※この作品はR-18です。

フェニックステイル   作:KY_PT

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第十八話 ファドランの少女たち

 少女の手指が、ゆっくりとページを繰る。

 ハードカバーの内側に綴られていくそれは、インタビュー記事だ。インタビュワーから一対一で繰り出される質問に少年がじっくりと答え、その難解な回答の不明瞭な部分を、記者の頼りない推測が補おうと試みる。そんな展開が延々と続く。

 しかし話者たる少年の言葉は常には迂遠で、抽象的な文言があまりに多い。そのうえ内容に軍の検閲が入ったらしく、そこかしこに不自然な欠落がある始末だ。そこで扱われる話題に関して十分な興味と知識のない者が読もうとすれば、わずかな時間で眠りの海に誘われ、甘美な水底へ沈んでいくだろう。

 長い黒髪の少女はそんな睡魔の誘惑に耐えながら、辛抱強く読み進めていた。

 古本である。奥付によれば、一年戦争後間もない時期の出版物であるらしい。それにしては紙質そのものはそう悪くないが、ぞんざいに扱われた時間が長かったようだ。サイド5のとある古書店の片隅に置かれていたそれは、頁のそこかしこに何かしらシミがあったり、いくつかの頁はすでに折れ曲がって消えない皺を刻んでいた。

『最終総括・ニュータイプ論0080』。

 ハードカバーの表紙に掲げられた、やたらと若い男女ばかりが目立つ連邦軍将兵の集合写真の上で、古本はそう自身の題名を告げている。

 その集合写真の中心近くではにかむように佇んでいるのは、一年戦争において生ける伝説となった、地球連邦軍の白いMS『ガンダム』を駆った天才少年パイロット――アムロ・レイ。

 彼をはじめとする強襲揚陸艦《ホワイトベース》隊の将兵は数奇な運命を辿り、地球人類全体を巻き込んだ未曾有の大戦争の帰趨にすら影響を与えたのではないかとまで囁かれるほどの、空前の大活躍を成し遂げた。戦後の彼らは地球連邦軍最大の英雄として――そしてスペースノイドの独立と優性人類生存説を掲げたジオン公国ではなく、地球連邦の側に現れたNT部隊として、大いに祭り上げられた。

 戦争の痛みと復興への遠さを忘れようとするかのように、当時の世間は彼らの情報を求めて狂奔した。これもそんな彼らへのインタビューを通じて、NTの実像を描き出そうとした一冊だったらしい。

 そうした書籍は戦後、雨後の筍のように出版されていた。そして彼らが語るNTという概念の難解さと、戦後復興という眼前の課題の大きさから、すぐに世間から忘れ去られていった。結局のところ俗世にとって、NTとは一過性のブームでしかなかったのだった。

「…………」

 そんな忘れられた一冊を手に取り、自身の鼓動を聞きながら、少女は静かに頁を繰っていた。

 ひたすら続く難解なばかりの文章を、彼女は眉をしかめながら必死に追う。何か使命感を帯びたかのように、泥濘の山道を行く旅人のようにゆっくりと、次第に鈍りゆく集中力の中でも着実に読み進めていく。

 彼女の手指が、次にめくったある一頁でふと止まった。

 桜の花弁のように可憐な唇がかすかに震え、小さく言葉を紡ぎ出す。

「『アムロ・レイ』……」

 その頁には一枚、大きく写真が掲げられていた。

 文中でインタビューを受けている話者、アムロ・レイその人の写真だ。実際のインタビュー中に撮られたのだろうか。画質も良く、高精細な一枚だった。少女がそれまで見たことのない角度から、アムロ・レイの知られざる新たな側面を伝えようとしているかのような、そんな写真だ。

 かつて己が戦場で感じ、そしていま思うところを世の人々に伝えようと語りながらも、それらを確かな言葉として紡ぎ出して万人へ伝える術を持たず、苦悩し懊悩する赤毛の少年の姿がそこにあった。

「ニュータイプ、……アムロ・レイ……」

 いまだ表層に色濃く残る少年の端整な幼さと、あまりに濃密で荒々しい四ヶ月間の戦いによって磨き抜かれた、内なる魂。両者の相克を感じて、少女は思わず再び彼の名を呼ぶ。熱い吐息を漏らしながら、自らの手指を少年の頬へ添えようとした。

「ノーラぁ~~~」

「っ!!」

 そのとき幼い少女の頓狂な声色が、彼女の真後ろでいきなり響いた。

 彼女は目を白黒させながら凍り付く。

 眼前に本を広げていた彼女の両腕、その両脇の下から別の両腕がにゅっと伸びていた。彼女と同じぐらいに細く小さく、そして彼女同様に濃緑色を基調としたジオン系パイロットスーツを着た少女の腕が滑り込み、起伏に乏しい彼女の胸元をまさぐっている。

「ううっ。ノーラがボクにかまってくれない……。寂しい。ボクは寂しくなると死んじゃうの。だからボクが今この瞬間に死んじゃったら、それはノーラのせいなの。だからさぁ、ノーラぁ。そーんな辛気くさい顔でこんな本なんか読んでないでさー、もっとボクと一緒にたわむれようぜ~~~」

「……てぃっ、ティア……っ……。あ、……あんた、ねぇ……!」

 恨めしげに言いながら、その両手はなお執拗にパイロットスーツの上から胸元を捏ね回そうとし続けている。

 だが悲しいかな、ノーラと呼ばれた黒髪の少女に胸元の肉付きは乏しく、ましてパイロットスーツの生地越しとなれば掴める膨らみはさらに小さい。

 というか、ほぼ、無い。

 そんなろくでもない介入で読書を中断されたロングヘアの少女、ノーラがこめかみに青筋を立てながら怒り満面で振り向くと、長い髪をツインテールにまとめた幼い少女の不満げな表情が出迎えた。

 大きく出した額の下で大きな瞳をくりんと動かし、幼い彼女は本を見る。そして可愛らしい顔立ちの中で、不機嫌そうに眉根を寄せた。

「まーたノーラ、アムロ・レイの本なんか読んでる……。ふふーんだ。そんな変ちくりんな天然パーマより、ボクの方がずっとずーっと、ずうううううーぅっと強いもん! だからノーラはアムロの本なんか読まずに、ボクと戯れていればいいのさ~~~」

「…………」

 つまらなさそうに文句をごねる間も、ティアと呼ばれたツインテールの少女は両手でノーラの胸をまさぐったまま。そして少女は最後に、駄目押しの一言を言い放った。

「ノーラはそんなの読むよりもっと広い心、大きな心を持ちましょー。でないといつまで経ってもこのペチャパイも、Aカップから大きくなんないぜ!」

「……ティアぁぁぁあああ!!」

 絶叫とともに、ノーラがキレた。

 よく訓練された躍動感に溢れる動きで一気に全身を捻り、自身の胸元を弄ぶ両手首を取って掴み挙げようとする。だがツインテールの少女はその動きを読んでいたように、猫科の野生動物じみた動きで両手を引く。発条のようにしなって体ごと飛び退き、数メートル先で天井を蹴っていた。

