「じゃあ、ラクスとオルフェ・ラム・タオは、互いに対になる存在として最初から創られていたってこと?」
狭いベッドの中。
キラの腕の中で、ラクスは彼の顔を見上げた。
まっすぐこちらを見つけるキラの瞳から、ラクスは視線を逸らさなかった。
「そのようですわ。私とオルフェの間に共鳴のような現象が起こったのも、あらかじめ遺伝子に刻まれた因子によるものが原因のようです」
人の心を土足で踏みにじり、個人の尊厳を奪う行為。
抗いがたいあの感覚を思い出して、ラクスはぞっとする。
キラはラクスの髪と背中に両手を回すと、彼女の全身を包み込むように抱きすくめた。
「言いにくいことを、話してくれてありがとう」
「キラ……」
「僕は、わかってるから。勝手に遺伝子を操作して、惹かれ合うようにしてたなんて……そんなのは全然、運命なんかじゃないよ」
「はい……」
キラのやさしさが、ラクスの心を満たしていく。
これで膿は全て出せた。
そう、思っていたのにー。
◯
カガリの公務の補佐に従事していたラクスの元へ、メイリンがエリカ・シモンズの伝言を運んできたのは、翌日の夕方のことだった。
「ラクス様……」
「どうされましたか、メイリンさん?」
「キラさんが、その……」
エリカ・シモンズの言伝によると、キラの様子は朝からかなりおかしかったらしい。
可変モビルスーツの制御用プログラムで発生したバグについて相談をしても上の空だったし、昼食もラクスの名前をぶつぶつ呟きながら食べていた。
極めつけは、パイロット候補生たちへのモビルスーツを使用した実践講義中の不手際だった。
「ムラサメ改の可変機構と着艦の演習だったそうなんですが……キラさん、発艦時から妙にふらついてたみたいで……」
「ふらついていた?」
あのキラが……?
「それで、その……着艦時に軌道が逸れて……墜落しながら、海岸線の岩にぶつかったみたいなんです」
「? お、おい、ラクス!?」
両目を大きく見開いたまま、ラクスは真横に倒れ込んだ。
「……なにか、私にお話しすることはありませんか?」
ベッドの上で互いに正座をしたまま、ラクスは項垂れるように顔を伏せているキラへ言った。
怒っているわけではない。ただ、心配だったのだ。
「話すことっていうか……」
キラは叱られた子供のように、ごにょごにょと歯切れが悪い。
「キラ……」
震えるラクスの声に、キラは弾かれたように顔を上げる。
「心配しました」
不時着時にムラサメ改を海岸線の岩盤へ激突させたキラだったが、幸い大きな怪我はなかった。だが、それでラクスがキラを失ったファウンデーションとの共同戦線のことを思い出しているのは、彼女の揺れる瞳から明らかだった。
「心配かけてごめん、ラクス」
今すぐ抱きつきたいのを、二人は互いに我慢した。
「あの……怒らないで、聞いてくれる?」
「もちろんですわ」
それでも、長い沈黙があった。
「あの、ね……あの……」
ようやく口を開いたキラに、ラクスはハッと息を呑んだ。
キラの目尻から、はらはらと涙が溢れていた。
「もし、ラクスが彼と……」
彼、がオルフェを指していることは、ラクスにはすぐにわかった。
「……先に、出会っていたら……僕のことは好きにならなかったのかなって、考えてしまって……。わかってる。わかってるんだ。そんなこと考えたってなんの意味もないって。でも、頭の中から離れなくて……」
言葉を絞り出すように、キラは続けた。
勝手なことを言っているのはわかっていた。自分だって、フレイと関係を持っていたじゃないか……。
「ラクスが、僕を好きになってくれたのも、もしかしたら、僕が彼に似てたからじゃないかって、か、考えてしまって……」
たまらなくなって、ラクスはキラを胸元へ抱き寄せた。
「不安にさせてごめんなさい」
「ラクス……」
「言いにくいことを、話してくれてありがとう、キラ」
「ラクスのこと、疑ってるわけじゃないんだ。ホントだよ? これは僕の、弱い心が原因なんだ」
ラクスはふるふると首を横に振る。
キラの涙が落ち着くまで、ラクスはぎゅっと彼を抱きしめ続けた。
「キラは、一期一会、という言葉をご存じですか?」
「父さんたちの故郷のことわざだね。たしか、一生に一度だけの出会いを大切にする、っていう?」
ラクスがうれしそうに頷く。
「私の好きな言葉です。その時、その相手と出会う瞬間は、二度と巡ってくることはありません。たとえ普段から接している相手であっても、です」
「その時、その場所で、その相手と出会うことには、何か意味がある……?」
「はい。あらゆる出会いは、偶然ではなく、必然。第一次大戦の折、宇宙で迷子になった私がキラと出会った……出会えたことには、意味があるのです」
