第二十五話 遠く、水の惑星を超えて
『超長距離レーザー通信、接続状況最終確認――導通及び感明良し』
地球を取り巻く広大な宇宙空間に、幾重もの中継を経たレーザー通信の回線が繋がる。月の傍らから地球の反対側へ、ラグランジュ点からラグランジュ点へと遠い、遠い距離を隔てて、電気信号が走り抜けていく。
ノイズ混じりに画面が開いた。高級士官用執務室が映し出される。画面の下端に小さく"Side 7 : Green Noir 2"の表示。中央の席に略式軍帽を被った赤い眼鏡の男、そして傍らに髭の参謀将校が立っているのを確かめると、若い女の声が議事を淡々と告げはじめた。
『グリーンノア2の皆様、おはようございます。それではこれより新サイド4宙域における過去一週間の状況に関して、新サイド4駐留軍《P-04》基地より、最新の連絡を実施いたします』
画面が切り替わる。最初に像を結んだのは、宇宙を行く艨艟の静止画像。暗礁宙域を背にしたサラミス改級巡洋艦だ。周囲には地球連邦軍の量産型MS、RGM-79R《ジムⅡ》が数機。画面の片隅に小窓が開いて航路図を示す。
『2月25日。新サイド4駐留艦隊第441戦隊所属の巡洋艦《アバリス》は、同暗礁宙域外縁部を平常通りに哨戒任務中のところ、同宙域深部を拠点に活動する大規模ジオン残党組織《ルスラン・フリート》配下と思われるMS小隊に襲撃されました』
同時に『参考資料』と題された数枚の静止画像が展開する。旧ジオン公国軍の量産型重MS、MS-14A《ゲルググ》三機。それぞれの両肩にはそれぞれ独特のチャイニーズ・キャラクターが一字ずつ。
『奇襲を受けて展開したジムⅡ四機のMS隊を殲滅され、アバリスも轟沈しました。同じく近傍宙域で哨戒任務に当たっていた第223戦隊所属の同級巡洋艦《トラキア》がMS隊を緊急発進させながら駆けつけたものの、敵MS隊は捕捉出来ず追撃を断念。周辺宙域を捜索し生存者一名を救助した後、トラキアは哨戒任務に復帰しました』
いくつもの中継点を経たレーザー通信の彼方、オーディエンスの男たちから含み笑いが漏れた。
『ふん。たかがゲルググ三機相手に、MS四機とサラミス一隻が手も足も出ずに丸ごとか。ずいぶんと脆いものだな』
『まあまあ大佐。一般部隊の雑兵どもなど、所詮こんなものでありましょう』
ブリーフィングを受ける男たちが尊大に声を震わせて鼻で笑う。だがブリーファーの傍らに控える二人の将官は、まったく意に介していない。若い女性士官はプレゼンテーションをただ淡々と進めていく。
『続きまして翌2月26日。《P-04》への航路を取っていた民間貨物船《リバティ115》が、ジオン残党勢力MS隊の襲撃を受けました。このMS隊は25日にアバリスを襲撃したものとは別の部隊です』
同じく記録映像が展開する。今度はMS-06F《ザクⅡ》、MS-09R《リック・ドム》、MS-21C《ドラッツェ》が各一機ずつ画面に躍る。しかしよく見てみれば、どの機体も一年戦争やデラーズ紛争の当時そのままの機体ではないと分かる。肩部サブカメラやスラスター類に、増設強化などの改修部分が確認できた。
それら改良型のジオンMS群に続いて、こちらは一年戦争当時そのまま――いや、むしろ当時よりも武装を弱体化させたと見える、RGM-79A《ジム》やRB-79《ボール》が姿を現す。
両者のアイコンが宙域モデル図の中を泳ぎ、接触して交戦を開始した。
『リバティ115からは、同乗の民間警備会社MS隊が展開し応戦開始。同時に救難信号が発信されました』
『民間警備会社? ――ああ。ヴィック・ウェリントンの系列か』
『近傍宙域を航行中の巡洋艦トラキアがこれを傍受し、再び即応。現場へ急行するとともにMS隊を緊急発進させ、リバティ115へ取り付かれる前に交戦開始。ジオン残党MS隊を撃破し無力化し、さらに全機の鹵獲に成功しました。が――』
サラミス改級巡洋艦のアイコンから伸びたジムⅡ四機が、ザクⅡとリック・ドム、ドラッツェの三機編隊と交戦し、撃破する。だが、そこへ横合いから艦砲射撃の閃光が走った。
『ここで介入してきたのが、環月方面軍所属を名乗る新型戦艦《ジャカルタ》です』
今までの画像と異なり、不自然なほどに画素の粗い写真が写し出される。
