あ、エロシーンはありません。
通された部屋の中で奈月は身を強張らせてソファに腰掛けていた。隣に座る桜にまで伝わってくるほどの緊張振りだ。まずはコーヒーね、と笑って順が話し掛けても奈月は唇を引き結んでいて答えない。姫様、と桜は奈月の肘をつついた。そこで初めて奈月がはっとしたように目を上げる。
「あーのー……オレはなに飲むかってきーてるだけなんだけどねえ……」
困ったように笑って順が頭をかく。短い袖からはみ出している順の腕に真新しい傷跡を見つけて桜は目を細めた。どうやら何かで引っかいたらしい。だが傷はそこだけではない。よくよく見れば他にも幾つも傷が出来ている。
「ご遠慮しておきます」
「あ、そー。桜ちゃんは? どする?」
強張った声で答えた奈月に軽く返し、順が今度は桜に話を振る。桜は奈月と同じように断った。するとまた順があ、そう。と軽く答える。
しばらくして順の許にコーヒーが運ばれてきた。執務室に現れたメイドが静かに退室する。それを見送ってコーヒーを飲みながら順がソファに寄ってくる。するとはっきりと奈月の顔が強張るのが横にいる桜にもよく判った。どうやらそのことは順にも伝わったらしい。ぴたりと順が足を止める。
「でさあ。悪いんだけどさあ。奈月ちゃんの中の宝珠、貸してくんない? あの、青いヤツね」
すらすらと言った順を桜は唖然とした面持ちで見つめた。そんな桜の隣で奈月が鋭い目をして立ち上がる。
「紫さんに何をしたか、教えていただけますか?」
「なに。まだこだわってんの? しつっこいね、キミも」
心底、呆れたというような顔で順が言う。やれやれと肩を竦めた順が執務机に寄る。どうやら奈月には近づかない方がいいと判断したらしい。その方が無難だ、と桜も順の考えに心の中で賛同した。
「用途をきちんと教えていただけるなら、宝珠を貸し出すのはかまいません。ですけど」
そこまで言って奈月は真っ直ぐに順を見た。机に寄りかかってのんびりとコーヒーを啜っていた順がちらりと奈月に目を向ける。
「紫さんのことについて、きちんと説明してください」
「何で?」
順があっさりとそう切り返す。奈月が怒りに目を吊り上げたのを桜はため息をついて見つめた。どうやら奈月は怒り狂っているらしい。そのことは肌で感じる気配からもよく判る。
「姫様、とりあえずお座りになってはいかがですか?」
そう告げて桜は奈月の手をつかんで引っ張った。少し強めに引いたからか、奈月が声を上げてソファに舞い戻る。
「桜さん、すみません」
そう詫びて頭を下げた奈月に桜はいえ、と答えた。詫びているのは判るのだが、奈月はまだ怒っているようだ。すぐに順を厳しい目で睨む。対照的に順はのんびりとコーヒーを啜り、煙草をくゆらせている。思惟は完全に閉じていて読めないため、なにを考えているのかよく判らない。
「わたしに、告げる気は無いと? そういうことですか?」
「いや、告げるも何もさ。オレが請け負ったのって水輝ちゃんから夢魔の属性切り離すってことっしょ? カノジョのコト、関係ないじゃん」
不思議そうに瞬きをして順が当り前の顔で言う。確かに順の言っていることはもっともだ。紫の件について特に依頼をした覚えはない。……のだが、奈月はそれで納得しなかったらしい。肩を怒らせて順を睨みつけている。
「水輝さんは紫さんのことを愛しているとおっしゃっていました。わたしには紫さんを護る義務があります」
「あのさあ」
コーヒーカップを机に乗せて順が横目に奈月を見る。嫌な予感を覚えて桜は順に目配せした。が、どうやら気付いてはいても言うのを止める気はないらしい。軽く笑って順が言葉を継ぐ。
「水輝ちゃんが好きなのって今の紫ちゃんじゃないっしょ? カノジョの中に幻想を見てただけっしょ? 言ったじゃん。カレはいないんだって。カレを殺したのは水輝ちゃんなんだってば」
流れるように言って順は唇に挟んでいた煙草を灰皿に乗せた。桜はため息を吐きたい気分で隣の奈月をちらりと見た。奈月はしっかりとスカートを握った手を震わせている。
「水輝さんは、気付いてらしたと思います。それでもわたしに確かにそうおっしゃい……!」
そこまで言った奈月がはっと息を飲んで唇を噛む。俯いた奈月に声をかけようとした桜は何を言っていいのか判らず、結局は声をかけられなかった。
「んね? 考えるとけっこうめんどくさいっしょ? だからさあ。貸してよ」
いかにも面倒そうに言って順が奈月に向かって手を差し出す。順にしてみれば奈月とこういった会話をするのは確かに面倒なのかも知れない。少なくともそういう態度にしておけば、これ以上は何もつつかれなくて済む。そう考えているのだろう。
のろのろと顔を上げた奈月は泣きそうな顔をしていた。桜は隣から手を伸ばして励ますように奈月の背を支えた。奈月に泣かれるのは辛い。が、順に対している以上、仕方がないのだ。
