『MS格納庫内与圧完了。コクピットハッチ開放よろし』
コンソールの片隅で上がり続けていた外気圧計の表示値が基準に達するとともに、MS格納庫管制からの通信が入った。
回収したジオン残党MSの残骸を甲板班のプチMSへ引き渡し終えて着艦し、トラキアMS隊はすでに機体格納までを終えていた。アイネは今、リニアシートにその背を深くもたれ掛けながら、ただ全天周モニターに映る格納庫の風景を見つめている。
アイネが乗るジムⅡ25はすでに融合炉を停止させており、機体もMSベッドにその身を預けていた。大した自然冷却など期待できない宇宙空間で運用されて熱を溜め込んでくるMSには、稼働の都度に母艦や基地施設での冷却措置が必要だった。
やはりコンソールに表示されている機体温度が順調に低下していくのをただぼんやりと見つめながら、すでに機体格納後の各種点検を終えていたアイネは、僚機から少し遅れてハッチを開く。
「――?」
人の気配を感じて顔を上げた。
機体内外のわずかな気圧差が風を揺るがす中、アイネが見上げた先に、機外風景を背に腕組みしながらアイネ機のハッチ開口部に立つノーマルスーツ姿があった。
MSやその機材相手に五体で格闘する作業量が多い整備兵は、一般用よりも運動性の高いのノーマルスーツを着用することも多い。だから顔はともかく、その体型には見覚えがあった。
細身ながらもやや上背があり、アイネやマコトのことを思えば控えめながらも、程良く膨らんだ胸が性別を教えている。襟元には曹長の階級章があった。
出撃前にこのコクピットからアイネが撃退したガルノフ軍曹を引っ掴み、減圧されていくMS格納庫から引きずり出していった女性整備兵だ。
彼女がヘルメットを外して背中へ掛けると、短いポニーテールにまとめた癖の強い赤毛が揺れて、いくぶん中性的な風のある整った顔立ちがアイネをじっと見つめてきた。アイネよりいくらかは年上に見えるが、若く愛嬌のありそうな娘だ。
「…………」
「あ、あの……?」
だが、そんな彼女から無言のまま真剣な表情で見下ろされ続けて、アイネはリニアシートから戸惑いながら呼びかけた。とりあえず、こちらもヘルメットを脱いでみる。
何だろう。何か、機体に問題でもあったのだろうか。機体に負荷の掛かる格闘戦を数回こなしてきたとはいえ、一見して分かるような問題は生じていなかったはずだが。
「…………、うん」
やがて意を決したように一人頷くと、彼女はコクピット内へ飛び込んできた。アイネのすぐ目の前にまで赤毛のポニーテールが近づく。
機体の外装ではなく、操縦系に何かを感知したのだろうか? 通常の機能点検はすでに済ませており、そこでは異常も見つからなかったのだが。
だが迫る女性整備兵のグラブがアイネの胸元へ伸びたかと思うと、ぐにいっ、とパイロットスーツの胸元を突き上げる左右の山体へ十指を深く食い込ませていた。
「!?」
「…………」
突然の無体に目を白黒させるアイネを前に、女性整備兵はその真剣な面持ちを崩すことなく無言のまま、その両掌にさらなる握力を加えてくる。
「あ、何をっ!? だっ、だめ……っ、だめです……そんなっ、やめて、ください……っ」
シュンやガルノフのときと異なり同性相手とはいえ、全天周モニターはまだ生きている。映し出される格納庫内で近くを飛び交う他の整備兵たちの方からは、リニアシートに押し込まれたまま乳房を揉みしだかれているアイネの姿など見えるはずもないのだが、断ちがたい羞恥の意識はおかまないなしに生じて、女の感覚をいっそう敏感にさせてしまう。
そしてアイネの乳房はパイロットスーツの厚い生地に包まれたまま、ただ揉まれるにまかせて変形する。整備兵は握りと強弱を巧みに変えながら、時には掌で包みきれないその山容を下から搾り上げ、また時には山頂を目指すように指先を登らせ、ついにはその頂点までを人差し指の先で弾いてのけた。
「あッ!!」
「…………」
ひときわ敏感になってしまっていた場所を責められ、思わず切なげに声を出しながらのけぞるアイネの、大きな乳房の小さな谷間へ顔を埋めながら、その感触をたっぷりと楽しんだ整備兵はそこでようやく、万感の思いとともに吐き出した。
「す、素晴らしい……! なんという感触。吸いつくような手触り、指を押し返してくるはちきれんばかりの弾力、そしてこの圧倒的な存在感、思わずいじめたくなってしまう敏感さ……! 間違いない! これは流行る!!」
