【Phase-000】
学校が終わり、かったるい部活動なんかやってられない俺はさっさと教室を出て、家路につく。ぼっちでコミュ障の俺にわざわざ声をかけてくる級友もいない。俺は一人で校門を出て、最寄りのバス停に向かう。既に俺よりも早く学校を出てバスを待っている連中が、何人か列を作って並んでいる。
知り合い同士でペチャクチャお喋りしている連中の中で、俺と同じように一人だけ黙ってスマホを見ている女子生徒がいる。肩までの黒髪に眼鏡をかけ、地味そうな顔立ち。誰がどう見ても、自分は典型的な陰キャですと言わんばかりの出で立ち。
俺は何も言わずに列の最後尾に並び、こちらも一人でスマホを開く。いつものようにゲームアプリを開いて、遊び始める。
『アナスタシアさんが、ログインしました』
ゲーム画面にポップする短いシステムメッセージ。ゲームの中でもぼっちの俺がフレンド登録している相手は一人しかいない。フレンドチャットでメッセージを送る。
『お疲れ』
すぐに返事が戻ってくる。
『お疲れ様、ヒロキュン』
ヒロキュンっていうのはゲーム内での俺のハンドルネーム。特に意味は無い。ゲームを始める時に読んでいた漫画の主人公がヒロという名前だっただけだ。
『明日からはテストか。かったるいなぁ』
『でも、テスト期間中は早く帰れるよ』
『まあ、そうだけど。数学がなぁ、前回ちょっと点数が低かったから、今回も似たような点数だとお袋がうるさい』
『私は化学が苦手。化学式とか、ああいうの覚えられなくて』
『え? 化学のサイトーの出題範囲って大体決まってるけど?』
え?という前の方から聞こえた。俺は顔も上げない。
『何それ。知らない。聞いたこともない』
『マジか。けっこう知られてると思ってたけど。俺は同じクラスのヤツに教えてもらった。ちょい高めのハンバーガーセット奢らされたけど』
『教えて。前回赤点で補習だったから、今回も赤点になるのだけはヤバイの。同じの奢るから、お願い』
文面だけを見ても必死さが伝わってくる。ちょうどバスが来たので、顔を上げた俺は動き始める列の後に続いてバスに乗り込む。
後ろの席を占領してお喋りを続けている連中からは距離を置いて、前寄りの方に立って吊革を掴む。ちょうど隣には眼鏡の陰キャちゃんが立っていた。再びポケットからスマホを取り出し、文章を打ち込む。
『いや、いいよ。っていうか、そのバーガーセット期間限定のヤツだったから今は売ってないし。コーラとSポテトでいいから』
チャットを送信すると、何やら隣の陰キャちゃんが鞄を開けて中身を確認していた。俺はゲームのデイリーミッションを片付けて、報酬アイテムを受け取る。
『ごめん、やっぱさっきの無しで。今日は化学の授業なかったから、教科書もノートも家に置きっぱなしなの』
『いや、別にそんなのいつでもいいけど』
『だから、今日はウチに来て』
え?と、思わず呟いてしまう。
『アナの家に? え? マジ?』
アナスタシアって名前は長いから、略してアナと呼ぶことが多い。今は別にどうでもいいことだけど。
『だって、ウチのクラス化学のテスト明日なんだもん。今日中に教えてもらわないと間に合わない』
『いいの? いや、俺は構わないけど』
『ウチのお母さんには、ただのクラスメートってことにしといて』
『ん、わかった』
チャットの会話はそこで止まり、俺はいつもの周回を始める。
バスが停まると、新たな客が乗り込んでくる。駅が近くなってくると、客の数も増えて混んでくる。俺は仕方なく隣の陰キャちゃんとの距離を詰める。彼女は俺の方を見もせず、スマホに目を落としている。何気なく彼女のスマホの画面が視界に入る。
そこには、俺がやっているのと同じゲームの操作画面が映っていて。ちょうど周回ステージのボスを倒しているところだった。
――もちろん、MVPは俺が教えてやったオススメの育成キャラだ。
■□■□■□■□■
【Phase-001】
アナとゲームの中で話すようになったのは、確か去年の今ぐらいからだったと思う。
