このあらすじを読んだ時、二つほど引っかかる点があったので、書いてみました
僕…
目立つ特長も無いし、目立つこともなく生きてきた。
僕の高校時代には、人に話すような逸話もなかった。
入った大学も平凡で、大学生活も…楽しくはあったけど、起伏に乏しい毎日だった。
就職先…株式会社
(「照明」を「しょうめい」じゃなくて「あかり」と読ませるのは、結構特徴的だと思うんだけど…。)
振り返っても、僕はこれまで目立つこともなく、人の間に紛れ込んで人生を生きてきた。
照明機器を扱う会社に勤め始めたけど、僕自身の人生はちっとも輝いていなかった。
僕自身が輝いていなくても、輝きに出会うことはある。
会社に勤め始めたとき、僕はその輝きに出会った。
営業部長の…平岡朝美さんだ。
彼女は本当に優秀で、僕より一つか二つ歳上なだけなのに、営業部長を務めていた。
仕事の上で優秀なだけじゃなくて、仕事を離れたところでも会社の皆から信頼され、頼りにされていた。
それに何より…とても綺麗な人だ。
彼女の綺麗さは…輝きは、人の間に紛れ込んでいた僕を引きずり出した。
僕は彼女の部下として、彼女の指導を受けながら、彼女の心を掴むにはどうすべきかを自分に問い続けた。
僕は彼女の部下として、彼女の指示の下で仕事をしながら、何度も彼女にアプローチを仕掛けた。
僕がこれだけ前に出たのは、いつ以来だっただろう?
僕が何かの目的のために、前に踏み出したのはいつ以来だっただろう?
アプローチして、フィードバックして、またアプローチして…。
何度これを繰り返しただろう?
数え切れないほどのアプローチの末に、彼女は…朝美さんは、ついに僕の恋人になってくれた。
恋人になってくれた朝美さんは、やっぱり綺麗で、優しくて…頼りになった。
朝美さんは頼りになったから、僕の次の目標も決まった。
こうして一つの目標を実現してから、次の目標を決めるなんてことをしたのも、いつ以来だっただろう?
朝美さんに出会えたことで、淀んでいた僕の人生は、また流れ始めた…。
でも、この流れの先に待っていたのは…絶望だった。
その日、
株式会社クローバーと言えば、今、業界でとても注目されている会社だ。
この取引はクローバーにとっては小さな取引なのだろうけど、
ボクはその大きな取引に、
勿論、僕一人に任せられるなんてことはなく、営業部長…朝美さんも同席して支援してくれることになった。
僕と朝美さんがクローバーに赴いたとき、そこには…悪魔がいた。
「はじめまして、株式会社クローバーの
クローバー側の担当者は、杵築巧…あの、杵築巧、だった…。
…この時まで忘れていた、思い出したくなかった、あの、杵築巧…。
……高校時代の、同級生…。
僕には高校時代の思い出が、記憶が、殆ど無い。
それは、僕の高校時代の記憶が、ほとんど彼についての記憶だったからだ。
思い出したくない記憶だったからだ。
あまり言いたくもないし、書きたくもない。
ただ高校時代、彼は僕が”最下位”だと、それこそ徹底的にわからせ続けてきた…。
僕は彼に、最下位は何をやってもダメと言われ続けたし、実際僕は何をやってもダメだった…。
…ダメだ、やっぱりこれ以上は書きたくない…。
僕は、クローバー側の担当者が杵築巧だったことに、完全に動揺してしまった。
満足に自己紹介することも、名刺を交換することも出来なかった。
商品の紹介や説明、クローバー側への提案なんかも、できるはずもなかった。
…だから結局、ほとんど朝美さんが単独でこの商談を進めた。
朝美さんは、ダメになった僕に代わって、その日の話し合いを良い感じにまとめてくれた…。
その日の話し合いは、良い感じで終わったはずだった。
でも次の日、クローバー側から取引を中止したいと申出があったことを報された。
朝美さんは話を巧くまとめてくれていた。
だから、取引中止を申し渡されたのは、僕の所為だとしか思えなかった…!
取引中止についての情報が錯綜する中で、僕はクローバー側の担当者…杵築巧がある喫茶店にいることを聞いた。
そして僕は居ても立っても居られなくなって、思わずオフィスを飛び出した…。
その喫茶店に、杵築は居た。
「あー、やっぱお前だったかぁ…ミノルよぉ…。」
「お前、相変わらず人の陰に隠れてコソコソウジウジしてんだなぁ…。」
「商談の時も、俺を見るなり上司…女の陰に隠れて、女に全部丸投げしちまってよォ…。」
「お前ってさぁ…プライドとか誇りとか無いわけぇ?」
杵築はそれから、高校時代の「思い出話」をネチネチと話し始めた…。
その時まで忘れていた、思い出したくなかった、「思い出話」を…。
「思い出話」が一通り済んだとき、僕はフラフラで、立っているのもやっとという有様だった。
それでも僕は、気力と声を振り絞って、杵築に商談の継続を懇願した…。
「い・や・だ・ね。」
僕はどうして杵築に懇願なんてしたんだろう?
杵築が僕に情けなんて掛けるはずもないのに…。
「どうしてもって言うんなら、今ここで、土下座しろよ。」
「ど・げ・ざ、だよ、ど・げ・ざ…ほら、さっさとしろよ。」
僕は、土下座はしなかった…。
…と言うより、土下座すら出来なかった、と言った方が良いかもしれない。
「あ?しねーの?土下座…。」
「ああ、そーかぁ…お前って、仕事より自分のプライドの方がが大切なんだなぁ?」
「仕事のためにプライド一つ捨てられねぇヤツと仕事なんかできるわけねぇわなぁ?」
「やっぱ商談はこれで中止だ。」
「じゃーな、ミノル。」
僕は絶望だけを抱えて、オフィスに戻った…。
「実くん、あとは私に任せて?あなたの上司として…その、恋人としても…何とかしてみせるから。」
朝美さんはそう言って、商談の再開について、杵築と交渉することになった。
結局僕は、また人の陰に、朝美さんの陰に隠れてしまった。
杵築との交渉という難しい仕事を、恋人でもある上司の朝美さんに丸投げしてしまった。
「女の陰に隠れて、女に全部丸投げしちまってよォ…。」
この場に居ない杵築の言葉が、僕を苛んだ。
朝美さんと杵築の交渉は進展もしていたが、難航もしていたらしい。
僕と朝美さんが二人きりの時間を持つことは、次第に少なくなっていった。
朝美さんと二人きりの時間が取れなくなってきたのは、交渉が難航していたから。
僕はそう思っていた…そう、思っていたかった…。
……でも…。
「あああッ!ああっ!ああっ!」
その日、僕はある場所で、見せつけられていた。
朝美さんと杵築が…セックスしているところを。
「ああ!実くんっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいいっ!でも!でも私…私ッ!」
僕も朝美さんとは恋人として、何度もセックスはしてきた。
でもこんな顔で、こんな声で喘ぎ身悶える朝美さんを、僕は見たことがなかった…。
杵築は…僕の目の前で朝美さんを犯しながら、朝美さんに言葉を促した。」
「私…何だ…?んんっ!…ミノルが…続きを聞きたがってるぜ…?ちゃんと…言ってやれよ…んっ!」
「ご…ゴメンなさい!実くん!…でも、私…頼られるより、頼りたかったの!」
「杵築さんは…頼らせてくれて…頼りになって…だから…それで…私、私…ッ!」
「あああっ!イクッイクうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅーッ!」
朝美さんは、俺の目の前で大股を広げて、杵築のモノを咥え込んでいるところを僕に見せつけながら、体を仰け反らせてイってしまった。
コトを済ませた後、杵築は朝美さんの体をベッドに横たえて、僕の方を向いて、言った。
「…お前とのセックスじゃ、こんなに感じたことはないんだってよ。」
「お前…仕事で女に依存してるクセに、その女ぁ満足させることも出来てねぇのかよ…。」
「お前ってホント、最低だなぁ…ミノルよぉ…。」
ああ…そうだ…ぼくは、最低だ…。
大変なことは全部、朝美さんに押しつけてしまって…。
恋人同士なのに、朝美さんを十分満足させることも出来てない…。
僕は…ホントに…最低、なんだ…。
それから後の記憶は、途切れ途切れだった。
確かなことは…その後家に帰って…寝て…起きて…会社に出勤して…。
ああ、そういえば着替えもしてなかったし、お風呂にも入らなかったし…夕食も朝食も摂ってなかった…。
会社の人たち、出勤した僕に何か言ってたかな?
