もしも愛に形があるのなら。
それはきっと、こんなやさしい、ふわふわのー。
◯
「お手伝いさせていただきます、カリダ様」
エプロンを首からかけようとしたところで声をかけられ、カリダ・ヤマトは戸口の方を振り返った。
「ダメよ、ラクスさん。今夜はあなたとキラが無事に帰ってきたお祝いなんだから、休んでいてくれないと困ります」
無事に帰ってきたーというのは言い得て妙だなとカリダは思う。ラクスとキラの今の住まいはここではなかったからである。
ファウンデーションという国家が主導した戦争行為。二人がその渦中にあったことはわかる。だが、カリダも夫・ハルマも、二人が自分から話をするまで、深い内情を訊くつもりはなかった。
こんな世の中だ。生きて顔を見られること以上の贅沢はない。
「私も、あれから料理の腕は磨いておりますわ」
ほほえむラクスはカリダよりも先にエプロンを装着していて、手伝ってもらう以外の選択肢はなさそうだった。
そうだった。この娘は、見かけによらず頑固なのだ。
カリダは、初めてラクスと出会った頃のことを思い出していた。
キラとラクスが、二人で再びマルキオ導師の元を訪ねてきたのは数年前のことになる。
ラクス・クラインといえば、第一次連合・プラント大戦時には複雑な立ち位置にいたプラントのアイドル的存在であり、そんな人物をキラが連れ帰ってきたことにカリダとハルマは驚きを隠せなかったが、実のところカリダは当時のことを詳細に覚えていない。
息子が生きて帰ってきたこと。それを悠長に喜んでいられないほど、息子の心が壊れていたからだ。
受け答えはしっかりしていたが、感情に起伏がない。息子の心が、この場所になかった。人里離れた無人島で孤児たちと過ごす時間が緩やかなことだけが救いだった。
親にできることといえば、見守ることと、食べさせることだけだ。
「お料理を、教えていただけないでしょうか?」
ある日の夕暮れ。
キッチンで、ラクスは真面目な表情でカリダにそう言った。
これはよく覚えている。まるで命懸けで勝負を挑んでくるような剣幕に、彼女が思い詰めていることは一目でわかった。
「けっこう大変よ?」
夫やキラの分だけでなく、孤児たちの分までまかなわなければならない。ラクスは掃除や洗濯をよく手伝ってくれていたが、大人数相手の料理というのは、勝手が違うところがある。
「承知しております。ですが私も、もっとお役に立ちたいのです」
キラの役に立ちたいーのだろうと、カリダは見抜いた。
〝これは……〟
初めてカリダのだし巻き卵を食べた時、ラクスは左手を口元に添えて感嘆のため息をもらした。
〝カリダ様の愛情が、そのまま形になったようなお料理ですわ〟
〝すごいよね。美味しいんだ、母さんの料理〟
ラクスからの羨望の眼差しがこそばゆかったことを、カリダは記憶していた。
「でも、ラクスさんには充分家事を手伝ってもらっているし、無理しなくていいのよ?」
「ですが……キラは、カリダ様のお料理を食べている時は、とても笑顔になるようですので、その……」
目線を逸らすラクスがほほえましく、カリダはそれ以上のいじわるをやめることにした。
恋と料理の相性は良い。キラの心をときほぐすなら、確かに手料理が一番だろうとカリダも思う。
しかし、問題はすぐに発生した。
ラクスにサラダの下ごしらえをお願いしたら、頬を少し膨らませ、口を固く結んだままふるふると震えて動かなくなってしまったのである。
一点見つめをしている手元を覗き込んで、カリダにはすぐにその理由がわかった。
「こらっ、もう」
包丁を掠めてぷっくりと血が溢れるラクスの指先を、カリダはすぐに水で洗い流した。
「申し訳ありません……」
「違うわ」カリダは息子を叱る時と同じ口調で諭した。
「怪我をしたのなら、我慢せずにすぐに言いなさい。女の子なのに、痕が残ったらどうするの」
「はい……」
カリダは料理を手伝ってもらうのではなく、〝教える〟ことに変更した。
「包丁はこう持って、逆の手は指を丸めるの。そうすれば手を切らないでしょう?」
「はい、カリダ様」
元々努力家で要領もいいラクスは、すぐに料理を覚えた。
だが、ヤマト家直伝のだし巻き卵だけは、なかなか苦戦するようだった。
