なんだか今朝は目覚めがよかった。不思議と体が軽いような気さえした。
昨日とは打って変わって空が晴れているから気分の問題なのかもしれない。
あまりにも気分がいいものだから体重計に乗ってみたら実際に軽くなっていた。最近は時間もとれなくて特別にダイエットみたいなことをしているわけでもないのに、何故だか去年の今ぐらいの体重にまで落ちている。
ここのところ激務が続いていたから疲労も溜まっていたのだろうか。こういうところでも年を実感できてしまえるのが嫌だ。
ただ顔を洗いに洗面所に向かうと、鏡の中の自分が少しだけ若く見えた。きっと気のせいだろう。昨日の今日でそんなに変化があるはずもない。
今日のスーパーのシフトは朝からライラと被っているから憂鬱だ。昨日のトラブルの一件もあるし、向こうもあまり顔を合わせたくないのではないだろうか。
だからといって、チーフである私が抜けるわけにもいくまい。
一体今日はどんな尻拭いをさせられるのか。
せめて私の方に飛び火しないことを祈るばかりだ。
※ ※ ※
「おはようございまぁす! 今日もよろしくお願いしまぁす!」
フレッシュな挨拶が飛び込んでくる。
そこに返すように元気のいい挨拶がまた飛び交う。
私は開店までの準備で忙しかったというのにアルバイトの学生たちはいい気なものだ。この仕事に関しては正社員にしかできないのだから仕方ないとはいえ。
ライラを中心に今日もきゃいきゃいと騒がしくなる。いつからここは女子校になったのだろうか。仮にもこの場を取り仕切っているのは私だというのに、大きな輪の中に自分が入れていないことに壁を感じてしまう。
「それでは、今日も一日がんばっていきましょう」
「はぁい」
返事だけはいい。でもすぐにまた若い子は若い子同士で固まってしまい、雑談が始まる。私語は慎むようにとは言っているが、喋るの禁止とまでは言っていない。
最近の若い子は禁止されていないなら大丈夫と考える子が多くて困る。周りの空気を読んで行動をするということを教わったりしないのだろうか。
「ねえねえ、ライラ、背ぇ伸びた?」
「うーん、どうかな。最近そんな伸びてないと思うけど」
「ライラは十七歳だからまだまだ伸びるって」
「そうかなぁ」
そんな若い子たちの耳障りな談合を横目に、ふと疑問がよぎった。
ライラは十七歳だったっけ。確か十六歳だったような。
本人も訂正しない辺り、私が間違って覚えていただけなのかもしれない。
たかだか一歳違うくらい、大したことではない。
そんなことよりも、私はチーフとしての仕事に追われ、それどころではなかった。
来月分のシフト表もまだできていないし、在庫管理の方もまだ途中だ。レジの前で会計だけしていればいいアルバイトと違って私は忙しいんだ。
持ち場へと向かっていくライラと、その同年齢の彼女らの背中を、私ははたしてどんな表情で見つめていたことだろう。恨めしい、嗚呼、恨めしい――……。
※
※ ※
※ ※ ※
翌日のこと。
私はいつものように事務局のテーブルについていると、ライラがやってきた。
今日は確かシフトの日ではなかったはずだが。
「あのぅ、チーフにお願いしたいことがあるんですけどぉ……」
この忙しい時間に来るということはよほどのことなのだろうか。私としては手短にさっさと済ませてしまいたい一心だった。
「来月のシフトを少し減らしていただけませんか?」
ここでさすがに私はカチンときたが、どうにか抑えた。シフト表はやっと作り終えたところで印刷しようと思っていたところなのに、今になって変更は遅すぎる。
せめて一週間前から言ってもらうべきところだ。
「理由を聞かせてもらえるかしら」
私は笑顔を心掛けたつもりだ。営業スマイルなら慣れている。
「私、来年から受験なので勉強を進めないといけないんですよぉ」
申し訳なさそうに言うものだから納得しかけたが、違和感を覚えた。
ライラはまだ十六歳――いや十七歳だったか。はたして今の時期に受験勉強はするものだったか。さすがにちょっと早すぎるのでは。
だが、最近は何もかも早い時代だ。
