「学さま、お話の途中ですが、自慰動作を開始することをお許しください」
そう言って文がもぞもぞと身じろぎする。どうやらスカートの中に手を入れて返事を待っているらしい。いいわ、と学が頷くと文がありがとうございます、と頭を下げる。
「成長しないのは私たちも同じです。私たちは死んでいます。人形ですから。ですけど、かの姫君は人形ではありません。とても強い、我、を持っています」
自慰をしつつも文は淡々と話を続けている。そうね、と学は呟くように答えた。
「成長、というと語弊があるかも知れないわ。そうね……学習能力の欠如、といえば判るかしら?」
無邪気に微笑む奈月のことを思い出して学は内心で詫びた。決して貶しているつもりはないのだ。
「判ります。精神的な成長が無いということですよね? かの姫君の精神はずっと欠けたまま、現実には存在し得ないような理想的な形を保っています」
「欠けていなければ見えるものがある、ということなんだと思うわ。知ってる? 近視の人はとても目が澄んでいるんですって」
小さく笑って学は紅茶を啜った。急に話が飛んだことに困惑したのか、文が少しだけ眉を寄せる。しばし黙した後、文がぽつりと告げた。
「かの姫君は昏いものを見る事ができないのですね」
「……誰かの意志がそこに介在したにしろ、偶然にしろ、奈月ちゃんはそうなの。だから気にすることはないのよ」
そう囁いて学は手を伸ばして文の頭を撫でた。
「純粋なものは時に人を深く傷つけるわ。でも純粋ゆえに、相手が何故傷ついているのか、いえ、下手をすると傷ついていることにすら気付けないの。それは仕方のないことなのよ」
相手の心境を想像しようにも奈月にはそのきっかけすら与えられていない。徹底的に精神が成長する要因を排除してあるのだ。
「かの姫君は自分のことを人形だと仰っています。誰よりも強い、我、を持ち、自分の意思で自由に行動し、そして、それを裏付けるための強大な力と、座位を備えているのに」
俯いていた文が顔を上げて口許に嗤いを刻む。学は静かに手を戻してそうねえ、と呟いた。
「『それでも彼には彼女が必要なんです』」
いつか聞いた言葉を思い出して学は呟いた。文が嗤いを消して首を傾げる。学は小さく笑ってカップを傾けた。ぬるくなった紅茶を静かに飲み干す。
「アタシが噛み付いた時に紫が吐いた言葉、よ。アタシね。昔、奈月ちゃんを食堂から叩き出すべきだって紫に訴えたの」
当時のメンバーの荒れ方を思い出しながら学は小声で言った。
「ええ、わかります。青龍王には彼女が必要なのでしょう。そして、彼女はその強大な力で、真に弱き者を踏み躙っていくのでしょう。この宵の時代を迎えた世界は彼女を中心に回るのでしょう」
「あら。意外とそうでもないかも知れないわ」
にっこりと笑って学は指を一本、立ててみせた。
「けっこう、男連中もしぶといわよぉ? 水輝クンも、赤いヒトも、優一郎クンもただじゃ起きないわ」
くすくすと笑って学は視線を彷徨わせた。若かった頃、学は紫に奈月を追い出すべきだと言った。あの組織は紫が趣味で作り上げたようなものだったが、それでも所属するメンバーにとっては大切な、掛け替えのない場所だったのだ。家族や友人に疎まれ、忌み嫌われていた能力者たちの大事な逃げ場所だった。
そんな場所がたった一人の少女に荒らされていくのを見ていられなかった。学は広い視野で見て、奈月はこの場所には必要ないと紫に訴えたのだ。それにあの頃の紫が水輝を好いていたことを学は何となく感じ取っていた。水輝も紫に好意を抱いていた。例え記憶をなくしていたとしても、だ。
そんな水輝との間にわざわざ邪魔者を入れることはないだろう。どうやっても頷かない紫に腹を立てて、学はそう噛み付いた。すると紫は微笑みを浮かべて言ったのだ。
それでも彼には彼女が必要なんです。
そう言った時の紫には勝てないと思った。だから学はそれっきり、紫に反論するのは止めた。出来るだけ組織を盛りたてていこうと心の底で誓ったのだ。それは紫のためではない。自分自身のためでもあった。
結果的に紫と水輝は組織を離れた。だが今でも食堂を中心とした組織は大切な財産として学の手元に残されている。
「それもわかっています。はっきり言ってただの愚痴ですから。気にしないで下さい。かの姫君が学さまの胸に飛び込んで抱きつく姿をこれから何度見る事になるだろうと思うと、憂鬱になっただけです」
ぷい、とそっぽを向いた文は真っ赤な顔をしている。まあ、と微笑んで学は文の隣に移動した。腰を下ろして文の肩を抱く。カワイイ、と耳元に囁くと文は真っ赤な顔をしたままで俯いてしまった。
「しよっか。文ちゃん。何だかむらっときちゃった」
にこやかに言って学は両腕に文を抱いて立ち上がった。急に抱き上げられたことで驚いたのか、文が小さな悲鳴を上げて学にすがりつく。学は軽々と文を抱えたまま上機嫌にスキップした。
学と文は仲良しです。