その時もやっぱり通学中のバスの中で、車内はかなり混んでいて。何気なく視界に映った彼女のスマホに俺もやっているゲーム画面が映ってて。自分もやっているゲームを、知らない同級生がやっていることに何となく親近感を覚えた。けど、彼女はあんまりゲームが上手くないのか、その時はステージボスに返り討ちにされていた。
上手くないというか、そのボスの攻略に必要なキャラの育成を全然していなかった。そういうのは攻略サイトで情報を漁ればいいんじゃないかと思ったけど、以前やっていた別のゲームで攻略サイトに嘘の情報が挙げられていたせいで、そういう攻略系の情報は信じられなくなってしまったらしい。
「あ、そいつサルスケを使わないと倒せないぞ」
その時は、そこまで彼女のことは詳しく知らなかったけど。
ボスを相手に悪戦苦闘して足踏みしているのが見ていられなくて、何となく小さく呟いてしまった。
別に聞こえなかったのならそれでもいいし、無視されたのならそれも構わないと思ったけど。俺の呟きに目を上げた彼女は眼鏡越しに目を何度か瞬かせて。
「サルスケ? 必要レベルは?」
「15もあれば」
「装備は?」
「赤で」
サルスケは便利スキルを覚えるし、ある程度長くやってるプレイヤーなら誰でも持ってるくらいにレアリティも高くはなかったけど、だからこそ育てて主力にして使おうというプレイヤーは少なかった。はっきり言えば初期の頃は不遇キャラだったと思う。
だけど、そのボスの攻略に必要なギミックを解除するのがサルスケの覚える便利スキルだった。同じスキルを覚えるキャラは他にもいるけど、入手難易度が高かったりして、サルスケを使うのが一番楽だった。多分、実質的な強化イベントだったんだろう。その後もサルスケのスキルを活かすコンボパーツとなるキャラが追加されたりもして、今はかなり使えるキャラになったけど。
でも、その時の彼女との会話はそれっきりで。俺も、別にそれ以上つきまとう気もなかった。たまたま同じゲームをしている相手が目の前にいたから、ちょっとしたアドバイスをしただけだし。
けれど、次の週になって、やっぱりたまたま同じバスに乗り合わせた時、彼女が俺にスマホの画面を見せてきて、フレンド登録に必要なゲームプレイヤーのIDを教えてくれたのだ。フレンド申請をした時は、まさか本当に受けてくれるとは思ってなかったけど。
それから、俺達はゲームの中でだけ会話をする仲になった。彼氏とか彼女とか、告白とかデートとか、そういう青春系の嬉し恥ずかしイベントなんか一度もなかった。通学中にゲームの中で話すのも、周回ステージ攻略に必要な情報を教え合ったりとか、学校のちょっとした愚痴とか、そんな他愛ない話題ばかりだったけど。
それがまさか、こんな形でいきなり彼女の家にお邪魔することになるとは思わなかった。
■□■□■□■□■
【Phase-002】
「ただいま」
「あー、えっと、…お邪魔します」
アナの家は、普通のマンションだった。普通の、と言って良いのか。それほど高級そうな感じはしないけど、別に安っぽい感じもしない。中の中とか、そういう感じの。
「おかえりなさい。…あら、珍しい。お友達?」
「クラスメートのヒロ君。明日のテストの勉強するから、邪魔しないでね」
「ええ、それはもちろん。…でも、名前で呼んでいるの? 随分と親しい感じね?」
彼女がインターホンの呼び出しベルを鳴らして、内側から鍵を開けてもらう。玄関で靴を脱いで上がると、母親が出てきて俺と娘の顔を見比べた。
アナの母親は娘と同じく髪を肩ぐらいで切り揃えてて、眼鏡こそ掛けていないものの、そんなに物凄い美人というわけでもなくて、そういう意味でも二人とも似ていた。
ただ、顔だけじゃ無くて体の自己主張も控え目な娘に比べると、明らかに胸の膨らみは一回りから二回りは大きくて、そういうところは大人の女性っぽかった。
「たまたま同じゲームで遊んでるから、ゲームのハンドルで呼び合ってるだけ。あまり邪推しないで」
「あら、そうだったの。そうとは知らずごめんなさい。差し入れは何がいいかしら?」
「コーラとポテト…で、良かった?」
「あ、うん」
俺が曖昧に頷くと、彼女の母親は思い出すように小首を傾げた。
