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奈月の隣の席は空いたままだ。授業の再開された学校に桜はいた。中断されていた文化祭の準備も授業と同時に再開されている。どうやら今年のクラスの出し物は劇になったようだ。が、そのキャスティングにも裏方にも克人の名前はない。
文化祭そのものは開催が九月に延びた。もうすぐ夏休みに入るということもあるし、準備が間に合わなかったからだ。その発表をした生徒会は今は生徒全員のスケジュールの調整に追われているようだ。
桜は読んでいた本を閉じて振り返った。昼の長い休憩時間を使って奈月はどうやら刺繍に精を出していたらしい。桜は椅子の向きをさりげなく変えて奈月と向き合う格好になった。奈月が刺繍しているのはどうやら桔梗らしい。
「桜さん、克人さんがお休みで寂しいですか?」
にっこりと奈月が微笑んで顔を上げる。桜は僅かに眉を寄せてため息を吐いた。奈月が青紫の美しい刺繍糸を束から二本、抜く。
「そんな筈がありません。姫様に無粋な輩が寄らないことにせいせいしています」
桜はきっぱりと答えて頷いてみせた。教室内には生徒たちの賑やかな声が満ちている。小さな針の穴に器用に糸を通しながら奈月が言う。
「今日、学校が終わったら一緒にお見舞いにいきましょう」
「駄目です!」
穏やかな笑みを浮かべていた奈月に桜は慌てて言い返した。思わず椅子を鳴らして立ち上がった桜を教室に残っていた生徒たちがぎょっとしたように見る。だが桜は彼らの視線を一切気にしていなかった。
「あの、桜さん……?」
泣きそうな顔になった奈月が小声で呼びかける。桜はぶるん、と強く頭を一度振ってからこぶしを握り固めた。
「いけません! これ以上姫様をあのような危険極まりない輩に会わせる訳には参りません! 姫様が穢れてしまいます!」
声高に言った桜を奈月が涙の浮かんだ目で見つめる。そのことに桜がはっと我に返ったところで聞き慣れた音が教室のスピーカーから響いた。軽い音の後に良く知った声が聞こえてくる。
『一年二組の吉良瀬奈月さん。至急生徒会室まで来てください』
それは斎姫の声だった。生徒会長直々の呼び出しに教室内がさざめきのような生徒たちの声に包まれる。奈月は戸惑いの顔をしてから立ち上がった。刺繍していた布や針と糸をまとめて袋に入れる。桜は御伴します、と奈月について席を離れた。
生徒会室は校舎の四階にある。桜は奈月と共に生徒会室に赴いた。桜がドアを叩くと中から返事がある。桜は扉を開いて中に居た三人の女性に頭を下げた。それから奈月を促して入室する。するとそこで斎姫の傍に居た二人の女性が生徒会室を退室した。
「ごめんなさい、突然呼び出して」
部屋の一番奥の机についていた斎姫がそう言って立ち上がる。促されるままに桜は奈月と一緒に応接セットのソファに腰掛けた。
「あなたたちにちょっと尋ねたいことがあって。あなたたち、蘇芳克人さんと親しくしていたのでしょう?」
二人の正面に腰掛けた斎姫が言う。奈月が答えるより早く、桜はきっぱりと答えた。
「いいえ。親しくなどありません」
胸を張って言った桜を奈月が涙の浮かんだ目で見る。だが桜は真っ直ぐに斎姫を見つめていた。斎姫は優一郎に付いている人形の一人だ。巫女の属性を備えた斎姫にはあの克人の危険性がよく判っているに違いない。だからきっと克人に近づくなという警告のために呼び出されたに違いあるまい。桜は頭からそう信じきっていた。
「彼ね、こんなものを提出してきたの」
ため息を吐いた斎姫が封筒から一枚の書類を取り出す。机に置かれたそれを桜はまじまじと見た。どうやら退学届けのつもりらしい。丸い文字で克人の名が記載されている。が、その書類は克人の名前以外のところが空欄になっている。
「これが何か」
桜は真顔で斎姫に問うた。
「彼と親しくしていたというあなたたちにお願いがあるの。彼の自宅に行って、真意を確認して来て欲しいのよ」
「だから親しくなどありません。誰があんな危険な輩と」
桜は即座に斎姫にそう切り返した。すると隣に腰掛けていた奈月が横目に桜を睨んでから机の退学届けを取り上げる。
「斎姫さん、わかりました。そのお話、承ります」
「いけません! 姫様、あれは関わらない方がいいモノです! 絶対に駄目です!」
桜は声高に告げて奈月の手から書類を取り上げた。机に叩きつけて斎姫を鋭く睨む。
「本人が辞めたいというのであれば、辞めさせればいいでしょう。今さら、蒸し返す話ではない筈」
そう言ってから桜は腕組みをしてソファに寄りかかった。これ以上、奈月を克人に近づけるのは危険だ。
「やはり、何かあったのね。そして神崎さん、あなたはそれを知っている」
静かな声で言って斎姫が真っ直ぐに桜を見つめる。桜はだがそ知らぬ顔をした。例え知っていたところで斎姫に話す必要などどこにもない。
「奈月さん。これが蘇芳さんの現住所よ。彼、引っ越したらしいの」
そう言いながら斎姫が制服のポケットから紙片を取り出す。桜は真っ青になって慌ててそれを横からさらおうとした。が、一瞬早く奈月が斎姫の手からそれを受け取ってしまう。
桜視点で書くとちょっとややこしいことになってますね、いつも。