ラクスは必死に言葉を紡いだ。キラにもそれがわかったから、ラクスの胸の中で微動だにしなかった。
「人生は一度きりですわ、キラ。もし私がオルフェと先に出会っていたらなんて、そんな『もしも』は存在しません。母やキラのお母様が私とキラ、カガリさんをメンデルコロニーの研究所から連れ出さなければ……ヤマト夫妻がキラを養子にしなければ……ひとつでも道が違っていたなら、私たちは出会うことはできませんでした。私なら、それを『運命』と呼びます」
「ラクス……」
「仮に、もし、キラと出会わなかった私がいるとしたら、それはきっともう別のラクス・クラインですわ」
ラクスはキラを胸の谷間から解放すると、キラの瞳を覗き込みながら、ほほえんだ。
「私を見て、キラ。もう、出会って、知ってしまったから。あなたのそばで、共に歩んでいくしあわせを……だから……」
キラが嫉妬してくれたこと。
ラクスはうれしかった。
なのに、なぜ。
こんなにも涙が溢れてくるのだろう?
「ラクス」
キラの両手がやさしく肩に触れる。キラが触れる先からあたたかい感情が流れ込んで、ラクスの瞳から玉のような雫がとめどなくこぼれ落ちた。
「もし出会ってなかったらなんて……寂しいこと、言わないでください……。ねぇ、お願い、キラ……そんな悲しいこと、言わない、で……」
「ごめん……。ごめんね、ラクス」
「キ、キラじゃないと、いや……いやです。やなの。キラがいない人生なんて、考え、ら……られ、ない……」
たまらずキラは、ラクスを強く抱きすくめた。それでもラクスは、嗚咽をもらして泣き続けた。
愛とは育むものだと、二人は思う。
同じ物を食べ、同じ場所で眠り、楽しいことも、辛いことも、長い時間をかけて寄り添い、二人で形作っていくもの。
相手を変えてできるものではない。
それほどかけがえのないものが、誰かの都合や勝手で、一方的に決められたものであっていいはずがない。
「大丈夫だよ、ラクス。僕はもう、離れないから」
ふえぇぇん、とラクスは泣いた。
「好きだよ、ラクス。愛してるんだ」
キラはラクスの髪をなでながら、彼女と一緒にまた泣いた。
「わ、わたく、しも……ふ、う、ぅぅ……愛して、ます、キラ」
言葉はつたなく。
もどかしく。
キラはラクスをベッドに組み敷き、ラクスはキラにしがみいたまま、二人はめちゃくちゃなキスをした。
キラとラクスは、お互いの前でだけ、年相応の男女へ戻る。
涙が果てるまで、何度も何度も、二人は互いの中で想いをささやき続けた。
◯
アスランがアスハ代表の執務室のドアを開けた時、タイミング悪く中から女性が勢いよく飛び出してきて、アスランは咄嗟に道を譲ろうとよろめいた。
「おっと……」
「ごめんなさい、アスラン。ごきげんようっ」
ーん……?
軽やかに廊下の奥へ駆けていくその女性がラクスであることに、アスランはしばらく気づかなかった。
「どうした、アスラン? 呆けた顔して、バカっぽいぞ」
カガリの一言に、アスランはラクスを見送るのをやめ、振り返った。
「バカはないだろう、バカは」
「ラクスがどうかしたのか?」
「あぁ……いや、なんていうか……」
丸い伊達メガネで変装していたことだけが原因ではない。
高揚した表情で一目散に走っていく姿に、一瞬いつもの凛とした佇まいのラクスが重ならなかった。
「エリカ・シモンズの計らいでさ、キラが定時退社だから、迎えに行くんだって。帰りにデートするらしいぞ」
「大丈夫なのか、二人とも」
キラとラクスは、公式にはMIA認定を受けている。
「まぁ、オーブ領土内ならな」
カガリに手招きされて、アスランは室内に足を踏み入れた。
「キラがまた思い詰めてたみたいだが……ラクスのあの様子だと、大丈夫だったんだな」
「ただの痴話喧嘩だよ」
「また、ディスティニープラン絡みか……」
キラから聞かされた顛末を思い出して、アスランは眉根を寄せた。
「なぁ、カガリ」思いつきで、訊いてみる。
「なんだ?」
「ラクスがもしキラよりも前にオルフェ・ラム・タオと出会っていたら、彼女は俺たちの敵になっていたと思うか?」
カガリがジロリと睨みつけてきて、アスランはたじろいだ。
「お前が聞きたいのって、ホントにそのことか?」
さすがはカガリ、お見通しだな。
「いや……違うな。ラクスがオルフェと先に出会っていたら、彼女はキラを選ぶことはなかったのかな?」
「はぁ、もう……」と、カガリはわざとらしく深いため息をついてみせた。
「男って、ホントそういうの好きだよな」
キラから相談されて気になっていただけなのだが、まぁ、否定はしない。
アスランはカガリをじっと見据えた。
人と人は、なぜ出会うのか?