「駄目だ。そんな行為は流行らないし流行らせない」
そのときコクピットハッチの開口部から聞こえた声に、アイネは希望の光を見る。
「じゅっ、准尉ぃ……」
少女が涙のにじんだ瞳で直属上官へ助けを求めると、マコトは溜息混じりに整備兵を制止した。
「ウェンディ、挨拶代わりのスキンシップならそのあたりにしておけ。クライネ伍長は繊細なんだ。私やウェンディと違ってな」
「マコト! この娘のおっぱい凄いよ! これは男を狂わせる!」
「私の目の前で女もひとり狂っているように見えるが」
目を輝かせて鼻息荒く叫んだ赤毛の娘へ呆れかえって言い放つと、マコトはアイネの胸を今なお弄びつづける女性整備兵を紹介した。
「クライネ伍長。残念ながら、彼女がMS整備班長のウェンディ・アーデル曹長だ。ウェンディもトラキアの古参で、私とも古い付き合いになる」
「あ、アーデル曹長……よ、よろしくお願いします……」
スーツの生地が突っ張るアイネの胸の谷間から見上げるように笑顔を出して、ウェンディがアイネに応じる。
「ウェンディでいいよ。よろしく、アイネちゃん! あとね、あたしはMSだけじゃなくて身体の整備もしてあげられるから、疲れたなーと思ったときはいつでも声を掛けてね! アイネちゃんのこと、もうすんごい気持ちよくしてあげちゃうからっ」
「……一応言っておくとクライネ伍長、ウェンディのマッサージは真面目に効くぞ。試してみる価値はそれなりにある……まあ、途中でおかしな方向へ脱線しなければ、の話だが」
現在進行形で胸の膨らみをマッサージされながらあからさまにどん引きしているアイネを見て、ほんの申し訳程度に気を遣ったのか遣っていないのかよく分からないようなことをマコトが言った。そんな説明など一切関わりなく、上目遣いのままでウェンディが問いかける。
「あー、アイネちゃん。どしたの? おっぱいはこんなに柔らかいのに、表情は硬いね?」
「初対面の変な女にいきなり抱きつかれながら、いいように乳を揉みしだかれればそうもなるだろう」
「マコト、変な女って誰? いやアイネちゃん、ハッチ開けた瞬間からすでにもうなんか表情暗かったからさ。なんかあったのかなーって……あ。イベルのことならご心配なく。あたしが責任持ってしっかり焼き入れとくからさ」
イベル――イベル・ガルノフ軍曹のことだろう。出撃前にこのコクピットで雄の巨体に覆い被さられるようにしながら身体を弄ばれた記憶が蘇り、アイネは少し身を堅くする。同時に説明を求めるように向けられてきたアイネの視線に、マコトは淡々と答えた。
「……ウェンディは、ガルノフと特別な友情関係にあるんだ」
「んー。友情っつーか、なんつーか……お互いに足りない持ち物を、欲しくなる都度貸し合ってるだけというか……」
「?」
マコトとウェンディが適当にぼかした話を理解しきれずに小首を傾げるアイネを、ウェンディは豪快に笑って押し切った。
「あっはっはっは、ほんとに可愛いねアイネちゃん。うん、とにかく後でアイツは枯れ果てるまで搾り取っといたげる。とりあえずアイツに関しては、しばらくアイネちゃんに手を出す余裕なんか完全になくさせたげるから、安心してね」
「は、はあ……『搾る』??」
まだ話についてこられていないアイネへ向けて、ウェンディは巨大な山塊の浅い谷間からどこか仄暗い笑みを浮かべてくる。
「ふふ、そう……搾るの。たっぷり。赤いの出ちゃうぐらいね。まあ、イベルは搾り取って何とかするにしても――アイネちゃんみたいに可愛くてえっちな体の女の子には、さぞかし悪い虫も付きやすいでしょうなぁ」
「早速でかいのが一匹付いているように見えるが」
「アイネちゃん、とりあえずMSパイロットの同僚男子諸君らには用心しときなよー」
ウェンディは冷たい目をしたマコトを鮮やかに流して言った。
「イベルはあたしが搾り取って根枯らしさせるとしても、ロブもあれでけっこうな助平だからねえ。要注意だよ。でもまあ、シュンぐらいは大丈夫かな……? そもそもあいつ、女に興味あるのかどうかもよく分からんし」
「…………」
最後に出てきた少年の名前で、アイネの表情に生じた一瞬の変化をウェンディは見逃さなかった。
「んんん? ほう、これは……もしかしてアイネちゃん、シュンとはもうすでに何かあった系の……?」
