「ごめんね、つきあわせて」
カフェテリアの目立たない端の席で、キラはミリアリアに頭を下げた。
目立たないといっても、すれ違い様にキラへ会釈や愛想をおくる女性スタッフは多い。真面目なキラは流すということを知らないので、いちいち全部に返事を返して、それがまた彼の人気を高めてしまう。
その様子を見ながら、ミリアリアは眉間に皺を寄せた。
こりゃあ、ラクスさんも大変だわ。
「古い友人のよしみで協力してあげるんだから、気にしないで。それより、ちゃんと調べてきた?」
「うん、寝てる時に。ラクス、いつも朝まで抱きついたまま眠るから、調べるの大変だったけど」
相変わらず、天然だな。のろけているという自覚がまるでない。さっきキラに艶っぽい視線を送ってきた女性たちに聞かせたら、面白そうではある。
「でも、なんで五本とも?」
「選んでたら、直前で気が変わるかもしれないでしょ? 準備しておくに越したことはないのよ」
まぁ、半分本当だが、半分は嘘だ。
恋人でもないのに、見られるリスクを冒してまでつきあってやるのだ。これくらいのいたずらは可愛いものだ。
それに、アスハ代表にも承認は得た。
「今、しあわせ、キラ?」
キラはきょとんとした顔をした後、目を細めて微笑んだ。
「うん。すごく」
「どうした、ラクス?」
カガリのプライベートルーム。
昼食中に、向かいのソファーからカガリが心配そうな顔を向けて、ラクスは顔を上げた。
「考え事か?」
「いえ、そんなことは」
言いながら、眼鏡のテンプルをしきりにクリクリと触ってしまう。髪をツインテールにして伊達眼鏡をかけるというささやかな変装だが、どうも慣れなかった。
「キラのことだな」
推し黙ったラクスが頬を赤らめたので、カガリはやれやれと両手を頭の後ろへやった。
「モルゲンレーテでは人気者らしいからな、あいつ」
ファウンデーションが起こした一連の事件から数ヶ月。
ラクスとキラは公にはいまだ行方不明のままだが、ほとぼりが冷めてきた時期を見計らって、カガリは二人にオーブの仕事を手伝ってもらっていた。
あまり顔を出さない方がいいラクスはカガリの公務の手伝いを(実際には、カガリが執政についてかなりの相談をラクスに持ちかけているわけだが)、キラはモルゲンレーテ社で技術士官として、機体・兵器の整備、シュミレーションでのテストパイロットや教官をこなして、日々を過ごしている。
ラクスが気を揉んでいるのは、キラの女性人気が高いらしいという噂を聞くようになったからである。
「そりゃあ、モビルスーツ弄らせても一級品だし、操縦テクニックは指折りのエースパイロットなわけだし。おまけに誰にでも優しいしさ。誰だこいつ、ってなるよな」
ラクスがスンと拗ねたような表情を見せたので、カガリは慌てて口をつぐんだ。マズい、調子に乗りすぎた。
キラは変わった。
近頃の彼には、やさしさと凛々しさと子どもっぽい純粋さが同居していた。その不思議な余裕と包容力は、男女問わず彼に惹きつけられる要因になっていた。
それはラクスがキラに注ぎ続けた真摯な愛情ゆえの変化なのだが、そういうことに、えてして当の本人は気づかないものだ。
ちなみに、ラクスも首長官邸内での人気はかなりのものだったが、カガリの監視が厳しく、誰も表には出してこない。
「キラのことは信じていますから、大丈夫ですわ。今は少しでも、お互いにできることをお手伝いすべきです」
憂いを帯びたラクスの表情に、カガリは苦笑する。
公務の手伝いを依頼してからラクスが用意してくれるようになった目の前の弁当はとても食べ切れる量ではなく、ラクスの言葉と矛盾していた。この分だと、キラの方の弁当の量は凄まじいことになっているだろう。
「明日、キラも休みなんだろ?」
「えぇ、そうですわ」
「いい週末になるといいな、ラクス」
「?」
にんまりと口角を上げるカガリに、ラクスは小首を傾げた。
デミグラスソースのオムライスを口に含んで、ラクスは思わず頬に手を添えた。
「どうかな、ラクス?」
「とっても、美味しいですわ、キラ」
横からラクスの手元を覗き込んでいたキラは、ほっと小さく息を吐き出した。