それより、朝美さんは…朝美さんも出勤してたと思うけど、僕のこと一瞥だけでもしてくれたかな?
「大丈夫ですか?私が言ってること、わかりますか?」
ふと顔を上げたら、男の人が僕の顔を覗き込んで、話しかけてきていた。
男の人は…臙脂色のベレー帽を被って、臙脂色のシャツを着ていた。
全然見覚えの無い人だった。
僕はあまり広くない部屋で、ビニール張りの長椅子に腰を下ろしていた。
辺りを見回してみたけど、この部屋も見覚えのない部屋だった。
僕は男の人に尋ねた。
「あ、あの…ここは一体、どこですか…?」
「ビジネスツインビル地下一階の警備室です。」
「あなたは当ビル一階のアトリウムで、床に座り込んで居られたんですよ。」
ビジネスツインビルなら、僕も何度か営業に来たことがあった。
どうやら僕はこんな状態だったのに、営業に出かけていたようだ。
でもこんな状態だったから、営業なんてできるわけがなくて…。
…それでこの男の人…警備員さんに保護されてしまったらしい。
警備員さんは続けて言った。
「本来なら病院へお連れすべきなのかもしれませんが…」
「病院へ行く前に、会っていただきたい者が居るんですよ。」
「よろしければ…本当によろしければで良いんですが、少々お待ちいただけますか?」
警備員さんが…僕に会わせたい人?
僕はこの警備員さんとは初対面だし…共通の知り合いなんているはずもない。
一体誰に会わせたいんだろう?
そんなことを思っていたら、警備室に臙脂色のベレー帽を被り、臙脂色のシャツを着た、大きな女の人が…本当に大きな女の人が入ってきた。
「どうしました?蒔田さん。」
「ああ、武蔵くん…済まないね、急に呼びつけて…それで、こちらの方なんだが…。」
入ってきた女の人は武蔵くんと呼ばれていた。
(男の人は蒔田さんというらしい。)
「こちらの方が?」
「うん…一階アトリウムの床の上で、座り込んでしまってたんだ。」
「どこも怪我をしてるわけじゃないし、熱中症とか貧血とかでもないみたいで…」
「どうも精神的に参ってしまってるらしいんだ。」
「はあ…それで…。」
「それで真っ先に、今日は君が来てくれてることを思い出したんだ。」
「これはもう君の出番だってね。」
「蒔田さん…それはいくら何でも買いかぶり過ぎではありませんか?」
「そうかもしれないね。」
「でも、前にもこんなことがあったとき、君の手際は美事だと思ったんだ。」
「まあ…やれることは全部やっておこうってことで、頼まれてくれるかな?」
「わかりました、やってみましょう…ですが…。」
「わかってるよ、でも、やれることは全部やっておこうってだけの話だから。」
そう言って蒔田さんは警備室を出て行き、僕は武蔵…さんと二人きりになった。
武蔵さんと呼ばれたこの女の人は、人間じゃなくて…艦娘だった。
…武蔵さんは僕と二人きりになると、少し思案してから一度部屋を出た。
それからすぐ、ステンレスボトルとマグカップ二つを持って戻ってきた。
武蔵さんはセンターテーブルの上にマグカップを置くと、ステンレスボトルの中身をカップに注いだ…。
注がれたのは、紅茶だった。
「どうぞ…あいにく金剛ではなく、私が淹れたものですが…。」
僕は艦娘についてはあまり詳しくないけど、艦娘と紅茶、と言えば金剛というイメージは持っていた。
(対して武蔵という艦娘には、お茶やコーヒーを淹れるというイメージは無かった。)
僕は奨められたまま、マグカップの紅茶を口にした。
ああ…紅茶って、こんな味だったんだ…。
そんなことを思っていると、武蔵さんが僕に話しかけてきた…。
「格好良い鞄ですね…お仕事は、やはり営業ですか?」
「あ…はい…。」
「そうですか…このビルには、やはり営業のお仕事で?」
「…はい…そうです…そう、だと思います…。」
「飛び込み営業、というやつですか?」
「はい…どこに行け、と言われた覚えもありませんし…飛び込み営業、なんでしょう…。」
「それなら、これも何かのご縁というものです…一つ、ここで営業して行かれませんか?」
「あ…でも…。」
「もちろん私が勝手に貴方の会社と契約を結んだりすることは出来ません。」
「ですが、それでもここで誰か…例えば私に、貴方の会社や貴方自身のことを知らせ、印象づけておくことは…」
「…無意味ではないと思いますよ。」
僕はまた奨められるまま―――契約を取れるわけではないとわかっている―――営業を始めることにした。
僕は武蔵さんに名刺を差し出しながら…。
「はじめまして、株式会社
「はじめまして、海神警備・岩川台営業所、一等警備正、黒鉄武蔵と申します。」
「本来なら私も名刺をお渡しすべきところですが…現場に立つときに名刺を所持することはないので…ご無礼、ご容赦ください。」
武蔵さんは、僕が差し出した名刺を見て…。
「源照明…照明と書いて、あかり、とお読みするのですか…。」
「そうなんです、二十年ぐらい前、社長が会社を興したとき、人名っぽい…ハッキリ言ってしまえば、萌えキャラっぽい名前にしようとか言い出して、この名前になったとか。」
「僕…私も、この社名、結構好きなんです。」
「そうですか…そういえば、所在地がN駅近くの電気街ですね。」
「私も、あの界隈に合った社名だと思います。」
「私も休日は、あの辺りを散策するんです。」
「もしかすると、知らず知らずのうちに、私も御社のオフィスを見ていたかもしれませんね。」
一拍置いて、武蔵さんは僕に尋ねた。
「照明(あかり)ということですが、やはり扱われているのは照明機器ですか?」
「はい、月並みな言い方ですが、品揃えはどこの同業にも引けを取っていません。」
「品揃え、ですか…。」
「しかし、失礼を承知で申し上げますが…」
「私などは、照明機器というものは、室内を明るくできればどこのメーカーのどんな製品でも、同じような物じゃないかと思ってしまいます…。」
「武蔵さん、それは違いますよ。」
武蔵さんの言葉に、少しだけカチンときた僕は、照明機器なんてどれも同じという考えに、熱く反論してしまっていた。
「あ…す、すみません、つい、熱くなってしまって…。」
