若葉の萌える頃合いと呼ばれる時節、世間の気候は実に変化も著しく、羽織を手放せない日もあれば、冷房をつけないと茹だってしまうような日もあって忙しない。
こういう感覚は私――
自身がアラフォーの世代となってようやく理解してきたことなのだけれども、こんな単純な気圧差ですら体調を左右してしまう。もはや昨日よりもちょっと暑い寒いというだけで頭痛に苛まれる年頃なのだ。
特に、私の仕事場であるスーパーマーケットにおいては冷暖房のある中での長時間のシフト勤務は
年功序列といえば聞こえはいいかもしれないが、下の世代の負担を丸ごと背負い込まされる尻拭い係でしかない。
つい最近までは五十代や六十代近い先輩たちがいて、おんぶに抱っこができていたが、とうとうごっそり引退してしまったがために、私にお鉢が回ってきてしまった。
昭和中後期を生き抜いてきたような上の世代から見れば私も若者世代にカテゴライズされるのだろうが、抜けた数人分の仕事を引き受けるほどのフレッシュさはない。
私だって、自分のことを老けた老けたと嘆きたくなどない。
鏡を見るたびに映り込むほうれい線が深くなっていく様にはげんなりとしてしまうし、小じわが増えてきているのを自覚してしまうといよいよと思わざるを得ない。
二十代だったのが十何年か前という事実にすら震える。その頃の私はスラっとして細く、美人だと言われていたが、今に至っては見る影もない。
その当時は「私っていくら食べても太らない体質なんだ」と思い込んでいたものだが、そんなはずがない。新陳代謝が若かっただけの話。今は食えば食うだけ太る。
思えば、私はモテていたのだと今になって理解した。嫌味じゃない。
だけど浮ついたことに
半面、言い換えればそれは青春時代を捨ててきたということ。
周りの知人友人たちはどんどん結婚して、今や子供も何人もいる。腰を落ち着かせて仕事もできている。ただ仕事ができているだけの私よりもプラスが大きい。
昔は私よりもずっと鈍くさい奴なんていっぱいいたし、ブスだブスだと馬鹿にされてきた奴だっていたのに、そんな自分のやりたいように生きてきた奴らよりも今の自分の方がずっと劣っているなんて認めたくないものだ。
私は一人でもずっと頑張ってきたというのに。
じゃあ、今から青春を取り戻せるかって?
運命の相手と巡り合えるのかって?
体型もムチムチになってスタイルも崩れてきた私を好んでくれるマニアックな人がすぐ近くにいるのならそれこそ運命的だろう。それは土台、無理な話だ。
スーパーのパートタイマーの年収で受け入れてくれる人がそう多くいるものか。
そもそも、私はそんな出会いの場を避けて生きてきた身。どんな化粧をして、どんな場所に行って、どんな会話を交わせば人と関われるなんていうノウハウもないし、今さら学ぶ気にもなれない。もう私は
それをそれとして受け入れるべきだということは分かっている。
しかし、現実というものは意地悪な巡り合わせが多い。
仕事場の先輩の年配者がごっそりといなくなった後に、スーパーは当然求人を始めた。私と同年代の人も多かったが、ほとんどレジ経験も浅く、チーフである私が振り回されているような状態になっている。これは、まだいい。
その中に、現役の女子校生が紛れ込んでいた。年齢は十六歳と聞いている。
その新人アルバイト――早川
おかしな名前をしているが、その物珍しさに今ではライラと呼ばれている。
私なんて万年、有仙さんか、チーフか、酷いときにはお
顔は昔の私と変わらないくらい整っているし、スタイルも良いと言えなくもない。
今のところ、一番若いのは彼女なので他の従業員らもこぞってチヤホヤ。
私のときなんかはこんなことなかったのに。
あんなレジ打ちも一日に何回か失敗する子の何処がいいのだろう。
早くもあの子を目当てにしたお客も増えている。わざわざライラのいるレジを狙って会計しようとする男どもは嫌でも目に付く。
