「わたくしが何者であろうと、そんなことは些細なことに過ぎません。逆に言えば座位を確定することにより、わたくしは姫様をお護りすることが出来なくなるかも知れません。危険を回避したまでです」
ためらいもなく言い切って桜はちらりと隣を伺った。奈月は神妙な面持ちで少し俯いている。
「詭弁ね。座位を得なかったがために、守護者としての立場を失う可能性があるとは考えないの?」
軽く眉を寄せて斎姫が言葉を継ぐ。桜は小さく笑って首を傾げた。
「やはり主に似て不躾な方ですね」
囁くように言ってから桜は続けた。
「存在の座位を確定するにはどんな条件が必要だと思いますか」
感情のない声で桜は斎姫に問い掛けた。
「ごめんなさい。間違っていたわ。あなたは、既に奈月さんの守護者だものね。それは、確定した事実よ」
「ええ、あなたの主が決めつけたために確定事項になりましたね」
薄く笑って桜は言った。するとほんの僅かだけ斎姫が眉を上げる。桜は小さく笑って肩を竦めた。
「世界の声は透明であればあるほど通り易い。最も通るのは無色透明、その名の顕す通り、氷龍神でしょう。ですが次席はあなたの主です。そして誓約の主にはそれを決定付ける力がある」
淡々と語りながら桜は目を細めた。
「そうね。新たな地上の王、木龍、桜さん。そのとおりよ」
「いい迷惑です」
きっぱりと桜は言い切った。隣で唖然としていた奈月が焦ったように桜と斎姫とを見比べる。
「宝珠を預かるのはかまわないのだけれども。それで事実が覆るわけではないのよ?」
そう言って斎姫が肩を竦めてみせる。桜は不快感に顔をしかめてため息混じりに答えた。
「どのみち、わたくしが潰えた暁に別のお方が手にされるものですから」
だから自分には必要はない。桜はそう付け足して斎姫を真っ直ぐに見つめた。斎姫の中には複数の龍宝珠が保持されている。が、それは単純に保管されているだけで本来の力を発揮している訳ではない。言わば斎姫は態のいい宝珠のホルダーにされているのだ。
「潰えるなんて、そんな事、言わないで」
泣きそうな顔で奈月が言う。失礼しました、と桜は奈月に頭を下げた。
「ですが、わたくしが青龍王の手にかかることは既に彼女の主により決定付けられてしまいました。最早、別の道は行けません」
淡々とした感情のない声で言ってから桜は斎姫を見つめた。
「何か、勘違いしているようね。青龍王との因縁に、地上の王の座位は関係無いわ。たまたま持ち合わせていただけ、なのよ」
きっぱりと言って斎姫がため息を吐く。桜は小さく笑って首を傾げてみせた。
「そうだといいですね」
微笑んで応えてから桜は静かに席を立った。戸惑う奈月に参りましょう、と笑みかける。
「奈月さんは既に地上の王の名代ではないわ。それでも、あなたは奈月さんを守護するの?」
「……本当に主によく似た人形ですね」
ぴくりと眉を寄せて桜は横目に斎姫を睨んだ。
「姫様は姫様です。姫様をお護りすることだけがわたくしの生きる意味です。その存在の意義はわたくし自身が決めます。あなたに文句を言われる筋合いはありません」
きっぱりと言って桜はさあ、と奈月に手を伸ばした。不安そうな面持ちをしつつも奈月が桜の手につかまる。
「桜さん、わたし……」
小声で言って奈月が桜に抱きつく。急に抱きつかれた桜はその場に硬直した。何の反応も出来なくなった桜に奈月は懸命に抱きついたままだ。桜は辛うじて動く目を横に向けた。斎姫が意味ありげに笑っているのが見える。
「奈月さん、蘇芳さんの件についてはやはり、わたしが対応します。今回は神崎さんの言う事を聞いておきなさい」
それを聞いた桜は慌てて奈月を引き剥がした。奈月が戸惑ったような目で斎姫を見る。
「まさか試すためにわざと?」
桜は怒りをこめて斎姫にそう訊ねた。斎姫は組み合わせた足に肘杖をついて意味ありげな笑みを浮かべている。
「神崎さん、守護者ならば、姫君を泣かせるようなことをしてはだめでしょう?」
斎姫がそう言って笑う。桜は眉を寄せて目の前に座る斎姫を冷ややかな目で見下げた。ここにいるのは斎姫ではなく優一郎なのではないかとも思えてくる。だが当然だろう。斎姫は優一郎の所有する、主に忠実な人形に過ぎないのだ。
「ご忠告、ありがたく頂戴します。ですが、あなたも主も本当に失礼極まりないですね」
冷たく言い放って桜は奈月の手を取って部屋の入り口に向かった。戸惑った面持ちのまま、奈月が大人しくついてくる。
「桜さん、わたし、桜さんが居なくなったら」
どうしていいかわからない。そう言いながら奈月が鼻を啜る。桜はああ、とため息を吐いて足を止めてハンカチを出した。奈月の涙をそっと拭く。
「姫様、わたくしは潰えるまでお傍におります。ご心配には及びません」
桜は子供に言い聞かせるように優しく言ってから奈月に笑みかけた。するとまた奈月が顔を歪めて涙を零す。どうも、潰えるという単語がまずいらしい。桜は困った顔でため息を吐いてぎらりと斎姫を睨みつけた。元はと言えば、斎姫が余計なことを言い出すのがいけないのだ。
「わたしが、護るから。水輝さんが桜さんに危害を加えるなんてそんなこと、どんな誤解があっても、絶対にわたしが起こさせないから」
懸命な面持ちで言って奈月が桜の手を取る。桜はぼんやりと奈月の手を見下ろした。奈月は両手に桜の手をしっかりと握りしめている。その手はとても小さく頼りなく見える。だが桜にとって奈月のその手は誰のものよりも頼りがいのある、しっかりとしたものに見えた。
「姫様。お心遣いありがとうございます」
桜は心からの感謝の意をこめて奈月に深々と頭を下げた。それまで真剣な顔をしていた奈月が慌てたように桜の手を離す。桜は苦笑しつつ顔を上げ、奈月を促して生徒会室を出た。ドアを閉める間際に中にいる斎姫に鋭い目を向ける。だが斎姫は涼しい顔で出て行く二人を見送った。
教室に戻ったところでタイミングよくチャイムが鳴る。桜は奈月と共に席について授業を受けた。退屈な数学の教師の話を余所に桜はふと窓の外を見た。曇った空からは雨が降り始めている。空に広がる雨雲に向かって桜は唇だけでばか、と文句を言った。
桜は頑張ってるつもりなんですけどね……。