「いえ、私の方こそ、不勉強でした。」
「それに貴方のお話はとても興味深かった。」
「照明機器の世界が、それほど広大で、奥の深い世界だったとは…。」
「これから照明機器を見るときは、源照明の製品かどうかを見ることになりそうです。」
「…すっかり株式会社源照明という会社の存在を印象づけられてしまいました…本当に。」
「私は、営業という仕事については素人ですが…貴方は優れた営業マンだとお見受けします。」
「貴方という営業マンにも、俄然興味を覚えてしまいました。」
「不躾なことで恐縮ですが、一つ貴方自身についても営業…売り込みを聞かせてくれませんか。」
僕についての売り込み…自己紹介ってことなんだろうけど…。
僕には、人に売り込めるような美点なんて…。
「売り込みって言われましても…僕…いえ、私なんて…」
「僕が自慢できることなんて…朝美さんと付き合ってるってことぐらい、しか…。」
「朝美さん、とは?」
「あ…僕の…その、こ、恋人…です。」
「僕の上司でもあって…源照明で、営業部長をしてるんです。」
「僕より一つか二つ歳上なだけなのに、すごく優秀な人で…」
「それにすごく綺麗で、優しくて…。」
「ホント、僕なんかには勿体ないくらいの…。」
「なるほど。」
「ですが貴方は今、朝美さんと恋人であること
「
「あなたは謙遜…と言うか、ご自身の身の程を弁えているだけなのかもしれませんが。」
「その言い方では、朝美さんとお付き合いできていることが、大したことではないように聞こえてしまいます。」
「貴女の恋人である朝美さんも、大した
「!!…そんな!ぼ、僕は、そんなつもりじゃ…!」
「謙遜は美徳かもしれませんが、過度に自分を卑下することは、自分だけでなく周囲の人間まで貶めてしまいます。」
「ところで…」
「付き合おうと言い出したのは貴方ですか?朝美さんですか?」
「え…あ、それは…その、僕、からです…。」
「お付き合いしてください、という申出は一度で受け入れられましたか?」
「…告白は、一発で成功したのですか?」
「…いえ、はじめのうちは、断られてばかりでした…。」
「そして何度も告白を繰り返して、ついに受け入れられたということですか。」
「…はい…。」
「ならば、朝美さんと恋人であること
「試行・挑戦を繰り返して成功しようとすることは、人がこの世で生きることそのものでもあります。」
「挑戦の末に得た成功を…告白して相手の心を掴めたことを、その
「貴方自身を貶め、お相手を軽んじ、この世に生きる全ての人を侮辱する行為に他なりません。」
「もし貴方が、自分は常に謙虚でありたいと願っているなら」
「自分を下げるのではなく、相手や周囲を上げなければなりません。」
「特に貴方は、絶対に自分を下げるべきではありません。」
「貴方は現に、一つのことを成し遂げた人なのですから。」
武蔵さんは、僕を「一つのことを成し遂げた人」と言ってくれた。
武蔵さんは、僕のことを上げてくれた…。
…でも僕の気分は上がらず、沈んだままだった…。
「…まだ信じられませんか?ご自分が、事を成し遂げた人だ、ということを…。」
「………。」
僕はどう答えたら良いかわからず、黙っていた…。
「…昨日、何があったのですか?」
「!!」
武蔵さんは、
そう…僕は、確かに
武蔵さんと僕は、この日が初対面だった。
それなのに武蔵さんは、この前日、僕の身の上に何かが起こったことを見抜いた…!
この武蔵さんに隠し事は出来ない…。
そう思ってしまった僕は、この前日のことを、武蔵さんに話し始めていた…。
この前日のこと…朝美さんのこと…株式会社クローバーとの商談のこと…そして、杵築のこと…。
僕は嗚咽しながら、時には吐き気に襲われながら、全てを…話した。
(クローバーの名前や、具体的な商談の内容に話が及びそうになると、武蔵さんは僕を制止してくれた。)
「貴方の、目の前で…。」
「………。」
「そうですか…。」
「お話をお伺いしますと、貴方は先ず男性としての自信を回復する必要がありそうですね…。」
武蔵さんはそう言って、マグカップの紅茶に口を付けてから…。
「それで、どうする?」
「!?…え、ど、どうする…って…。」
「繰り返すが、貴方は先ず男性としての自信を回復する必要があるようだ。」
「それで…どうだろう?」
「実を言うと、私は所謂、誰とでも寝る
「…もっとも、流石に今すぐここで、というわけにはいかないが…。」
僕の頭は混乱してたけど、どうにかして武蔵さんの話を理解しようとした。
僕は男として自信を回復させる必要がある。
武蔵さんは、自分は誰とでも寝る
それで、今すぐここでというわけにはいかないが、どうする?と聞いてきている…。
ああ…そうか、武蔵さんは僕を…。
僕は武蔵さんの話を、何とか理解した。
理解はしたけれど…。
「…ありがとうございます、武蔵さん。」
「でも…朝美さんが、杵築と…してたからって、僕も他の女性と…っていうのは、ちょっと違うと思うんです。」
「…気を遣っていただいたようですが…本当に、すみません。」
「そうか…。」
「では、あと少しだけ言わせてくれ。」
武蔵さんは、淡々と続けた。
「今言ったように、私は誰とでも寝るし、誰が相手でもイケる。」
「それこそ相手が男でも女でも、艦娘でも…な。」
「断られてはしまったが、もちろん貴方が相手でもイケただろう。」
「これは断言しておく。」
「さて…杵築とやらは昨日、貴方の目の前で、貴女の恋人…朝美さんと交わった。」
「そして朝美さんを快楽に悶え狂わせた。」
「それで杵築とやらは、自分と貴方の間にある格の違いというやつを、貴方に見せつけたのだろう。」
「お前では彼女をここまで悦ばせることは出来まい、お前と俺では男としての格が違うんだ」
「…と、な。」
武蔵さんの言葉は、心の傷に塩を塗り込んだ…ように思えたけど…。
「…だが、誰が相手でもイケる私から見れば」
「セックスで女をイかせたぐらいで人の上に立った気になっている杵築とやらは…」
「…ただの阿呆にしか見えない。」
えっ?
