既知転生しましたが、憑依転生では無いようなので静かに暮らしたいと思います。 作:アルカミレス
『看板娘』イベント進行中
何度も振り返りながら帰っていく『天使長』を見送ってから、リビングに『バイト長』と共に向う。部屋が無いので此処で寝るという事に決まってしまったが、それなら寝具は用意してやらないと駄目だ。リビングのソファは父さんお母さんがこの家を新居に選んだ時に買った物で、形見の一つになる。流石にそんなソファは改造出来ないので新規にソファを作る。
フレームは余っているミスリルで、その外にはオーク材。座る場所は布張りで触り心地と柔らかさを優先した物を使い、内にはクッションになるスポンジ素材とスプリングを入れる。更に折りたたみのベッドを仕込み完成。ソファベットが広げられるようにリビングのレイアウトを少し変え、コレで『バイト長』が眠れる場所の完成。ソファの横にハンガーラックを置けば完璧だ。
「コレで寝場所は大丈夫かな、直ぐに掛布を持ってくるから待っててくれ」
《あの、タタラくんちょっと作業が早過ぎるです!?》
悲鳴が聞こえてきたが無視をして今は当主代行達の寝室として貸し出されてる客間へと向う、幸いまだ起きていた当主代行達に断って部屋に有った予備の掛布を持って降りて『バイト長』へと渡す。
《うぅ、こんなに気を使われてもいいんです……?》
「気を使うも何も最低限も満たされてないぞ」
普通なら部屋を一室用意するべきであるが、満室である為にリビングで寝るハメになっているのだ。文句言われるべきのは此方側だろう。
「明日から早速始めるんだから、今はゆっくり休むこと。いいな?」
《……はい、ボクも精一杯がんばるです》
涙目になりながらも気合の入った目をした『バイト長』の頭を改めて撫でてから、俺はリビングを出た。先ずは一日、『バイト長』の事を徹底的に分析してから対策を立てて行かなければ。
日課の『空裂』と『料理長』と
ピンクのキャミソールとパンツのみと言う、ある意味で扇情的な格好で寝ている筈の『バイト長』が欠片ほども性的に感じない。もしやあの謎の生物プリントには人の性欲を抑える逆魅了的な魔法が掛かっているのかも知れない。そんな事が頭に過ぎるが、考え事を追い出すように振ってから『バイト長』の肩に掴んで揺する。
「朝だぞ、起きてくれ」
《にゅふん……あと5分ですぅ》
「ベタな事を言ってないで起きてくれ」
典型的な寝言を変な鳴き声の後に言う『バイト長』に呆れつつも呼びかけながら肩を揺する、それでも起きない『バイト長』に若干苛立ちが湧き始める。
《おはようございますタラシ様》
「タタラです。おはようござい……いや、何で居るんですか『清掃長』?」
掛けられた声を自然と流しそうになったが、振り返ると何故か居る『清掃長』に思わずツッコミを入れる。いや、貴女昨日帰りましたよね?