「バカにしてぇっ!! ティアーナあんたねぇ、今日という今日こそは絶対っ、絶対に許さないんだからぁーっ!!」

「うきゃあーーー!!」

「待てこらデコスケーーー!! 今日こそそのピコピコしたツインテふん縛って、ザクマシンガンに吊してやるーーーッ!!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 心底楽しげな悲鳴を上げ、脱兎のごとくティアーナは逃げる。その後頭部めがけて涙目のノーラが『最終総括・ニュータイプ論0080』を投げつけた。ちょうどツインテールの分け目を狙った正確、かつ強烈な横手投げ。だがティアーナは後ろに目でもあるかのように、最小限の首振りだけでその一撃をかわしてのけた。二人と一冊はそのままパイロット待機室から、隣接していた広大なMS格納庫へ飛び出していく。

 そこには彼女たちが操る緑の巨人が三体、その身をベッドに横たえていた。

 それはMS-06F《ザクⅡ》――いや、彼女たちがMS-06F3《ファドラン》と呼ぶ機体だ。整備兵たちが呆れた様子で苦笑しながら見上げる格納庫の空中に、二人の少女は暗緑色のパイロットスーツに包まれたしなやかな体を泳がせていく。

 ノーラとティアーナ。二人はジオン残党組織『ルスラン・フリート』に属するMSパイロットだった。

 

 

 

 サイド5船籍の貨物船《ケンドー丸》は今、サイド5からサイド4宙域へと足を踏み入れつつあった。

 ケンドー丸は一年戦争後、地球連邦軍から民間企業に払い下げられたコロンブス級輸送艦の一隻だ。今は主にジャンク類を取り扱う貨物船として登録されていた。

 サイド4の復興再開発事業として細々と進められている、デブリ回収作業から得られる各種有用資源のジャンク。全滅したサイド4の貧弱な工業基盤では満足に再生できないそれらを、前大戦で中立を堅持したために高い工業力を維持しているサイド5――旧サイド6まで輸送して売り出し、代わって各種の物資を仕入れてサイド4まで取って返す。

 それが貨物船ケンドー丸の『表』の顔だった。

「減速終わり、機関出力異状なし。航路定針よろし」

「主レーダー及び各見張り員、全周警戒異状なし」

「あと一時間で、友軍勢力圏内です」

 船橋で次々に報告を上げる乗員たちの表情も、心なしか明るい。それらを受けた老船長もまた、一段高い席上から鷹揚に頷きながら、傍らに立つスーツ姿の女性に声を投げかけた。

「ファーガスン大尉。残念ながら、どうやら貴女のMS隊が実戦経験を重ねる機会は今回、これ以上はなさそうだな」

「平和が一番です、キャプテン。あの子たちの鍛錬よりも、皆さんが無事に帰れることの方が大事ですから。あと少し――最後まで、無事の航海をお願いしますね」

 船長からのおどけたような言葉にも、丸眼鏡を掛けた彼女は優しげな微笑みを添えてたおやかに返す。

 ファーガスン大尉と呼ばれた彼女はやや幼い顔立ちの、若く美しい女性だ。

 一筋の三つ編みにまとめられた栗色の髪と、小柄なスーツ姿の胸元で並外れた質量を主張する二つの膨らみが、ともに柔らかくたわわに弾む。控えめな彼女のそんな可憐な仕草だけで、船橋には暖かな空気が満ちた。

 イオタ・ファーガスン大尉はルスラン・フリートの『外回り船』に同行し、護衛を中心に各種の作戦行動を行うMS隊の指揮官だった。ファーガスン隊はノーラとティアーナの少女二人を含む、女性パイロット四名で編成されている。

 ケンドー丸は出先で入港時の検査を避けるため、正規戦闘艦のように有力な固定武装を持っていない。ほぼ非武装であるケンドー丸にとって、唯一の有効な戦闘力となるのが彼女の率いるMS隊、三機のザク・ファドランであった。

 サイド4宙域への進入という、長期航海の最終段階――連邦軍との不意の遭遇もあり得る局面にあって、彼女はそのMS隊指揮官として船長と調整するため、あるいは突発的な不測事態へ対処するために、この船橋を訪れているのだった。

「このまま、何事もなければ良いのですが」

「――しかし船長。今週、未だに《週刊誌》が届かないのは気になります」

 イオタに癒されたように和やかな空気が広がる中、ひとり訝るように操舵士が呟いた。

《週刊誌》とは、彼らルスラン・フリートが買収した地球連邦軍サイド4駐留艦隊のある巡洋艦から定期的に届く、連邦軍内部情報レポートの隠語だった。

 その連邦艦が要求してくる賄賂は決して安くはなかったが、どうも艦隊司令部の中枢に安定した人脈を築いているらしい彼らの情報はかなりのものだった。このためにケンドー丸やルスラン・フリートの他の偽装貨物船は、少なくともサイド4宙域周辺においては今まで、連邦艦隊との遭遇、臨検や交戦などという事態をかなりの部分まで免れ続けることが出来ていたのだった。

「確かにな。今回、前の週刊誌から、ちと長い……」

「やはり、何かあったのでしょうか?」

 イオタもまた、誰へ言うともなく不安げに呟く。

『週刊誌』のわずかながらの、しかし、いつにない遅配。その事態の陰に何か不穏な気配を感じたがため、彼女は今こうして船橋を訪れているのだから。

「ここまで来ては、引き続き警戒を厳に……としか言いようがないな。彼女たちは?」

「二時間前から全員を起こしています。今は皆でアラート待機についてくれています」

「そうか。なら、万一でも安心だな」

「はい、船長」

 船長とイオタが微笑みを交わし合う。だがイオタはそのとき老船長の表情に入り交じった、わずかな寂しさの影を見逃していなかった。

 その『万一』があったとき、丸腰のケンドー丸が持つ唯一の剣にして盾、ザク・ファドランを駆って最前線で命を懸けることになるのは、彼の孫娘のような年頃の少女たちなのだから。

「いずれにせよ、あと一時間でそれも終わる。それまで頼むよ、ファーガスン大尉」

 だがそれも一瞬のことで、船長は破顔した。このまま暗礁宙域を進行し、その途中で彼らは連邦政府へ申請してあった航路を外れ、ルスラン・フリートの拠点へと向かう。その勢力圏内まで辿り着ければ安心だ。