ちょっと戸惑った僕を置いて、武蔵さんは続けた。
「それから、朝美さんも昨日、貴方の目の前で杵築とやらと交わって、快楽に悶え狂いながら…」
「貴方より杵築の方が頼りになる、などと口走っていたということだが…」
「誰が相手でもイケる私から見れば」
「セックスでイかされたぐらいで杵築に諂い、貴方を侮辱する朝美さんは…」
「…貴方の前でこんなことを言うのは、本当に心苦しいが…」
「…朝美さんは人間として、完全に駄目になっているように見える。」
「貴方から見れば、杵築がしたことは暴挙で、朝美さんがしたことは裏切りだろう。」
「貴方と私では、依って立つ
「私から見ても、杵築と朝美さんがしたことは、どうにも許し難い行為に見える。」
「私にとってセックスは、快楽を分け合い、人と人を結ぶ遊び…最高・至高の遊びだ。」
「だが杵築と朝美さんは、ただ貴方を貶めるために、貴方の前で交わった。」
「私の目から見れば、これはセックスという遊びに対する冒涜に他ならぬ。」
「だから昨日、杵築と朝美さんが、貴方の前でしたことは…」
「…誰が見ても、どの立場から見ても、絶対に許される行為ではない。」
ここでまた、武蔵さんは紅茶を口にして…。
「貴方は…」
「私の申出…と言うか、誘いに対して”ありがとうございます”と言ったな。」
「そして、”本当にすみません”と言って、私の誘いを断ったな。」
「貴方はそういう人間だ。」
「誰が見ても、どの立場から見ても、貴方は断じて貶められるべき人間ではない。」
「貴方のような人間が貶められるなど、絶対にあってはならないことだ。」
「貴方には、誰かから貶められるような点は何一つ無い。」
「糾弾されるべきは、杵築と朝美さんの方だ。」
武蔵さんは…僕は何も悪くないと、言ってくれた…。
「…ありがとう…ございます…。」
僕は声を絞り出して、そう言った。
武蔵さんは頷いて、一息おいてから、そこからまた話を始めた。
「どうも貴方には、謙虚であろうとするあまり、必要以上に自分を下げてしまう向きがあるようだ。」
「自分を下げるということは、自分をダメなヤツだと思い込む、ということだが…」
「もしかして貴方は、自分のことを仕事が出来ないヤツと思っているのではないか。」
武蔵さんの質問に、僕の気持ちはまた沈んだ。
正直僕は…そんなに仕事が出来る方じゃない。
「…出来ないとまでは…でも…やっぱり、出来るとは、言えません…。」
「仕事は、難しいか?」
「それは……やっぱり、難しいです…。」
「仕事は難しいと、そう
何故か武蔵さんは「思って」というところを強調した。
「?……はい…。」
「そうか…そう思っているのなら…」
「教えてやる!仕事は簡単だ!!」
「…………。」
簡単だって…そんな簡単に言われても…。
「貴方は、自分の仕事が難しいと思っている、と言った。」
「仕事を難しいと思っていたら、その仕事はいつまでも難しいままだ。」
「それではいつまで経っても、仕事が出来るようにならない。」
「言うは易く行うは難し、と言うが」
「言うところから難しいのでは話にならないということだ。」
「だから貴方は先ず、仕事は簡単なのだということを理解する必要がある。」
「行うは難いが、言うは易い…ってことですか?」
「そう、そういうことだ。」
武蔵さんは続けた。
「仕事、仕事と言うが、仕事というやつは、結局のところ…」
「自分たちに出来ること、自分たちに出来ないことを把握し、理解すること。」
「顧客が何を求めているのか、顧客が何を避けているのかを問い続けること。」
「この二点がほぼ全てなんだ。」
「…………。」
「今、それが難しいんじゃないかと思っただろう。」
「!!」
実際、僕はそう思ったから、言い当てられたことに動揺してしまった。
「言うは易く行うは難し、の言葉通り、確かに実践するのは難しいことだが…」
「…貴方は既にこれを実践しているし、結果も出せている。」
「えっ?」
「貴方は朝美さんの心を掴むために…」
「首が回らなくなるほどの借金をしたり、下手をすれば命を落とすような真似をしたか?」
「いえ…さすがに、そこまでは…。」
「でも貴方は朝美さんの心を掴むために、出来ることはした。」
「それは、貴方が自分に出来ること、出来ないことを確りと把握し、理解していたと言うことだ。」
「確認するが、朝美さんへの告白は、一回では成功しなかったのだったな?」
「え…は、はい…。」
「告白の度に、状況の変化を待ち、身だしなみを変え、手土産を変え、何より言葉や言い方を変え、試行錯誤を繰り返したことだろうと推察するが…。」
「この推察は当たっているか?」
「…試行錯誤、なんて格好良いものじゃありません…もう、無我夢中で、ガムシャラに足掻きまくってました…。」
「だが手を変え品を変え、告白を…試行・挑戦を繰り返したことは間違いないな?」
「…は、はい…。」
「手を変え品を変え、朝美さんに告白し続けたということは…」
「…手を変え品を変え、朝美さんの心を問い続けたということだ。」
「朝美さんが何を求めているのか、何を避けているのかを問い続けたということだ。」
「貴方は、朝美さんの心を掴むに際して」
「自分に何が出来て何が出来ないか、確り把握出来ていたし」
「朝美さんが何を求めているのか、何を避けているのかを問い続けていた。」
「このことは、貴方が十分に仕事の出来る人間だと言うことを示している。」
「え、で、でも…それはプライベートなことで…」
「告白も営業も、詰まるところ人の心を掴み、動かす行為だ。」
「告白を成功させられたのなら、営業…仕事だって成功させられる。」
「…少なくとも、仕事を成功させる力は、十分にある。」
「…ああ、うっかりしていた。」
「え…な、何ですか?」
武蔵さんは「うっかりしていた」と言ったけど、うっかりしていたようには見えなかった。
「さっき私は、仕事とは、結局…」
「自分たちに出来ること、自分たちに出来ないことを把握し、理解すること。」
「顧客が何を求めているのか、顧客が何を避けているのかを問い続けること。」
「この二点がほぼ全て、と言ってしまったが」
「…もう一点あったのを忘れていた。」
「…もう一点?」
「そう、それは…」
「人を頼ること、だ。」
「人を…頼ること?」
「で…でも、武蔵さん。」
「僕は昨日、朝美さんに…」
「僕よりも杵築の方が頼りになる…って、言われてしまったんです。」
「これって、僕は頼りにならないって、ことですよね…。」
「…人に頼られないようなヤツは、人に頼るようなヤツは…ダメってことですよ…ね…。」
「ちょっとややこしい話になるが」
「人を頼る人はダメなヤツで、この世に存在する価値は無い…」
「この世に存在して良いのは、人から頼られる人だけだ…」
「…と言うことで、人を頼る人を、すべてこの世から消滅させたとしたら」
「人から頼られる人は、誰から頼られるんだ?」
「え…そ、それは…他の『人から頼られる人』からじゃ、ないんですか?」
「その人が誰かを頼ったら、その人は『人を頼る人』ということになって、この世から消滅させられてしまう。」
「そ、それじゃ、武蔵さんが言った世界では、お互い誰にも頼らないってことになりますよ、ね…。」
「その通りだ。」
「だがこの世界で、お互い誰にも頼らないということは、お互い誰からも頼られないということだ。」
「それでは『人から頼られる人』は存在し得ないことになるな。」
「人を頼るヤツはダメなヤツだ、という料簡は…」
「…データや事実を持ち出すまでもない、完全な誤りだ。」
「…………。」
「貴方も私も、会社組織の中で仕事をしている…集団の中で仕事をして、生きている。」
「集団の中で仕事をして、生きるということは、お互いに頼り、頼られるということだ。」
「にもかかわらず、人に頼られることを尊しとし、人を頼ることを卑しいとすることは…」
「…会社組織を、人間社会を腐敗させ、崩壊させかねない料簡だ。」
「で、でも、僕なんて、特に能力に秀でているわけじゃないし…これといった特技もないし…」
「集団の中で生きることは、頼り頼られることだって言われても…」
「…頼られたとき、僕に出来ることなんて…。」
「貴方は上司から仕事の指示を受けたことはないのか。」
「え?い、いえ、僕も会社員ですから……っていうか、むしろ僕は指示待ち人間…なんですが…。」
「上司からの指示を、やりたくないから、という理由だけで拒んだことはあるか。」
「いえっ!いくら何でも、そんなことは…!」
「ならやはり、貴方は会社の中で、人から頼りにされている。」
「頼られるということは、先ず相手の声を…困っている、手伝ってほしい、助けてほしいという声を聞くことだ。」
「そして貴方は上司からの、手伝ってほしいという声を、理不尽に無視したことはないと言う。」
「ならば貴方は、間違いなく人から頼りにされている。」
「貴方は自分が能力に乏しく、特技も無く、何も出来ない人間だと思っているようだが。」
「思い出せ…貴方には朝美さんの心を掴み、射止めたという実績があることを。」
「貴方は決して、何も出来ない人間などではない。」
武蔵さんはマグカップの紅茶を飲み干し…僕の傍に座り直した。
さっき武蔵さんは僕のことを誘った。
だから、まさかまた…?と、思ったけど、そういうわけではなかった。
「少し立ち入った…具体的な話をしようか。」
そう言いながら、武蔵さんは両手の指先で、僕のこめかみに触れた。
秘孔を突かれた…とでも言うのか、それで僕は頭を動かせなくなった。
頭を動かせない僕は、武蔵さんの瞳から目を逸らすことも出来なくなっていた。
僕と目を合わせて、武蔵さんは話し始めた…。
「お前が…商談の場ですることは…」
「出来ないことを出来ないと言い…」
「…出来ることを出来ると言う…」
「それだけ…それだけだ…。」
「他のことは一切してはならぬし…しなくても良い…。」
「お前は…水だ。」
「…水は何も考えないし、何も感じない…。」
「筋道に沿って、ただ流れていくだけだ…。」
「どこまでも、どこまでも…。」
「出来ないことを出来ないと言い…」
「…出来ることを出来ると言う…」
「これが、お前の筋道だ…。」
「お前はこの筋道に沿って…」
「…どこまでも流れていく…。」
「お前がこれまで受けた屈辱と裏切り…」
「お前がこれから目にする失敗と…そして成功」
「それはすべて、流れと共に消え去る景色にすぎぬ…。」
「景色は流れを止められぬ…。」
「何者も、流れるお前を止めることは出来ぬ…。」
「屈辱も裏切りも、失敗も成功も…」
「何者も、流れるお前を止めることは出来ぬ…。」
「…お前は、水だ…。」
「出来ないことを出来ないと言い、出来ることを出来ると言って…」
「…どこまでも流れていく水だ。」
「何者も、お前を止めることは出来ぬ…。」
「屈辱も裏切りも、失敗も成功も…」
「お前の流れを、止められるものは何もない…。」
「お前は流れていく…どこまでも流れていく…。」
「お前は淀み留まることのない…流れる水なのだ…。」
そこでパチンと、音がした。
「!!」
見ると、武蔵さんが僕の顔を覗き込んでいた。
「…お加減は、如何ですか?」
お加減…。
武蔵さんに聞かれて、そこで僕は自分がこの時どんな風体で居たのかを意識した。
昨夜から風呂にも入らずシャワーも浴びず、着ているものは昨日のままで、髭も剃っていないどころか顔も洗ってない…!