今から受験勉強するのも当たり前なのかもしれない。確か、知り合いの子も高校一年からもう進学を考えてたとか言っていたような気がする。
「分かりました。シフトは組み直しておきます。今度からはもう少し早くに言ってくださいね」
「はい、すみませんでしたぁ……」
そういってしょんぼりと会釈しながらライラが踵を返す。
……はて。あの子はあんなに丸かっただろうか。太っている方ではなかったと思うが、ちょっぴり足が太くなっているように見えた。
まあ、あのくらいの時期の子なら成長も早い。ちょっと目を離した隙に大きくなっても不思議ではないのだろう。私の記憶違いだった可能性もある。
それはそれとして、ライラのせいで余計な仕事が増えてしまった。穴埋めに他のアルバイトに声掛けしていかないといけない。こういう汚れ役にまわってるからみんな私に嫌な顔をするんだ。勘弁してほしい。
「あ、おはよう、有仙くん」
事務所に白髪の男がぬるっと入ってくる。
よく見慣れたその顔はこのスーパーの店長だった。
「店長、おはようございます。今、開店の準備を進めますので」
時計を見ていたら結構な時間だったので私は急かされた気持ちになる。その一方で店長は相変わらずののんびり屋で無精ヒゲを生やしている。
「うん、それはいいんだけど、ライラくんのことは聞いたかい? 受験だってさ」
「ええ、さっきそれでシフトを変えてほしいって。高校一年なのに大変ですね」
「ん? ライラくんは高校三年だろ。今、十八歳だったはずだし」
噛み合わない返しに、私は首を捻る。私は別の誰かと勘違いしていたのだろうか。
だけど、ライラは学生アルバイトの中で一番若いと記憶していた。そうなると十六歳か十七歳ぐらいになる。十八歳や十九歳の子は他にもいたはずだから。
「ええと、まだ履歴書もあったはずだよ。この引き出しの……」
店長がデスクを漁り、一番大きな引き出しからファイルを引っ張り出してくる。そこにはこれまで面接に来て採用された人の書類が綴じられていた。ライラは今年の春に入ってきたばかりだったので履歴書は見つかった。
「ほら、やっぱり十八歳だよ」
「本当に?」
確認してみると生年月日をどう読んでも十八歳で間違いなかった。
昨日までずっと十六歳だと思っていたのに、こんなにも酷い記憶違いもあるものか。狐に抓まれた気分だった。
「有仙くん、君も再来年で四十になるとはいえボケるには早いよ」
「え?」
「それじゃあシフトの件は任せた。僕は支店の方にも顔出してくるから」
私の言葉もすり抜けていくように、さっさと店長は去っていってしまう。また変な違和感だ。再来年を待たずとも私はもう四十歳だというのに。
店長もそろそろボケてきた頃合いなのだろうか。
ただ、そのとき、私は奇妙な予感がした。この記憶違いが年によるものだと思いたくなかったというのもあるが、ライラのときと同じに思えたから。
まだ開けっ放しになっていた引き出しから古いファイルを引っ張り出す。まだ仕事も残っているからこんなことしている暇もないのだが……。
「……あった」
自分の履歴書だ。自分で書いた字、自分で貼った写真。間違いのないように何度も書き直していたからここにおかしな情報が書いてあるはずはない。
そう思っていたのに、私の奇妙な予感は的中していた。
「三十八歳? どうして?」
これも同じだ。どう読み解いてみても、私の年齢は三十八歳。二つも若返ってる。
ライラは二歳も増えていたのに。
書き間違えか、記憶違いか。それとも誰かによる悪質な悪戯か。
さすがにこれはおかしすぎると思い、店長を含めた今の従業員の年齢や情報も調べてみたが、これに関しては記憶の通りで何処も変わってはいなかった。
どうしてよりにもよって私とライラの年齢だけが書き変わっているのか。
いや、年齢が書き変わっているだけじゃない。実際にライラは受験生になっていたし、体つきも若干であるが変わってきていた。
すらっとしたカモシカのようだったのに、肉付きがよくなったような。
そこまで思い至り、私の脳裏に浮かんだものがある。
――パラレルスワップカードだ。
一昨日の夜に露店のおじさんから買った、何のアニメかも分からないキャラクターの描かれたキラキラの不思議なカード。
