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「いやもうね。病院じゃないのよ、ココは」
呆れるやら疲れるやら、複雑な顔で言った学に毅然と胸を張って渚が言った。今回の事についてはお前にも責任があるだろう。だからなんとかしろ。あくまでも渚の口調は命令であってお願いなどではなかった。渋る学に凄い剣幕で怒鳴った後、渚はさっさと荷物を置いて去ってしまった。要するに渚にしてみれば荷物のことはついでに過ぎず、どうでもいいことなのかも知れない。
そのことを思い出して学は深々とため息をついた。ベッドに横たわる渚が持ってきた荷物を横目に見る。渚が運んできたのは傷だらけの順だった。どうやら冥界経由で拾ってきたらしい。だがその説明すら渚はしてはくれなかった。学がそのことを知っているのは、独自のルートで情報を手に入れたからだ。渚はいいから引き受けろの一点張りだった。しかも運んでくれたのが学の自宅なのだから笑えない。別荘や仕事場なら、追い出す口実は幾らでも作れる。が、ここに運ばれてしまっては学としても早々、追い出す訳にはいかないのだ。何故ならここは一種の外界、現実の世界とは少し異なる空間だからだ。
だが学にしても順のことが気になっていたのは確かだ。やれやれとため息を吐いて学はベッドに横たわる順を眺めた。一応の手当てはした。失った眼球を補ったり、深い傷を塞いだりするのは無理だが、包帯を巻いたり等の治療はしてある。順の体力が回復すれば傷そのものは塞がるだろう。
ここは客用の寝室だ。学が使っているより一回り小さな寝室には特に飾りらしいものはない。あるのはベッドにサイドテーブル、ライト、テレビくらいか。学はぼんやりと部屋の中を見回してから順に目を戻した。順の顔色は悪く、血の気は失せたままだ。が、呼吸は辛うじてしている。
「学さま、どういたしますか? 今日は燃えるゴミの日ですが?」
「いやまあ、文ちゃんの気持ちも判らなくはないけど、ゴミにして出すにはちょっとまずいわねえ」
隣で小さな果物ナイフで林檎を剥いていた文に学はのんびりと答えた。幸い、組織に関しては特に大きな問題もなく、学がいなくても回ってはいる。他についても特に問題は見受けられない。
「回収可能な情報は収集しましたし、後は取引材料に使うのがよろしいかと思います」
「そうねえ」
間延びした声で答えて学は足を組んだ。気乗りしない返事をした学を訝ったのか、文が林檎を剥く手を止める。学はぼんやりと順を眺めてため息を吐いた。
「ご興味がおありですか?」
「んー。何でここまで排他的なのかって思っちゃって」
小声で答えて学は小さく笑った。きっと順は目が覚めたら今すぐにでもここを出て行こうとするだろう。例え身体ががたがたで、空間を越えることに耐えられなくても、だ。
「もっと深いところまで潜ってみますか?」
文の申し出に学は肩を竦めてみせた。
「止めておくわ。何だかカレ、知られたくなさそうだし」
そう言って学は立ち上がった。剥きかけの林檎とナイフを皿に入れて文がそんな学に続く。学は静かに客室の扉を閉めてからダイニングルームに向かった。
いつものように文に茶をいれてもらって一息つく。
「あの赤い方の回復には時間がかかります。いらっしゃるだけで、この空間その他にさまざまな影響を与えます。少なくとも場所を移したほうが良いのではないでしょうか?」
文は綺麗に剥いた林檎を食べ易くカットしてテーブルに乗せた。愛らしいうさぎ型に切られた林檎を学はありがたくつまんだ。
「問題はカレが今、空間転移に耐えられないということなのよ。ぎりぎりだったんでしょうね。渚ちゃんが運んできた時は死んでるかと思ったもの」
だから渚はわざわざ冥界の門を経由して現世に戻ってきたのだ。そうでなければ順は今ごろ死んでいただろう。
「赤い方の治療をこなせる方を逆にここに招きますか? それとも……」
「治療は出来ないけど、呼ぶ必要はあるわよね」
文が口ごもったところでそう言って学は静かに腰を上げた。行くわよ、と文に声をかけてその場から転移する。学が空間を跳んで現れたのはとあるマンションの傍だった。人気のない茂みの中に降り立った学の傍に文が現れる。学は文に頷いて静かに茂みを抜けた。
マンションに入って忙しそうに玄関でダンボール箱を運んでいる少年に声をかける。部屋から荷物を運び出していた少年の名は蘇芳克人。順の目の役割を持つ少年だ。
「あ、こんにちは」
にこやかに挨拶した克人に学はこんにちは、と微笑んでみせた。そんな学の一歩後ろに立っていた文が小さく会釈する。
「克人さまでいらっしゃいますね。新たに我等が眷属に加わられた」
「はい。……ごめんなさい、落ち着きがなくて」
苦笑して克人が部屋の中を振り返る。どうやら引越しの最中だったらしい。業者が慌ただしく荷物を運び出す。業者の青年の邪魔にならないよう、克人がマンションの廊下に出る。それに合わせて学も青年たちに道をあけた。
「単刀直入に言うわ。あなたの元主人がアタシの家にいるの。悪いんだけど、様子を見にきてくれる?」
「ええと」
困ったように克人が視線を泳がせる。だがすぐに克人は学に向き直った。ごめんなさい、と頭を下げる。克人は小学生程度にしか見えないが、これで一応は十七くらいの年齢なのだ。
「学さま、やはり燃えるゴミにして出しましょう。まだ、回収車は来ていないはずです」
文が無表情のまま淡々と告げる。すると面白いくらいに克人がうろたえた。
「いえ! あの、お伺いしたくない訳じゃなくて! その、ボク、引越し作業がまだ……」
殆ど泣きそうな顔で克人が自分の家の玄関と学とを見比べる。学はため息をついて文を呼んだ。文が差し出した携帯電話で知り合いに連絡する。
「あ、アタシよー! 悪いんだけどぉ、ちょっと頼み事があるのぉ」
学は明るい声で話を始めた。それから短い会話を交わして電話を切る。
「あなたの引越し作業はアタシの部下が手伝うことになったわ。これで問題はないわね?」
言いながら学は携帯電話を文に返した。文が会釈してそれを受け取って懐に収める。そんな二人を克人が戸惑ったように見つめ、やがて諦めたようにため息を吐いた。
「それ以前に、克人さまが居ることで、逆に作業効率が下がっていたような気がするのですが」
ぼそりと文が言うと克人が首を竦める。克人自身もそのことは自覚していたらしい。が、なにか思うことがあって自分から手伝っていたのだろう。
「あの、えと、じゃあちょっと待っててください。準備してきます」
口早に言ってお辞儀をしてから克人が慌ただしく家の中に引っ込む。しばしの後、克人は鞄を背負って玄関から現れた。じゃあ、お願いします、と業者の青年に言ってから克人が率先して歩き出す。三人でエレベーターに乗ってマンションの玄関に向かう。エレベーターが動き出したところで学は力を発動させた。真っ直ぐに自宅を目指す。
厄介ごとの調整役としては学は最適なので……。