「あ…!ぼ、僕…こ、こんな格好で…!」
「す、すみませんっ!こんな格好で…も、もう大丈夫ですからっ…!」
僕は鞄を掴み、急に立ち上がろうとして…よろめいてしまった。
よろめいた僕は、武蔵さんに支えられた。
「あ…す、すみません!また…こんな…!」
…それから武蔵さんに連れられて警備室を出ようとした時、武蔵さんが…。
「ああそうだ…最後にもう一点、よろしいですか?」
「ちょっと長くなりますが…。」
「え、な、何ですか?」
「杵築氏についてなのですが。」
正直なところ、あいつの…杵築についての話なんて聞きたくなかった。
けど、武蔵さんから話があると言われたら、聞かないわけにはいかない…。
この時僕は、そんな気になっていた。
「最初の商談の後、貴方が杵築氏と喫茶店で会ったとき、杵築氏は…」
「先ず、朝美さんに助けられた貴方のことを、プライドが低いと言って
「次に、土下座を要求されてそれを拒んだ貴方のことを、プライドが高いと言って
「…?」
何が言いたいんだろう?
「お気づきになりませんか?」
「杵築氏は、貴方を…」
「
「
「杵築氏の言葉には、全く一貫性がありません。」
「この一貫性の無さ、ハッキリ言って、私から見れば正気を疑う水準です。」
…言われてみれば…確かにそうだ。
「この一貫性の無さから…」
「杵築氏は、貴方を嬲り貶めることを他の全てに優先させている、と推測されます。」
「他のことより僕を嬲ることを優先…って、な、なんで…?」
「それはわかりません。」
「これはもう杵築氏の…性癖、なのだろうとしか言い様がありません。」
「杵築氏の振る舞いは、私から見ても異常そのものです。」
僕を嬲り貶めることが…あいつの性癖…。
僕は吐き気を催した。(実際に吐いたりはしなかったけど。)
「脅すようなことを言って、申し訳ないのですが…」
「おそらく杵築氏は、この後も貴方に何かを仕掛けてくるとも推測されます。」
僕は恐ろしくなった。
それで、どうすれば良いんですかと聞こうとしたら、聞かれる前に武蔵さんは…。
「ですから貴方は、会社に戻られたらすぐに…」
…僕に「策」を授けてくれた。
武蔵さんからの「策」を聞いてから、僕は警備室を出た。
最後に武蔵さんは…。
「身辺警護などの御用がございましたら、海神警備・岩川台営業所をよろしくお願いします。」
「連絡先などは、海神警備・岩川台営業所で検索していただければ幸いです。」
「本来なら、名刺をお渡しすべきところですが…本当に、申し訳ありません。」
「いえ…ありがとうございました。」
僕は武蔵さんに一礼して、警備室を後にした。
*************************
私・平岡朝美は、株式会社
源照明は、創業二十年ほど。
会社の規模は決して大きくはないけれど、その堅実かつ柔軟な経営で、業界を生き残っていた。
私が、入社二年ほどで営業部長を任されたのは、会社の経営が柔軟であることの表われだと思う。
社長も、他の同僚も皆、私のことを頼りにしてくれた。
営業部長を任されて間もなく、実くん…夜野実くんが入社してきた。
私は営業部長として、会社の先輩として、新入社員の教育・指導に携わった。
実くんにだけ接していたわけじゃないけど、実くんにも接していた。
正直言って、実くんは新入社員の中ではそれほど優秀な方じゃなかった。
けれど、指導に対する素直さ、真面目な態度、真摯な姿勢に、私の目は惹き付けられた。
指導が始まって程なくして、実くんは私に好意を示すようになってきた。
…私の目が彼に惹かれていることを見抜かれたのかと思ったけど、そういうわけでもないようだった。
私と実くんはあくまでも上司と部下なのだからと、距離を取るよう努めてきた。
…けれど実くんは、距離を保ちつつも、決して諦めることはなかった…。
そして、もともと実くんに目を惹かれていた私は、ついに実くんの熱意と真摯さを受け入れたのだった。
私と恋人同士になってからも、実くんは素直で、真面目で、真摯だった。
…けれど、真面目で真摯なだけに仕事ぶりがとても危なっかしいところも、変わらなかった。
そんな真面目で真摯で危なっかしい実くんを、私は支え続けずには居られなかった。
「ありがとう」と感謝してくれる実くんが、「すみません」と謝る実くんが、私には何よりも大切だった。
そんなある日、
株式会社クローバーと言えば、今、業界でとても注目されている会社だ。
この取引はクローバーにとっては小さな取引なのだろうけど、
私は、実くんと共にクローバーとの商談に臨むことになった。
この商談の担当は、あくまでも実くんで、私はサポートに徹する予定だった。
…けれども商談の場で、実くんは調子を…たぶん体調を崩してしまい、商談を進めることが出来なくなった。
結局実くんに代わって、私がその時の商談を進めることになった。
…その時の商談は、良い感じで一区切り付いたはずだったのだけど…。
次の日、クローバー側から取引を中止したいと申出があったことを報された。
報せを受けて、実くんは会社を飛び出していった。
自分の所為だと思った実くんは、自分でこの事態を何とかするために飛び出したのだ。
…でも、会社に戻ってきた実くんを見ると、結局自分では何とも出来なかったことも…わかった。
私は源照明の営業部長として、何より実くんの恋人として、事態を収拾するために動いた。
そして私は、クローバー側の担当者である、杵築さん…杵築巧との交渉に臨んだ…。
交渉は、思いの外長引いた。
交渉を重ねる中で、私は杵築さんと何度も何度も、色々に言葉を交わし、話し合った…。
杵築さんは、実くんとはあらゆる点で正反対だった。
堂々とした態度、自信、知識や技能、そして何よりも、判断力や決断力といった、力…その力強さ。
杵築さんは…頼れる人、だった。
振り返ってみれば、これまで多くの人が私を頼ってくれた。
それだけ多くの人が、私を認めてくれた。
頼られるからには、認められるからには、期待に応えなくちゃいけない…。
それが当たり前だった。
でも、この時私は、誰かを頼る安らぎと悦びを知ってしまった。
私は…杵築さんから、離れられなくなって…。
「あああッ!ああっ!ああっ!」
その日、私はある場所で、杵築さんと…激しくセックスしていた。
ただそれだけじゃ無い…私と杵築さんの激しいセックスを…実くんが、見ていた…。
「ああ!実くんっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいいっ!でも!でも私…私ッ!」
そう言いながら、杵築さんから与えられる激しい快楽に悶える私を、実くんは見ていた…。
「私…何だ…?んんっ!…ミノルが…続きを聞きたがってるぜ…?ちゃんと…言ってやれよ…んっ!」
私を後ろから激しく突きながら、都築さんは私に促した。
杵築さんに促されるまま、私はこの時の気持ちを、これまで抑え込んでいた本当の気持ちを、実くんに吐き出した…吐き出して、しまった。
「ご…ゴメンなさい!実くん!…でも、私…頼られるより、頼りたかったの!」
「杵築さんは…頼らせてくれて…頼りになって…だから…それで…私、私…ッ!」
「あああっ!イクッイクうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅーッ!」