「コーラは…買い置きがあったかしら。あんまり炭酸のジュースは飲まないから…」
「いえ、お構いなく。別に無いなら無いで、ただの水でも…」
「そういうわけにはいかないわよ。ちょっと買ってくるから、先に勉強を始めちゃっててね」
俺の横をすり抜けていく時、ふんわりと甘い良い匂いがした。
思わず背中を目で追ってしまうと、彼女の母親もまた俺を横目で見ていた。視線が合うと、目だけで微かに笑いかけてくるのに思わず胸がドキドキしてしまう。
「ゴメン」
「え?」
「友達とか、ウチに連れてくるの初めてだったから。ちょっと浮かれちゃってたと思う」
彼女は俺の心臓が忙しく跳ねているのには気付かない様子で、小さく呟くように言った。
「いや、気にしてないって。ほら、さっさと始めようぜ」
「うん。…その、ありがと」
眼鏡の位置を指で直しながら、彼女は顔を伏せる。そして部屋に案内される。
「ゴメン、あんまり掃除とかしてなくて」
「いやいや、俺の部屋とは比べ物にならないくらい綺麗だって」
同じ年頃の女の子の部屋に入るとか、もちろん生まれて初めてだった。
こう、何となくファンシーな小物とかぬいぐるみとかの可愛い系の物が置いてあるものというイメージがあったけど、別にそんなこともなくて。
例えば教科書や参考書が並んでる本棚の横にはテレビがあって、家庭用ゲーム機が繋がれたままになってたりとか。机の上に、そのゲームソフトのパッケージが積まれたままになってたりとか。
どっちかというと、俺の部屋にも通じるところがちょくちょくあって、なんとなく親近感を覚える部屋だった。
「あ、悪い。あんまりジロジロ部屋の中を見るのは失礼だったよな」
「別に、それほど見られて困るものもないからいいけど。その辺に座って。いま、クッション出すから」
彼女が出してくれたクッションは中の綿がいい具合にヘタっていて、きっとこのクッションに座ってゲームをしてるんだろうなと想像がついた。
「で、化学の出題傾向だけど」
「ああ、サイトーって出題範囲の最後の辺りを重視してるんだ。今回だと教科書の158ページまでだったろ? だったら、148ページから158ページまでの10ページ分ぐらいから、半分近くの問題を出してくるはず」
「本当?」
「本当だって。あと、元素番号表あるだろ? あれから元素記号を縦列で纏めて出題してきたりするぞ」
「いや、さすがにそこまで適当な問題だったっけ?」
疑わしげな彼女に、俺は前回の化学の問題用紙を見せてやる。冒頭の元素記号を答える問題で、銅、銀、金、と並んでいるのを見て、彼女は沈黙した。
「…ねえ、なんでわざわざテストの問題用紙を撮ってるの?」
「アナと一緒。俺も前回前々回のテストの問題なんかイチイチ覚えてるわけないって。でも、こうやって撮ってればいつでも見返せるだろ? ゲームで周回ステージの敵の配置をスクショして覚えるのと一緒だって」
「そういうもの?」
露骨に面白くなさそうに唇を尖らせる彼女の表情に、思わず苦笑する。
「だってさ、楽できる教科では出来るだけ手を抜きたいじゃん。俺は苦手な科目に集中したいからさ」
「それはそうだけど…」
「ま、とりあえず騙されたと思って今回はテスト前にその辺りをもっかい見返してみ? ヤマがドンピシャで当たれば赤点どころか平均点越えも夢じゃないし」
「うん」
彼女が広げたノートを指差して、いつも汚れた白衣を一張羅にしているサイトーのスカした顔を思い出す。
「あー、あと、これは当たるかどうかは半々だけど。俺の経験則的に」
「まだ他にも何かあるの?」
「サイトーって記述問題が好きっぽい。好きっていうか、選択問題だと山勘でも当たるけど、記述だと答えを知らないと書けないものだからだろうけど。小テストとかでも必ず一個は記述問題を入れてくるし」
「…あ、そういえばそうかも」
「で、その小テストの記述問題を丸写し…じゃないけど、ちょっとだけ文面を変えただけでそのまま出してきたりするんだよ。特に最後の方で。それで答案を返す時『普段からちゃんと勉強してりゃこれくらい解けて当たり前だよな』って嫌みったらしく言ってくるわけ」