あれでいてライラも愛嬌がいい。どんな客にも笑顔を振りまくし、人への取り繕い方も上手い。だからこそ客が増えていくのだろうが。
おまけにちょっとした失敗くらいなら大目に見てもらえるし、いいご身分だ。
あの子が私のスーパーに来てからというもの、本当に環境がガラリと変わった。
まるで、ライラを中心にして動いていると思ってしまうくらい。
こんなにも居心地が悪いと感じてしまうのは私の心が狭いからだろうか。
一体いつまであの子のお守りをしなければならないのか。それを思うだけでもう日々の頭痛が止まない。苛立ちは募るばかりだ。
いっそのこと、私とあの子が入れ替われればいいのに――……。
※
※ ※
※ ※ ※
夜空はやや曇り模様。肌に張り付くような湿気具合に不快感を覚える。
今日もライラは客の前でドジを踏んでいたが、監督不届きということで私が悪いということになった。
あんな簡単なこともできないなんてどういう教育を受けてきたのやら。
帰路に就いた私は何度目かのため息をついてしまう。
トボトボとした足取りも鉛のように重く感じる。
既に時刻は夜十時を回っており、駅の近くまで来ると、日中と違っておかしな輩がやたらと目につく。車が少ないのをいいことに路上でパフォーマンスする若者たちや胡散臭い宗教の旗を掲げて延々と演説をしている団体もいる。
関わってはいけない連中だ。目を付けられる前に、と私は早足になる。
そんなとき、素通りしようとした私の視界の端に、露天商が目についた。
路上のビニールシートを敷き、簡素な台の上に商品を並べている。
何が目についたって、今どきの若い子には分からないような古いアニメの缶バッジやさらに一昔前くらいのキャラクターのトレカばかりだったからだ。
「いらっしゃいお嬢ちゃん、見てってくれや」
気さくそうなおじさんが笑顔で言う。大分年を食っているのか、こんな私をお嬢さんと呼ぶなんて思わず笑いがこみ上げてきてしまう。
本当はさっさと駅に向かうつもりだったが、気付いたら私は足を止めていた。
「懐かしいわね。昔、私の友達がこういうの集めていたわ」
私自身は興味がなかったわけではないが、持っていると子供っぽいとバカにされると思って集めなかった。その当時にして考えてみれば子供が子供っぽいものを持って何が悪いのかと思うが。
当然アニメも網羅していたわけじゃないから名前くらいしか知らないものも多い。男の子向けのグッズもいくつかあるみたいだったが、さすがに分からない。
「最近の子はぁよぉ、どんどん新しいもんばっかじゃ。まぁ次から次へと忙しねえんだからしょうがねえがよぉ。おっちゃん、ついてけんわ」
おじさんがにんまりと笑顔で愚痴をこぼす。
確かに最近のものは数が多いように感じる。マンガにアニメのラノベにドラマに、ポッと出のものだったかと思えば、何故かいきなりヒットして若い子みんな同じようなものを身に着けたり、急にブームが過ぎ去っていったり。
ほんの数か月前に流行っていたはずのものも「あー、なつかしい。こんなのあったね」なんて言われてしまう。若者の時間の流れの早さには驚くばかりだ。
実際、時間の感じ方も違うと聞く。だからといっても供給過多とは思うけど。
「私のころは一つか二つ、アニメやドラマを見ていれば大体話が合いましたものね。本当、色々なものがあって、追いかけられる体力がある若い子が羨ましい……」
夜更かしできる子なんかは色んな話題で繋がれたから、逆にそんなにテレビも見ない私は話の輪の中に入れなかった。今どきの若い子はサブスクとか、インターネットがあればいくらでも昔の番組だって見られる環境がある。
逆に、今の私には無理。そんなのを観ている暇もないし、体力もない。
「そんなお嬢ちゃんに、パラレルスワップカード!」
「はい?」
露店のおじさんが懐から何かキラキラとしたカードを差し出してきた。
昔こんな感じのカードを持っていた男の子もいたっけ。ただ、私にはそのカードに描かれているキャラクターは分からなかった。かなり古いアニメだろうか。