「一ヶ月ぶりの我が家、か」

「ほう? サイド4の我らが同志は、この廃墟を我が家と仰るか」

 そのとき船橋に朗々と、不意の来訪者が声を響かせた。

 イオタと船長は同時に振り向き、そしてイオタは戸惑いを、老船長は苦み走った表情をそれぞれ浮かべる。

「グロスマン大尉。私はまだ、軍服の着用許可は――」

「許可? この期に及んで、許可など必要なのですか! 我らジオン公国軍人が、この誇り高きジオン公国軍服を身に着けることに!」

 苦みばしった口調で咎めた船長に対し、ジオン公国軍尉官制服を身につけた男は揶揄するような口調で反駁していた。

 イオタや船長をはじめ、ケンドー丸の乗員たちはみな私服だった。ジオン残党組織ルスラン・フリートに属してはいても、その所属をことさらに誇示するような軍服の類を着ている者は誰もいない。例外は格納庫でアラート待機中のMSパイロットたちのノーマルスーツぐらいのものだ。

 それは確かに軍人の誇りなどというものからかけ離れた、正規軍らしからぬゲリラとしての振る舞いではある。だがそれは、いつ現れるとも知れない連邦軍部隊というより、むしろその他の民間船舶などとの予期せぬ接触をやり過ごすことを考慮してのことだった。

「同志は地球圏の各地に散り、仮の住まいは数あれど、我々にとっての真の家――取り戻すべき故郷はサイド3ただ一つ。連邦とその傀儡どもの手に落ちた故郷を取り戻さんがため、我らは今もこうして戦っている……違いますかな、ファーガスン大尉?」

 グロスマン大尉と呼ばれたその男は、歴戦に鍛えられ、どこか暗い光を宿した双眸で船橋内を一瞥した。そのまま、怯んだようなイオタの手前まで一気に跳ぶ。よろめくように後ずさったイオタを船橋の壁際にまで追いつめながら、グロスマンは女性としてもそう身長の高い方ではない彼女へ頭上から囁くように語りかけた。

「あっ。えっ、その……っ」

「敵の気配があるのなら、ぜひ私の部隊にお任せいただきたい。機体をお貸しください。実戦のキャリアが違いますよ。ここまでの船賃と、サイド5の同志が受領したザクの分を多少なりとも、槍働きでお返ししたいものでしてね――辺境部隊の腐った連邦兵ごとき、三倍だろうと即座に殲滅してご覧に入れましょう。貴女の美貌のために、ね……」

「ぐ、グロスマン大尉……」

 ギュンター・グロスマン大尉は、サイド5方面で活動していたジオン残党組織の構成員だった。

 いわゆる『外回り』に従事するルスラン・フリートの主要任務のひとつが、彼らが潤沢に保有するMSと、外部の残党組織が有する人材との交換である。

 ルスラン・フリートの開発したザクⅡF型の改修機ファドランは、地球連邦軍が一年戦争後に配備を進めたMS群、ジムⅡやハイザック、ガルバルディβといった戦後世代の新型機にも対抗可能なスペックを有している。このファドランの新造機をそのまま供与する、あるいは外部組織が未だに運用を続ける陳腐化したザクⅡを改修し、ファドラン仕様にアップデートする。

 ルスラン・フリートはそうしてMS戦力の拡充と近代化を破格の条件で提供する見返りに、多くの場合は組織そのものの合流、あるいは実戦経験を積んだ熟練古参兵の出向を要求していた。

 サイド4のジャンクを売却するという表の目的の裏で、ケンドー丸はサイド5の残党組織と接触。ジャンクの陰に積んできたファドラン、その予備部品と武器弾薬に整備機材一式を提供し、グロスマン大尉ら歴戦のジオン残党兵を出向人員として受け入れてきたのだった。

 こうした任務を重ねてきた中でイオタが今でも特に印象深く思い出すのは、『キャリホルニヤの悪夢』を名乗っていた禿頭の少佐が率いる三人組だ。なかなか個性の強い人々だった。あのときはティアーナがずいぶん喜んで、ハゲ坊主云々と連呼しながら彼らにしょっちゅう要らないちょっかいをかけていたのを覚えている。彼らがルスラン・フリートで戦力の一角に組み込まれてしばらく経つはずだが、元気にしているだろうか。

 そんな過去の記憶への逃避は一瞬にとどめ、イオタは目の前に迫る自信に満ちた表情へ、苦笑にならないように微笑みを返した。

「ぐ、グロスマン大尉のお気持ちは、本当に嬉しく思います……。ですが本船の護衛は、私の隊の任務です。グロスマン大尉と部下の方々の機体は、もう我々の拠点で新たに用意させていただいております。どうか今しばらく、ごゆっくりお休みください。大尉の部隊の素晴らしい実力は、それから拝見させていただきます」

「ファーガスン大尉。私は貴女に、楽をさせて差し上げたいだけなのです。美しい花には、咲くべき場所があるでしょう――」

「あっ……」

 グロスマンが笑みを深め、同時にさりげなく、その腕をイオタの細い腰へ伸ばす。壁際へ追いつめた彼女をそっと抱き寄せようと、さらに距離を詰めようとし、イオタの表情が強ばった。

「前方、中型デブリ! 回避します」

「任せる!」

 そのとき唐突に操舵手が叫び、間髪入れずに船長が答えた。ケンドー丸の姿勢制御スラスタが火を噴き、生じた加速度が船橋の人々をわずかに揺らす。その揺れでイオタはよろめくように身を翻し、一気にギュンターの側から逃れていた。

 イオタを逃したギュンターは小さく舌打ちし、船橋の外を睨む。

「デブリの発見遅いぞ。対空監視厳となせ」

「申し訳ありません、船長」

 船長は落ち着き払ったまま叱責し、操舵手も背中で応じる。

 不穏な気配を察した操舵手らがあえて、発見したデブリの報告と回避を遅らせこと。そしてイオタがギュンターから逃れるタイミングを作るために、あえてケンドー丸へ急制動を掛けたことなど、二人は目配せするまでもなく分かり切っていた。

 白々しい芝居が繰り広げられた船橋のすぐ前を、砕けた巨大な鏡板が流れていく。ひどく傷ついた表面は、それでも今なお太陽光を乱反射させている。開放型スペースコロニーに据え付けられ、内部へ太陽光を取り入れるための巨大なミラー、その一部だ。

 ケンドー丸の周囲には、一年戦争開戦劈頭の無差別核攻撃で爆散、崩壊したスペースコロニー群の破片が無数に漂っていた。

「こんなところにも、流れてきて……まだ……眠れないのね」

 グロスマンから僅かに離れたイオタは船橋の外をじっと見つめながら、豊かな胸の前で祈るように両手を合わせている。

 真空の宇宙に放り出されたまま、強烈な宇宙線に暴露し続けた八年間の歳月。その中でデブリ同士で何度も激突を重ねてボロボロに潰れた、かつて確かに人がその生を営んでいた民家の残骸を、彼女は見つめていた。