「……」
実際に言われたことがあるのか、彼女は心の底から嫌そうに顔を歪めた。
「毎回必ず、じゃないけどな。だから確率は半々。運良くヤマが当たれば確実に一問は解けるけど」
「うーん…」
ペンを握ったまま、悩むように首を捻る。
「そこまで手が回るかはわからないけど、ヒロ君がそう言うなら覚えとく」
「ん、それでいいと思う。他にわからないところとかは?」
「ええと…」
そう言いかけた彼女の語尾に、インターホンのチャイムの音が重なった。
「あ、ゴメン。ちょっと鍵開けてくる」
「ってらー」
慌てて腰を浮かせた彼女が部屋を出て行き、さほど待つまでもなく母親と一緒に戻ってくる。
「お待たせ。あんまりコーラとか買わないから知らなかったけど、けっこうメーカーによっても種類があるのね。もし好みのじゃなかったらごめんなさい」
「いえ、わざわざすみません。ありがとうございます」
俺が頭を下げると、彼女の母親は意外そうに目を丸くした。
「意外と…、と言っては失礼かしら。こう言ってはなんだけど、けっこう世慣れてる感じよね、ヒロ君は?」
「お母さん、失礼だと思うなら口に出さないで。勉強の邪魔するなら早く出てって」
「あら、ごめんなさい。はい、ポテチも。食べ過ぎにだけは注意してね?」
「わかってるから、そんなこと」
彼女が母親の背を押して、部屋から追い出す。
俺としては500ミリのペットボトルから直飲みでも構わなかったのだが、わざわざグラスに氷まで入れて注いでくれていた。
「あまり他人がとやかく言う気はないけどさ、結構いいお袋さんじゃん。あんまり邪険にすることもないんじゃねえの?」
「そう? 娘の私が言うのもなんだけど、お母さん意外と粘着質っていうか、気に入った相手には入れ込むタイプだから。あんな風になるってことは、ヒロ君も気に入られちゃったのかも」
「え?」
「逆に気に入ってなかったら、そもそも部屋まで運んできたりも来ないし。わざわざコーラを買いに外にまで出たりもしないし。多分、テキトーに水だけ私に取りに来させてオシマイにしてると思う」
思わず部屋の扉を見てしまう。気に入られた、という言葉で思い出すのは、ついさっき玄関口ですれ違った時の色っぽい流し目だった。
「そ、そうか…」
「ヒロ君もお母さんが気に入った?」
「初対面で気に入るも入らないもないだろ。というか、他人の家族に向かって気に入るとか気に入らないとか、すげー偉そうじゃんか」
「……」
彼女は何も言わずにストローを銜え、コーラを吸った。
気まずい沈黙の重さに耐えかねて、俺も一緒にコーラをストローで吸う。というか、いっそストローを外して直飲みしたいぐらいだが、さすがに行儀が悪すぎるかと思い直した。そこで、俺が持っているグラスが彼女のものとはデザインも大きさも違うことに気付く。
「あれ、もしかしてこのグラス、来客用か?」
「そうよ。こっちは私のお気に入り」
軽く掲げて見せてくれたグラスの中で氷がぶつかり合ってカロンと涼しげな音を立てる。
俺も手に持ったグラスを軽く揺らしてから、彼女のグラスと軽く触れ合わせてみた。
「乾杯」
「……何に?」
「そうだな……。これからの俺達の関係に、でどうよ?」
彼女は少しだけ口をへの字にしたけど、やがて小さく笑ってくれた。
■□■□■□■□■
【Phase-003】
それからしばらく俺達は勉強に集中してたけど、ふと返事がなくなった彼女の方を見ると、うつらうつらと船を漕いでいた。
「え…?」
さっきまでは普通に会話してたのに。何の前触れもなく、いきなり電池が切れたみたいに意識が落ちている。
「おい、大丈夫か?」
「ん…」
試しに肩を軽く揺すってみたけど、ほとんど反応がない。
「あらあら、もしかしたらと思ったら案の定だったわね」
が、背後からの声に振り向くと、部屋の扉が薄く開いて母親が顔を覗かせていた。
「あの…?」
「こんなところで寝たら風邪をひくわよ? ほら、寝るならベッドを使いなさい」
俺の疑問には構わず、部屋に入ってきた母親は娘の肩を抱くと慣れた様子でベッドに導く。