出会いや置かれた環境によって、変わっていくものと、それでもなお、変わらずにあるもの。
それはアスランにとっても、興味深い命題だった。
「イングリット・トラドール。アスランも報告書に目は通しただろ?」
「あぁ、優生思想のアコードの中では、イレギュラーな存在だったみたいだな」
「ラクスのレポートにあったように、彼女が自身の役割を超越して、オルフェを愛していたんだとしたら、結局アウラ・マハ・ハイバルは身内の遺伝子すら管理できていなかったことになる。置かれた状況や環境の中から道を探していくのが生命だろう? 人間の〝心〟なんて最高にわけがわからないものを制御しようだなんてさ、ディスティニープランは最初からうまくいくわけがなかったんだよ」
「つまり、結局はキラとラクスもどうなっていたかはわからない?」
アスランは少しいじわるな言い方をした。
「アスラン……お前、わざと言ってるだろ?」
「すまない」
少し間の抜けたやさしい青年の元へ、おてんばな少女のように夢中で駆けていく。
あれがラクスの本来の姿なのだろう。
そして、彼女がそんな姿を見せるのは、今も昔も、キラの前だけだ。
「ラクスとキラがお互いの生き方や心のありように惹かれたっていうんなら、もしラクスがオルフェ・ラム・タオと先に出会っていたとしても、ラクスはキラを選んでたんじゃないかと私は思う」
「今日はやけに熱弁するな」
「だって、腹が立つじゃないか。誰かを好きになる気持ちまで、遺伝子の塩基配列で決められてたまるかっていうんだ」
自分たちはどうだろうか?
カガリとアスランは同時に考えた。
もしヤマト夫妻がキラではなくカガリを養子に選んでいたら。
ーキラはオーブの王子様で……?
ーカガリは俺と幼なじみ……?
二人は同時に「ぷっ」と吹き出した。
不真面目なキラのことだ。ラクスが国賓として訪ねてきたら、やっぱり「姫」なんて呼ばずに、こっそり彼女を外に連れ出して大騒動になっていただろう。そして、そんなキラにラクスが心惹かれることは想像に難くない。
制服姿のカガリと勉学に励む自分は、やはり彼女を好きになっただろうーと、アスランは思う。
それでもー。
ーキラに国政が務まるとは思えないな。アスランに支えてもらうこのポジションは、やっぱりあいつには譲れない。
ー国を想い、まっすぐにがんばるカガリが、俺はやっぱり一番好きだ。
「アスラン」
気づくと、二人の距離は息がかかるほど近かった。
アスランの真剣な瞳に、カガリは無意識に頬を赤らめる。
「カガリ」
アスランがカガリの肩を抱いて、カガリはそっと目を伏せた。
「失礼しますっ」
執務室のドアが開いて、メイリンが中へ駆け込んでくる。
「カガリさん! ……って、アスラン? なんで二人ともそんなに離れてるんですか?」
メイリンは部屋の両端にもたれかかり、妙なポーズで直立しているカガリとアスランへ交互に視線をやって、小首を傾げた。
「な、なんでもないっ。それより、急いでいたようだが?」
「そうだっ。キラさんなんですけど……」
「あいつ、また何かあったのか!?」
「いえ。エリカさんから苦情がきてまして」
「は?」
「なんか、キラさん絶好調らしくて、パイロット候補生たちにモビルスーツの局部同時破壊とか、すれ違い様にコックピットだけ残して敵機をバラバラにする方法とか、対艦刀の白刃取りとか教えようとしてたみたいです。『愛する人の顔を思い浮かべればできるよ』とかなんとか、爽やかな笑顔で言ってたみたいで、エリカさんがなんとかしてくれって……」
カガリとアスランは目を合わせると、やれやれと盛大なため息をついた。
了