かつて、ミルドラースという魔界の王と呼ばれた魔族がいた。王の中の王としてその力を誇示すべく人間界を侵略し、支配しようと企んだ恐ろしい巨悪だ。
代々魔界と人間界を繋ぐ門を守るエルヘブンの民であるマーサを魔界へと引きずり込み、長い時間を掛けて封印を解こうとしていた。
だが、その野望が果たされることはなかった。
連れ去られたマーサを救うべく、夫にしてグランバニア国王のパパスは魔界の王に対抗しうる天空人の血筋を引く勇者なる存在を生涯かけて探し求めた。
パパスは志半ばでミルドラースの配下に命を奪われるも、その意志は息子であるリュカに引き継がれ、とうとう勇者と出会うことになる。
なんという数奇な人生か。リュカが花嫁に選んだ女性こそが天空人の血を引くものであり、二人の間にもうけられた子が勇者だったのだ。
かくして、パパス、リュカ、そしてその息子レックスというグランバニア王族親子三代に渡る奇跡が、魔界の王ミルドラースの野望を阻止したのだった。
この物語は、世界に平和が訪れたあとのエピローグである――……。
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大海へと繋がる複雑に入り組んだ入り江の終着点にその城――グランバニアが存在していた。そこには現国王であるリュカと妃。そして二人の間に生まれた王子レックスと王女タバサが静かに暮らしていた。
城塞都市の如く堅牢な城の内部には民間人の居住区もあり、平和になった時代でもなお、国民たちには安心安全の生活が保障されていた。
そんな中、不満を覚えていたのは王女タバサだった。
別に平和すぎて退屈しているとかそんな話ではない。
伝説の勇者として名を残しているのは兄のレックスだけで、双子の妹のはずの自分がおまけみたいに扱われているからとか、そういったことでもない。
「はぁ……、お父さん……」
タバサは自室で悩まし気にうっとりと呟く。父であるリュカを慕っているというよりも、それはもはや恋に近い感情を抱いていた。
実のところ、ミルドラースを打ち倒すまでにも様々な道のりがあった。
レックスとタバサが生まれてすぐ、父と母はモンスターの呪いで石像となり、行方をくらませていた。国を総出で捜索するも見つかるに至らず、物心つく頃には二人とも両親を探す冒険に出ていたのだ。
親のぬくもりを知らぬまま育ってきたタバサにとって、親を探す旅がどれほど心苦しいことだっただろう。ほんのわずかしかないリュカの所持品と情報を頼りに、いつしか募らせる想いを拗らせていまっていた。
いざ再会したときにその感情は爆発してしまったといってもいい。今に至っては、いつまでもそばにいられるということに、逆に心が耐え切れなくなっていた。
できることなら一日中でも父に抱き着いて過ごしたいと思うくらいに。
とはいえ、タバサもグランバニア王女。
国民に威厳のある立場でなければならない。どれだけ想いを募らせようとも、民衆の前にはしたない姿など晒せるはずもなかった。
悶々とした日々を過ごし、ある日、王女の謁見のない日が訪れた。
この日はタバサも自由に出歩ける、いわばグランバニアの休日のようなもの。
一つの決意を固めていたタバサは、自室の窓を大きく開いた。
そして心の中でその場所を思い浮かべ――呪文を詠唱する。
「ルーラ!」
その直後、タバサの体は大きく跳躍し、窓の外へと飛び出していく。
それは過去に自分の行ったことのある場所へと飛んでいくことができるという失われし古代呪文もいわれた移動呪文だった。
疾風のようにビュンと空を飛んでいき、大陸を渡り、海を渡り、タバサはグランバニアから遥か遠くまで移動して、たどり着いた先は山の頂上だった。
そこはセントベレス山という雲を突き抜けるほどの高度を持つ山脈であり、並の人間では頂上までたどり着けないだろう土地。
そんな山の頂上には、あろうことか巨大な神殿が建設されていた。
ミルドラースを神として崇めるために設立された光の教団と呼ばれる組織の本拠地だ。信者たちは自分たちが崇めていた神が魔界の王だと知る由もなく、神にすがる思いで日々、この大神殿で祈りをささげていた。
何の因果か、石像と化した母親がこの光の教団のシンボルとされていたこともあり、タバサにとっても忌まわしい場所なのだが、ここに隠されたもう一つの秘密を知っていた。
「ここに、お父さんが……」
それは、かつて自分の父親がこの光の教団の本拠地にて、奴隷として実に十数年もの年月を働かされていたことがあったのだという。
表立っては、神を崇拝する教団だが、水面下では何処かから連れ去らってきた者たちを無理やり奴隷にして働かせるおぞましい地獄のような場所だった。
いつだったか父からそんな話を聞かされ、タバサは少しの興味が湧いていた。
ミルドラースもいなくなり、教祖もいなくなったその大神殿は巨大な廃墟だ。
信者の姿もなく、ただただ上空にそびえ立つ瓦礫でしかない。
小さな女の子ひとりが出歩くには殺風景すぎる場所だったが、タバサは誰の気配もないことを確認しつつ、がらんどうの大神殿の奥へ奥へと進んでいく。
すると、地下へと続く階段を見つける。タバサは意を決して下っていった。
上層の荘厳な広場とは打って変わって、神殿の地下は洞窟のように岩肌をのぞかせる粗末な作りになっていた。それもそのはず。下層は奴隷たちの居住区だからだ。
奴隷に真っ当な部屋を用意するはずもない。
下れば下るだけ、悪臭も立ち込めてくる。上層と違ってまともに整備されていなかったことに加え、清潔さとは無縁だったことが察せる。おまけに、長いこと放置されているからか何もかもが腐っているようだった。
もはや肥溜めといってもいいくらい、酷い有様だ。こんなところで何年も奴隷として働かされている人々の姿を想像するだけでタバサは感極まる。
ふと、タバサは奴隷の寝床らしき場所を見つける。
土の床に藁が敷いてあるだけの、ベッドとも布団とも言えない何か。その周辺には奴隷たちの使っていたであろう道具も雑に転がっていた。
その中で目を引いたのは、折りたたまれた布切れの入った箱だ。
どれもボロボロで何に用いていたのか一見分かりづらかったが、タバサは直感的に理解できた。そのボロ布は服だった。奴隷たちが唯一着ていたもの。
以前、失踪した両親を探す旅に出る際に、旅の荷物の中に似たような服が残っていたのを見たことがあったからだ。
「お父さんの、匂いだ……」
ただでさえ奴隷の部屋は悪臭に満ちていて鼻がもげそうなほどだというのに、タバサはその箱の中に収められていたボロ布を両手いっぱいに取り出して、くんかくんかと顔面ごと鼻を寄せる。
どれも似たようなボロボロの布切れにしか見えないし、どれも酷く汗の染み込んだ臭いでいっぱいだったが、タバサは自分の掴んだものが父親のものだと確信する。
何故なら、それまでも何度も嗅いできた匂いだったから。
「あぁぁぁ~~~~……、お父さん、お父さん、お父さぁん♡」
拗らせっぷりもここまでくれば筋金入りだ。すぅはぁすぅはぁと汚物の臭いを堪能しては父親の顔を思い浮かべ、タバサは背筋をゾクゾクとさせる。
あたかも、目の前に本当に父がいるかのようにさえ錯覚してしまうほど。
タバサの中にあふれ出す感情はそれだけに留まらない。仮にもグランバニア王女という立場で高貴な召し物を着ていたが、すぐさま脱ぎ捨てて裸になり、奴隷の服を自ら身にまとう。一転して、みすぼらしい奴隷の姿となった。