 消え入りそうな、誰にも聞こえない声で呟く。

「……ごめんなさい……」

「馬鹿どもの墓標だな」

 掠れるようなイオタの声をかき消すように、ギュンターが苛立たしげに吐き捨てた。

「スペースノイドの真の独立を求めて連邦と戦う気概すらなく、ただ飼い慣らされてなすがままに搾取され操られ、挙げ句は愚かにも自らジオンの行く手を阻もうとした卑しい家畜どもの末路だ――ファーガスン大尉。ルウム戦役のとき、あなたは?」

 怒気を孕んだ獰猛な笑みを向けてきたグロスマンに、イオタはわずかに怯えた表情で答えた。

「私はあのとき、予備パイロットで……機体がなくて。支援要員として、乗艦していたムサイ級の砲術に回っていました」

「ほう。では、ご覧になったでしょう」

 口角を釣り上げ、グロスマンは笑った。

「あの星空を美しく彩った、ジオンの栄光の輝きを。三倍以上の勢力を揃えて愚鈍に勝ち誇った連邦艦隊を叩き潰し、スペースノイドが真に進むべき道を見誤った愚民どもに下した、ジオンの精兵による裁きの鉄槌を!」

 ミノフスキー粒子の全面散布によって在来型電子兵装のほとんどが麻痺した中、華麗に踊るザクが火線を放ち、連邦軍の戦闘機を蹴り飛ばし、あるいは艦船をヒート・ホークで切り裂いた。次々と沈み、総崩れとなる連邦艦隊。

 その後方からレーザーを放ち、なお必死の抵抗を続けようとするサイド5ルウムのコロニー群へ、ザクが、ムサイが、次々と核ミサイルを――。

「馬鹿は死なねば治らぬというが、少なくともルウムの馬鹿どもは死ねばこうして悔い改めてくれたらしい。かのデラーズ・フリートもこの暗礁宙域に身を潜めて、あの壮挙を成したという! そして我々も今ルスラン・フリートの一翼となって、再び愚民どもへの鉄槌を下すのだ。ルウムで散った英霊たちが築き上げた、この瓦礫の城塞の中からな……!」

「…………!」

 陶酔したように滔々と語るグロスマンに、イオタは何かに耐えきれなくなったかのように無言のまま背を向けた。そうして背を向けた先にあるのは船橋の窓で、そこに広がるのはコロニーの残骸ばかりだ。

 悲痛に唇を噛み、胸の前に握りしめた両手は震え、蒼白な顔面で俯く。

「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 連邦艦隊の第一線を突破し、砲列を並べたムサイ級巡洋艦から放たれるメガ粒子の雨。

 コロニーの側壁へ集中した弾着が閉じた世界を食い破り、町と人間を蒸発させていく。

 開いたその穴をめがけて展開したザクⅡC型がバズーカを構え、次々と核弾頭を放つ。

 たっぷりの大気を詰め込まれたコロニーの内部で、膨れ上がる数億度の火球。

 逃げ場のない数千万の人間を一瞬で焼き尽くし、堅牢なコロニーが内側からの爆圧に負けて破裂する。

 ザクのパイロットも、ムサイの乗員も、殺した相手の顔を見ることはない。

 ミノフスキー粒子に満たされた真空の宇宙では、誰の断末魔も聞こえない。

 だからその閃光は巨大で、ただ美しいだけなのだ。

 散華するコロニーが焼け落ちる様を恍惚として見届けながら、ジーク・ジオンの唱和が艦内に響く。

 だが、それで終わりではない。

 次も。

 次も。

 その次も。

 また次も、ひたすら同じ光景が、戦役の最後まで延々と続いた。

 二十億人が暮らした円筒形の世界、そのすべてを、核の炎で――偉大なるジオンの勝利と栄光の輝きで、滅ぼし尽くすまで。

「ン? どうされました、ファーガスン大尉。気分が優れないようですな?」

 イオタの様子に気づいたグロスマンが、いったんは離れた彼女へ再び近づく。

 老船長は二人に何か言おうとしたが、そのとき船長席の内線電話が呼び鈴を鳴らした。老船長は苦虫を噛み潰したような顔でそれを取る。

「船長だ。……何? MS格納庫から……ノーラが、ティアーナを? 『いつものアレ』……?」

 呆れたように応答しながら、船長は額に手をやった。モニターを操作し、艦内通路のいくつかを次々と表示する。その途中で見つけた光景に眉を潜めた。すぐ近くの艦内通路でリフトグリップを蹴飛ばしながら、通常の三倍近い速度で吹っ飛んでくる少女たちが映っていた。

「ここの風は、貴女の身体に障るようだ。今お部屋までお連れしましょう――」

 それでも彼女が反応を示さずにいると、グロスマンは苦笑し、イオタの肩に肩に手を掛けようとした。

「イーオターーーッ!!」

「グバアーッ!?」

 そのとき船橋の入り口から音もなく吹っ飛んできた強烈な『何か』がグロスマンの胴を強打、彼を吹き飛ばして船橋の窓まで一気に叩きつけていた。

 砲弾よろしく高速で飛来してきた物体は、濃緑色のジオン公国軍式パイロットスーツに身を包んだ少女だった。

 グロスマンへ放った飛び蹴りの反動で跳ね返るように空中に浮かぶと、彼女はくるくると回転して天井を蹴り、長いツインテールを翻して鮮やかに船橋の床へ着地。そしてようやく振り向いたイオタへまっしぐらに飛び込み、抱きつきながらその頭を豊満な胸に埋めていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「きゃ……っ、てぃ、ティアーナ? どうしたの?」

「ねぇ聞いてよイオター! ノーラがボクのこといじめるの! このままじゃボク、ザクマシンガンから吊されちゃう! 助けて!」

「ざ、ザクマシンガン……? なに??」

 左右それぞれが彼女の顔ほどもある、イオタの見事な乳房へスーツ越しに顔面を埋めて頬摺りしながら、柔らかく変形させられたその胸の谷間からティアーナが口を尖らせて見上げてくる。その傍らで、衝撃から復活したグロスマンが顔面を沸騰させながら立ち上がった。