《元々寝起きの悪いこの子の事ですのでもしやと思いましたが、案の定起きる事が出来ませんでしたか》
「……寝起きが悪いんですか」
《ええ……とは言っても、姉様以外は基本的に寝起きは良くないのですけどね》
「……そうですか」
その言い方だと『清掃長』も寝起きが悪い事になるのだが、何となくツッコミを避ける。今は兎に角『バイト長』に家事をやらせねばならない。変わらず肩を揺する俺の肩に『清掃長』は手を乗せてそっと下がらせる。
《いいですかタラシ様》
「タタラな」
《この子はそんな優しいやり方では起きません、ですので……》
相変わらず俺の訂正は届かない中で言いながら『清掃長』は手を高く上げる。
《こうして起こして下さい……いい加減に起きなさい!》
《ひょぉっ!?》
鋭く声を掛けた後、『清掃長』の手が素早く振り下ろされて『バイト長』の尻を打つ。高らかに響く小気味いい音の後で『バイト長』が悲鳴と共に飛び起きる。本当、生地の薄いキャミソールとパンツ姿なのに色気が無いな『バイト長』。
《なななです!?》
《いい加減に起きなさい。主人より後に起きるのはまだしも、主人が起こしたのならさっさと目覚めなさい》
《え、あっ何で中姉さまがです!?》
「……主人にまでなった覚えは無いんですけどねぇ」
叩き起こされて混乱する《バイト長》はまるっきり《清掃長》の言葉が届いて無いらしい。寝起きが弱いって訳ではなく、単純な混乱が影響してそうだな。
「おはよう『バイト長』、着替えたら早速メイド修行を始めようか?」
俺の声掛けにビクリと肩を震わせた『バイト長』が俯く中、何となくその頭を撫でる。何となく昨日から思っているが『バイト長』は頭を撫でられるのを好んでいる気配が有る、今も俯いていた顔を上げて驚きながらも俺の手に頭を預けている程だ。
いつの間にか『清掃長』の姿は消えていて、どうにも初日に起こし方を教える為だけに来ていた様子である。忙しいだろうによく来てくれたなあの人……それだけ『バイト長』を俺に預けた事に責任も感じてるって事なんだろうな。
「さて、今日はまず『バイト長』がどんな風に失敗するのかを確認する為に普段通りの仕事をしてもらう」
《は、はいです!》
着替え終わった『バイト長』に対して目的を伝えると、やる気に満ちた声を返してくる。基本的にやる気が有るのはゲーム時代からそうなのだが、逸る気持ちを全く抑えられなかったのがこの『バイト長』だった。何となく補助の為にゴーレムをインベントリから一体出して、補助に回す。そう言えばまだ『バイト長』のゴーレムを作って無かったから今夜にでも作ろう、寄り添う補助要員として丁度いいだろうし。
そんな事を考えつつ、まだ起きて来ない一華と三葉さんを待たずに朝食の準備を開始する。
今日は普段用意する量の3倍程増やすつもりだが、汁物は兎も角として主菜を何にするか悩む。取り敢えずご飯を大量に炊いておにぎりにしよう、具は入れず主菜を摘みながらおにぎりを囓る方向で朝食を作ろう。そうとなれば汁物は味噌汁にするとして、具は何にしようか。それに主菜はある程度簡単に量が用意出来る物にしないと『バイト長』がひっくり返したりして駄目にした場合は全員に行き渡らなくなる、俺や陽出の面々なら多分米と味噌汁だけでも満足出来るが『ワールウィンド』組はそうも行かない。
さらに探索組は確りと栄養を摂っていないとスタミナ切れを起こすし、一華もお腹の子の為に栄養を確保していなければ母体も胎児も危うくなるだろう……最悪性魔術で俺の性を栄養として与えるって手段は有るが。
「おはようございます、タタラさん」
そんな風に悩む俺に背後から声を掛けてくる三葉さん、振り返り挨拶を返そうとする中で目に入るのは『バイト長』が足を滑らせて三葉さんにダイブする姿だった。その場でターンをしようとしてやらかしたなコレ。
《みゃぷ!?》
「あ、あら?」
頭からその豊かな胸に埋まる『バイト長』とその姿に戸惑う三葉さん、過去作にも似た構図のスチル有ったなと遠い記憶を掘り起こされる。それはそれとして胸に挟まってジタバタ暴れる『バイト長』の身体を三葉さんから引き抜く。明らかにエテルよりは小さいのだが、谷間に頭って挟まるんだなと少し感心する。
「取り敢えず、今日はこの『バイト長』に配膳させようと思うんです」
「は、はい」
「ただ、この通りドジ気味なので配膳前に料理をひっくり返される可能性が有ります」
俺の言葉に視線が逸れる三葉さん、言葉に出さない辺りに育ちの良さを感じる。まぁ、料理人としては作った物を台無しにされるのは気分が良くないしな。
「なので、主食は具無しのおにぎりを大量に用意して主菜も大量生産に向いたものにしようと思います」
「成る程、余った分はお昼に回せばいいのですね?」
「話が早くて助かります」
俺の意図を簡単に汲んでくれる三葉さんに凄く助かる。まぁ、この家で料理を作る人間はあと二人居るのでそちらにも相談しなければならないが。
俺達の会話を大人しく聞いている『バイト長』は少し申し訳無さそうな顔をしているように見える。何となく、自分が理由で迷惑を掛けている事に対してそう考えてしまっているのだと思うのだが、結局は俺が必要だからやっているだけなのだ。その考えを持つのは俺で、その対象を一華達へ向けるべきなのである。
「ところで、主菜に大量生産に向く献立って思いつきます?」
「そうなると煮物だと思うのですが」
確かに、煮物なら向くか。肉じゃがとか、魚の煮付け辺りもいけるか?