キャラクターの名前どころか、タイトルロゴすら書いていない。
「これはねぇ、願った相手と立場を少しずつ入れ替えちゃう不思議なカードなんだ。入れ替わるのは年齢とか見た目とか環境も全部さね」
見た感じ、カードの中のキャラクターは鏡の前で悪だくみしている顔をしている。
そして、鏡の中にいる別なキャラクターがきょとんとした様子が描かれている。
他人と入れ替わるという表現なのは分かる。
ただ、それを饒舌に説明されたところで所詮フィクションのことだろう。私に関係のあるものではないはずだ。
「今どきの若い子と入れ替われば青春だって取り戻せるっちゅうもんさ。どうだい」
セールストークなのだろうか。売る気マンマンな様子がうかがえる。
やはり深夜。頭のおかしな人しかいないらしい。注意していたつもりだったのに。
「いやでも私、そんなの――」
要らない。そう言うつもりだったが、その不思議なキラキラしたカードを見ていたら気分が変わってきた。確かこういうのってマニアには高い価格で買い取ってもらえると聞いたことがある。ネットオークションなら何万、いや何十万もするかも。
「今ならお嬢ちゃん特別価格! 百円ぽっきりさ!」
「え? ひゃ、百円?」
てっきりもう少しぼったくられると思っていたが、拍子抜けするほど安かった。
昔のカードを出す機械と同じくらいの値段だ。
このおじさんは時代が流れているということを分かっていないのだろうか。こういう人もまあまあたまに見かける。
昭和から続く老舗で当時のままから値段を変えないこだわりの店主とか。今の時代は増税とかでいくらでも値上がりするから合わせていかないと採算あわないのに。
でも百円という値段を聞いてしまったからには食指が動く。私も詳しくはないが、手数料込でも百円以上で売ることができるかもしれないと思ったから。
「税込み価格百円だよ。ビタ一文まからんね」
「じゃ、じゃあそれなら……」
こうして私はよく知りもしないキャラクターの描かれた得体の知れないカードを、露天商のおじさんから百円で買ってしまうのだった――……。
※ ※ ※
安アパートの片隅にある自宅。万年床に腰を下ろして私は冷静になる。
あの露天商から買ったキラキラとしたカードを落ち着いて眺めつつ。
考えてもみれば、価値を知らない人間が価値の分からないものを手に入れたところでどうなるというのか。勝手にこれは高く売れるなんて思いこんだけれど、本当に売れるかどうかさえも不明だ。
せめて何か有名なキャラクターだったらよかったが、ちょっとインターネットで検索した限りでは似たようなものは見当たらなかった。マイナーならマイナーで価値が出そうなものだが、埋もれるほどマイナーなら望み薄といえる。
こうなってしまったら一円でも買いたいという人間を探す方が手間だ。どうしてあのときに気付かなかったのだろう。
たった百円とはいえ、四十歳にもなってこんなのに騙されるとは。
これが千円とかじゃなかったことを喜ぶべきか。
あのおじさんはパラレルスワップカードと呼んでいた。
願った相手と少しずつ立場を変えるカードだとか。
そんなバカバカしいことがあるはずない。
だが、もし願いが叶うとしたらあの子――ライラと入れ替わりたい。
こんな行き遅れのムチムチの中年と、若くてチヤホヤされる学生が入れ替わることができるというのならどんなにいいことか。意味もなく通り過ぎてきた青春時代がもう一度戻ってくるというのなら他に望むものもない。
「あー、バカバカしい。明日も早いっていうのに」
自己嫌悪を拭うように、私は電気を消して毛布を被り、パラレルスワップカードを枕元の方に放り投げた。今日のことはとっとと忘れてしまおう。
そう思いながら私は疲れに誘われるがまま、眠りに落ちていった――……。
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