「貴様ァァァッ! 上官に対してッ、何だその態度は!!」

「へーんだ。イジメはダメ、絶対だもん! オジサン、さっきからイオタのことイジメてたでしょ。ボク知ってるよ!」

「お、オジサン、だぁ……? なにがイジメかっ――小娘がぁっ、愚弄するかッ!!」

「女の子をいじめるオジサンなんて、格好悪いよって言ってるの!」

「や、やめてくださいッ!」

 もはや問答もなしに、グロスマンはティアーナを殴打せんと突進した。抱きつかれたままのイオタが必死にティアーナをかばおうとする中、ティアーナはひとり不敵な笑みを浮かべたまま、横目でグロスマンではなく船橋入り口の方を見ていた。

「待てこらデコスケぇえええーーーっっっ!! ここがお前の墓場だ、天誅ーーーッ!!」

「ガバッ!?」

 そのとき少女の絶叫とともに全力投球で吹っ飛んできたハードカバー本が、ティアーナへ殴りかかろうとしてその射線へ入ったグロスマンの後頭部へ、鋭くまともに突き刺さっていた。

『最終総括・ニュータイプ論0080』は背表紙を軽く陥没させながら跳ね返り、グロスマンの身体はティアーナへの軌道を逸れて脇へ泳いだ。

「た、大尉殿……? あ。えー、と……これはまた、その……たいへん、失礼、いたしました……」

 新たに船橋へ進入してきたパイロットスーツ姿の少女――ノーラは消え入るような声で謝罪すると、借りてきた猫のようにその場で不動の姿勢を取って敬礼した。だらだらと冷や汗を浮かべ、マズいことしちゃったなあ、という顔をしている。まだイオタの胸に頭を半分埋めたままのティアーナが、勝ち誇ったようなニヤケ顔でノーラとグロスマンを交互に見た。

「ぐっ、……ぐうううぅぅぅ……っ。な、何を……ッ……」

 二人の少女たちからそれぞれ胴と延髄に強烈なダメージを受けて、もはや瀕死の体となったグロスマンが幽鬼のように立ち上がった。襟に光る大尉の階級章に、ノーラが慌てて弁明を連発する。

「の、ノーラ・ジャンセン伍長であります! じ、自分はその、ティアーナ・エイリス上等兵がですね、その、格納庫で自分を無体に挑発して、そのままここまで逃げてきましたので、つい、その、何と言いますか、つい……そのー……」

「ノーラちゃん、そうやってすぐにティアーナの挑発に乗るようだからいけないのでしょう? MSパイロットでなくても、自制心はとても大切よ。いつも言っているでしょう?」

「う、うん。イオ姉……それは……うん。分かってるよ。ちゃんと分かってる、けどさ……」

「やーい、ノーラ怒られてるぅ~~~。ノーラが怒られてるぅぅぅ~~~」

「あ゛??」

 優しくノーラを叱るイオタの胸で鼻の穴をフガフガさせて、満面の笑みを浮かべたティアーナが両手のWピースで挑発した。ノーラは額に青筋を立てて睨んだが、頭上の老船長からの冷たい視線を感じて再びその場に縮こまった。

「グロスマン大尉……本当に申し訳ありませんでした! この子たちには、私の方からよく言い聞かせておきます! 二度とこんな失礼な振る舞いはさせません。ですので、どうか……どうか今回だけは穏便に、済ませてはいただけませんでしょうか……?」

 薄く涙を浮かべ、祈るように両手を組んでイオタがグロスマンに懇願する。その胸と腕の中でティアーナは得意満面の笑顔を浮かべていたが、不意にその表情が陰り、にわかに真剣さを宿した。

「……何か、……いる……」

「ティアーナ?」

 問いただそうとしたイオタから素早く離れ、ティアーナが向かったのは索敵手の席だった。後ろから席に取り付き、モニターを指さして指示する。

「ねえ、この辺……。この辺、もっと詳しく見てみて」

「よし、分かった」

 いきなり話を振られた中年の索敵手は疑問もなしに、あっさりとティアーナに従った。センサー群を操作して志向し、ティアーナの示した位置に入念な索敵を掛ける。

 そして顔色を変え、大声で叫んだ。

「なっ――後方七時方向、高熱源反応! 望遠映像出します――サラミス改級駆逐艦一と確認!!」

 主モニター上に映し出されたのは、細く鋭角的なシルエットを持つ連邦軍の戦闘艦。その艦首と砲門は間違いなくケンドー丸へ指向され、そして今まさに主機へと火が入れられて、ケンドー丸を追う進路での加速を開始したのだ。

 サラミス改級駆逐艦は一年戦争後の連邦軍再建計画で、個艦戦闘能力とコストパフォーマンスの両立を追求し、サラミス級の冗長性を徹底的に削ぎ落とすかたちで再設計された。新時代の連邦軍宇宙艦隊の屋台骨を担う新型戦闘艦として量産されながらも、デラーズ紛争とその後の情勢の変化によって、満足なMS運用能力を持たないことが問題化。結果として駆逐艦へ種別を変更され、宇宙軍の傍流に追いやられた不遇の艦種だった。

 今も艦内MS格納庫やカタパルトこそ持たないものの、一年戦争後期の連邦軍戦闘艦の大多数がそうだったように、外装式MSベッドを増設されている。ケンドー丸めがけて突進を開始した艦上からも、前部甲板に屹立するRGM-79R《ジムⅡ》三機のゴーグルアイが睨みを利かしていた。

「連邦艦……!? なぜこの宙域に!? 『週刊誌』では哨戒予定などなかったはずだ!」

「だが、明らかに本船を狙っている――待ち伏せかっ!」

「連邦艦から、通信入ります!」

 報告と同時に通信士が開いたスピーカーに、サラミス改級駆逐艦からの通信が入電した。

『前方の貨物船に告ぐ。こちらは地球連邦軍サイド4駐留艦隊、駆逐艦アルマーズである。対テロ特別措置法に基づき、貴船を臨検する。ただちに機関を停止し、停船されたい』

「捕まったか――」

 船長は瞑目し、呟く。もっとも恐れていた事態が現実となったのだ。

 この段階で臨検を受け入れれば、格納庫内のファドランを隠し通すことなど出来ない。ならば選択肢は二つしかない。

 戦うか、逃げるかだ。

 だが、船長とイオタは同じ結論に達していた。

「まだ、……逃げきれる」

「最大戦速! コンテナ類別C及びDを投棄! 総員戦闘配置! 友軍勢力圏内まで、一気に突破する!」

 コロンブス級輸送艦は元来、サラミス級巡洋艦やマゼラン級戦艦などの連邦軍航宙戦闘艦で編成された艦隊に随伴し、必要な支援を提供できるだけの機動力を付与して設計されている。ましてや今のケンドー丸は往路で満載していたジャンクとMSを下ろしており、格段に軽くなっている。

 サラミス改級駆逐艦のメガ粒子砲の有効射程はおおむね分かっているし、サラミス改級駆逐艦にMSカタパルトはない。MS隊を出されても、本格的な接触を受ける前に、間近に迫った勢力圏内へ逃げきれる。

