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屋敷に戻った水輝は真っ先に自分の部屋に向かった。ベッドで眠っている佑を起こさないようにそっと抱えて転移する。佑の部屋に現れた水輝は広いベッドに佑を横たえた。そっと毛布をかけてから自分の部屋に戻る。
既に多輝には電話はしてある。明日になったら屋敷に来るだろう。水輝は少し開いていた部屋の窓を閉めて空調を入れた。雨が降り始めたために部屋に入っていた湿気がすぐに引く。水輝がほっと息を吐いたところでふと部屋のドアが鳴った。返事をすると見慣れない若い男が一人の若い女を連れて顔を覗かせる。
「失礼致します、ご主人様」
部屋に入ってくるなり、若い男の方が恭しく言って頭を下げる。その隣にいた女も慌てたように頭を下げる。水輝は二人を見比べて眉を寄せた。
「ここの主人はおれじゃない。佑だぞ」
きっちりと訂正しつつ水輝は机の前の椅子を引いた。腰掛けてから煙草を咥え、火を点ける。
「え、ええと、では旦那様と?」
「気色悪い。水輝でいい、水輝で」
どうやら二人はここの使用人らしい。水輝は男の問いかけにすかさずそう切り返した。きっちりとスーツに身を固めた男がまた頭を下げる。
「失礼致しました。水輝様、ご挨拶にお伺いしました」
丁重に言って男が横の女の肘をつつく。女も慌てたように頭を下げる。水輝はうろんな眼差しで二人を見比べた。二人が人間であることは間違いない。それに人にしては見目は整っている方だろう。
「わたくしは重森和也と申します。本日より執事を務めさせて頂きます」
「……は?」
少し間を置いて水輝は間の抜けた声を返した。だが名乗った男の苗字には確かに覚えがある。かつて立城が執事として雇っていた老人と同じ名だ。驚く水輝を余所に今度は女が慌ただしく頭を下げる。
「え、と、伊東槙花です! メイドです!」
「いや、あんたは判る」
すかさず水輝は槙花と名乗った女に切り返した。何しろ槙花は大きな丸い眼鏡に二つのおさげ、白いフリルのついたヘアバンド、典型的なエプロンドレスを身につけているのだ。ここで働いている使用人の中にもここまでメイドらしい格好をしている者はいない。
「ふうん」
水輝は行儀悪く肘杖をついて二人を遠慮なく眺めた。槙花の歳は十代半ばと言ったところだろう。和也の方は二十歳を超えた辺りか。そう見当をつけながら水輝はまじまじと二人を見た。
「ちょっと待ってろ」
二人を観察してから水輝はおもむろに机の上の電話に手を伸ばした。とある番号を押していつもの癖で左の耳に電話機を押し付けてから、慌てて右の耳に当てかえる。どうもまだ癖が抜けない。水輝はため息を吐いて肩で電話機を支えた。コール五回ほどで相手が出る。
「おれだ。忙しいところ悪いな」
電話を介して流れてきた相手の思惟を先に読んで水輝は笑いながらそう言った。どうやら渚は誰かを抱いている最中だったようだ。煩いわね、という鋭い声が飛んでくる。
『何よ、用事は!』
尖った声で訊ねられて水輝はああ、と言って部屋の入り口近くに立った二人を見た。
「新しい執事とメイドとやらがおれのところに挨拶に来てるんだが、お前の差し金か?」
煙草をくゆらせながらのんびりと訊ねる。そんな水輝に対して渚の声は実に冷たかった。
『役に立たないあんたたちよりよっぽどましでしょ?』
「……何だよ。まだ根に持ってんのか」
呆れて言った水輝に渚が鼻で笑う。水輝は顔をしかめて頭をかいた。どうやら渚は祐の件に相当怒っているらしい。まあ当然か、と心の中でだけ呟いて水輝はため息を吐いた。
『あんたたちが留守にしている間に人を募集したのよ。で、私が面接して雇うことにしたの。文句ある?』
少しは機嫌も直ったのか渚が冷たい声ではあるが説明してくれる。なるほど、と呟いて水輝は肩を竦めた。それなら特に問題はないのだろう。
「どうでもいいが、いいかげんに帰って来い。お前がいないと喫茶店が開けられないだろが」
『あなたって人はー!』
水輝の言い草に怒り狂ったのか、渚が凄まじい剣幕で何事かを喚く。水輝はうわ、と顔をしかめて電話機を耳から遠ざけた。だがそれでも渚の怒鳴り声が聞こえてくる。水輝は煩い、と呟いて唐突に電話を切った。深々と息を吐いて目を上げる。入り口近くに立つ二人は不思議そうな顔で水輝を見ている。
「あー、まあじゃあちょっと頼まれてくれ」
頭をかきながら水輝は立ち上がって二人に近づいた。ぐるりと二人の周りを回ってまじまじと観察する。やはり見間違いではないらしい。
「明日までに空いた部屋を一つ、きっちり整えてくれ。二人まとめて放り込むから広い方がいいな。佑の部屋の奥に間続きの広いところがあるだろ。あそこ、使えるようにしてくれ」