愛情という色眼鏡を抜きにしても、キラの手料理は美味しかった。最近、彼は晩御飯や朝食にチャレンジして、ラクスを休ませてくれる。
「あの、ラクス……?」
「どうされましたか?」
「なんだか、今日は近くない?」
「そうですか?」
今日は隣に座って食べたいと言い出したのはラクスだったが、並んだイスが接触してしまっている。肩は触れ合い、そうするとキラの手は彼女の太ももへ落ち着くしかなかった。
「あの……ラクス?」
「はい?」
食後にキッチンでキラが洗い物をしている最中も、ラクスはキラの背後から両手を回して、抱きついていた。歯磨きの時まで体を寄せていたが、磨きにくくなかったのだろうか。
「ラクス……」
「キラ……」
唇を重ね、体をひとつにして。
いつ果てるともなく、吐息を交換する。
前後に揺れる髪や汗ばむ体温、甘く歪む彼の表情。それらを知っているのは自分だけだという優越と高揚を感じながら、身も心もひとつになる。
人間の欲には際限がない。
ーキラを、誰にも渡したくない。
本当はもう、昼間だってずっと離れずそばにいたい。
「風がやさしいね」
朝起きてからもずっとキラにひっついたまま、海辺へ散歩に出た時も、ラクスはキラの腕を両手で抱きすくめていた。
海岸に人はまばらで、ラクスは眼鏡を外してポシェットにしまった。今日は髪もおろしている。キラと出かける時に、偽物の自分を見せたくなかった。
薄い雲がたなびく青空は水平線の向こうで交わり、陽光は眩く波間をたゆたう。そんな景色を見ながら、二人は手をつないで渚に長い足跡をつけた。
「ラクス……」
ふいに、キラが手を離して立ち止まる。
声が震えていた気がして、二、三歩行き過ぎたラクスは振り返った。
「キラ?」
「あの……これ。ずっと……お給料、入ったら、買おうと思って、て……」
頬を紅潮させたキラが、しどろもどろに言葉を紡ぐ。胸までかかげた手の中には、縦開きの小さな四角い箱があった。
ーえ……。
太陽が反射して、箱の中心が淡く光る。
プラチナのシンプルな指輪だった。
キラが指先でそれをつまみ上げた時、ラクスの顔もようやく真っ赤に染まった。
「ぇ……キ、キラ……?」
「プレゼント、あんまりあげたことないなって、思って……こんなものしか、思いつかなくて……」
視線を上げたラクスは、キラを一点に見つめたまま、動かない。
動けない。
「左手、い、いい……?」
ラクスの返事を待たず、キラは彼女の左手をそっと持ち上げると、指輪を中指へ通そうとした。はずみでリングケースを砂浜へ落としてしまうが、拾っている余裕はなかった。
「あ、あれ……?」
だが、うまくいかない。第二関節から奥へ入らない。
「そんな……」
人差し指も試してみるが、やはり通らない。親指はもっと無理だ。逆に小指には大きすぎて、外れてしまう。
カガリに相談した時、ジュエリーショップへの同行にミリアリアを推薦された。その時、二人が交わした視線によからぬものが混じっていたことをキラは思い出したが、頭の中がパニックでそれどころではなかった。
「キラ……」
ラクスの声にハッとなって、顔を上げる。
ラクスはキラを見つめたまま、ぽろぽろと涙を流していた。
「あぁ、もう、どうしよう……」
雫は頬から首筋を伝って、ワンピースの胸元に小さな染みをつくった。
「大好き」
キラの心臓が、とくんと跳ねた。
そこは、いつかは贈ろうと思っていた場所だ。
キラはラクスが大好きな笑顔と共に、指輪を彼女の薬指へエンゲージした。初めからそこにあるのが当たり前だったように、リングはラクスの薬指へきれいにおさまる。
「ラクス」
「はい……」
「僕と……その……僕のっ……!」
言葉は拙ない。
でも、ありふれた言葉でよかった。
キラが紡いだ言葉に、ラクスは何度も頷いた。
「はい……。よろこんで……キラ!」
キラがラクスの目尻を指先で拭って、ラクスがキラの胸に飛び込む。
くちづけは、震えるほどやさしかった。
抱き合う二人をあたたかな風が包み込み、世界を二人だけのものにした。
今だけは、誰に見られたってかまわない。
二人はもう、何者でもない。
了