「おはようでござるよ……って、お客人も一緒でござるか」
《あ、おはようございますです!》
「……そう言えば、言葉が一方通行でござったな」
やってきた一華の挨拶に勢いよく挨拶を返す『バイト長』を見て、読唇術でも使ったのか声が出てない事に思い至った様子の一華。俺には『看板娘』の言葉が聞こえるからアレだが、意思疎通はそこそこ出来ている様子で少し安堵する。
「おはよう一華、朝早くから悪いんだが相談に乗ってくれ」
「ご主人が朝から珍しいでござるね?」
「一華様、私からも是非協力を」
そうして始まる朝食のメニュー会議、何時もは先に来てた人間の調理を見て各員が合わせて作っているが今日からは『バイト長』が配膳中にドジをする事を前提に多めに作る必要から対策を兼ねた物を用意しなければならない。より大型の炊飯器を用意して炊き込みご飯とか、前日から大量に米を炊いておいて焼き飯にしたりと主菜が無くても満足出来る料理にする事も考えたがそれは明日からするべきだろう。取り敢えず、今日は煮付けにする事になる。
一華には何時も通り玉子焼きを頼むのだが、ひっくり返されたら多分今日一俺の気分が下がり続けるので普段使いの4倍は有る大きさの長方形のフライパンを作って渡す。
「本当、何時も惚れ惚れする速さで作るでござるね?」
「得意分野だからな」
そうして当主代行が持ってきていた魚を切り分けて、表面に塩を振る。生姜を薄切りにし水、酒、味醂、醤油、砂糖で煮汁を作り煮立たせる。切り身の表面に浮いた水分を布巾で拭い、生姜と一緒に煮汁に入れてから弱火に掛けて落とし蓋をする。魚に火が通れば完成だがその前に火を止めて余熱で中に火を通す。その間、炊けたご飯でおにぎりを握り続ける。因みに俺がやたらと鋭角な三角形で、一華がちょっと角の丸い三角。そして三葉さんは俵むずびで其々個性が出ている。
さて、警戒して家に居る人数の3倍の数を用意したが……果たして足りるだろうか?
本来なら大皿に取り分けたり、フライパンで作った上で食卓に乗せて各々で取り分けてもらう方がいいのだろうがそれでは『バイト長』が全て台無しにしてしまう可能性が有る。なので皿に取り分けてトレーに乗せる、最初は一皿ずつだ。
「それじゃ、運んでくれ」
《はいです!》
意気揚々と運んでいく『バイト長』、自信満々に一歩を踏み出したその時だ。
《ひょぉっ!?》
「たー!?」
出だしからすっ転び、咄嗟に支えようとしたゴーレムを吹き飛ばしてその場で顔面から行った。この場で最速を誇るであろう一華は玉子焼きを切り分けていて対処が出来ず、当然三葉さんも反応なんて出来なかった。トレーとその上の皿は当然重力に引かれて床にぶちまけられ、陶器製だった皿は砕け散る。うん、想像以上の結果だ。
「えっと……大丈夫か『バイト長』?」
《うっく……ひっく……》
早速ぶちかました事に涙と鼻血を流し始める『バイト長』に心配の声を掛けたが、身体の痛みは兎も角大分精神的にヤバいかなコレは。
因みにゴーレムは吹き飛ばされた先の壁に突き刺さっていた、どんな勢いで突き飛ばされたんだアレ?
