「……水輝はね。聞こえない耳で立城さんの声を聞こうとしていたみたい」
紫翠の呪いを祓う代償に音をなくした左の耳にだけ立城の声が聞こえる。最初に水輝がその声を捉えたのがいつかは判らないが、それを境に水輝は優一郎の中に立城の声を探していたのだろう。そして声を聞くために順と取り引きをしていたのだ。
「皮肉なものね。実際に立城さんの声を聞いたのは……」
「彼の声は基本的には標にしか聞こえないわ」
くすりと笑った祐に苦笑で答えて渚は手を伸ばした。青く染まり変わった水輝の髪を優しく指で梳く。水輝は疲れきって気配にすら気付かないのだろう。熟睡している。
「聴覚はほぼ回復しているはずよ。水輝さん。怒るかな……」
「怒らないでしょうけど、ショックは受けるでしょうね」
聞こえない耳に立城の声を微かにでも捉えられるからこそ、水輝はこれまで聴力を取り戻そうとはしなかったのではないだろうか。その気があれば奈月になら治せたはずなのだ。
闇の力を少しずつ順から受け取り、徐々にその力に馴らしたところで標と同等の力を得る。闇の力は光の標とは真逆の性質だが、元々光と闇は表裏一体だ。一番遠くに見えるからこそ、最も近い性質なのだ。
「やっぱり立城さんが一番なのね。あいつも結局復活のための道具として働いてるだけってことか」
本人もそれで納得してるみたいだからいいけど。そう続けて祐が小さなため息をつく。どうかしら、と肩を竦めて渚は水輝の髪から手を離した。すると水輝が微かに呻いて手を伸ばす。頼りない力で水輝に手を握られて渚は苦笑した。
「オンリーワンとナンバーワンは違うわよ。それは彼にも言ったことだけど」
恐らく水輝は優一郎を好いているだろう。だからこそ優一郎の闇をこっそりと吸い取っているのだ。優一郎の纏う、異常なまでの澄んだ空気の事を思い出して渚は小さく笑った。
「立城さん、あいつ、奈月さん、そして、渚さん」
指折り数えながら祐がそっと息をつく。渚はくすりと笑って祐の額をつついた。
「この人、気が多いからそれだけじゃないんだけど」
数えたらきりがないわよと笑って渚はそっと水輝の手を解いた。ベッドに手を乗せた時、ほんの僅かに水輝が眉を寄せる。だがすぐに水輝は元の表情に戻った。
「でも、水輝さんの中で、特別な関係性を持つ存在はこの四人でしょう?」
あたしなんかはしょせんその他大勢のうちの一人だし。そう続けて祐が苦笑する。あら、と笑って渚は首を傾げてみせた。
「誓約の縛りがないのに好かれているのは凄いことだと思うわ」
静かに告げて渚はベッドを降りた。慌ててベッドを降りようとした祐を軽々と両腕に抱き上げる。
「ありがとうございます」
祐が照れたように微笑む。渚はどういたしましてと笑み返して静かに水輝の部屋を出た。そこで佇んでいた佑と鉢合わせになる。渚はにこやかな笑みを浮かべて佑に会釈をした。
「多輝の相手は大変だったでしょう? お疲れ様」
渚の腕の中から祐が笑顔で言う。佑は戸惑ったような顔で渚と祐を見比べて疲れたような息を吐いた。
「水輝さんの聴覚は治療しておいたから」
視線を彷徨わせていた佑が息を飲んで祐を凝視する。だがすぐに佑は視線を逸らした。渚はあら、と笑って首を傾げてみせた。
「不服?」
微笑みを浮かべて訊ねた渚を佑がじっと見つめる。
「ありがとうございました」
軽く頭を下げて告げた佑は寂しそうな顔をしている。すっかり気落ちした様子の佑をそれ以上つつく気にならず、渚は笑みを収めてため息を吐いた。
「一つ、忠告しておくわ。あなた、もう少し真面目に自分の身のことを考えなさい」
すらりと告げてから渚はずれかけていた祐の身体をしっかりと抱え直した。
「そんなに、わたし、やつれて見えますか?」
「少なくとも元気そうには見えないわね」
即座に言い返してから渚は廊下の手すりに寄りかかった。困惑した表情で佑が伏せていた目を上げる。
「でも、必要なことならばやらなければなりませんから」
哀しげに目を伏せて呟くように言ってから佑が失礼します、と踵を返す。先ほどとは逆の方向に歩き始めた佑に渚は声をかけた。
「水輝はあの人が戻ってくることを望んでなどいないわ」
静かに渚が言った途端、佑がぴたりと足を止める。のろのろと振り返った佑の顔は強張っていた。渚の腕の中では祐が目を見張っている。
「そんなはず、ありません! 水輝さんは立城さんの帰還を誰よりも望んでいるはずです!」
「いいえ」
佑の叫びに渚は即答した。立ち止まっていた佑が大股で近づいてくる。渚は静かな眼差しで佑を見つめていた。
「どうして、断言できるんですか? あの障壁を越えて水輝さんの心が読めるとでも?」
疑いの眼差しで渚を見つめて佑が口許に微かな笑みを浮かべる。だがその笑みは冷え切っていた。恐らく佑は何度も水輝の心中を見ようと試したのだろう。
「読んだわよ」
渚は感情のこもらない声できっぱりと言った。すると佑が目を見開いて絶句する。だがすぐに佑は力なく笑って首を振った。
「たとえ心を読んだとしても、あなたがわたしに真実を告げているとは限りませんよね?」
「標には嘘偽りは通用しないのではないかしら」
淡々と告げて渚は軽く首を傾げてみせた。佑が唇を噛んで僅かに俯く。
「確かに嘘ではないかもしれません。でも、全てを語っていないのではないですか?」
「そうね。まだ全部は話していないわね」
何ならこれから聞く? 単調な口調で訊ねてから渚は歩き出した。慌てたように佑が追いかけてくる。静かに階段を降り始めた渚は苦笑して振り返った。
渚と祐はなかなかいい性格だな、と思いますw