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応接室のドアを叩くと中から渚の返事が聞こえる。多輝は静かにドアを開けて部屋の様子を伺った。応接室の中央に設えられたソファに二人が並んで腰掛けている。
「あら。水輝かと思ったら」
「あの……ちょっと訊きたいことあって」
微笑んだ渚が何かしら、と訊ね返す。多輝は周囲を見回してから応接室に入った。後ろ手にドアを閉じてソファに近づく。祐は渚の隣で押し黙っている。
「あのさ、何で優一郎じゃないんだ?」
祐を指差して多輝はそう訊ねた。すると困ったような笑みを浮かべて渚が祐を見つめる。それまで俯き加減で黙っていた祐が眉を寄せて顔を上げる。まるで怒っているかのような表情に多輝は慌てて祐を指差していた手を降ろして背中に回した。
「勝手に勘違いしたのはあなたでしょ? あたしは最初からあいつとは別人よ」
「あ、いや、ごめん」
相当、不快な気分になったらしいと思って多輝は素直に詫びた。それから改めて祐に言われたことを考えてみる。だとすると優一郎はどうしたのだろう。考えこむ多輝を見かねたのか渚がお座りなさいな、とソファを勧めてくれる。多輝はありがたく二人の正面に腰掛けた。
それから渚は端的に優一郎の身に何があったのかを説明し始めた。どうやら優一郎はまた水輝の起こした騒動に巻き込まれていたらしい。その話を聞いているうちに自然と多輝はしかめ面になった。
メイドが茶を運んできて慌てたように多輝にすみませんと頭を下げる。どうやら二人分の茶しか用意していなかったことを詫びているらしい。多輝は別にいい、と答えてメイドを横目に見た。怯えたように多輝を伺いつつ茶を二人に出したメイドの首にはしっかりと首輪がはまっている。先ほどの水輝の持っていた鎖がこの首輪に繋がれている鎖なのだろう。
「祐ちゃん。お砂糖は?」
話を中断した渚がシュガーポットを寄せながら言う。だが祐は首を横に振った。多輝はため息を吐いて部屋を出て行ったメイドを見送ってから二人に向き直った。
「つまり何か。今の優一郎は祐とは別で生身のままだけど、祐はヒューマノイドになったってことか」
頭に乗せていたバスタオルを取りながら多輝は低い声で訊ねた。
「不要になったから消えようと思ったのに、おせっかいな人たちが消えさせてくれなかっただけよ」
冷ややかな声で言った祐を呆れた気分で見てから多輝は横に視線をずらした。渚はのんびりとティカップを傾けている。
「あら。余計なお節介だったかしら」
そう言って渚が祐の顔を覗き込む。すると祐は何故か赤くなってそっぽを向く。多輝は祐の表情を見て首を傾げた。
「何だ。お前、レズだったのか」
思ったままを言った次の瞬間、熱いものが飛んでくる。顔面に紅茶をかけられた多輝は慌てた声を上げた。カップを持った手を振った祐がふん、と鼻で笑う。じゃじゃ馬め、と悪態をつきながら多輝は持っていたバスタオルで顔を拭った。
「そういうあなたはどうなのよ? 優一郎の事、好きなんでしょう?」
笑いを浮かべて告げた祐を睨みながら多輝はため息を吐いた。
「好きは好きだけど、別におれはホモじゃねえ。この身体の時は優一郎とやりたいとか思わねえし」
とりあえず訊きたいことは訊けたからいいか。そう思いながら多輝は腰を上げようとした。すると渚があら、と首を傾げる。多輝は何だよ、と眉を寄せて浮かせかけていた腰を元に戻した。空になってしまった祐のカップに渚が静かに紅茶を注ぎいれる。ポットをテーブルに戻してから渚はくすくすと笑い出した。
「そうか……彼、避けているのね」
何が楽しいのか笑いながら渚が言う。多輝は仏頂面で前に並ぶ二人を睨みつけた。祐も渚につられたのか口許に笑みを浮かべている。
「一応相思相愛なんだし。事故を避けたいんでしょ? きっと」
「何なんだよ、一体」
眉を寄せて多輝は怒りを込めて訊ねた。二人が顔を見合わせて笑っている。確かに優一郎は自分を避けているのだと思う。だがどうしてそこで笑われなければならないのだろう。多輝は不機嫌極まりない顔で立ち上がった。
「あ、待って待って。いいことを教えてあげるわ」
口許を押さえて笑っていた渚が言う。多輝は知るか、と低い声で言って歩き出した。だがそんな多輝の背に渚の笑い混じりの声が飛んでくる。
「あなた、ちょっと協力してくれないかしら?」
「はあ?」