 彼我の位置関係と距離、そして前方航路と友軍の掩護まで計算に入れて算盤をはじき、二人は決を下したのだった。

 だが、グロスマンがそこへ食い下がった。

「逃げる、ですと? たかがサラミス一隻にジム三機ごときに!? あんなもの、私にザクの三機もあれば五分で宇宙の塵としてくれましょう! 逃げる必要など、どこにあると言うのです!」

「本船の任務は輸送です。連邦軍部隊の駆逐ではありません。避けられる戦闘は避けるのです」

「…………っ!」

 毅然として即断を下した船長と、MS隊を率いる身でありながらそれに反論しようともしないイオタを、グロスマンは軽侮の念を隠すことなく睨みつけた。そのまま無言で床を蹴り、船橋を去っていく。

「何してんのティア! 行くよ!」

「待って、ノーラ。……まだ、何か……」

 敵襲の情報、そして総員戦闘配置の船長命令に、今すぐMS格納庫まで取って返そうとするノーラがティアーナの腕を引っ張る。だがティアーナは額に手を当てて俯くばかりで、その場を動こうとしない。ノーラがイオタと船長の顔を見ると、二人は力強いうなずきを返してきた。

「ティア! 先、行ってるからね!」

「ん……」

 ノーラはティアーナの背中を叩くと、小脇に本を抱えたまま、急加速を開始した艦内通路へ消えていく。

「あー、残留ミノフスキー粒子のため、受信状況悪し……内容取れず。再度送信されたい……」

 通信士がわざと自分の音声にノイズを混入させながら、駆逐艦アルマーズと名乗った連邦艦へ返信している。急加速を始めたケンドー丸を見てその内容が信じてもらえるとは思えないが、時間稼ぎのために出来そうなことは何でもやっておくべきだった。

「彼我の予想航路図出します!」

「行けるか……!」

 主モニターにサラミス改級駆逐艦やジムⅡのスペックを反映した、戦況の推移予想図が表示された。近傍拠点から緊急出撃した友軍が姿を現すまで持ちこたえられれば、小規模な敵は追撃を断念して撤退するだろう。

「――!」

 やはり、行ける――船長が確信したそのとき、ティアーナが不意に表情を変えた。

 今度は操舵手めがけて驚くようなバネの力で飛びつきながら、思い切り強く叫んだ。

「操舵、下げ舵10! 今すぐ! 急いで!!」

「下げ舵!?」

 すでに航路を定針させていた操舵手は驚愕に目を見開いたが、しかし船長の判断を待つこともなく、すぐにティアーナの叫びへ従っていた。急制動の衝撃がケンドー丸を揺らす。

 そしてケンドー丸が行き過ぎるはずだったその場所を、前方から飛来した太いメガ粒子の光条が突き抜けていった。

「艦砲射撃!?」

「高エネルギー反応確認、十一時方向!」

「待ち伏せかっ!!」

「前方、大型隕石の影!!」

 その悲痛な叫びとほとんど同時に、ケンドー丸の進行方向の彼方で何かが赤く煌めく。またも数条の艦砲級メガ粒子が光条を曳いて迫り、ケンドー丸の背後へ消えていった。

 同時に隕石の影から、それが姿を現す。

 新手。

 もう一隻の、今度は――サラミス改級『巡洋艦』。

 索敵手が即座に最大望遠を掛け、主モニター上にその姿を映し出す。いまメガ粒子の奔流を放ったばかりの両舷側の連装砲塔が、震えるように照準を微修正させてケンドー丸を狙う。甲板の中央付近にはMSが鈴なりになっており、そこからMSカタパルトが暗い赤みを帯びた塗装の機体を吐き出してくる。

「ぜ、前方にサラミス改級巡洋艦一! 艦載機《ガルバルディβ》二、《ハイザック》四を確認……発艦中!」

「ハメられたか……っ!」

 即座に指向された望遠カメラが新たな敵艦を捉え、その艦容を船橋主モニターへ映し出す。船長は肘掛けをきつく握りしめながら、乾いた笑みを浮かべた。

 ガルバルディβにハイザック、だと? MSなどせいぜい旧式機改修のジムⅡが関の山のサイド4駐留艦隊にしては、ずいぶん奢った装備の部隊じゃないか。

 後方の駆逐艦、前方の巡洋艦。

 追い込まれた。

 もはやここに及んでは、取り得る選択肢は二つしかない。

 このまま連邦軍の停船命令に従い、臨検を受け入れるか。

 ここまで用意周到に身構え、待ちかまえていた連中だ。適当にやり過ごして、そのまま無罪放免ということなどまずあり得まい。

 それとも――二隻の戦闘艦と九機のMSを相手に、三機のザクで戦いを挑み、ケンドー丸を守り抜きながら突破するか。

『あー、前方の貨物船ン! 当方は地球連邦宇宙軍サイド4駐留艦隊、第223戦隊旗艦《マカッサル》であるゥ! 貴船は完全に包囲されているゥ! ただちに停船し、無駄な抵抗は止め、武装を解除せよォ!』

 前方のサラミス改級巡洋艦から、レーザー通信で音声が入ってきた。勝ち誇ったかのような興奮気味に喚く男の声に、ケンドー丸の船橋要員一同は眉をひそめる。

『さもなくばァ、実力を行使するゥ!』

「言ってくれるの……」

 老船長は苦笑しながら、傍らのイオタを、そして、ティアーナを見た。

 イオタはぎゅっと唇を噛んで、眼鏡の下で祈るように瞑目する。ハンドバッグをきつく抱きしめ、それからティアーナを見た。

 船橋の乗員たちも、長いツインテールを揺らす幼い美少女を、それぞれに見た。

 その視線すべてを受け止めて、ティアーナはにっこりと微笑んだ。ノーラやイオタに悪戯を仕掛けたときと同じ、屈託のない笑顔で。

「大丈夫! ちょっとだけ待ってて。ボクがみーんな、やっつけてきてあげる。……ねえ、イオタ。あれ、ちょうだい」

「…………」

 向き直ったティアーナに要求され、イオタは苦渋と悔恨に埋め尽くされた表情を浮かべる。しかし、逡巡は一瞬。イオタはハンドバッグからいくつかの小箱を探り、その中から一つを選んで取り出した。受け取ったティアーナが中身を開いて確認する。

 薬剤が充填された、数本の注射器が収まっていた。

「うん……、オッケ……」

 中身を確かめて小箱を閉じると、ツインテールを翻し、満面の笑顔で少女は船橋に敬礼を送った。

「ティアーナ・エイリス! いってきまーす!」

 

 

 

