「チーフって、なんだかみんなのお母さんみたいですよね」
レジ打ちの指示を与えているときに、ふと言われてしまう。ようやく私もレジの打ち方も達者になり、後輩にもちゃんと教えられるようになった途端にこれだ。
私って、そんなに老けているように思われているのだろうか。
でも三十五歳ともなればそんなものなのかもしれない。学生アルバイトの子からしてみれば二十歳近い差もある。そう考えてみれば、私が二十歳に子供を産んでいれば計算は合うことになってしまう。
そうか、私は既にお母さんなんて呼ばれる年ごろだったのか。それに気付いてしまって私はゾッとしてしまった。いつまでも自分が若い子の延長線上にいると思っていたのに、既に年齢という壁は彼女たちとの大きな隔てりとなっている。
ショックのあまり、めまいがしてきた。
「早川チーフ、いえお母さん。また分からないところあったら教えてくださいね」
学生の無邪気なその笑顔は、どうしてこんなにも残酷に思えてしまうのだろう。
私とはもう違う生き物であるかのように認識されているからだろうか。
三十五歳なんて、世間からしたらまだまだ若い方のはずだ。
だって人生百年時代って言われちゃってるくらいだし。なら、まだ半分でもない。
それでももう、私は若者というカテゴライズから外れている。
自覚できていなかったことに、いっそ恐怖も覚える。
まだ若いつもりでいた。まだ私はあの若い子の中にいるつもりでいた。
そんなはずがないのに。
だって、鏡を見れば、ほうれい線の深い顔と対面する。小じわの隠しようがないくらい増えてきてしまっている。化粧で誤魔化さないといけないレベルだ。
体重も随分と増えてきた。着れる服もなくなってきたし、学生時代の服など窮屈で仕方ない。今の私に着れるのはおばさんみたいな婦人服だけ。
私、こんなんだったかなぁ。
ずっと自分は自分として生きてきたつもりなのに、私じゃない気がしてくる。
それだけ自分と向き合ってこなかったということなのかもしれない。
現実を見れば、もう熟女と呼ばれても仕方のないような自分がいる。
さっきのアルバイトの子みたいに、お母さんだとか呼ばれてしまうくらい。
かつての若かったころの自分を思い出そうとしても思い出せない。
どうしてだろう。忘れてしまったのだろうか。
気付いたら自分は自分になっていて、前の自分が分からなくなる。
本当に今の私は、私なのだろうか。
この拭えない不安は、胸の内をじわじわと染み込むようだった――……。
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「あ痛ぁっ!」
目を覚ましてすぐ、ベッドから起き上がろうとして酷い頭痛に襲われた。
風邪をひいたという感じではない。気圧差だろうか。
まだ三十六歳だっていうのにちょっと気温が下がったくらいでこんな調子なんて。
最近は体力もグンと落ちてしまったように感じる。
元々運動するようなタイプでもなかったし、力仕事だって他人に任せてきたからこれからもそれでいいと思い込んでしまっていたけれど。
だって、昨日の疲れが全然とれてない。一晩休んだのに。
それに右腕も妙に痛い。これは筋肉痛だろう。ただ、昨日は右腕を酷使した記憶はない。それは一昨日だった気がする。
筋肉痛が遅れてくるってことは、やっぱりこれも年のせいか。
ゲームの宿屋みたいに、一泊したら全回復なんてのも夢のまた夢か。若いころはそれでもちゃんとリセットされてた気もしたが、あのころとは新陳代謝も違うんだ。
溜め息しか出てこない。なんでまだ朝起きて何もしていないのに溜め息をついてしまうのだろう。そんな自分にも嫌気がさしてきてしまう。
「……よっこいしょ」
ベッドから立ち上がるとき、自然と出てしまった掛け声にもハッとしてしまう。
いよいよおばさん、まっしぐらか。
顔を洗いに洗面所に向かうと、そこには老けたおばさんが立っていた。
当然、それは鏡に映る私の姿だ。
これでも昔は可愛かったのよ、なんて言ってもおばさんジョークにしか聞こえないんだろうな、ってくらい酷い顔をしている。
人って年を食うとこんなにも顔が変わっていくものなんだなって思う。
タンスを開き、着替えを探る。見慣れている光景なのに違和感を覚える。
私こんなババ臭い下着しか持ってなかったっけ。可愛いのもあった気がするのに。
かといって昔着ていた服ももう着れないし、無理に着たところで若い子たちに「ババア無理すんな」って笑われるのが目に見える。
そうでなくとも仕事場では「お母さん」だのなんだのって言われてるわけで。
今日のシフトの子たちにも小馬鹿にされないか不安を覚えないでもない。
私だってしっかりと仕事をしているつもりではあるんだ。
でもやっぱり、ちゃんとできないところも多いから、何処かなめられてるところはあるんだろうなぁ、ってのは薄々じゃなくて普通に感じている。
こんなアンニュイな調子で今日も仕事できるんだろうか。
一日の始まりだというのに私の心は曇り空のようにどんよりと重かった――……。