「ご主人、その……」
「いや、まだ1回目だ。見た所足を踏み外したというかそんな感じだったからゆっくり歩かせるところから始めよう」
言いながら『バイト長』を助け起こして、また皿を乗せたトレーを持たせる。一体ではダメそうなので追加でゴーレムをインベントリから呼び出し、ダメ押しとばかりにリーダーも配置させる。そして、急がず焦らずと言い含めて歩き出させる。次は食卓まであと3歩と言ったタイミングで転び、リーダー含めたゴーレム達は蹴散らされた。
「……一華、転んでる理由分かるか?」
「詳しくは見れてないでござるけど心当たりが一つ、ご主人は?」
「一応、予想は一つな」
クラフターとしての意見というか、今まで戦闘巧者というか武芸者を見ていた影響なのか『バイト長』に違和感が有る。
「拙者としては歩法に問題が有るでござるね」
「成る程、俺は脚そのものに問題が見えた」
一華の意見と俺の意見は何方も足に関する事で共通している。最初はトレーとその上の料理の重さが原因かもと思ったが、実は上半身の方は安定しているのだ。僅か2回とは言え持っているトレーのバランスは今の所崩してはおらず、運んでいる時に転んでいる。これは後で脚を見なきゃダメそうだな。
「『バイト長』、一度そこで待機してくれ」
《うぅ……はいです》
泣いている『バイト長』には悪いが一度ここで止めさせ、俺達で料理を運ぶ。食卓前に待機していた『バイト長』に一皿一皿渡して並べさせていく。今度は脚を使う事が殆ど無いので上手く行った。
「『バイト長』、皿を並べるのは──」
「えっと『バイト長』殿、それは此方に置くでござる、それと──」
「『バイト長』様、そのお茶は──」
と俺を筆頭に見てられなくなった一華と三葉さんも『バイト長』の教育に参加してくる。『バイト長』も言葉は通じないなりに感謝したり教えを乞いに行ったりと積極的で2人も意思は通じるのか快く教えている。今までドジが目立っていただけで家事に関しては意欲は有るらしい『バイト長』は、戸惑いながらも一つ一つ確りと仕事を覚えていく。想像以上に成長が早いかも知れない。
「ふむ、それで今日からはこの様な食事が続くと言うのだね?」
「人数がそこそこ多いですしね、手を極限まで抜くとご飯と生卵だけ人数分用意に成りますが」
「ズボラ飯の極みじゃなそれは」
朝食が始まったタイミングで説明をした際、当主代行と四葩を含めた会話がコレである。2人とも俺が作ったそこそこ大きめの三角握りへ豪快に齧りつき、豆腐とわかめの味噌汁を啜って満足そうである。
「それでお義母さん、少しお願いが有るんですけど」
「私にですか、珍しいですね?」
「ええ、まぁ……お義母さんって舞を教えてるなら行儀作法というか歩き方も指導出来ますかね?」
「はい、その辺も資格は持ってますよ」
予想から声を掛ければ、一華の三角握りを食べていたお義母さんは答えてくれる。予想通りの答えが返ってきて内心ガッツポーズだ。
「申し訳無いんですが、この『バイト長』に歩き方の指導をお願い出来ますか?」
《……ふぇ?》
戸惑う『バイト長』を無視する格好になってしまっているが、そこは一旦無視。訝しげに俺を促すお義母さんに内心安堵しつつ、俺は『バイト長』の動きを俺なりに解析した結果を伝える。
「まだちゃんと調べては無いんですが、恐らくこの『バイト長』は左右で脚の長さが若干違うと思います。結果、歩く際に安定性を欠き易くその結果転倒していると見ています」
「……成る程、正しい歩き方が出来て居ないから転ぶと。トレーを運ぶ筋力と安定感は問題無いと判断したのですね?」
「お察しの通りです、二度の転倒で何となく当たりを付けたので解決策を考えた結果がお義母さんに指導して貰うことでした」
俺が出した考察と、一華の見た問題点を合わせて考えた末の改善策第一弾だ。歩き方の改善なんてそれこそ一朝一夕では無理な事は理解しているが、それでも始める事にきっと遅いなんて無いと信じている。
食事を終えて洗い物を済ませ、探索に向かった面々を見送ってから『バイト長』と2人で洗濯物を始める。ドジッた時を警戒して、洗濯物は全て俺の服で行う。色柄物は基本的に無いので、色移りを気にせずに魔導洗濯機に入れて洗剤を注ぐ。家の物は前世の洗濯洗剤と同じ分量で済むようにしているので、洗濯物の量に合わせた洗剤を目盛りに合わせて用意する癖を付けさせる。