「東洋の料理だし、難しいわよね」
「私の腕が悪いのです。精進いたします」
とはいえ、濃いめのだしをとるのと、細く巻いて芯を作りながら、ふわふわに仕上げるのは至難の業だ。食卓には、しばらく形の崩れただし巻き卵「らしきもの」が並ぶことになった。
けれどカリダは、心配していなかった。
「おいしいよ、ラクス」
キラはラクスの料理を食べながら、ほんの少しの笑顔を見せた。壊れた心の隙間から、ラクスへの愛情を覗かせた。
そんなキラの様子に、はにかむように頬を赤らめるラクスを見るのが、カリダは好きだった。
「片付けは、僕がするから」
「いけませんわ、キラ」
洗い物をしようとするキラの隣に、ラクスは立つ。ほんの少しーキラの側へ体を寄せながら、ラクスはキラと一緒に洗い物を片付ける。
「ダメですわ、キラ。もっとしっかり食べないと、倒れてしまいます」
料理が上手くなるにつれて、ラクスは少し大胆になった。
膝立ちで「あーん」をしようと腕を伸ばすラクスに、キラはまんざらでもなさそうな顔のまま、頬を染めて目線を逸らす。
「食べるっ! 自分で食べるから……。みんなが、その……見てる、から……」
「あ……」
孤児たちが囃し立てて、二人は俯く。
しあわせな日々だったと思う。
ブレイク・ザ・ワールド。世界が再び壊れた後、二人が自分たちの元を去った時、カリダは涙した。それは息子の身を案じてのことだけではなかった。
ラクス・クラインは、普通の女の子だった。恋をして、大切な人に元気になってほしいとーずっと側にいたいと願うだけの、やさしい女の子だった。
血が繋がっていなくても家族になれることを、カリダとハルマは知っている。
ラクスはもう、自分たちの娘だったのだ。
◯
「あら、すごい」
カリダはラクスが仕上げただし巻き卵を見て思わず声を上げた。
しっとりと、きれいに形が整っただし巻き卵。味見をしなくてもわかる。ヤマト家直伝の味はもうすでに免許皆伝らしい。
「あの子、これならよろこんで食べるんじゃない?」
「はい、おかげさまで」
カリダに褒められたことがうれしいらしい、ラクスは目尻を崩してほほえんだ。
二人並んで前に向き直る。どんな事情であれ、キラとラクスが生きて帰ってきたお祝いだ。料理はまだまだたくさん作らなければならない。
「家事をする時間はあったの?」
キラとラクスが自ら過酷な状況に身を置いていたことを、カリダはラクスからの連絡で知っていた。だが、この数週間に何があったのか、やはりカリダは訊かなかった。
家族がする、普通の話をしよう。心の整理がついたら、この子たちはちゃんと自分から話してくれる。
「キラが戻れない日も多かったので、料理の練習をする時間はたくさんありました」
「そう……」
「でも、まだまだかないませんわ……」
ラクスは野菜を切る手を止めて、小声になった。
「お養母様」
そこだけは、はっきり聞こえた。
「……の、料理の、腕、には……」
フライの下ごしらえをするカリダの手も止まる。
鍋の煮立つ音。
再びラクスが包丁で野菜を切る音。
キッチンに、穏やかな夕暮れの音がした。
「しばらく、ゆっくりしていきなさい。キラも、ラクスも……」
「はい」
頬を赤らめ、視線を交わしてから、二人は笑顔で目を伏せた。
「お待たせしました、キラ」
食卓にカリダとラクスの手料理が並ぶ。ラクスの作る量の多さにカリダは驚いたが、出来栄えはどれも、カリダが作る料理と遜色なかった。
なにより、ふたつ並べただし巻き卵を、どちらがカリダでどちらがラクスの作ったものか、キラに見分けがつくだろうか?
けれどカリダは、心配していない。
「おいしいよ、ラクス」
キラは迷わずラクスが作っただし巻き卵を口に運んで、やわらかな笑顔をラクスに見せた。ラクスもまた、数年前と同じように、はにかむように頬を染めてほほえみ返す。
キラはもう、壊れていなかった。息子の心を癒したもの、それがなんだったのかも、親であるカリダにはわかっている。
カリダと目が合って、ラクスは恥ずかしそうに俯いた。
ラクスのだし巻き卵を一口頬張って、カリダは目を細める。
幸福の味が、口の中いっぱいに広がる。
もしも愛に形があるのなら。
それはきっと、こんなやさしい、ふわふわのー。
了