すらすらと言った水輝に和也が畏まりました、と行儀良く礼をする。どうやらこちらの教育はきっちり行き届いているらしい。若いのに感心、と笑って水輝はちらりと槙花を見た。何故か槙花はぼんやりと水輝を見つめている。その頬が少し赤いのを見て取って水輝は納得して苦笑した。
「それと、裏庭の手入れをしてくれ。雑草を始末して……」
そこまで言って水輝は唇を引き結んだ。不思議そうに二人が顔を見合わせる。水輝は間を置いてから静かに言った。
「秋桜の種を蒔いておいてくれないか。秋になったら咲くように」
「あの、それでは少々、種まきの時期が合わないのではないかと」
どうやら草花についての知識もそれなりにあるらしい。和也が戸惑ったように言う。水輝はああ、と笑ってみせた。
「心配ない。種さえ蒔いておいてくれればいい。後はおれがやる」
立城のように何もないところに花を咲かせることは出来ないが、種さえあれば花の咲く季節を多少動かすことは可能だ。水輝はそう考えながら次々に二人に仕事を言いつけた。途中から覚えきれなくなったらしい槙花が焦ったようにメモを取り始める。
「畏まりました。それではわたくしは失礼致します」
深々と一礼して和也が静かに部屋を出て行く。執事の部屋は一階のキッチンに近いところだ。和也にそう声を投げてから水輝は槙花に目を戻した。焦りながらメモをとっていた槙花が勢いよく顔を上げる。水輝は人の悪い笑みを浮かべて槙花の顔を覗き込んだ。
「なあ。槙花ちゃんって処女?」
メモを手にした槙花が見る間に真っ赤になる。当たりか、と笑って水輝は屈めていた腰を伸ばした。槙花は小柄で腰を屈めないと顔を間近に見られないのだ。
「あの! ええと、すみません!」
槙花が涙ぐんで頭を下げる。どうやら処女ではいけないのだと勘違いしたらしい。違うって、と苦笑して水輝は槙花の頭に手を乗せた。一見しただけで槙花は処女だということは判っていた。恐らく渚はわざと見目のいい、しかも処女であることを条件に槙花を雇ったのだ。もちろん、槙花自身にはそのことは一切知らせていないだろう。
「まさか手つきじゃないなんてなあ」
ぼそりと呟いて水輝は頭をかいた。槙花は水輝の目から見るととても美味そうに見えるのだ。これだと随分と力ある者の目に付きやすいに違いない。なのに槙花は不思議なことに翳りが一切ないのだ。
「あの、ええと?」
困惑したように槙花が目を泳がせる。水輝は笑って槙花の顎を指でつかんだ。急に捕われたことに焦ったのか、槙花が真っ赤になって手を意味もなく振り回す。
「槙花ちゃん、住み込みだよな?」
「あっ、はい!」
触れた指から水輝は槙花のプロフィールをざっと読み取った。どうやら槙花は身寄りがなく、一人きりでこれまで生活していたようだ。なるほどね、と呟いて水輝は槙花から手を離した。
「で、この服はどうした? まさか自前じゃないよな?」
そう言いながら水輝は槙花のエプロンのフリルをつまんだ。すると槙花が慌てたように頷く。
「は、はい! 面接の日に頂きました!」
「……渚の仕業か」
口の中で呟いて水輝は苦笑した。どうやらよりメイドらしく、というコンセプトの元に渚がわざわざ支給したらしい。それにしてもよく一見してサイズまで判ったものだ。槙花の着けている服は身体にぴったりと合っている。胸の膨らみがやたらと強調されるデザインは渚の好みなのだろう。喫茶店のアルバイト店員たちが身に着けている服よりも際どいデザインになっている。ドレスの裾の丈はとても短く、屈めば下着が丸見えになりそうだ。白いエプロンドレスに白いオーバーニーソックス、ショートブーツといういでたちは槙花によく似合っている。
水輝は咥えていた煙草を手の中に握り潰した。驚いた目をした槙花に悪戯っぽい笑みを向けて煙草を握りこんだ手を開いてみせる。水輝の手の中で吸殻は塵となって消えた。驚愕に息を飲む槙花に手を伸ばす。水輝は槙花の顔の横に勢いよく手をついた。槙花が息を飲んで壁にぴったりと背中をつける。
「おれが女が好きだって知ってるよな? 面接の日に聞いたろ?」
「いっ、いえ、知りません」
泣きそうな顔で槙花が言う。槙花は相当怯えているのか顔を真っ赤にしたまま震えている。水輝はくすりと笑って槙花の頬を左手に包んだ。水輝の両手に挟まれた格好になった槙花がうろたえたように視線を逸らす。水輝は笑って槙花に顔を近づけた。
水輝が執事の名前を聞いて「?」になったのは苗字の方です。
重森という老執事が出てくる話があるんですけど、それは別の話で……。
見つかったらアップするかも知れません。