まぁ、『バイト長』の話を聞く限り『清掃長』は洗濯も得意な様子で自作の洗剤と洗濯板を用意したら手洗いで10分もすれば8kgの洗濯物が色移りも縮む事も無く完了するらしい……前世でもそんな高速かつ高性能な洗濯機は無かったと思うぞ。
まぁ、そんな『清掃長』のトンデモな技術は無視して魔導具の使い方を徹底して教え込む。必要なら持ち帰らせるつもりで仕込めば、小さな事でもメイドの仕事が出来るようになるだろう。そうすれば仕事が出来なくて泣く事もきっと無くなる。少しでも自信を持って胸を張れるだろう。
「ほら、最後にこのボタンを押せば洗濯機が運転を始めるぞ」
《……その、タタラくんがボクを心配してくれるのは分かってるのですが》
「うん、どうした?」
《脇の下から持ち上げてボタン操作させるのは子供と同じ扱いなのですよ!?》
「いや、だってこうしないと洗濯機の中に入った挙句暴れて起動させそうだったし」
申し訳無いが、『バイト長』が洗濯でやる場合のドジは今口に出した事と誤って大量の洗剤を洗濯機に入れて付近を泡だらけにする情景だったのだ。それらを防ぐならそれこそ俺が後ろから支えながらやるくらいだろう、ドジって股間を蹴られる覚悟までして行ったがギリギリの回避だった。
洗濯が終わるまでの間、お義母さんに『バイト長』の歩き方の指導をして貰う。最初は普通に歩かせて癖というか転ぶ理由を見ることから始め、『バイト長』もお義母さんも真剣な表情だ。まぁ、洗濯室からリビングに戻るまでの間でも15回程転びそうになっては支えたので俺は結構ボロボロになっていたりするのだが。『バイト長』は一歩一歩を確認しながら歩く、躓くたびにお義母さんが正面から抱き止めてまた歩き出す。歯を食いしばり、目尻に涙を溜めながらも『バイト長』は歩き方が治れば転ばないと信じて挑んでいる。根性が据わってるな。
だいたい30分程『バイト長』が歩き方に挑んだ辺りで洗濯を終えたブザー音が聞こえた。お義母さんに一言断って、『バイト長』を連れて洗濯室へと向う……何故かお義母さんも付いてきたが。
途中途中で転びそうにはなっているが、早速歩行訓練の成果が出ているのか実際に転んだ回数は減っている。流石は『看板娘』の身体だ、運動系の適応能力が凄まじく高い……なんでコレでよく転ぶのだろうか?
洗濯機から籠に移した洗濯物を持って2階に上がり、ベランダに干していく。勢い良く振って水気を飛ばしつつ皺を伸ばし、ハンガーに通してから物干し竿に掛けていく。
《ぴゃぁ!?》
爆発音に似た音と共に『バイト長』の悲鳴が上がる。何事かと振り向けば、『バイト長』の手元のシャツが破れていた。
「勢いの付けすぎだな」
《うう……ごめんなさいです》
「まぁ、仕方ないさ。元々服の犠牲は覚悟してたし」
以前、エテルが俺の為に選んだ一着がそれはまぁ見事にボロボロだった。とは言え、ダリアや『バイト長』なら破れた裾を縫って整えれば普通に着れそうだ。『バイト長』には服が無いし直して譲るか。
「取り敢えず、力加減を覚えながら残りも干して行こうか」
《うぅ……はいです》
落ち込んでシュンとしている『バイト長』の頭を撫でて慰めながら、続きを促す。結果としてシャツ10枚中7枚が犠牲になりはしたが、少し加減を覚えられた様子だ。次は破るのを5枚に減らせるように頑張ろうと『バイト長』に声を掛けたら泣きながら頷かれた。
うん、多分仕事の後に多分今までフォローとか貰ってきて無かったなコレ。涙を堪えて俯きながらもゆっくり歩く『バイト長』は、俺の服の裾を掴んでいる。歩くのに集中し過ぎて前を向けてないから、多分コレ無意識に俺を盲導犬みたいに道標にしてるな。まぁ、転ぶのを防ぐ為だから無為にも出来ないな。
一階に戻り、『バイト長』にお義母さんが再び歩行訓練を開始する。やはり躓く事は多いが、少しずつ歩き方が綺麗になっている。そんな様子を眺めながら俺は『バイト長』の挙動を解析し続ける、転ぶのは基本的に左足を躓かせるかららしい。何となく左脚の方が長いような気がする、右脚の感覚で歩く為に長い脚を引っ掛けているのではないだろうか?