…こんな状況を、こんな私を実くんに見せつけるなんて、私はどうかしてると思う。
でも、私を安らがせてくれる杵築さんに全てを委ねるのは、当たり前だとも思う。
私はもう杵築さんから離れられなくなっていたけど、実くんを切り捨てることもできなかった。
杵築さんから「ミノルを捨てろ」と言われたら…たぶんその時は、杵築さんに従うことになるかもしれないけれど。
それでも私には、実くんを切り捨てることは出来なかった。
…とは言うものの、それからしばらく、私は実くんとはしばらく―――少なくとも、真面には―――顔を合わせることが出来ずにいた。
私と杵築さんの情事を見せつけてしまった日の翌日、実くんがボロボロになりながら出勤してきたのは見たけど…。
杵築さんから離れられなかった私は、それからも杵築さんとの情事を続けた。
「ああああああああ!」
その夜も私は、杵築さんに激しくイかされて…息も絶え絶えという風になって、杵築さんの胸に身を委ねた。
「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」
息を整える私の頭を撫でながら、杵築さんは言った…。
「さて…と、そろそろミノルのヤツに、またチャンスを与えてやるとするか、な。」
「えっ…そ、それじゃあ…」
「ああ…
「あ…ありがとう!ありがとう…ッ!杵築さん!本当に…これで、実くんも…」
「悦んでくれて、俺も嬉しいよ…わかってるだろうが、商談の担当には…」
「ええ!実くんにも、参加してもらうわ!」
「そうだ…なんつっても、これはアイツの…ミノルのためなんだから、な…。」
こうして、クローバーとの商談が再開されることになった。
これは、実くんにとっても雪辱の機会!
…情事の翌日、私は久しぶりに、実くんに声をかけた…。
「夜野君。近いうち…たぶん一週間以内に、クローバーとの商談が再開されるから。」
「それまでに用意をしておきなさい。」
実くんがボロボロになりながら出勤したのを見てから、私は彼と真面に顔を合わせることを避けていた。
でもこの日見た実くんの姿は、きちんとした会社員の姿だった。
実くんの姿を見て、私は安心した。
「わかりました、用意しておきます。」
実くんが私の指示に応えたとき、私はまた安心した。
応える声が少し冷たかったのは…まあ仕方ないと思った。
そう思っていたら、実くんは続けて私に言った。
「商談には、大鐘さんにも同席してもらいます。」
「大鐘さん?…大鐘さんって…法務の大鐘さん?」
「はい。」
「それは構わないけど…何で?」
「よくよく考えたら、契約の話は法律の話でもあるんですから」
「法律とか法規に通じた人に、契約が成立するところを見てもらうのは当然です。」
「この前は、自分も思慮が足りませんでした。」
自分で「思慮が足りませんでした」と言う実くんに、違和感は覚えたけど…申出自体は尤もな申出だった。
そしてそれから五日ほどして、クローバーとの商談が再開された…。
商談は前回と同じく、クローバー社オフィスで行われることになっていた。
オフィスの…小会議室で、クローバー社側の担当者である杵築さんが、私たちを出迎えてくれた…。
「ようこそ、前回は少々残念な形でお話が中断してしまいましたが…。」
「今度こそ、お互いの利益に適う結果を出しましょう!」
「…皆さん、先ずはお掛けください…。」
杵築さんは、私たちに着席を促して…早速本題に入った。
「早速ですが、改めて当社からの要望といたしましては…」
杵築さんは改めて、クローバーからの要望を提示した。
正直なところ源照明側としては、この要望を呑むのは厳しい…。
けど、この厳しい状況を乗り越えさせることが、実くんのため!
頑張って!実くん…!
でも、実くんは…。
「申し訳ありません。」
「ご提示いただきましたご要望ですが…少なくともそのままの形では、承りかねます。」
!?
実くん!?…何を考えているの!?
私は思わず声を上げそうになったけど…隣に座っていた法務の大鐘さんが、私を制した。
「な、何ですか?大鐘さん?」
「…平岡
「商談再開に先立って、私も改めて
「私の目から見ても、今示された要望に応ずることは明らかに不可能です。」
「で…でも!」
「無理に応じようとすれば、
「法務としても、それは看過出来ません。」
私は沈黙せざるを得なくなった。
…私が大鐘さんに黙らされる一方で、実くんと杵築さんの話は続いていた。
「承りかねるって…どうしてですか?」
「今少しだけ、当方の大鐘が申していましたが、当社の現状では、物理的にも法規的にもそのご要望への対応は無理だからです。」
「その現状については、一応資料もございまして…。」
「いやいや!」
「無理を無理と言うことくらい誰にでも出来ますよ。それでもやり遂げるのが、優秀な人物…それがビジネス世界の常識ってものでしょう?」
「仰る通りかもしれません。」
「しかし無理と思われたことをやり遂げるのは、言葉だけの努力や精神論ではなく、現実・現状に基づいた具体的な方針・方法です。」
「丁度今、手許に当社の現状を―――公開出来る範囲のものに限りますが――ーを示す資料がございます。」
「先ずはこの資料をご覧いただいた上で、厚かましいお願いではございますが、何か方針なり方法なりをご教示いただければ…。」
「お前…あ、あなた、わかってるんですか?」
「この取引、そっちにとっては大きな取引なんだ…ですよ!」
「当方としても、これほどの好機を逃すのは確かに惜しいですが…」
「それでも不可能を可能と偽り、お受けするわけには参りません。」
「…どうしてもと言うことであれば、ご要望がこのような形になった経緯や事情をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「当方からも、何か改めて提案出来ることが、あるかもしれません。」
「お、俺が…そ、そっちに頭下げろって…ことなのかよ…!」
「で、出来るかっ!そんなこと…!」
「…そうですか…では、本日のところはここまでと言うことで。」
「ご要望につきましては、一旦社に持ち帰り、関係部署と改めて協議させていただきます。」
「それでは一旦、失礼します。」
こうして実くんが話を打ち切ると、実くんと大鐘さんは席を立った。
「部長、引揚げましょう。」
…私も、実くんに促されて席を立った。
「ま、待てよ…おい…。」
杵築さんの声を背にして、私たちは小会議室を出て行った…。
帰路。
「み、実くん?あ…あの態度は、何なの?せっかく商談を再開していただけたのに…!」
「それでもあのご要望には、物理的にも法的にも対応不可能です。」
「無理なことは無理だと、包み隠さず申し上げなければなりません。」
「でも、今は無理でも…こっちが努力すれば…もしかしたら…」
「努力と言いますが、仕事で努力するのは
「努力と言うなら、関係部署に顧客からの要望を示して、自社の現状を再確認した上で」
「顧客の要望に応えるためにどんな努力をするべきか、どんな努力が出来るのかを問わねばなりません。」
違う…この人は…実くんじゃ、ない…。
この人が実くんだと言うなら…実くんは、一体どうしてしまったと言うの…?
