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部屋に戻った優一郎は力ない息を吐きながらハンカチで耳を押さえた。椅子に力なく腰を下ろしてうなだれる。強い喪失感に深々と息を吐いてから優一郎は目を上げた。いつもと変わりない部屋の様子が目に映る。
結局僕も、母上と同様に分不相応だったんだろうね。そう思いつつ優一郎は苦笑した。情けない気持ちと切ない思いが込み上げてくる。きっと紫も決して道を自分から違えようと思ったのではないのだろう。紫は紫なりに懸命だったに違いないのだ。だがそれでもやはり座位の差異はどうしようもなかった。
水輝はきっと渚と祐が助けてくれただろう。彼女たちのことだ。命に代えても水輝を助けたに違いない。そう思ってしまってから優一郎は苦笑した。自分が心配することなどどこにもない。彼女たちなら水輝をこれからもずっと支えていけるに違いないのだ。
ため息を吐いて優一郎はハンカチをそっと耳から離した。もう出血は止まっているらしいが、一段落したらきちんと治療してもらわなければならないだろう。幸い、痛みはもうない。左の聴力はどうやらなくなってしまったようだが、この程度で済んだなら安い代償だ。
後は断罪の光が来るまでにやることはやらなければならない。重い身体を起こして優一郎は何気なく地下施設内の気配を探った。特に問題がある箇所はないようだ。ヒューマノイドは黒い影を背負っている者もあるが、どうやらその濃さは次第に薄くなっているらしい。そのことを確認してほっと息を吐いたところで優一郎は訝りに眉を寄せた。慌てて顔を上げて立ち上がる。
何故、気配が探れるのだろう。優一郎は瞬きをして周囲を見回した。だが優一郎の部屋には誰もいない。誰かが故意に優一郎に思惟の形で情報を呈示した訳ではない。
力が戻ってる? 優一郎は混乱しつつ額を押さえた。多少、力を引き出すのにいつもより気力が必要だが、特に支障なく使うことが出来る。それによく考えたら宝珠もまだ器の内側にある。
そして何より変なのはこの器のままで居られることだ。優一郎は先の事件の折に肉の器を捨てているのだ。もしも龍神の座が失われたのであれば、あの瞬間にこの世から消えてもおかしくなかったのではないだろうか。人は力の器を維持できるほど強くはない。そこまで考えてから優一郎は疲れた息を吐いて椅子に腰を下ろした。
「断罪が執行されていない。僕とした事が、あんな初歩的な言違いをするなんて」
誓約を探ったところで優一郎はそう呟いた。その瞬間、どこからともなく聞き慣れた声が聞こえてくる。驚いた優一郎は反射的に周囲を見回した。が、どうやらこの声は頭の中に直接、届いているらしい。
それは渚の叫びとも喚きとも言える声だった。気のこもった声で渚が罵倒する。どうやらその相手が自分らしいと知った優一郎は目を見張った。
「パワフルな方だな、本当に」
そう呟いて優一郎は苦笑した。恐らく渚はその声が優一郎に届くと判っていて叫んでいるのだ。最後まで渚の叫びを聞いたところで優一郎は小さく笑った。渚が水輝を好いていることはよく判っている。なのに渚はそれでも優一郎を叱りつけているのだ。
だけど、水輝さんには僕ではなく、祐のほうが絶対相応しい。優一郎はふと笑いを納めて少し俯いた。机に置かれた血に濡れたハンカチを取り上げる。畳み直して綺麗な面を表にしてから優一郎は左の耳を押さえた。耳の中に溜まっていた血の残りをハンカチに丁寧に吸わせる。
軽い電子音が聞こえてくる。優一郎は手を伸ばして机の隅の携帯電話を取り上げた。どうやら保美がかけてきているらしい。施設内が破壊されたお陰で通信システムに不備が出ているのだ。優一郎はつい習慣で左耳に携帯電話をあてがおうとしてから、慌てて右手に電話を握り直した。慣れない右の耳に電話を当てる。
『申し訳ありません、部長。お止めしたのですが……』
挨拶抜きで申し訳なさそうに保美が言う。それを聞いた優一郎は眉を寄せた。
「いや、僕も会いたいと思っていたんだ。だから気にしないで作業を続けて」
気配を探り当ててから優一郎はそう告げた。すると畏まりました、と挨拶して保美が電話を切る。優一郎が携帯電話を元の場所に戻したところでノックもなしに部屋のドアが開いた。けたたましい音を立ててドアを開けた祐が大股で優一郎に近づいてくる。
立ち上がって応接セットの方に祐を促そうとしたところで優一郎は目を見張った。歩み寄ってきた祐が無言のままで優一郎の頬を平手で張る。いきなり殴られた優一郎は目を丸くして言葉をなくした。目を吊り上げて唇を噛む祐を見つめ、優一郎はため息混じりに言った。
「そうだね。僕は君に引っぱたかれても仕方のない仕打ちをしたからね」
自省の意をこめて言った優一郎に再び祐が平手を見舞う。優一郎は殴られた反動でその場によろけた。だがどれだけ叩かれたところで反論する気になれない。
「そう思うなら、行動で示して! あたしと誓約を結びなさい!」
怒りの表情で祐が怒鳴る。優一郎は叩かれた頬を押さえてのろのろと顔を戻した。
「わかった。どうすればいい?」
優一郎は小声で祐を促した。祐が目を吊り上げたまま、優一郎の胸倉をつかむ。強く引かれる格好で優一郎は少し腰を屈めた。上目に優一郎を睨みながら祐が声を張る。
続いてるんですけど、次のエピタイが変わります。