「お義母さん、『バイト長』を少し借りていいですか?」
「あら、何か有りました?」
声を掛けると真剣な表情、と言うか物凄い目力で見られた。何となく『授業の邪魔すんな』と言われてる気がしないでも無いが歩き方を修正する上でもしかしたら有効かも知れないから協力して欲しい。
「ちょっと身体測定を、転ぶ理由に技術的な物以外に物理的な物もあるかも知れないので」
「ふむ……でしたら、私もご一緒していいですか?」
「勿論です、出来たら解決策の相談もお願いします」
俺と目を合わせてやり取りをしていたお義母さんは少しの間思考を巡らせた後、一つ頷いた。俺とお義母さんの姿を見ていた『バイト長』は呆けて居て状況を理解してない様子、そんな彼女を椅子に背筋を伸ばして座らせて採寸する。すると案の定左脚の方が3cm程長く、足も大きい。感覚がズレるのも当然と思うが、
「そう言えば『バイト長』、スキル構成ってどうなってるんだ?」
《ふぇ、ボクはスキルなんて初期の物しかないですよ?》
「……は?」
なんか途轍も無く酷い返答が返ってきた気がする。つまり特殊スキルの尽くが無い状況で今まで過ごしていると言う事になるのだが、この世界の『バイト長』は過去作主人公達と関わった事が無いのだろうか?
「すまん、『鑑定』を掛けてステータスを見ていいか?」
《うん、いいですよ》
了承を貰ってから『鑑定』を掛ける、ステータスが読み取れたのだがある意味で予想外だった。
レベル 90/90
体力 500(900)
魔力 300(900)
技力 300(900)
物理攻撃 100(450)
物理防御 100(450)
魔法攻撃 100(450)
魔法防御 100(450)
速力 100(450)+1
運 100(100)+40
移動力 6(99) +1
スキルスロット
『格闘適性Ⅰ』
『移動力上昇Ⅰ』
『歌唱Ⅰ』
『速力上昇Ⅰ』
『舞踏Ⅰ』
『幸運Ⅳ』
『』
『』
『』
『』
『』
『』
『』
『』
『』
『』
『』
『』
一言で言えば宝の持ち腐れだ、ステータスの上昇も高く無いし特殊スキルが『幸運』のみで他のスキルは取得して無い。これ、存在昇華出来なければ結構危ういかも知れない。
「……『バイト長』、確認なんだけど」
《はい、なんですか?》
「存在昇華って出来るか?」
《え、出来ませんよ》
成る程、コレはアレだ。『バイト長』もダンジョンに連れて行って100階層のボスを倒さないと本格的な修正が出来ないヤツだな。よりにも寄ってレベルが上限だから苦労するヤツだしステータスを上げる為にはアイテムも必須の二重苦どころの難易度では無い。
考え込む俺に不安そうな表情になる『バイト長』、俺は熟考の末に対策を立てる。
「バイト長、空いてるスキルスロットに『忍び足』と『行儀作法』を取ってくれるか?」
《ふぇ、『忍び足』と『行儀作法』です?》
「タタラさん、どうしてそこで『忍び足』なのですか?」
さて、此処でスキルに頼るのはアレかも知れない。だが、コレらの力を最大限に活かさねば多分無理だ。
「スキルの『忍び足』は足なんて付いてますが、実態は身体から余計な音を無くす……動きを最適化するスキルです」
