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目の前にそびえ立つ頑強な結界を見上げて桜は思い切り顔をしかめた。慣れない買い物で疲れて帰ってきてみれば、今度は結界か。不機嫌極まりない顔で結界を見上げて桜はため息を吐いた。途中で買い求めた傘に雨が当たって音を立てる。
奈月に言いつけられた通りに買い物を終えた桜は戻るのに少し手間取った。慣れないということもあって帰り道で多少、迷ってしまったのだ。おかげで雨には降られるわ、いつの間にか結界は張られているわで散々だ。桜はぶつぶつと文句を言いながら結界に沿って歩き出した。
人の目には見えないだろう。だが桜の目にははっきりと青い結界が映っていた。しかもただ事ではない頑強さで、下手に越えようとすると結界そのものが爆発してしまうという凶悪さも持っている。調べたところ、この結界は地下深くにまで及んでいて、とても地面を潜って越えるという訳にもいかない。
ここに戻る前に奈月の力が遠くに飛んだのが判った。飛んだ先でどういう働きをしたのかまでは判らないが、奈月の力が飛んだ時に桜は焦ったのだ。これまでより奈月の力の透明度は格段に上がっていた。これまでにも奈月は少しずつは透明感が増していた。それは座位に伴う変化だと桜は捉えていた。だが、先ほどの力の透明度は尋常ではない。
険しい顔をして桜は屋敷の敷地を取り囲んでいる結界のすぐ外を歩いた。こんな無謀な結界を敷くのは水輝以外にはいないだろう。久しく目にしたことはなかったが、水輝もやはり八大の一人なのだ。桜は舌打ちをして空を仰いだ。雨脚は強くなる一方で止む気配はない。屋敷を取り囲む塀の外を歩きながら桜は目を戻した。稀に通る人々は憂鬱な顔で足早に過ぎていく。彼らの目には結界は見えないだろうが、それなりの影響はあるのだろう。
かつて立城がこの街に敷いた守護の陣は日に日に弱くなっている。桜も何度か修復を試みたのだが、どうやら立城は木龍神の力と地龍神の力、それに紫翠の力とを混ぜて陣を敷いていたようだ。そのために桜一人の力では陣は修復することが出来なかった。弱くなってきた場所からこれまでは一切姿を見せなかった魔も入り込んでいるようだ。だがそちらは上手く多輝や要と言った優一郎の手の者が処理しているらしい。
姫様、と呟いて桜は屋敷を見上げた。奈月の放った力は歌に乗せられていた。透き通った声で紡がれた歌にはだが、切なくなるような悲しみもこもっていた。あの悲しみには滅びた街を悼み、そして再生を促すという意味もあっただろうが、もっと別の意味もこめられていた気がする。
その歌に紛れて極々小さな呟きが桜の耳には聞こえていた。桜はため息を吐いて再び歩き出した。恐らく立城の不在は思っていた以上に多くの者に影響しているのだろう。
天よ。滅びることが定められているならば、何故我らは生まれなければならないのだろう。そう言って死んでいったのだという話をずっと昔に桜は聞いたことがある。だがそれは桜にとって一つのお伽噺に過ぎなかった。寝物語に聞かせてくれたその話のことを思い出して桜は深々とため息を吐いた。
「姉上!」
唐突に目の前に現れた女性が深々と桜に頭を垂れる。桜は黙って足を止めた。傘もささずに跪いたこの女性は白梅という。
「何事です」
それまで考えていたことをとりあえず余所に退けて桜は硬い声で問い掛けた。すると白梅が顔を上げて続ける。
「奴が動き出しました。いかが致しますか」
それを聞いた桜は目を細めて息を潜めた。白梅は密かに克人を見張る役を命じていたのだ。
「かの君も動いているとの通達が紅梅より入りました。恐らく奴を追われるものかと」
姉上、と白梅が緊張した面持ちで呼びかける。桜は屋敷をちらりと見てから唇を引き結んだ。
「わたくしはこの場より動くわけには参りません。姫様の守護がわたくしの唯一の使命なれば」
そう答えて桜は傘を白梅にさしかけた。戸惑った表情をしていた白梅はだがすぐに頭を垂れる。
「監視は続けなさい。やむを得ない事態となった暁には赤龍神に助力しても構いません」
「承知致しました」
深々と礼をした白梅がその場から消え失せる。桜は薄いビニールで出来た傘を静かに畳んだ。屋敷の塀に傘を立てかけて桜は地面を軽く蹴った。跳躍しながら手の中に扇を呼ぶ。桜は両手を揮って破邪の光を撃ち出した。屋敷の裏手に姿を現していた一人の少年が身軽に光を避ける。桜は空中に静止してちらりと裏庭を見た。
あれだけ咲いていた花が一輪も残っていない。剥き出しになった地面に突き立っているのは冴えた青色をした巨大な刀だ。その傍には水輝が倒れている。
光を避けた少年が桜と同様に空に静止する。桜は結界の手前、少年に向き合う場所にじりじりと移動して身構えた。
「あのさ。俺相手するのになんで破邪なわけ?」
もしかして効くのか? も一発撃ってみて。空に佇んだ少年が指を軽く振ってみせる。桜は面識のある少年を真っ直ぐに見つめて扇を翻した。桜はこの少年……透にかつて器を作り直されたのだ。
「わたくしがこの扇を使っているのは、使い勝手がいいという判断からです」
効くかどうかは試したことがないのだから判らない。淡々と告げながら桜は透の希望通り、再び光を撃ち出した。扇から生み出された閃光が真っ直ぐに透に向かって突き進む。
「あちっ! 静電気程度には痛いのな」
ひとつ賢くなったぜ。光を正面から食らった透が涙を目に浮かべて呟く。そうですか、と答えて桜は再び身構えた。
「この屋敷に何用ですか」
そう問いかけながら桜はすらりと扇を開いた。青と赤の扇にはそれぞれに龍神の姿が描かれている。
破邪の力は透には効きませんw