「紫さんは、ご自身の意思で、あなたの下にいらっしゃるのですか?」
泣きそうな声で奈月が言う。順は軽く笑って肩を竦めた。順は上手い嘘を吐いてはくれそうにない。元々、順の言っていることに嘘はほぼ含まれていないのだ。軽い調子に騙される者もあるかも知れないが、順は常に本気で話しているのだ。中には余りにも気紛れなために嘘を吐き続けていると感じる者もあるだろう。だが話すその時その時に、嘘はない。
「だってさあ。嫌なら逃げようとするっしょ? そんな素振りもないしさあ。居心地がいいんじゃないのぉ?」
笑い混じりに言って順が煙草を咥え直す。ゆっくりと歩み寄ってくる順を今度は奈月も全身で拒絶はしなかった。
「紫さんは、意思を手放された状態なんですね? そして、それは、わたしのせいなんですね?」
「何でもかんでも自分中心に回ってるって考えるのって、傲慢だよねえ」
さらりと言った順を奈月が驚きの目で見る。順は唇の端に煙草をぶら下げて奈月の目の前で足を止めた。まずい、と感じて桜は順が喋りだす前に口を開いた。
「とにかく。姫様が青宝珠をあなたに貸せば、全てを片付けてくれるのですね?」
桜は順を見上げてそう告げた。すると順がまあね、と苦笑する。でも、と付け足した順が余りにも軽く笑ったために桜は次の言葉を予測出来なかった。
「出来ることはやるけどね。絶対の保証はないかな」
まあ、オレもカミサマじゃないんでね。さらりと言って順が笑う。
「宝珠はお貸しします。本人も乗り気ですし、わたしが反対する理由はありませんから」
小声で言った奈月が両手をそっと胸の前に差し出す。瞬く間に奈月の手の上に青い宝珠が現れた。冴えた青い宝珠を奈月が胸に抱きしめる。
「あの……茜さん」
「なに」
順はへらへらといつものだらしない笑みを浮かべて首を傾げてみせた。さりげなく身体の後ろに腕を回しているのは、恐らく奈月に傷だらけの腕を見せたくないからだろう。
「どうして、こんなに不公平なんですか? 茜さんはわたしを傲慢だとおっしゃいました。それは確かなんだと思います。ですけど……」
そう言いながら奈月がおずおずと宝珠を差し出す。素早くそれをさらった順がソファを飛び越える。
「ナニがふこーへー? なに、オレに不満でもある?」
順の背中を見つめて桜は目を細めた。口調は軽いし、いつものように声には笑いが混ざっている。が、恐らく順は笑いは一片も浮かべていないのではないだろうか。そんな気がした。
「水輝さんも、渚お姉さまも、桜さんも、そして茜さんも、わたしを特別扱いしているのがわかるんです。わたしをわたしの見えない何かから護るために動いている。そうですよね? 傲慢な考えなのかもしれません。ですけど、わたしにはそう見えます」
「なに。護られるのがイヤなの? ヘンなコだなあ」
あはは、と笑って順が肩越しに見返る。腕を一閃した順の手の中で宝珠が輝きを帯びる。現れた武器を見た桜は絶句した。
なぜこれがここに。
驚愕に硬直した桜に順がちらりとだけ目を向ける。順は特殊な形の武器の柄を肩に乗せた。青龍堰月刀。長い柄の先に月を象った巨大な刀をあしらえた、特殊武器だ。軽く見積もっても重さは百キログラム以上はあるだろう。軽々とそれを片腕で支えている順を桜は呆然と見つめた。
「わたしが護られて、紫さんがないがしろにされるのが納得いかないんです。紫さんが怒るのも当然です。こんなの不公平です!」
「……失礼だな。オレは紫ちゃんを愛してんだよ、これでも」
低い、酷く冷ややかな声で言って順が顔から笑みを消す。桜ははっと我に返って慌てて順に制止の意味で首を横に振ってみせた。だが順は相当、怒っているらしい。くるりとこちらを向いた順は奈月を鋭く睨んでいた。
「キミには光の道が用意されている。闇に生きるモノに関わりない場所で、のんびり安寧を貪ってればいいんだよ」
それだけ言って順がため息を吐く。順としてもそこまで言う気はなかったのだろう。まいったな、と呟いて頭をかいている。
「わたしは、光を反射する鏡のような存在にすぎません。わたしの役目は世界の全てが闇に染まらないように弱い光にすぎなくても照らすこと。それだけです」
淡々と吐き出してから奈月が軽く息を飲む。自分で言ったことに自分でびっくりしているらしい。桜はため息を吐いてゆらりと立ち上がった。
「とにかく、お願いします。わたくし達はこれで失礼しますので」
そう言って桜は順に一礼した。あいよ、と苦笑して順が執務室を出て行く。それを見送ってから桜は深々と息を吐いた。戸惑いの顔をしている奈月の手を取って引き起こす。
「帰りましょう、姫様。ここから先はわたくし達に関わりのないこと。居ても無駄です」
きっぱり言って桜は奈月に頷いてみせた。
さすがに五十キロ程度だとこいつらには軽いんですよ……(汗)
多分、これでも軽いです……。