それから二、三日経って、クローバーとの商談が再び中断されることが告げられた。
そのことを私に伝えたのは、法務の大鐘さんだった。
「中断…って、どういうことですか?」
「言葉の通りです。」
「だから、何で中断されるんですか?」
「まさか、またこちらに何か不手際が…?」
「いえ、先方…クローバー側の担当者である杵築氏に問題があったからです。」
「杵築さんに問題って…!」
「先日私は、夜野君から相談を受けたのです。」
「クローバーが
「また矢野君を
「しかしそれは不審な挙動だ、と。」
「不審…?」
「言い難いことですが、クローバーとの最初の商談…」
「一度中止になったのは、担当であった夜野君の…不手際が原因だったでしょう?」
「それなのに商談再開に際して、クローバー側がこちら側の担当として夜野君を指名してきたら」
「それは確かに不審な挙動と言えます。」
「それで念のため、私もクローバー…というか、杵築氏について一応調査し始めたのです。」
「…正直なところ、夜野君から相談を受けたとき」
「クローバー側が商談を再開してくれるとは思っていませんでしたから」
「調査はあくまでも一応の調査、形式的な調査だったのですが」
「その後、夜野君が言った通りに、クローバーが商談再開を申し出て、こちら側の担当に夜野君を指名したと聞いて、本当に驚きました…。」
「クローバー側が本当に不審な挙動をとったわけです。」
「だから私も、杵築氏に対する調査を本格的な調査に切り替えました。」
「調査の一環として、私も再開された商談に参加したわけですが…。」
「杵築氏は高校時代、夜野君とは同級生だったそうです。」
「そして杵築氏は、同級生であった夜野君を酷く虐めていたとか。」
「それこそ、トラウマになるほどに…。」
「最初の商談の時、夜野君が…しくじってしまったのは」
「クローバー側の担当が杵築氏だったことで、トラウマがフラッシュバックしたからだったのでしょう。」
「…とすると、クローバーが…というか、杵築氏がこちら側の担当に夜野君を指名してきたのは」
「再開された商談の場で、また夜野君をしくじらせて、そこにつけ込むつもりだったのではないか…。」
「調査を続けたところ、この仮説が実証されたというわけです。」
「これはもう、こちらがクローバー側に抗議しなければならないほどの話で」
「昨日、社長が直々にクローバーに赴いて抗議を行いました。」
「その結果、今回の商談は一時中断。」
「
杵築さんが、処分を受ける…!
それを聞いて私は、思わずオフィスを飛び出してしまった。
オフィスを飛び出した私は、実くんの姿を探した。
探した…と言ったけど、オフィスを出てすぐの所に、実くんは通りかかっていた。
「実くん…!」
「部長…どうしました?」
「あ…あなた…杵築さんのこと、法務に調べさせたって…どういうつもりなの!」
「…私は一度、クローバーとの商談で失敗した身です。」
「そんな私が、もう一度クローバーとの商談に臨む機会を得られたのだから」
「今度は失敗がないように…契約を無事締結させ、クローバーと良好な関係を維持出来るように」
「私に出来ることをしただけです。」
「嘘!そんなことが理由じゃないでしょう!?…あ、あなた、卑怯よ…!卑怯だわ…!」
「卑怯って…何がですか?」
「何がって…!それは…!」
(…私を寝取られたからって、こんな形で杵築さんに復讐しようだなんて…!)
私は、言いかけた言葉を呑み込んだ。
寝取られた?…復讐…?
私…何を言おうとしていたの!?
「…杵築さんのことを調べてもらったのは、そんなにいけないことでしたか?」
「あ…あなた高校時代、杵築さんに…虐められてたんでしょう?」
「それでこの機会に…!し、仕返しをするために…!そ、そうなんでしょう?」
「…そう受け取られても仕方ないかもしれません。」
「でも、一度失敗…大失敗した私を態々担当に指名するのは、やはり不審です。」
「企業の挙動としては、かなり不合理で不自然に見えます。」
「不審な点、不合理な点、不自然な点があれば、調べなければならないでしょう。」
「部長はどうして、クローバー…杵築さんの不審点が調べられるのを嫌がるのですか?」
「それは…!」
(それで杵築さんが処分されてしまうなんて!そんなの…!)
…私はまた言葉を呑み込んだ。
仕事の話をしているときに、絶対に口に出しちゃいけない、そんな言葉…!
どうしてそんな言葉しか出てこないの!?
……私…一体、どうしてしまったの…!?
「失礼します、部長…さようなら、朝美さん。」
実くんはそう言って、私の前から去って行った。
……夕方、N駅近くのパブ。
私は、そこで偶々知り合った女性に、クローバーとの商談が始まってからの出来事について話した。
その女性は…
言葉巧みな女性には見えなかったけれど、知り合って話しているうちに、私はこれまでのことをすっかり話してしまっていた…。
偶々亜知り合っただけの女性に、何でこんな話をしてしまったのか。
話をしている最中にはわからなかった。
ただ私は、話を終えるとき…。
「…私…一体どうしたら…。」
結局の所、これが話をした理由だったのだと思う。
「世の中は、意外と狭いんだな…。」
私の話を一通り聞き終わった後、女性はそう呟いた。
男の人のような話し方をする女性だった。
女性はお酒を一口してから、私の話について意見を述べ始めた…。
「どうしたらいいのか、ということだったが…」
「…どうしようもない、としか言いようがない…な。」
「……そうですよね…。」
「こんな…恋人が居るのに、他の男に体を許すような女なんて…。」
「いや、その点については、私も貴女に偉そうなことは言えない。」
「…?…どういう意味、ですか?」
「…私も、伴侶と呼べる
「だがそれでも、貴女の話には、どうにも共感できないんだ。」
「伴侶が居るのに…誰にでもって…」
「あなたみたいな
「あなただって…私と同類…いや、誰にでもって言うくらいだから、私以上のア、アバズレなのに…!」
私は普段使わないキツい言葉…アバズレ、なんて言葉を使って抗議したけど、この女性は意に介さなかった。
彼女は淡々と、どうして私に共感できないのかを説明し始めた…。
「貴女の話には、どうにも引っかかる点があるんだ。」
「貴女は…」
「…杵築さんから離れられなくなっていたが、実くんを切り捨てることもできなかった…と、言ったが」
「実くんを切り捨てないことで、切り捨てずにいたことで、貴女は実くんに対して、優しく接しているつもりで居たのか?」
「…実くんに対して、慈悲をかけていたつもりでいたのか?」
「貴女が実くんにしたことを、思い返してみろ。」
「貴女は実くんという恋人がいるにもかかわらず、杵築さんに体を許し、委ねた。」
「それどころか、貴女は杵築さんと交わっているところを、実くんに見せつけるなんて真似をした。」
「そこで貴女に尋ねるが。」
「ここで裏切られたのは、貴女だったか?」
「ここで傷つけられたのは、貴女だったか?」
「ここで踏み躙られたのは、貴女だったか?」
「ここで踏み砕かれたのは、貴女だったか?」
「…赦すかどうかを決められるのは、貴女か?