ぼんやりとした表情のまま、彼女は素直にベッドに横になった。母親が眼鏡を外して机の上に置く。たちまち寝息を立て始める娘の体に毛布をそっと掛けると、俺に向き直った。
「ごめんなさいね。この子、昨日も遅くまでゲームしてたみたいで。ただでさえ寝不足なのに、ヒロ君が優しく勉強を教えてくれるものだから、はしゃぎすぎちゃったのかもしれないわ」
「そ、そうだったんですか」
テストの直前だというのにゲームで夜更かしというのは、俺もついやってしまうのであまり他人の事は言えない。
「ここで話すと娘を起こしちゃうから、リビングに行かない?」
「あ、はい」
前屈みになって囁くように誘う母親の胸の谷間が、ちょうどブラウスの隙間から見えてしまっていて、思わずドキリとしてしまう。慌てて視線をそらした。
「そこに座って。いまコーラを出すから。さっきも言ったけど、私も娘もあまりコーラなんて飲まないから。ヒロ君が消費していってくれると助かるわ」
半笑いで、彼女はグラスに氷を入れてコーラを注いでくれた。
「あ、はい。いただきます」
俺は恐縮して頭を下げると、一口飲んで喉を潤した。
「ねえ、最初の挨拶の時も思ったけど、やっぱり世慣れた感じよね? それってご両親の教育?」
「……」
もう一口コーラを飲んでから、苦笑したくなる口元を手で押さえる。
「いや、俺の親は教育も何も昔から共働きで、子供の頃から家にいることの方が少なくて…」
「あら」
「なので、子供の頃から外食だの何だのって嫌でも家の外に食べ物を買いに出る必要があったので、自然と世慣れただけじゃないかと…」
「そうだったの。ごめんなさい、そうとは知らなくて。…それじゃ、今日もご両親は?」
「はい、この時期は繁忙期なのでどっちも外泊か、会社に泊まり込みだと思います」
そう俺が答えると、何故か彼女の母親は微笑んでいた。それも、気まずさを笑って誤魔化すというより、むしろ――
「――…?」
クラリ、と。
不意に、視界が傾いて眩暈がした。
「あ、あれ……?」
とっさに机に手を突いて身体を支える。世界がぐらりと揺れて、滲んだような光彩に瞬きが重くなる。自分のものではないような声が、他人のもののように遠くに聞こえた気がした。
明滅する視界の中で、母親はただ静かに微笑んでいた。その笑みが娘の前で見せていたものとはどこか違うような気がして背筋が震えた。そして彼女はゆっくりと立ち上がり、俺の背後に回ってきたかと思うと後ろからそっと肩を抱いてくる。
「あらあら、夜更かししてたのはウチの娘だけじゃなかったのかしら。ご両親がいないのでは、ゲームに夢中になって時間を忘れるのも仕方ないものね。でも、あまりやりすぎは身体に毒よ? ほら、このまま少し休んでいくといいわ」
俺の耳に、柔らかい唇が触れる。俺の胸を、優しい腕が抱く。
「さっきも言ったでしょう? こんなところで寝たら風邪をひいてしまうわ? 寝るのなら、ベッドで…ね?」
俺の頬に、唇が触れる。俺の胸を、優しく撫でる手の感触。
「ほら、いらっしゃい。こっちよ」
言われるがままに、俺は歩き出す。いや、多分自分で歩いているつもりなんだろう。けど、まるで自分のものではないように体が重たくて、意識が朦朧として、ふわふわと足元がおぼつかない。
目の前で扉が開く。どこか妖しげで、どこか甘い匂い。そう、これは彼女の母親とすれ違った時にも嗅いだ覚えのある匂い。視界が暗くなる。それは部屋の中が暗いせいなのか、それとも俺の意識が朦朧としているせいなのか。
「さあ、ゆっくり休むといいわ」
彼女の声が、体が、俺の意識を暗闇へと誘う。逆らうことができないまま、ゆっくりと倒れていく体。それはまるで、熱に浮かされて溺れるような感覚で。
沈むようにベッドの上に倒れ込むと、俺の意識はそのまま闇に呑まれていった。
■□■□■□■□■
【Phase-004】
深い、深い深い海の底へと音もなく沈み込んでいくような感覚。
体が、重い。ねっとりとした粘液の、沼の底に堕ちていく。
闇の中へと、ゆっくりと沈んでいく。深く、深く、どこまでも。
