「で、結局は奈月は何を言いたいんだ」
質問には答えずに水輝は呻くように訊ねた。
「この、夜の世において、龍神の犯したる罪の責は、すべて、わたしが負います」
静かな、それでいてよく通る声で奈月が宣言する。水輝は額を押さえて深いため息を零した。
「……例え龍神と言っても何らの罪も犯さず生きられる者はいないと判っているな?」
呻いているような低い声で水輝は訊ねた。
「はい」
微笑みを浮かべて奈月が頷く。その笑みは以前より透き通っている。一点の曇りもない存在は決してあり得ないのだといつだったか誰かが言っていた。だがこうしていとも簡単にそれを得る者もある。佑もまたその中の一人だ。
巫女とは何ぞや、と水輝はいつだったか誰かに訊ねられた。光の標、宣託の巫女、斎の姫。様々な呼び名はあるがどれも巫女と言われる者の名称だ。澄んだ心を持っている者でなければ巫女になり得ないという。
「そうか」
ゆらりと歩き出した水輝に触れたこすもすが枯れていく。だが水輝は今度は何の力も用いずに真っ直ぐにドアを目指して歩いていた。水輝の歩みを追うように次々にこすもすが枯れていく。佇んだ奈月の脇を無言で通り過ぎて屋敷に戻る。そんな水輝の背に奈月の呼び声が聞こえた。振り返った水輝は聴こえてきた歌に目を見張って息を飲んだ。
春高楼の花の宴
巡る盃影さして
千代の松ヶ枝分け出でし
昔の光今何処
朗々と歌う奈月をじっと見つめて水輝は息を潜めた。雷は徐々に近づいている。低い雷の音と奈月の歌は何故かよく合っていた。
秋陣営の霜の色
鳴き行く雁の数見せて
植うる剣に照り沿いし
昔の光今何処
歌にこめられた魔法の力が一瞬で遠くに飛んでいく。かつて水輝と奈月が出会った場所に浄化の光が生まれ、廃墟にこもっていた澱みを一気に祓っていく。水輝は感覚の隅でその様子を捉えて目を細めた。
今荒城の夜半の月
変わらぬ光誰が為ぞ
垣に残るはただかずら
松に歌うはただ嵐
天上影は変わらねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今も尚
ああ荒城の夜半の月
歌い終わった奈月がそっと息を吐いて胸に手をあてがう。水輝は壁に寄りかかってまばらに拍手をしてみせた。中空に向かって歌っていた奈月が急に照れたようにエプロンを握って身を竦める。
「歌と魔法だけでは、足らなかったんです。水輝さんがおっしゃったとおり、この世界には歪みや淀みも必要ですから」
だから、わたしは責を負う必要があったんです。空気に溶けて消えてしまいそうな儚いものを奈月の雰囲気から感じ取って水輝は目を細めた。違う。消えてなくなってしまうと錯覚するほどに奈月が澄み切っているのだ。
「お前が選んだ道だ。おれが言うことは何もない」
静かに告げて水輝は壁から離れた。歩き出した水輝を慌てたように奈月が追いかける。
「水輝さん、それでもわたしは」
誰よりも、水輝さんを、愛しています。そう奈月が告げる。水輝は足を止めてじっと奈月を見つめた。胸の前で手を組んで水輝を見上げる奈月とかつて殺したあの少女の面影が被って見える。水輝は強く頭を振って少女の影を脳裏から追い出した。
「……とにかく、今は佑についていてやってくれ」
苦しさを堪えて言ってから水輝はゆらりと歩き出した。
「はい、水輝さん」
そう答えた奈月が忙しそうにキッチンに向かって駆けていく。たらいに湯を張ったものを抱えて奈月が佑の部屋に向かって駆けていくのを見送ってから、水輝はその場にへたり込んだ。遠くでドアが開いて閉じる音が聞こえる。それを聞き取ってから水輝は衝動に任せて咳き込んだ。口を押さえて激しく咳き込んでから水輝は立ち上がった。血に汚れた手と口許を乱暴にハンカチで拭う。
「まあ、判っていたしな」
独り言のように呟いて水輝は踵を返して裏庭に向かった。奈月は意識してはいなかっただろうが、奈月が歩いていた場所に光の細い道がついている。それを横目に水輝は裏庭に出た。どうやら奈月に引きずられたらしい。空からは雨が落ち始めている。水輝は張り出した分厚い雲を見上げて口許に薄く笑みを刻んだ。
「天よ。何ゆえ我らは生きながらえているのだろう、か」
いつか聞いた言葉を口に乗せて水輝は手を伸ばした。天に差し伸べた手にも、水輝の身体にも雨は一切落ちてこない。水龍神の長である水輝を雨の方が自然と避けてしまうのだ。
しばし天に差し伸べた手を戻して水輝は小さく笑った。裏庭に咲いたこすもすは雨に濡れている。水輝は右手を一気に胸に突き入れた。痛みに呻きながら一つの宝珠をつかみ取る。器から取り出した青い宝珠を握った手を振る。一振りで青い宝珠は巨大な刀へと変じた。特殊な形をしたその刀を水輝は気合の声を発して裏庭の中央に突き立てた。力をこめた刀が屋敷全体を強固な結界で包み込む。
「……こんなものは一時凌ぎに過ぎないが」
ないよりはましだろう。そう呟いて水輝は刀を伝ってその場に崩れ落ちた。あれだけ咲いていたこすもすは水輝の力に煽られて一気に吹き飛んでしまった。露になった地面の隅に設えられた墓石を横目に見つめ、水輝は微かに笑った。
割と水輝は阿呆なんですよwww
と、言うしかないですね。