「情けを、慈悲をかけるかどうかを決められるのは…貴女か?」
…ちがう…ちがう…ちがう…ちがう…ちがう……ちがう。
彼女の問いは、見えない大きな手で私を押さえつけ、押し潰した。
「貴女も私も、結局アバズレなんだ。」
「アバズレは、赦しや慈悲を請わねばならぬ立場にある。」
「貴女や私のようなアバズレが、誰かを赦すとか、誰かに慈悲をかけるとか…烏滸がましいとは思わないか。」
彼女はお酒を一口して、さらに続けた。
「貴女は実くんに対して」
「…本当は自分も、誰かに頼られるより、誰かを頼りたかった…と、言った。」
「そして貴女は杵築さんを『頼れる人』と信じ、彼を頼り、彼に体まで許してしまった…わけだが。」
「貴女は頼る相手を間違えている。」
「間違えている…?」
「…杵築さんは、頼るべき相手じゃないって言うんですか?」
「私のこと、よく知りもしないのに…何を言ってるんですか?」
「…杵築さんは…私が出会った人の中で…一番…。」
「貴女こそ肝心な人のことを見落としている。」
「貴女が誰かを頼りたいと言うのであれば、頼るべき相手は…。」
「…実くん、だろう。」
「私が…実くんを?」
「…でも、実くんには悪いけど…彼は…そんなに、頼りになる方じゃ…。」
「実くんには、特に目立った功績や実績は無い。」
「功績も実績も無い人間を頼りにするのは、無理な話だ…」
「…そう、言いたいのか?」
「…ええ……まあ…。」
「ならばやはり、貴女は肝心な点を見落としている。」
「実くんには、巨大すぎるほど巨大な実績があるではないか。」
「それも、貴女自身にも関わる巨大な実績が、な。」
「実くんに…実績?」
「貴女の心を掴み、射止めるという大事業を成し遂げた実績、だ。」
「ふ…ふざけてるんですか?そ、そんなことを、実績、だなんて…!」
「なら、実くんが貴女の心を捉えたことは、全く大したことではないと言うのか。」
「貴女の心を掴むことなど、全く取るに足らぬことだ、と。」
「そう言ってしまうことは、貴女自身が大したことのない…取るに足らない女だと言うことに通じてしまう。」
「…貴女は、自分が全く取るに足らない女だと、自分でそう認めてしまうのだな?」
「そ…それは…。」
「人の心を掴み、動かすということは、それだけでもう大変な仕事だ。」
「それは営業の仕事で…営業先の心を掴み、動かし、契約締結に繋ぐことにも通じる。」
「だから実くんが、現実に貴方の心を掴めたということは」
「実くんには確かな力が、頼るに値する力が確かにあるということだ。」
「貴女は営業部長として、実くんの上司として、何より実くんの恋人として」
「誰よりも、それこそ私などよりも、このことを理解していなければならなかった…。」
「…そうではないか?」
私は、言い返すことが出来なかった。
そして私は、自分が大切なものを全て失い、女として…人間として、すっかり駄目になってしまったことを理解した…。
……私は、何処で、何を、何故…間違えてしまったんだろう…。
*************************
その日の夕方、終業後。
私・司馬大淀は、岩川台営業所敷地内にある鳳翔さんのお店…「居酒屋鳳翔」で夕食を摂っていました。
私が
「大淀さん、お隣…よろしいですか?」
「武蔵さん、今は終業後、プライベートの時間ですよ。」
「そうだったな…では、大淀さん、隣…良いかな?」
「ええ、どうぞ。」
私の承諾を得て、武蔵さんは私の隣に腰を下ろしました…。
武蔵さんは、ご自分でも認めている通り、誰とでも寝る
そして
ですから、武蔵さんが私の隣に座った時…私の気分は少し高揚してしまいました。
私の隣に腰を下ろした武蔵さんは…。
「清霜から聞いたんだが」
「今日、ちょっと変わった名前の会社から、営業の人が来たそうだな。」
…ちょっと落胆してしまいました。
まあ、そもそも武蔵さんは…誰とでも寝る
私は落胆しつつも、武蔵さんに応えました。
「ええ、株式会社
「照明と書いてあかりと読むのは、確かに変わった名前ですよね。」
「何て言うか…萌えキャラ?の名前みたいな…。」
「それで、営業に来られた方の名前は?」
「ああ、夜野実さんという男性でした。」
「そうか…」
「それで、その夜野さんの営業は…仕事ぶりはどうだった?」
どうして武蔵さんはこの営業マンのことを気に掛けるのでしょう?
不思議に思いつつも、私は応えました。
「そうですね…」
「こちらは、私と…照明機器、機械類の話ということで、二人の明石さんと、夕張さんの四人で応対しました。」
(
(ちなみに大淀も、営業所開設当初から居る私・司馬大淀と、後になって顕現した黒鉄大淀の二人の大淀が居ます。)
「照明機器の話をされても、私にはよくわからなかったんですが」
「あの人…夜野さんのお話は、明石さんたちと、夕張さんの関心を強く引き付けたみたいです。」
「三人とも、夜野さんの製品紹介を、それこそ齧り付くように聞いてましたよ。」
「夜野さんのお話を、私も―――わからないながらも―――注意して聞いてみたら」
「明石さんたちと夕張さんの…技術者魂?というのですか、そこを刺激するような話し方をされていました。」
「自社製品の良さをわかってくれるのは明石さんと夕張さんだ!だから口説き落とすなら明石さんと夕張さんだ!」
「…そんな風に、確りと方針を定めて話をしているのが見て取れましたね。」
「主に話しかけていたのは明石さんたちと、夕張さんに対してでしたけど」
「私のことも、完全に無視していたわけではなくて…」
「私が、製品の価格とか、アフターサービスについて質問した時は」
「元気よく、ご質問ありがとうございます!…と言ってから、懇切丁寧に答えてくれました。」
「何より印象的だったのは…」
「夕張さんが、何か難しい要望を出した時」
「夜野さんが、他社の製品を紹介したことですね。」
「チョロいと思われるかもしれませんが…」
「私はここに、夜野さんの、顧客の要望にどこまでも応えようという姿勢を見ました。」
「そうは言っても、営業所としては」
「今のところメーカーと契約してまで纏まった数の照明機器を購入する必要はありませんから」
「契約成立…とまではいかなかったんですけどね。」
「それでも明石さんたちも夕張さんも、源照明という会社を大いに気に入っていましたよ。」
「将来、
「明石さんたちも夕張さんも、必ず源照明を推してくることでしょう。」
「あの夜野さん…夜野実さんという営業マンの仕事ぶりについて、ということでしたが」
「優秀とまでは言えなくても、まだまだこれから伸びていけるし、実際に伸び続けている…」
「…そんな印象を受けましたね。」
私の話を聞き終えると、武蔵さんは薄ら笑みを浮かべて…
「鳳翔さん、先ずは…取り敢えず、ビールを。」
…鳳翔さんにビールを注文しました。
速やかにビールのグラスが届けられると、武蔵さんは私に向かって、急にグラスを突き出してきました。
私も反射的に、自分のグラスを突き出し返しました…。
私と武蔵さんは、ちょうど「乾杯」した形になります。
(私のグラスは殆ど空でしたが。)
…それから、武蔵さんはグラスのビールを、勢いよく呷ったのでした…。
武蔵さんは、夜野さんのことを知っている様子でしたが…どういうお知り合いだったのでしょう?
新しいセックスフレンドなのでしょうか?
…まあ、それより確かなことは…武蔵さんが、何らかの意味で夜野さんを救ったのだろう、ということでした。