「え? ちっ、違いますっ!」
かっと頬を赤らめながら、アイネは叫ぶように言い返した。確かにあの正体不明の情欲と情事のことはマコトから厳に口止めされてはいる。だがそうでなくとも、わざわざ自分から人に言って回るつもりなどなかった。
だがウェンディは目を輝かせてアイネの胸から身を乗り出し、その反応へ意外なほどの深い食いつきを見せてきた。
「おおおおお!? こ、これは意外な展開……! まさか! まさか、あの朴念小僧にアイネちゃんがっ!?」
「いっ、いえっ! そ、そうではなくてですね!?」
どうやら自分がカーペンター伍長に対して男女の特別な感情でも抱いているかのように思われてしまったらしいと察して、アイネは慌てて否定する。するとその本気ぶりが伝わったのか、ウェンディも次第にトーンを落としていく。
「ムッ、……と、いうことは、逆……? つまり、シュンの方からアイネちゃんに……?」
「えっ。いやっ。あの、その……っ」
踏み込んできたウェンディへどう切り返せばいいか分からず、今度は明確な否定も出来ないまましどろもどろになったアイネの双乳を、鬼の形相でウェンディがむぎゅっと鷲掴んだ。
「ああっ!?」
「この胸か! やはりこの胸かっ! この胸があのシュンをも狂わせたのかっ!! 『MSで初出動する前に、キミの操縦桿とビームライフルをあたしの格納庫で機能点検してみない?』って誘ったときも本気涙目で断りやがったアイツを雄の本能に狂わせたのは、この胸なのかっ!!」
「あ、あの、アーデル曹長……? ちょっとホントに何言ってるのか分からないですね……あッ……」
「一体いつの間に私の部下へそういうおかしな誘惑を掛けていたんだ……ウェンディの自由奔放な神出鬼没ぶりには、毎回驚かされるばかりだな」
「いやあ、それほどでも~」
揃って戦慄の表情で言うアイネとマコトに、まったく褒められていないウェンディが照れ隠しのように頭を掻いてのける。その間にも彼女は残った片手でアイネの乳房をぐにぐにと揉んで、パイロットスーツの胸に張りつめたラインをいいように変形させていた。
「整備班長! ウェンディ曹長っ!!」
「うげっ」
そのときコクピットハッチの外から娘の怒声が飛び込んできて、呼ばれた彼女が表情を軽く引き攣らせた。
揺れる赤毛のポニーテール越しにアイネが見れば、空中で若い――いや、それどころか子どものように幼く見える女性整備兵が威嚇するように腰へ両手を当てながら、コクピット内の整備班長を睨みつけているところだった。
「何をいつまでも油売ってるんですかそんなとこで! 22は全身の外装がボロボロ、23は肩もバズーカも壊されて、25は三回もサーベル戦をやってるんですよ!? なんでこんなときに班長不在なんですか!」
「おうおう、張りきっちょるねぇ……有能で士気が高い部下を持ててあたしゃ幸せだよ。分かるかねマコト? これこそ後進をしっかり育てているあたしと、後進がイマニイマサンでぱっとしないあんたの差なのだよ。人材育成も職業軍人の大事な務めよ?」
「……努力はしているさ」
「うん、知ってる。だから今だって、ちょっと手伝いに来てやってるわけじゃんかよぅ」
「能書きはいいですから、さっさと来てくださいっ!」
可愛らしい童顔から湯気も沸かさんばかりの女性整備兵から指さされると、さすがのウェンディもいよいよ諦めたように息を吐く。
「あーあ。ここが引き際かぁ……残念。もうちょっと楽しんでいたかったけどなぁ……またね、アイネちゃん! バイ!」
「あっ……」
アイネの乳房に顔を突っ込んだ反動で跳ね返ると機敏にハッチへ足を掛け、ウェンディはコクピットに爽やかな笑みと敬礼だけを残して格納庫へ消えていった。後に残されたのは、まだ頬を紅潮させたままの少女と、いつも通りに泰然自若としたままの娘の、女性パイロットがふたりだけ。
「……何だったんでしょう……」
「まあ昔から、ウェンディはだいたいああいう奴だ」
あえて対象について触れようとしないまま発したアイネの質問に、マコトはただ鷹揚な頷きだけで答えてのけた。
「かなり面食らっただろうと思うが、あれで別に何も考えずにやってるわけじゃない。……ほぐれたか?」
「えっ?」