 ノーラが格納庫へ到着するや出会したのは、慌てふためいて飛び出してきた知己の整備兵だった。

「わっ――どしたの? 私のファドラン、出られる!?」

「ノーラ!? どうしよう今、格納庫とんでもないことになっちゃってて――!」

「はぁ!? 何だってのよ――って、何。これ――」

 ノーラは飛び込んだMS格納庫内は、整備兵たちと殺到した残党組織の船客たちが押し合い、罵声とともに掴み合う鉄火場となっていた。

「お、お客さん、ダメです! 船長の指示に従って、所定の位置で待機しててください! ここは我々が、我々のパイロットがなんとかします!」

「どけ! 俺がやる、開けろ!」

「このまま何もせずにやられるつもりなのか!?」

 ノーラとティアーナのファドランへ押し寄せていたのは、歴戦MSパイロットも多いグロスマンとその部下たちだった。彼らにとって扉ひとつ向こうの格納庫にザクがありながら、戦うこともなくむざむざ連邦軍の手に落ちるなど、絶対に許すことの出来ない最悪の結末だったのだ。

 ケンドー丸の整備兵たちがコクピットの間際で文字通りに身体を張って、機体を奪おうとする彼らを必死に食い止めている。

「この機体には正規の、正規のパイロットがいるんです! ここは我々に任せて、どうか持ち場に戻ってください!」

「何が正規パイロットだ! 俺は見たぞ、ただの女子供だろうが! この鉄火場で、あんな小娘どもに自分の運命など委ねられるか!!」

「うおわあああっ!!」

 叫びとともにもみ合っていた整備兵がひとり、コクピットハッチの前から派手に投げ飛ばされた。

「ちょっと、ウソでしょ!」

 さすがに焦ったノーラが床を蹴り、自機のコクピット前で押し合う肉饅頭へ突っ込む。

「ノーラ! 戻ってきたのか!?」

「ちょっと、すいません、通してください……っ。私、私です! 私がこの子の、この機体の、正規パイロットなんですっ!」

「ああん?」

 整備兵たちが声を上げる中、屈強な男にぎろりと睨みつけられ、ノーラは思わず立ちすくんだ。男はノーラを鼻で笑う。

「はっ。生きるか死ぬかの瀬戸際に、こんな貧相なお嬢ちゃんが当てになるかよ! いいからお前等そこを退け! 俺がやってやる。俺は撃墜数十一機のダブル・エースなんだよ!」

「きゃっ……!」

 そのまま肩を強く小突かれ、ノーラが小脇に抱えていた本が身体を離れた。

「ああ? 何だこりゃ?」

「ちょっ――やめてよ! 返して!」

「『最終総括・ニュータイプ論0080』……アムロ・レイ? ホワイトベース隊……?」

 それを取り上げ、パラパラとめくって読み上げていた男の声が、次第にどす黒い憎悪と憤怒に染まっていく。

「ふざけんな、敵性書籍じゃねぇか!! アムロ・レイだぁ? 俺のダチはなぁ、ア・バオア・クーであいつのガンダムに殺られたんだよ!」

「あぐっ――!」

「あんな連邦の赤毛坊主がいいのかよ! この売女が!」

 ノーラの貧弱な胸元を男の豪腕が掴み、締め上げながら振り回した。男からの一方的な暴力に晒される悔しさに、ノーラの瞳へ涙が滲む。それでもノーラは怒りとともに反論していた。

「そんなん、だから……っ、そんなんだからっ、あんたたち……壊すだけ、壊して……殺すだけ、殺して……挙げ句に負けたん、でしょうが……っ……」

「ああ!?」

「そうやって……そうやって、あんたたちが解んないものに、勝手なレッテル貼って……解ろうともしないで、ぜんぶ力任せに潰してたから……負けたんでしょうが……。だから私たちが今、その後始末と尻拭いを、やらされてるんでしょうが……!」

「おい、ガキ――あんまり大人、バカにしてんじゃねえぞ」

「…………!」

 ――殴られる

 ノーラの反論を浴び続けた男の瞳が無感動な暴力に染まり、その大きな拳を誇示するように少女の眼前へ掲げた。ノーラは歯を食いしばりながら、それでも目だけは逸らすまいと、男の瞳を強く睨み返した。

『あ、そーゆーのウチじゃNGなんで』

「――あん?」

 そのとき機外拡声器から女の声を発しつつ、三機目のファドランが滑らかに動いた。

 小隊長機。

 ノーラとティアーナが馬鹿げた追いかけっこを始める前から、ずっと機内で待機していた小隊長が、ここへ来て格納庫内でファドランを動かしたのだ。ノーラ機へ殺到していた残党兵らを払いのけながら、無造作にマニピュレーターを伸ばす。逃げようとした男の胴を、その指先で掴み上げた。

「ぐっ、ぐおあああああ!!」

『先輩、こんなんであんまり情けない声上げないでくださいよー。歴戦の勇士なんしょー?』

「ミリ姉……!」

 男の手から解放されて宙に浮かんだノーラを、ファドランのもう片方の手が捉える。彼女の目の前でコクピットハッチが開き、桃色がかった金髪をサイドテールにまとめた、褐色の肌の娘が気だるげな視線を投げかけてきた。待機中にネイルを入念に仕上げていた手入れ用品の箱が浮かぶのを掴み、小物入れに放り込みながら面倒くさそうに言う。

「ノーラ、アンタの男の趣味にとやかく言う気はないけどさー。まあ最低限、あーやって女殴るような男だけはないっしょ」

「う、うん……。私も、そう思う。ミリ姉……あんがと……」

「あいよ。そんじゃあ、仕切り直すとすっかね」

「――かはっ!」

 ノーラの瞳に宿る闘志を直接対面で確認して、彼女は捕らえた男を宙に放しながら機体を巡らせた。

『先輩方ー? そこらでまだ暴れてる先輩方。ちょーっとあたしの方に、耳貸してもらっていいッスかね』

 ノーラにミリ姉と呼ばれた褐色のMS小隊長、ミリアム・バーレット少尉は拡声器越しに言いながら、格納庫内をファドランの巨体で歩き回らせた。壁に掛けられたマゼラ・トップ砲、ザク・マシンガンとそれらの予備弾倉、ヒートホークを何事もなかったかのような滑らかさで次々と機体に装備しつつ、ついでのように語りかけていく。

『今ウチら、結構キツい状況なんスわ。前から来る六機と一隻、後ろから来る三機と一隻。もろに前後から挟み込まれて、丸腰のケンドー丸へ指一本触れさせずに、あいつら全部撃退しなきゃなんないンすけど――そんな完璧な芸当、先輩らに出来んの? って話ッス。ま、こんなん正直、赤い彗星だの深紅の稲妻だのだってキツいだろって思うんスけどね』