「確かに、余分な動きを無くせば必然的に所作は美しくなっていきますね」
それは躾というか作法の世界だと思うが、意味合いとしては同じである。
「つまり、今の『バイト長』は動きに無駄と言うか余計な動作が多い。そこから転じて歩き方にも何かしら余計な動きが入って転びやすいのかも知れない」
《あくまでもかも知れない、ですか》
「そのかも知れないを一つ一つ潰して正常な物にするのが俺達クラフターが新規に魔導具を作り出す過程だ、俺は
前世知識を使うにしても、ドジを治すなんて知識は無い。なら、この世界における使えるものは何でも使うしかない。『歌唱』や『舞踊』と同じく趣味スキルでもある『行儀作法』なんて物に頼らざるを得ないのは業腹では有るが、『バイト長』の為には背に腹は代えられないのだ。
此処で『早熟』があれば劇的な成長も出来るだろうが、高望みに過ぎるだろう。それこそ俺が『バイト長』を存在昇華前のレベル1から面倒見れるのなら色々と出来ただろうが、残念ながら今の『バイト長』はレベル90で存在昇華を4回迎えている。『バイト長』に必要なのは『完全なる肉体』だと思うが、『早熟』を取らせて高速でレベル上げが出来なければレベル100を周回するなんて基本無理だ。スキルレベルの上がり方もどうなるか分からないし、結構キツイな。
「……他に今できる対策を取るか」
インベントリから素材を取り出して、改めて『バイト長』の足を採寸する。
「バイト長、悪いんだが身体を一切動かさないでくれ」
《ふぁい!?》
戸惑う『バイト長』だがお義母さんが察してくれたのか両肩に手を置いて押さえてくれた。手を置かれた瞬間に『バイト長』が身体を強張らせたが、動かないなら何でもいい。
俺が今作ろうとしているのは靴だ、大きさや靴底を調整して両足の長さと大きさを揃える事が目的である。劇的な効果は見込めないかも知れないが、やらないよりはマシ。そんな対応策である。足の大きさと長さを揃える為にギリギリまで革の厚みを弄り、靴底を削る。仕様はあくまでも上履きに留める形にする、外履きでは恐らく直ぐに靴底が削れてしまってバランスが狂うだろう……何となく『バイト長』を室内飼いの子犬に見ている気がしてならないな。
作業時間は30分程で終わり、試作品では有るが『バイト長』の靴は完成した。革の鞣しが甘かったり速乾性を優先した為に魔石を混ぜた表面のコーティング剤が影響して光を反射する自分の足元に、『バイト長』は戸惑いとも驚きともつかない表情をしている。
「お義母さん、これで歩き方の指導をお願い出来ますか?」
「分かりました、靴に慣れるまで多く時間が係るかも知れませんが……」
「一日二日というか、そんな短時間で歩き方が治せるなんて初めから考えて無いですよ」
固まる『バイト長』を他所に俺とお義母さんはやり取りをする、『バイト長』にはスキルを取って貰ってから訓練を再開して貰う必要も有るしそろそろ意識を戻して貰おう。
「『バイト長』、そろそろ訓練再開の時間だ」
そう声を掛けて肩に手を置くと、身体をビクリと震わせた後に俺を見てくる。
「……大丈夫か?」
《は、はいです!》
反応に若干戸惑って声を掛けたら元気よく返してくる、まさか今までこういった贈り物とかされてないたかじゃないよな?