マコトの言葉で、ノーマルスーツのグラブ越しに同性の手でいいように捏ね回されていた乳房と、その左右の頂に今も残る熱と尖りを意識しかけて、アイネの頬はさらにいっそう赤みを増す。
「え、ええ……」
「そうか。では当直にサントス伍長を残し、カーペンター伍長とクライネ伍長は休養のため艦内へ下げる。整備はウェンディたちに任せて、今は体力回復に専念するように。私は艦橋へ報告に上がる」
「准尉、……」
マコトはそのまま迷いなく踵を返し、ハッチに足を掛ける。その背中が遠ざかっていこうとする寸前、アイネは発作的に腰を浮かせながら叫んでいた。
「私……私っ、ずっと前から覚悟してたつもりでしたっ!」
跳躍の直前で動きを停め、ゆっくりと無言のまま振り向いたマコトに、立ち上がったアイネは堰を切るように溢れ出してきた言葉を叩きつけていく。
「MSに乗って自分が殺されるのも、相手を殺すのも……覚悟、してたつもりでした。ルウムをめちゃくちゃにして、二十億人を皆殺しにしたジオンの残党と戦って、いま生きてるみんなを守るためだったら、……何でも出来る、って思ってました。
でも、エゥーゴのジムと戦って……相手のパイロットをビームサーベルで殺したときから、私、震えが止まらないんです。
何か……他に何か、もっといい選択肢を、私は気づかずに見逃してしまったんじゃないかって。取り返しの付かないことを、してしまったんじゃないかって……」
アイネは息を切りながら、肩越しに見返してくる上官の瞳をじっと見つめる。
理不尽なことを聞いてしまっているのかもしれない、という自覚はあった。
でも、この人なら、きっと何かを知っている。
根拠を説明できない確信が、今までトラキアで過ごした決して長くない時間でアイネの中に生まれていた。
「君は、正解を知りたいのか? あの戦場の」
見下ろしてくる視線をまっすぐに受け止めながら、アイネは無言のままで頷いた。マコトが向き直り、じっと黙して答えを待つアイネに正対しながら言葉を投げ落としてきた。
「そうか。なら私より、彼と話した方がいい」
「『彼』――?」
言われて視線を上げた先に、隣に駐機したジムⅡ23のコクピットハッチから飛来してくるノーマルスーツ姿を見つけて、アイネは再び表情を堅くした。そうして25のハッチ前で身体を止めたシュンの方も、何か覚悟を固めてきたかのような顔でマコトに敬礼し、そしてアイネに向き直る。
そういえばあの一件の後、この三人だけで顔を合わせるのは初めてだった。
「では、よろしく頼む」
「あっ――准尉!?」
それだけ言い残すとマコトはハッチを蹴り、再び敬礼するシュンの傍らを抜けてデッキへ降りていってしまった。
またしても逃げ場のないコクピット内で男性と一対一で対峙するという状況に追い込まれながら、しかし今のアイネは臆することも退くこともなく、真正面から迎え撃つようにシュンをきっと見据えていた。
確かに緊張を孕みながらも、二人の視線は外れることなく真っ向からぶつかり合った。
「クライネ伍長」
「……はい」
アイネの名をはっきり毅然と呼んだきり、シュンはハッチの外で動かなかった。長い沈黙がコクピットに降りる。
だが何度目かの深呼吸のあと、シュンはその表情を崩さないまま、アイネにはっきりと呼びかけてきた。
「ありがとう、クライネ伍長。さっきの戦闘でクライネ伍長の掩護がなかったら、僕は確実にあのエゥーゴ機に殺されていた」
「……何かと思えば……。私はMSパイロットです。一度MSで出撃すれば、そこに個人的な感情を持ち込むようなことはしません」
言いながら、アイネはその目に強く力を込める。
「必要だと思ったから、あなたを掩護した。ただ、それだけです」
あの行動は決して、シュンに対する何か個人的な感情で動いたわけではなかった。恩に着せるつもりも、実力を見せつけたつもりもない。
あのとき必要だと思ったから、そうした。
それだけだ。
その正しさなど、知らない。
「君を尊敬する」
「……えっ」
しかし次に飛んできた言葉に、アイネは小突かれたように息を呑んだ。
「君は自分を犠牲にする覚悟を決めながら、自分自身の判断で、味方を――僕を、守ってくれた。君が守ってくれなかったら、僕は今こうして君にお礼を言うことも、あのときのことを……謝ることも、もう出来なかった。
クライネ伍長、君は本当に勇敢な兵士だ。心から尊敬する。そして、ありがとう」