願った相手と少しずつ立場を入れ替えるといっていた。
まさかそんな、フィクションみたいなことが現実に起こりうるものか。しかし、少しずつではあるが、私とライラに変化が起きている。質の悪い記憶障害でもなければそれ以外に考えられない。
あんなお菓子のおまけみたいなカードにそんな効力があるとは。
だが、まだ早合点してはいけない。もう少し様子を見るべきだろう。私は心の奥で何処かときめくような興奮を抑え、今日の業務に臨むのだった――……。
※
※ ※
※ ※ ※
――あれから少しずつ分かってきたことがある。
一日ごとに私の年は一つ若返り、その代わりにライラは一つ年をとっている。
今では私も三十五歳で、ライラも二十一歳だ。
私の立場はあまり変化している実感は沸かないが、ライラはバイトリーダーになっていた。今年未経験で入ったばかりでその待遇は破格といえる。
とはいえ、ライラにはノウハウがほとんどないし、簡単な作業しかできないのでかなり四苦八苦している様子だ。加えて、それまで見過ごされていたミスもスルーされなくなっていた。
ほんの数日前までは同年代だったはずの子たちもライラの後輩になっていて、いつも同じグループで囲んでいたのに今では少し輪から外れかかっている。
むしろ無能な上司のように思われていて、少しずつ煙たがられているようだ。
私はそんな変化を認識することができているが、どうやら私以外は変化していることを認識できていないらしい。当然ライラも、自分が少しずつ年をとっているなんて思いもしていない様子。
いつの間にか受験も終えて、いつの間にか大学に入学して、いつの間にか就職を考える時期になっている。私からすれば辻褄があっていないのだが、ライラ当人には全て通ってきた過程らしい。何処で整合性がとれているのやら。
明日か明後日には大学を卒業していることになるのだろうが、そうしたら彼女は一体何者になっているのか、期待しないでもない。
何の気なしにパラレルスワップカードを見てみたら絵柄が変化していた。よくある角度を変えたら変わるというものではなく、本当に違うイラストになっていたのだ。
確か初めて見たときは鏡の前にいたキャラクターが悪だくみした顔をしていて、鏡の中にいる違う誰かが何も知らないきょとん顔しているイラストだったはずだ。
それが今では、鏡の前の悪そうなキャラクターが鏡に手を突っ込み、鏡の中にいる誰かを引っ張り出そうとしているイラストになっている。
いつの間にこんなイラストに変わってしまったのだろう。
あまりにも不気味としかいいようがなかったが、もしこのままカードのイラストの中の二人が完全に入れ替わったらどうなるのだろうか。
それを思うと、私は密かにほくそ笑んでいた。
心なしか、最近の私は健康的だ。まだ弛みがあるような気もするが、肌も若返っている気がするし、ムチムチの贅肉も日に日に減っていっているように思う。
もう着れなくなったと思っていた昔のお気に入りもすんなり入るようになったし、気圧差で頭痛を感じることもなくなったし、長い病気が治ったような気分だ。
その一方で、ライラのスタイルは崩れてきていた。まだちょっと肉付きがいい程度の学生で、若々しさは残っているが、あのままだと近いうちに着る服に困るようになるのではないだろうか。
私はパラレルスワップカードをキレイな額縁に入れて、目につくところに飾ることにした。新しい楽しみができて、明日がくるのがだんだん嬉しくなってきた。
こんなにも朗らかな気持ちになれることがあるなんて、本当に夢を見ているよう。
これから私はどう変わっていくのだろう。ライラもどうなっていくのやら。
私だけが知っている、私だけの秘密。
額縁の中でキラキラと光るカードは今の私にとって宝石のような輝きにも見えた。百円なんかでは安すぎる、何万、何十万積まれても手放したくない宝物。
ずっと一人で頑張ってきた私へのご褒美なんだ。
ほのかな期待を胸に抱いて、私は布団に横になり、電気を消した――……。
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