人の悩みを笑い飛ばした後は協力ときたか。多輝は呆れた気分で肩越しに振り返った。おいでおいでと渚が手招きする。だが多輝はそれを無視してドアに歩み寄った。ドアノブを回そうとしたところで今度は祐が話し掛けてくる。
「優一郎に会いたくないの? このままじゃ、二人っきりで会うのは当分無理よ」
「だから、優一郎がおれを避けてるんだろうが!」
怒りをこめて言いながら多輝は振り返った。そこで初めて気付く。この部屋には水輝のものとは別の結界が張られている。それが渚の仕業だと理解して多輝は驚きに目を見張った。一体、この二人は何をするつもりなのだろう。
「一応ね。わたし、今日はここに客人として訪ねて来ているのよ。お店のことも相談しなきゃならないし、夜には戻るつもりだから」
意味ありげな笑みを浮かべて渚が首を傾げる。多輝はうろんな眼差しで二人を見つめてからため息を吐いた。
「何するつもりか知らないが、やるならてめえらで勝手にやれ。おれは関係ないだろうが」
「だから水輝がわたしたちの相手をしている間は彼はフリーよ」
笑みを浮かべて肘杖をつきながら渚が含みのある言い方でそう告げる。多輝は顔をしかめて二人を睨みつけた。つまりは水輝が部屋を空けている間に優一郎を探せということだろうか。
「んな……あっちが避けてるんだぞ。そう簡単に会えるはずが」
そこまで言って多輝はため息を吐いた。避けられている理由は判らないが、会いたくないと思っているものに無理に会わなくてもいいような気がする。寂しい気はするが仕方がない。多輝は不承不承の態でそう説明した。すると今度は祐が呆れたような顔をする。
「そんなだから水輝さんに取られちゃうのね……」
「何であいつが出てくんだよ、そこで」
そう言ってから多輝ははっと目を見張った。そう言えばいつの間にか水輝がここで優一郎と暮らしているのだと自分は思い込んでいた。だが本当は水輝は別の女性と結婚したのではなかったか。どうしてそれが優一郎とすり替わっているのだろう。そもそも優一郎は男で、男性である水輝と結婚する筈がない。
多輝は記憶を手繰って絶句した。いつの間にか綺麗に記憶が入れ替わっていることに気付く。水輝の結婚した相手が悉く多輝の知らない名前の女性になっているのだ。多輝は混乱した頭を押さえて目を閉じた。だが婚約発表の席のことや結婚式のことを思い出そうとしても、水輝の隣に立つ女性の顔が一向に思い出せない。
「あ、れ……?」
だが名前だけははっきりと判る。確か吉良瀬佑という名前なのだ。その名を呟いてから多輝は首を傾げた。吉良瀬の名に連なる者は数少ない。立城のいない今、その名を名乗っているのは奈月と斎姫、そして自分だけではなかっただろうか。
「要するに気配を消すのが下手なのね。まあ、今のあなたでは仕方ないかも知れないけれど」
そう言って渚が小さく笑う。
「もしかして、あなた。あたし程度でも自力で抵抗できた記憶操作にひっかかってるんじゃないでしょうね?」
こちらは呆れたような顔で祐が言う。多輝は焦って二人を見比べた。
「あ、えっと、もしかしてこれって」
「そう。記憶操作の術のようよ。本当に周到な人よね」
くすくすと笑いながら渚が首を傾げて多輝を見つめる。立城のことを思い出しながら多輝は低く呻いた。だが立城の仕業と判ったところで抵抗出来るものでもないらしい。やはり水輝の結婚相手のことは思い出せないままだ。
「とにかく、だ。優一郎に会ってみればはっきりするんだろ?」
面倒なことを考えるのを放棄して多輝は苛立ちをこめて吐き捨てた。そうねえ、と呟いて渚がのんびりと頬に手を当てる。次に渚は多輝に手を伸ばしてぱちん、と指を鳴らした。すると多輝の周囲に見えない膜のようなものが現れる。何事かと焦った多輝に渚はにっこりと笑みかけた。
「さっきのあのメイドの子の気配を借りたのよ。一時的にはそれで騙されると思うわよ」
呑気に言って渚が紅茶を啜る。釈然としないものを感じつつも多輝は判った、と頷いた。ドアに向き直って開いたところで水輝と鉢合わせになる。
「……開かないから何してるのかと思えば」
しかめ面で言って水輝が多輝の脇を抜ける。入れ替わりに部屋に入った水輝を肩越しに見送ってから多輝は急いで部屋のドアを閉めた。悪戯もほどほどにしろ、と水輝が呆れたような声で言っている。ドア越しにそれを聞いてから多輝は急いで廊下を駆けた。
この頃の多輝はある意味では不具合を起こしている感じなのです(汗)