さんに依存するような状況になるなら、僕は叔母を自分のものにします」
戸惑った表情をしていた佑がきっぱりと言う。水輝は順と顔を見合わせてから言った。
「依存はないだろうが、属性は残るだろうな。こいつの器を剥がすんだから」
そう言って水輝は順を指差した。えへ、としなを作って順が片目を閉じてみせる。水輝と順とを見比べた佑は目を見張って息を飲んだ。だがすぐに思い直したように頷いてみせる。
「属性が残る程度なら、問題はないでしょう。叔母を、お願いします」
「まあ、多少、人でなしになったり人を食ったり殺戮を繰り返したりするが構わないな?」
淡々と告げて水輝は佑を見つめた。佑が頬を引きつらせて順を見る。そこでまた順はえへ、としなを作ってみせた。
「わかりました。前言を撤回します。叔母については僕が責任を持ちます!」
何かが内側で切れたのだろう。そう叫んで佑が踵を返す。大またで部屋を横切った佑は乱暴に扉を開けて出て行った。開けた時と同様、けたたましい音を立ててドアを閉じる。それを見送ってから水輝はため息を吐いて順を睨んだ。
ブチ切れて自分が責任を持つ、と言わせたかったんですけどねw