呼吸しようと開いた口を柔らかく甘い何かに覆われ、塞がれる。口の中に何かが入り込んでくる。歯を、舌を、口蓋を這い回るよう動くそれは、俺の舌を自分の口の中に導くとねっとりと絡みついてくる。
薄く目を開けると、そこにあったのは影に縁取られた彼女の顔。何故か服を脱いで裸になっている、女の顔。そして俺も、何故か裸で。そして、俺はベッドの上で。何を。
「んっ……。もっと飲んで……? 美味しいでしょう? ほら…?」
今にも触れそうな距離で彼女の唇が蠢いて、熱い吐息を俺に吹きかける。そんな囁きを繰り返しながら、何度も俺に口づけをする。まるで口移しで何かを流し込むかのように、何度も何度も唇を重ねては離しを繰り返す。
「んふっ……ぅ」
「うぁ……」
甘ったるくてどろりとした何かが喉を通っていくたびに、体が熱くなる。動かないはずの体に、血と熱が通う。巡り巡った血が股間に集まって、自分の意思とは関係なく勃起する。してしまう。痛いほどに張り詰めた性器がビクビクと脈打つ。手足は動かないままなのに、熱く滾った性器だけに全身の感覚が集中している。
「あはっ、素敵…こんなに大きくして」
喜悦の囁きと共に、彼女に似て彼女ではない、彼女の母親は俺の体の上に跨る。肉茎の幹に、熱く柔らかな肉の感触。まるで全身を濡れた肉で洗われているような感覚に背筋が震える。体のごく一部に過ぎないはずの性器に、それも少し触れただけでも体が爆発してしまいそうな昂ぶりが集まってくる。
「あぁ、もうこんなに熱くなってる。とっても素敵。太くて、長くて、逞しくて、硬くて」
彼女が腰をくねらせて、熱くぬめった蜜壺の入り口で俺の性器の先端を愛撫する。全身を丸呑みされる直前のような、恐怖とも期待ともつかない震えが背筋を駆け上る。
「や、やめっ……うぁっ」
「もう、そんなつれない事を言わないで。ほら、私のオマンコで童貞を卒業させてあげる。初めてのセックスですもの。一生忘れられないような思い出にしてあげる。だから、ね? 私の膣内に、来て?」
逃げるに逃げられない。抗えない。拒めない。そんな選択肢は最初から与えられていない。
答えは二択。自分から快楽に堕ちるか、相手に堕とされるか。
「う、あ、あああっ」
逡巡している間にも、ゆっくりと俺の腰の上に彼女の腰が降りてくる。柔らかく濡れた肉の割れ目が、硬く勃起した性器を呑み込んでいく。熱い。柔らかい。ぬるりとして、滑って。無数の襞が、俺を包み込んで、絡みついて、優しく抱き留めて。もう離すまいとするかのように、がっちりと咥え込んできて。
複雑に折り重なった肉厚の襞が疣のように膨らんで、亀頭を、雁首を、裏筋を、根元から先端まで隙間無く愛撫してくる。
「う、あぁぁぁぁぁっ」
「あぁっ……いいわぁ。とっても素敵なオチンチンね。お腹の裏側がごりごりって擦られて……オマンコが溶けちゃいそう、……あはっ」
彼女の声が恍惚と蕩ける。まるで自分の中が俺で満たされていることに至上の悦びを感じているようにも聞こえる声。
「ヒロ君、どう? これがセックスよ? 女が男を気持ち良くする、オマンコの交尾なの。ねぇ、こんなに刺激的でキモチイイこと、したことある? ほら、ヒロ君のチンポで私を攻略して? セックスでゲームするの。私がヒロ君の童貞を奪うから、ヒロ君は私を攻略して。ほら、見て? これが私のオマンコよ?」
「う、ぁ……」
あまりも強烈で甘美な快感に呻きながら顔を上げると、彼女はゆっくりと腰を持ち上げて俺の性器を引き抜いていく。彼女の秘裂はぱっくりと開ききり、その内側の鮮やかな肉色を露わにしていた。そしてそこから垂れる一筋の糸が俺の勃起の先端の間に橋をかけ、やがて途切れて消える。それは彼女が俺に対して行った行為の証であり、俺が彼女にした行為の結果でもある。
「どうかしら? もう準備万端だから、いつでも挿入できるわよ?」
「……」
言葉も出ない。なのに、口では何も言えないくせに、俺の下半身は。
「ふふっ、やっぱり男って、頭よりも下半身に従うケダモノよねぇ。欲望に忠実で、美味しそうな雌と見れば食いつかずにはいられない。ねえヒロ君。私のオマンコの中に戻りたくて、挿入したくて堪らなくなってるんでしょう?」
