おはよう、アリス
アリスが目を覚ましたとき、それはあまりにも清々しく、日差しがまばゆく感じるほどに、懐かしいとさえ思えた朝だった。
そして紛れもなく、そこはアリスの部屋に間違いなかった。何せアリスの寝ていたベッドの傍らに、アリスが一番愛していた、アリスを一番愛していた、母の姿があったのだから。
「ママ……」
ぼんやりとした夢見心地の瞳をこすり、妙に気だるい体をのそのそと芋虫のように動かしながらも、アリスはそっと手を伸ばして、母の髪を撫でた。
その頬に子猫の一舐めとも変わらないキスをすると、それがまるで王子の口づけであったかのように母もすくりと目覚める。
赤く腫らした目から枯れ果てんばかりの涙が筋に沿って流れる。
そんな母の感情の高ぶりとは裏腹に、その娘であるアリスの中には、ソレとはまるで違う、小さい体には収まりきらない感情が溢れんばかりに渦巻いていた。
「ふふふ……」
すっと母と抱き合う、その姿は仲睦ましい親子そのもの。しかし、アリスの目には、それとは違うものが見えていた。
もう走り回る紳士服のウサギもいない。シャシャシャと笑うチェシャもいない。生クリームの少年も、わがままな女王様もいない。帽子屋も三月ウサギもトカゲのビルも、アリスの世界にいた住人は、みんなみんなこの世界の何処にもいない。
でも、もし、いるとしたら、それは全てアリスの頭の中。
みんな、アリスの中に存在しているのだろう。
得体の知れない住人もみんなアリスの中で微笑んでいる。しかし、優しくアリスを抱く母にそれを知るする術などあるはずもなく、また気付かれることもなく、得体の知れないソレが腕の中でシャシャシャと三日月のような笑みで笑っていた。
※ ※ ※
ひとりぼっちのアリスがひとりぼっちではなくなったのはすぐのこと。
あの長い長い眠りから覚めてからというもの、アリスのそばには母が付き添うようになっていた。もちろん、何が原因だったのかなんて分かるはずもなく、またいつ同じことが起こるかも分からない。少しでも長い時間をアリスと過ごすために、家で服の仕立てを始めた。
アリスが長い眠りについてからこの仕立ての仕事をやめていたが、少しの生活の足しにするためと、アリスのためにまた再開することにした。
もう数着ほどアリスのためにかわいらしい服を仕立てていた。どれもアリスによく似合う服ばかり。かわいいかわいい小さなアリスは、人形のようにまたかわいらしく着飾られていく。しかし、人形のようにアリスのその顔はあまり変わることはなかった。
あれからというもの、アリスの中で何かが変わってしまったのではないかと母は感じていた。まるで心だけがどこか遠くへ行ってしまったかのように、あんなにも明るく元気だったはずのアリスが、今は抜け殻のようにさえ思えていた。
笑わないわけじゃない。喋らないわけじゃない。ただ、どこか人形でおままごとしているかのようなぎこちなさがあった。原因があるとするならば、自分たちがアリスに愛を注げなかったことなのだろう、と思っていた。寂しい思いをさせて心を凍りつかせてしまった、とさえ確信していた。
アリスは、何も悪くない。悪いのは自分なんだ。そう、言い聞かせるように、これまでの自分のしてきたことを省みるように、母はアリスにやさしく、やさしく接するようになっていた。
人形のようなアリス。笑いもする。歌ったりもする。でも、アリスは人形のように、無垢な表情のまま。
時折見せる、三日月のようなあの笑みは、無邪気な子供のソレとは違う何かに見える。素直だったアリスが、人形のアリスになってから、母にはもうアリスが何を考えているのか、分からなくなっていた。
楽しいのか、悲しいのか、怒っているのか、喜んでいるのか。
人形のアリスは、そっけなく、その顔では何も答えてはくれない。
その人形のような瞳の奥に、不思議な世界が広がっていようなんて考えもしなかっただろう。
「あはぁ♥」