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そういえば、私ってもう三十八歳なのか。
漠然とそんなことを思いながらレジ打ちしていた。
チーフという立場ではあるものの、それを立派って言えるのか疑問だ。
小さなミスは多いし、そのせいで上にも下にも迷惑を掛けている。
なんなら、学生アルバイトの子たちの方がずっと優秀で、私なんかよりもずっと上手に仕事をこなせている。特に、有仙さんって子が飛びぬけて凄い。
今、十八歳くらいだったっけ。まだ高校生なのに既にバイトリーダー並み、いや、もはやチーフとしても動けるくらいテキパキとよくできた人だ。
私よりも二十歳も年下なのに、立派なものだと感心してしまう。
他の同年代の女の子たちも彼女を可愛がっている様子もよく見かける。
その一方で私はといえば、正社員が三十代、四十代に詰まっているから専ら会話できる相手はそっち側になってしまうわけだけど、これがなかなか馴染めていない。
同じ正社員でありながら、向こうはバリバリのベテランで、私はアルバイト並みの仕事しかできない。そういう面もあってか、同じ立場の人間だと思いたくないのかもしれない。いつも尻拭いばかりしてもらっているのも事実だし。
アルバイトの子たちは、カラオケに行きたいとか、新しい服を買いに行くとか、とりとめのない会話で楽しそうにしているのに、私のグループは話題のほとんどが仕事に対する愚痴と説教ばかり。
私も若い子のグループに混ざりたいと思っても三十八歳ではやはり無理があるか。彼女たちと交わせる会話も、雑談よりもやはりチーフとしての仕事話しかない。
一緒に買い物に行きましょうとか、今度食事にでもどうかなとか、そういう話につなげられない自分が本当に嫌になる。
みんな私のことをお母さんだとかなんだとか言ってるくせに、敬っているような節もなく、からかいが九割のようだ。いつも軽くあしらわれてしまう。
こうやっていつも、若い子の方に首を突っ込もうとしているから煙たがられているんだ。我ながら嫌な性分をしていると思う。
何処か、自分の中ではまだ自分は若いつもりでいるのだろう。こればっかりはどうしようもない。そろそろいい加減、自分のことを理解するべきだ。
三十八歳の私が、若い女の子たちの中に混ざれるはずもないのに――……。
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私って――私だよね?
鏡を見る度に、私は現実から隔離されているかのような違和感を覚えてしまう。
私が私自身のことを忘れるはずがない。
でもどうしてか、ここのところは自分で自分のことが分からなくなることが多い。
私は、早川頼楽。昔はライラって呼ばれてた。
今は三十九歳の独身で、スーパーのレジのチーフをやっている。
そう、これが自分。私自身のはず。なのに、何故分からないのだろう。
ここのところは仕事が忙しくて心がまいっちゃっているのかもしれない。
それともなんだろう。私は自分のことで、何か忘れているのだろうか。どうして今の自分が自分じゃないと思えてしまうのか。間違いなく自分は自分なのに。
きっと、現実が認められないのだろう。
鏡の中に映る、今にも加齢臭が漂ってきそうな、しわの目立つおばさんが自分自身だなんて思いたくもないんだ。
でも世間的言えば四十代を迎えれば熟女と呼ばれる年ごろらしい。このむっちりとした肉厚感はまさに熟れている貫禄が仕上がってきている。
婚期は間違いなく逃してしまったことだろう。もう私に新しい出会いは望めない。
若作りして、若い子を騙して、年を誤魔化さなければ伴侶もつくれない。
煌びやかなキャリアを積んでいるのならまだしも、三十九歳にもなって仕事場で先輩にも後輩にもなめられている立場じゃあ中身にも魅力はない。
魅力的っていうのは、有仙さんって子のことを言うんだ。
十七歳で若いし、見た目も可愛ければスタイルも抜群。その上、仕事もできる。
仕事場に来ている同年代の女の子たちの話を横から聞いた限りでは、最近彼氏を作り始めたとか。有仙さんもああ見えて攻めるタイプなんだ。意外ではある。
でも、有仙さんみたいな子にすり寄られたらどんな男も落とせるだろうなぁ。
人と付き合うならやっぱり若いときに限る。青春なんて一瞬で去るんだから。
私も昔はもっと可愛かったはずなのに、どうしてそうしなかったのだろう。
もしも、私が今若かったらきっと彼氏を作っていただろうに。
私はどうして――私なんだろう。
今の私がいるのはどうしてなんだろう。
鏡に向かって問いかけてみても、鏡の中にいる熟女の私は真実でしかない。
自然と目頭が熱くなっていくが、一体私は何に対して涙を流しているのか。
この感情は何なのだろう。自分に対する失望? それとも他人への嫉妬?
……分からない。
これまでの自分は何をしてきたのか。何も思い出すことができない。
自分のことなのに、全部忘れてしまったみたい。
私って、一体、誰だったっけ――……。
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