「そんな困難な任務だからこそだ! そんな困難な任務だからこそ、少しでも成功の確率を高める必要がある! その機体を我々が使えば、成功の確率はぐっと上がるんだぞ!」

 すでにMSの一機を動かされ、格納庫内での実力行使も辞さずの方針を示されてしまっている以上、主導権はすでにミリアムらケンドー丸所属MS隊の側にある。だが、それでも戦闘をただ『乗客』という無防備な身に甘んじて傍観せざるを得ない立場に耐えかねて、残党兵らは口々に異を唱えた。

 そもそもルスラン・フリートは熟練兵の層の厚さに不安を抱えているから、こちらに対して機体と引き替えの出向協力を要請してきたはず。そのルスラン・フリートの、しかもこんな可憐な少女パイロットたちで編成されたMS隊など、実力的に問題にもならないはずなのだ。

『ハハッ、先輩方。その理屈マジ受けるッス。『確率が上がる』とか、そんなもんクソの役にも立たねえンすよ。今ここで必要なのは――『確実に』、『絶対に』、『間違いなく』、ケンドー丸を生き残らせられる部隊なんスよ』

「それが……そんな困難な任務が、自分たちには出来るというのか」

『出来るんスよ』

 思い上がるな、小娘ども――言外へ露骨に籠められたそんな威圧を、ミリアムは当たり前だと言わんばかりの傲慢さで、何の感慨もなく切り捨てた。

『あたしたちには、出来る。あたしたちだから、出来る。でしょ? ティア』

 ファドランのモノアイが、格納庫の入り口へ向いた。

 パイロットスーツを着た幼い少女が、長いツインテールをなびかせながら飛んでくる。

 彼女が顔を上げる。

 まだ思春期のただ中にある幼い顔立ちに、強い意志と希望をみなぎらせて、少女は頷く。自信に満ちた笑顔で、堂々と言い放った。

「そう。ボクらだから、出来るの。オジサンたち、そこで見ててよ――すんごいの、見せてあげるから!」

「クソッ……。どうなっても、知らんぞ……!」

 もはやこの期に及んで、彼女の飛来を阻もうとする者は誰もいなかった。そこいらじゅうに浮かぶ人間たちの真ん中を貫くようにティアーナは進み、ノーラもまた意を決して自機を目指す。

 ノーラとティアーナは、ほぼ同時に自機のハッチへ取り付いた。ティアーナはノーラへ微笑み、ノーラも負けじと笑みを返す。コクピットへ潜り込んでハッチを閉じ、システムを起動させると、全天周モニターが格納庫の風景を映し出した。

『減圧開始十秒前。ノーマルスーツ未着用の人員は、ただちにエアロックから退避してください』

 格納庫管制からのアナウンスが秒読みに入ると、さすがにグロスマンの部下たちも下がりはじめた。苛立たしげな、恨めしげな気配を宿した多くの視線と、そして僅かに何か――理解を超えた、信じられない何者かの出現を期待するような視線を残して、彼らは全員がエアロックの後方へ後退した。

 勢いよく始まった減圧は急ピッチで進み、すぐに真空となった格納庫で、数人のノーマルスーツが誘導灯を手に浮かび上がっていく。

 ノーラ機がザクマシンガンを取り、ティアーナ機はザクマシンガンとゲルググ用のビームライフルを手に取った。

「ってなとこで、イオっち。こんなもんでいい?」

 ミリアムは出撃準備を整えた機内で、他の二人に聞こえない専用回線経由で船橋のイオタへ呼びかけた。

 グロスマンとその部下たちをMSという強硬手段まで使って追い出したのは、イオタの命令によるものだった。

『ありがとう、バーレット少尉。この状況を――ここまで悪化してしまった状況を突破できるのは、もう、あの子しかいないの』

「ま、いんじゃねッスか? ウチらは自分の仕事やるだけっしょ」

 あのままグロスマンたちに機体を渡し、彼らを戦いの矢面に立てるという選択肢は、多くの問題点はあるにせよ、まったく無いわけではなかった。

 だがイオタは、ミリアムに彼らの強制排除を命じた。

 彼女に馴染みのない、命を落としたとしても大して良心を痛めることもない屈強な男たちではなく、彼女を慕うあどけない少女たちを矢面に立てることを選んだ。

 ケンドー丸を――より大きな全体を、この危機から守るために。

 彼女は自らの意志で、それを、選んだ。

『――ごめんなさい……』

「だからさ、イオっち。そうやっていちいち謝られんの、面倒くさいって言ってんでしょうが」

『……お願い、バーレット少尉。……あの子たちを、……守って……』

「そんなモン……言われなくたって、分かってるんスよ」

 専用回線は、そこで切れた。

 ミリアムが格納庫に目を転じると、二人はすでに機体の武装を終えていた。彼女の機体の前へ出てくる。

『全機体、全兵装システム点検完了。異常なし』

『戦況図と作戦図を送ります』

 船橋のイオタから声が届いて、ノーラは全天周モニタに転送されてきた映像を投影する。そこには前後から迫る連邦軍部隊の配置と、三機のファドランとケンドー丸が取る作戦行動に合わせた動きが示されていた。それを確認しながらノーラは乾いた笑みを浮かべ、唇を震わせた。

「ハハッ……ホントに、……これでやるんだ」

『大丈夫。出来るよ』

 カットインが開き、ティアーナの屈託ない笑顔が浮かぶ。

『言ったでしょ? ボクはアムロ・レイなんかより、ずーっと強いもん。イオタの作戦も完璧だし。ノーラとミリアムがちゃんと助けてくれたら、連邦軍なんか全部やっつけて、みんなで元気にここへ帰ってこれるよ』

「……うん……そう、だね」

 これから遊びにでも行くかのように、ティアーナの声は楽しげに弾んでいる。それを聞きながら、その声色の裏側にあるティアーナの本当の感情を思いながら、ノーラは操縦桿をきつく握りしめた。

 彼女の意識に、イオタの指示が入り込んできた。

『出撃は二分後から建制順。31ティアーナ、32ノーラちゃん、33バーレット少尉の順で。艦を出たら、もう接敵まで時間がないわ。……お願い、みんな……必ず、……必ず無事に、帰ってきてね……』

『格納庫ハッチ開放!』

 格納庫のハッチが開放され、無限の宇宙空間が眼前に開いていく。格納庫内に申し訳程度に設けられたリフトグリップ式の補助カタパルトを、三機のファドランは次々に左手で握った。前方の宇宙空間に誘導灯が伸びて、その彼方には出撃してくる敵MSの軌跡が見えた。

『ノーラ、ティア。そんじゃあ、行くよ――あたしらの戦い方を教えてやりに、ね』




イラスト:はお様(http://www.pixiv.net/member.php?id=164461)
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