「あ、ぁ……」
問いかけに答えようとしても、意味のある言葉を紡ぐことができない。何かを言おうとしても喉の奥から出てくるのは熱い吐息だけ。
「ねえヒロ君? 私の膣内に入れて、オマンコを奥まで突き上げて、それでセックスは終わりじゃないのよ? ヒロ君の新鮮で濃厚なザーメンを、私の一番深いところでドクドクって注ぎ込んでくれないと。それで初めてオマンコはヒロ君のものになるの。攻略は途中で投げ出しちゃダメ。私の子宮をヒロ君の色に塗り替えるまで、きちんとチンポで私のオマンコをハメ倒しまくるの」
クスクスと、淫靡に含み笑う雌の声。俺の勃起した性器がのたうち回るように熱く脈打っているのを、あるいは俺よりも見透かして。そして、その上で俺を誘惑している。堕ちれば二度と戻れない底なし沼へと、俺をゆっくりと堕としていくように。
「ほぉら……おいでぇ?」
そう言いながら、彼女は持ち上げていた腰をゆっくりと下ろしていく。ぬめる肉壁を掻き分けて埋没していく亀頭。柔らかく温かい襞が幾重にも張り出した無数の舌で舐め回し、にゅるりと音を立てて奥へ奥へと呑み込んでいく。
喰われていく。俺が。俺の意思が、理性が、本能が、俺の全てが。貪欲な雌の膣内に、吞み込まれていく。それが、とても、キモチイイ。
「あ、あああっ」
腰が震える。背中が反り返る。俺の中の何かが壊れていく。
気付けば、彼女の腰の動きに合わせて俺も腰を突き上げていた。
括れた腰を両手で掴んで、自分の腰を打ち付ける。肉と肉のぶつかる音が、淫らな水音が部屋に響く。
「あっ、あぁっ、ヒロ君っ! そうよ、やればできるじゃない! いい? これがセックスよ? 女のオマンコに男のチンポをハメて、パコパコするの。それが交尾なの。だからもっと激しく腰を振って? 私の膣内でチンポを扱いて?」
「うぁ、ああっ」
俺は彼女の言葉に従っていた。いや違う、逆らえなかった。俺の意思は屈服していた。そして同時に、俺の中の何かも完全に壊されていた。もう何も考えられないし、何も思い出せない。ただ快楽だけがそこにあったから、俺はそれを貪っていた。
目の前で、卑猥に踊り狂う雌の肉体。腰を突き上げれば突き上げるだけ、俺の性器が彼女の膣内を深く抉る。誘うように上下に弾む乳房の先端から白濁した雫が飛び、俺の顔を濡らす。甘ったるい匂い。雌のフェロモンの匂い。俺を貪り喰っている、雌の。
「いいわ、いいわぁ! ヒロ君、素敵よヒロ君っ」
膣内を掻き混ぜられる快感に恍惚とした彼女は叫ぶ。淫らに腰をくねらせて性器が擦り合わされる快感に陶酔しながら。俺とのセックスに、溺れている。
「童貞のくせに、こんなにセックスが上手なんて、私のオマンコとヒロ君のチンポの相性は最高なのね?」
「お、俺…俺の、俺は…」
「細かいことは気にしないで? 私のオマンコをヒロ君の絶倫チンポで突きまくって生ハメ交尾する以外に、それ以上に大事なことなんてないんだから。ね? そうでしょ?」
それでも、俺は手の中から滑り落ちていく微かな面影を追い求めずにはいられない。自分には、目の前の雌に似た、けれど別の誰かが。いた、ような。
「く、うぁ……」
なのに俺の口からは意志の欠片も感じさせない呻きが漏れるだけで。
彼女の腰に叩きつけるように乱暴に腰を振りたくりながら、俺は自分がそんな浅ましい肉欲に屈してしまったことを実感していた。
そんな俺を慰めるかのように彼女は優しく微笑むと、ゆっくりと体を倒してきて俺に唇を重ねてくる。ねっとりと絡みつく舌の感触が、俺の思考を麻痺させていく。
「ヒロ君……好きよ? 大好き」
「あ、あああっ」
その一言で。最後の一欠片の理性をも、彼女は刈り取ってしまう。
「もっとキスしてあげるわね? ほら、舌を出して」
言われるがままに突き出す舌に、彼女の舌が絡みつく。濃厚に混じり合う唾液が喉に流れ落ちていく。他人の体液なのに不思議と嫌悪感はなく、むしろ甘く感じるほどに。体が熱くなり、やがて腰が震え始める。頭の中は真っ白だ。何も考えられないし、考えたくない。ただ気持ちいい事だけをしていたい。目の前にいる彼女が与えてくれる快楽に溺れていたい。そんな思考だけが俺の中を満たしていく。
