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大きな欠伸をした学は首を鳴らしてため息をついた。窓の外は白み始めている。じきに日が昇り、夜が明ける。学はテーブルに残っていた皿やティカップを重ねた。既にキッチンには文がいる。学は手にしていた食器を流しに入れて洗い物を手伝いはじめた。
「学さま、ありがとうございます」
微かに笑んだ文に学はにっこりと笑ってみせた。
「お礼を言うのはアタシの方よぉ。いつもありがと、文ちゃん」
うふふ、と笑って学は文の額に軽く口づけた。くすぐったそうに首を竦めた文が微かに頬を染める。
「学さま……」
うっとりとした面持ちをしつつも文は手だけはしっかりと動かしている。学は文が洗った食器を次々に水で洗い流していった。食器を入れる籠に丁寧に並べていく。
奈月と桜は夜明けを待たずに木村の本邸に向かった。時間的には心配ないだろう。紫が快楽の果てに失神した時間を学は正確に読み取っていた。恐らく今ごろは順と会えている筈だ。
どうやら今回は黒妖牙も出張っているようだ。冥界の主は気紛れだが、一度目をかけた相手を無残に切り捨てることが出来ない性質だ。今回もその悪癖が出ているらしい。黒妖牙はその悪癖のお陰でかつて大きな戦いを天に仕掛けた男だ。
「学さま。昨日は僭越な発言申し訳有りませんでした」
「あらやだ。いいのよぉ、文ちゃんは。遠慮することはないのよ」
うふ、と笑って学はよしよしと文の髪に頬擦りをした。手にした食器を手早く籠に入れて乾燥機に仕掛ける。学がキッチンのテーブルについたところで手際よく文がお茶をいれてくれた。
「私は自分が世界で一番幸せな機械人形である事を知っています。ですけど、かの姫君を見ているとどうしても昏い感情を刺激されてしまうのです」
学と向き合う形で腰を下ろした文が弱々しい声で言う。学はそうね、と小さく笑って首を傾げた。ティカップを取り上げて熱い紅茶を啜ってからそっと息をつく。
「余りにも綺麗なものはね。人の影を映し出してしまうの。それはね、あのコに悪意があるとかじゃなくてね」
光が照るところには影が出来る。それは当り前のことなのだと学は言った。だから気に病むこともない。
「わかっていても、かの姫君を見ていると、自分がかの姫君の出来損ないの模造品でしかないように思えてならないのです。それが、学さまをも冒涜する感情だと判っていても止められないのです」
俯いて淡々と告白する文に学は同情の目を向けた。よしよし、と文の頭を優しく撫でる。
「あのね。あのコが初めて食堂に来た時ね。実は裏でけっこう揉めたの」
それまで誰にも話したことのないことを学は話し始めた。当時の紫は責任者だったし、管理者でもあったためにこの話は知っている。が、奈月はもとより、傍にいた水輝の耳にすら入っていない話だ。
「最初は良かったのよ。カワイイし、気が利くし、気立てのいい、いい子だねってみんな好意的に奈月ちゃんに接してたわ」
だが次第に食堂に訪れる組織のメンバーたちの意見が分かれ始める。中でも女性のメンバーの心の動きは激しかった。皆、個人的には奈月を嫌いではないのだ。が、どうしても見ていると自分の影、昏い感情を呼び起こされてしまう。だから奈月を見ているのは辛い。そう言いだしたメンバーは少なくなかった。
「かの姫君は、とても卑怯に見えます。もちろん彼女自身が卑怯なわけではないのですけど。存在自体が卑怯なのではないかとそう思ってしまうのです」
「そう言ったメンバーもいたわ」
学は苦笑してそう答えた。
メンバーたちの感情はやがて反感へと変わって行く。あの頃の紫は何とか彼らのことを説得しようとしていた。だが結局、説得という方法は彼らには効果がなかった。
食堂に集まる組織のメンバーたちは過去に辛い経験をもつ者が多い。特に大人はその傾向が強かった。忘れたい、忘れようとしている辛い過去を奈月を見ていると呼び覚まされるのだと彼らは言った。
結果的に奈月は普段は吉良瀬の屋敷で、昼の短い時間を食堂で過ごすようになった。それがあの当時のメンバーと紫の出した妥協案だったのだ。
「かの姫君は私たちのように昏い感情を抱く事はなく、だからこそ私達のことを理解することは決してないでしょう。見当違いの自己嫌悪や罪の意識を抱く事はあったとしても」
「そう、それが奈月ちゃんに求められているものだから」
淡々と答えた学を珍しく文が戸惑いの目で見る。学はカップに残っていた紅茶を飲み干して、ティポットから二杯目の茶を注いだ。
「あれはわざとなの。清く、純粋な形で、誰にも汚されることのない状態を維持する。……常識で考えたらあり得ない」
幼い純粋さを人は維持し続けることは出来ない。成長するうちに影を知り、様々なことを学んで穏やかな時を過ごす術を得る。だが、奈月にはそれがない。何故なら奈月は成長しないのだ。
「あの時の紫がナニを考えていたかなんて、正直、アタシには判んないわ。だけど、これだけは言える。奈月ちゃんはある意味で不自然なのよ」
そう続けて学はポットをテーブルに戻した。ティカップをさらって静かに唇をつける。
この昔の話も書いてないというか……元ネタはあったんですけど……。
原稿がどこいったか判りません!w