「な、何を……言って……」
今までとはまったく異なる理由からアイネは頬を紅潮させ、息も止まらんばかりに心臓に早鐘を打たせていた。
その混じりけのない真っ直ぐな真摯さは、彼女が今まで男性から一度も向けられたことがなかったものだった。
だからアイネは直視できずに、シュンの瞳から視線を逸らした。
俯きながら少女の小さな唇が、ゆっくりと小さな言葉を連ねはじめた。
「……カーペンター伍長……あなたの、機体は……その……動かしやすかったです。とても丁寧に整備されていて、おかしな癖がなくて……だから、初めて乗る私でも……ちゃんと、扱えました」
「良かった。クライネ伍長がそう言ってくれると、嬉しい」
そうして逸らした先へも暖かい言葉を被せられて、アイネはまたも自分の言葉を失う。シュンもそれきり黙り込み、二人の間を再び沈黙が支配した。
しかしそれは今までとは、まったく種類の違う沈黙だった。
だからマコトがジムⅡ25のコクピットハッチに取り付き、何か紙袋を抱えたまま黙って立っていることに二人が気づくまでにはしばらくの時間がかかり、そして気づいたときには揃って頓狂な声を上げてしまった。
「准尉!」
「艦橋へ上がられたのでは!?」
「いいや。これを取りに行っていただけだ」
マコトが言いながら、紙袋から二人へ何かを投げ渡した。反射的に受け取りながら、アイネとシュンは目を丸くする。
「……これは?」
「員数外の増加食だ。腹の足しにしておけ」
三人の掌中には今、赤いリンゴが収まっている。
「さっき《リバティ115》についていた民間警備会社のMS班長にもらった。それなりの高級品だそうだが、ぜひ皆で食べてほしいということだった」
声の調子を落としながら、マコトは自分とシュンの背中を使って外からの視線を遮る。そして艶やかで小さな唇の前に、人差し指をそっと立てた。
「そんなに数がないから、整備の連中には内緒だぞ」
そのとき全天周モニターに通信小窓が開き、当直配置に残るロブ・サントス伍長の姿が映った。ヘルメットは外していないがバイザーは上げてグラブは外し、やはりその手にリンゴが見える。
『小隊長、さっさと片づけちまいましょうよ。整備の連中、いつまでも誤魔化してらんないッスよ』
確かに整備兵がいつ直接話を聞きに来るかも分からない。それを思えばロブが神経質になるのも分からなくはないが、そのしぐさが妙に可笑しくて、アイネの口許にくすりと小さな微笑がこぼれた。呆れたようにシュンが尋ねる。
「……いいんですか、これ?」
「構わんさ。向こうもドラッツェの40ミリを食らったときに貨物が破損したことにしておけば、多少の融通は利くんだろう。諸君、食え」
「あっ」
言うが早いかマコトがリンゴをかじり、咀嚼していく。甘酸っぱい香りがコクピット内に立ちこめて、今頃になって空きっ腹を思い出したアイネも思わず喉を鳴らした。
「戦闘糧食、……手をつけてなかったなぁ……」
アイネがまじまじと手元のリンゴのみずみずしい光沢を眺めている間に、マコトのリンゴはすでに果肉をあらかた削り取られていた。
冷たく冴えた美貌からはとても想像出来ない早食いぶりを見せつけながら、黒髪の美女は二人のリンゴを見下ろす。
「要らないのなら、私がもらうぞ」
「えっ? あ、いやそのっ!」
マコトの健啖ぶりに思わず見入っていたアイネとシュンが、手元のリンゴを守るように胸へ抱き込む。二人同時のその動作で、二人の間にばつの悪い笑みが生まれた。
あの警備会社のジムやボールのパイロットたちや、貨物船のクルーも、今頃なにか食べているのかな。
戦って、誰かを守って、生き残った。
今はきっと、それでいい――
シュンの方を見ると、向こうもちょうどこちらを見返すところだった。互いの表情に苦みが走り、次いで、内側からこみ上げてくるような笑みにそれが破られる。
ハッチを開放したままのコクピット内から、もう言い訳も利かないほど濃厚な果実の香りを充満させながら、アイネは芯だけになったリンゴをつまんで振るマコトを、誰か近づいてきたのか慌ててガツガツと食うロブを、苦笑しながら頬張るシュンを、全天周モニターの向こうで部下とやり合いながら整備に奔走するウェンディを見る。
そう。
巡洋艦トラキア。
ここが私の、これから生きる場所なんだ。
リニアシートの上で食べる赤いリンゴは、甘い命の味がした。