「んふ……ヒロ君ったら。わかるわ。もう戻れなくなったのよね? いいわ、全部受け止めてあげるから。ほら、いらっしゃい。ヒロ君の一番濃いザーメンを、私の子宮に全部注ぎ込んで?」
甘い囁きが耳朶を打つ。彼女は俺を逃がすまいとするように俺に股間を押しつけてくる。まるで搾り取るかのようなその動きに腰が跳ねると、それを待っていたかのように彼女の膣壁がきゅううっと締まった。その締め付けだけで俺はあっさりと限界を迎えてしまった。
「うあっ! ああぁあっ!!」
どぷっ、どぷぷっ、びゅるっ!! 大量の白濁液が吐き出される。自分でも信じられないほどの量だった。それも、一度では終わらない。一体どこに、これほど大量の精液を貯め込んでいたのか自分でもわからないほど長く、大量に射精が続く。
「あはっ、凄い、凄いわぁっ、ヒロ君のチンポに耕されたマンコに子種が蒔かれてるのぉ、こんなに濃くて、たっぷりの精液が注がれちゃったら、体が勝手に排卵しちゃう、牝の本能が孕みたい、ヒロ君に孕ませられたいって疼いちゃうっ!」
妊娠、とか。避妊、とか。そんな単語すら、今は思い浮かばない。考えるだけの理性は既に、削り落とされている。
ただ、牝の体にしがみつくようにして、その尻を両手で鷲掴みにして、腰の奥から込み上げてくる熱を、精気を、注ぎ込む快感に溺れて。
収縮する膣肉に精液を吸い出されるたびに、ドクン、ドクンと大きく脈打つ勃起は、もう一つの心臓のようで。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ…!」
運動なんか嫌いで。疲れることは大嫌いで。そんな俺が、今はケダモノみたいに荒い息を吐き出して肩を上下させている。
今、俺は、生きている。
快感と。充実感と。幸福感と。
生まれてこの方、今の今まで味わったことのないほどに鮮烈な、濃厚な、強烈な刺激が頭に焼き付く。
今、この瞬間に比べたら。
普段の俺は、ほとんど死んでいるみたいなもの。
ただ死体が動いているだけの、無意味な時間を過ごしているだけ。
「…素敵。本当に、素敵。最高のセックスだったわ、ヒロ君」
俺の顔を覗き込みながら、彼女は甘く囁く。
「ねえ? こんなにキモチイイこと、たった一度きりで終わらせたくないでしょう?」
「……」
「だから、ね? また、セックスしましょ?」
「…ま、た?」
思わず。
本当に、無意識に。
俺の意思とは関係なく、口から吸い出されるようにして勝手に言葉が零れ出た。
彼女は、俺に向かって笑いかける。俺を誘い惑わす妖艶な笑みで囁きかける。
「そうよ。これから、また、何度でも。ね? 私はぁ、ヒロ君と、これからも、セックスしたいの。ヒロ君は、どうかしら? 私と、また、セックスしたくなぁい?」
したくないか、だって?
そんなの…そんなの、決まってる。考えるまでもない。考えることすら、思い浮かばない。
したくないわけがない。したくならないわけがない。したい。何度でも、したい。これから、もっと、もっと、セックスがしたい!
「ふ、ふふ、ふふふふふ…」
俺は、何も言わなかった。言う必要さえなかった。だって、俺の答えは完全に見透かされていた。
彼女は、俺の顔を、頬を、ねっとりと舐めた。
「わかる、わかるわぁ…今、ヒロ君と私は体だけじゃなくって、心も一つになってるものね。こんなにキモチイイこと、もうやめられない。やめたくない、って。そうでしょう?」
「…っ!」
思わず、頷いてしまう。大きく、何度も首を縦に振る。
「本当に良い子ね…好きよ、大好き。そうやって素直に、ケダモノみたいにセックスに夢中になって、これからも私の体に溺れて、ね?」
彼女の胸の中に、抱き締められる。柔らかい胸の谷間に顔が挟まれる。
同時に、射精の勢いが徐々に衰えていく。射精の脈動が小さくなっていく。目の前が暗くなっていく。
それが彼女の胸に顔を埋めているせいなのか、とうとう意識が焼き切れたのか、自分でもよくわからないままに。
そのまま俺は、意識を手放した。