「あ、始める前に『忍び足』と『行儀作法』の取得を」
《あぅ、はいです……》
早速お義母さんの所へ行こうとした『バイト長』に声を掛ければ、出鼻を挫かれたと言わんばかりに『バイト長』が凹む。翼まで鄙びて落ち込んでるのが見るからに分かる、その為お義母さんから睨まれてしまった。
そうして訓練が再開され、『バイト長』は目に見えて転ぶ回数が減った……等という事は無かった。それでも躓く回数は少しずつ減っているように見えて、明日は配膳を今日よりは上手く出来るかも知れないと思った。それは多分に希望的観測が入った物では有るが、それでも俺は『バイト長』の努力を信じたい。
昼食と夕食の配膳中に合計8枚、片付けにて合計10枚の皿を割るに至りガチ泣きを始めた『バイト長』を慰め、そのまま泣き疲れて寝かせた後に工房に入る。必要なのは頑丈な食器だ、一先ずはシスター・カレハの教会に納品したミスリル製の食器を皿に鍛造して一通り揃える事にする。大きさの様々な皿から始まり、トレーや茶碗等の様々な食器を作る。シスター・カレハに譲った物は既に歪まされてしまったが、鍛造したミスリルで作った上に彫金に見せ掛けた防御術式を施した此方は流石に大丈夫だと願いたい。
さて、食器を一通り作り終えたなら今度は俺の現状確認だ。実のところ、先程食器の為に鍛造をした際に振るう鎚に『鍔目返し』が発動した。本来の目標からズレた箇所へ鎚が振るわれた為に鍛造の出来が思ったようにはならなかった、コレを矯正しなければ俺の作る剣が駄作になる。折角3倍の回数鎚を振るえるのだから、コレを思った通りに振るえる様になりたい。寧ろならなければお師様に賜った鎚に失礼と言うものだ。
只管にミスリルインゴットを鍛錬する。『鍔目返し』によるズレを見て、自己の感覚から何れ程にズレてるのかを確認して感覚を修正していく。しかし、上手くいかない。コレが低レベルによる練度不足なのだとしても、それを許して作品の質を落とすなど言語道断だ。鎚で打ち、溶かしてやり直すの繰り返し。スキルに対して理解を深める為に只管に向き合い続ける。
3時間程が経って、それでも尚上手くいかない。スキルにより振るわれる鎚は、全く持って鍛錬に向かない。このままではお師様から受け継いだ鍛冶技術に影を落とし、天目一箇命の名を地に落とす事となる。それでは駄目だ、俺自身の事なら幾らでも赦せるがお師様の事を貶める訳にはいかない。高々スキル程度に振り回されるなんて、許されていい筈が無い。試行錯誤を続ける間に、ふと昔の事を思い出す。四葩は以前『盗む』スキルを使用する際に『概念鑑定』を併用する事で確定で物を盗めていた、ならば『クラフト』スキルの併用で『鍔目返し』を制御出来るのではないだろうか?
早速試してみる、溶かした剣を鍛錬する際に『クラフト』と『鍔目返し』を同時に使用すればほんの少し手応えを感じた。
より集中し、スキルを併用していく。
亀の歩みに等しい、ほんの僅かな修正を重ねていく。
時に使用するタイミングを変え、時に使う順番を変えた。
そうして、唐突に理解し感得する。それまで出来なかったズレの修正が叶い、『鍔目返し』の制御を可能とした。単純に手数が増えた結果、時間の短縮にはなっていないが鍛錬にて折り曲げられる回数が単純に増えてより刀身が強固になった。まだ『空裂』に影響が出る程では無いが、作り上げた剣に入る補正が+7から落ちなくなってしまった。品質を落とすならスキルの併用をしなければいいのだが、そうすると今までの+3補正すら発生しなくなるという両極端な結果になってしまっている。いや、今までプラス補正付き武器を売ってた事が商会から遠回しに苦言を告げられた原因だから逆に良いのかも知れないけど。
都市祭が終わってこの事を報告したらまた都市長に怒られるかもと考えつつ、作業に集中し過ぎて時間を使い続けた事に悩む。寝なければならないが、下手をすれば朝食を作る時間に間に合わないかも知れない。そんな風に悩んでいる時、そっと肩を揉まれる。
「……『天使長』?」
以前、一度按摩をされた感触から相手を特定する。しかし、相手を確認するのも間に合わず急速に瞼が重くなる。作った食器をキッチンまで持っていかなければならないのに、身体を襲う倦怠感に勝てない。
意識が遠のく中、額に柔らかい感触がした。
装飾品『バイト長の靴』
名工タタラ・ジュロンが作った靴、素材としてはジャイアント・バットの飛膜が主である。
特別な効果は特になく、『バイト長』の身体に合わせて作れているただそれだけの靴でしかない。
姉妹にすら軽んじられ、特に何かを贈られた経験の無い『バイト長』が初めて貰った専用の贈り物である。
時が流れて、この靴は必要なくなった。
それでも彼女はこの靴を捨てられず、大切に手入れを続けている。
居なくなってしまった人を思い出し、過ぎ去った初恋に思いを馳せながら。
生存するか否か
-
生き残る(元は生き残る予定)
-
生き残らない