主推進器を艦体後部両舷で左右に分離させながら搭載した、地球連邦軍系の直線が目立つ意匠の新型宇宙戦艦。その左右に伸びた長大なMSカタパルトから出撃してくるのは、RGM-79C《ジム改》に似た、緑色に塗装された胴体部をはじめとする機体全体を重厚化させているジム系MSだった。量感を除けばRGM-79CR《ジム改高機動型》のように見えなくもないが、画像が今までのジオン系MSを写したそれと異なり細部が粗いため、厳密な判定は難しい。
そしてそんな低画質の画像でも、参加者たちの意識を一気に引きつけるには十分だった。
『これが、――《エゥーゴ》めらの新型機か』
そのとき初めて地球を挟んだ反対側から、低い唸りと忌々しげな重い吐息が漏れた。ブリーファーはそれも無視して、なお淡々と続けていく。
『ジャカルタ艦長はミノフスキー粒子散布と電子戦を並行し、宙域内の無線通信を封鎖。そのうえでジオン残党組織による月でのテロ計画対処を理由に、トラキア隊が鹵獲したMS隊の即時引き渡しを要求してきました。しかしトラキア艦長はこれを拒否し、鹵獲機を収容しての離脱を企図。一触即発の緊張が続く中、突如『機体トラブル』を理由にジャカルタMS隊の一部がトラキアMS隊を襲撃しました』
連邦軍のジムⅡとエゥーゴの新型ジム、両者が激しく入り乱れる。それでもエゥーゴ機はビームライフルなどの武装は使わず、あくまで体当たりやシールドの打突のみを武器に執拗に絡んでくる。その機体のパワーは明らかにジムⅡを圧倒していた。
『小競り合いとなってトラキア隊は一機が小破するも、反撃でジャカルタ隊の一機を撃墜。しかしジャカルタ隊はこの混乱の隙を突いて、鹵獲されたジオン残党MSをパイロットごとすべて奪取することに成功。この段階で両者は離脱し、ジャカルタは暗礁宙域内へ姿を消しました』
『はっ。なんと無様な……!』
髭をたくわえた中年の参謀少佐が、地球の向こうで低く罵る。やはりそこにも今までにない強い感情が滲んでいた。
『エゥーゴの尻尾を掴む機会を、よくもむざむざと――しかしさっきからたびたび名前の出てくる、このトラキアとかいう艦は何だ? ジオン残党ともエゥーゴともろくに戦いもせず、すぐに引き下がってばかりではないか! 敢闘精神がまったく足りておらん――まったく、これだから一般部隊は!』
『続いて日を改め2月28日』
傍らに座る女性将官に顎で示され、ブリーファーは何か絡もうとしてきた彼を強引に無視して続けた。
『第223戦隊旗艦を務める巡洋艦《マカッサル》と駆逐艦《アルマーズ》が暗礁宙域を哨戒中のところ、民間払い下げのコロンブス級輸送艦らしき不審船を発見』
画面が切り替わる。新たにサラミス改級駆逐艦に追われるコロンブス級輸送艦、そしてその前方に潜んで待ちかまえていたサラミス改級巡洋艦が現れた。
『不審船は追跡するアルマーズからの停船命令に従わず強行突破を試みたため、戦隊は前方に待ち構えるかたちで布陣したマカッサルからMS隊を展開。これに対し不審船もMS隊を出撃させ、MS戦となりました』
巡洋艦からRMS-117《ガルバルディβ》二機とRMS-106《ハイザック》四機が出撃し、不審船から来るザクⅡ三機と激突する。
機体は旧式で数も劣勢のザクⅡ隊は、しかし正面に展開するガルバルディβとハイザックのMS隊を次々に狙撃し、ついには一方的にすべてを撃破してのけた。
『たかがザク相手に……なんと不甲斐ない』
『はっ。新サイド4のMS隊はデブリ掃除のし過ぎで、肝心の戦い方を忘れたのではないのか?』
冒頭のアバリス隊に続き、またしても旧型機を操るジオン残党軍に手玉に取られる連邦軍部隊に、男たちが呆れきった声を上げる。だが画面に映し出された実機の戦闘記録映像と女の挟んだ解説が、彼らを再び緊張に引き戻す。
『敵MS隊はMSの通常の有効射程を遙かに越える超長距離から、精密狙撃を仕掛けてきました。ここで観測された狙撃距離と命中精度及び射撃速度は、一年戦争時に記録されたアムロ・レイ大尉の数値を大きく上回ります』
『なっ』
『――強力なニュータイプ、だと言うのか……? いや、しかし。よく見ればこのザクの狙撃は機体の手足を掠めるばかりで、まるで直撃出来ておらんではないか。アムロ・レイなら、すべて一撃で仕留めておる』
『た、確かに』
彼が言うとおり、なぜか映像の中で次々と狙撃を受けても爆散した機体は一つもない。ブリーファーは特にその件について説明しようとしなかった。
接近戦にもつれ込みながらも、六機の連邦軍MS隊をやはり一機も爆発させずに蹴散らすと、ザクのアイコン群が画面上をサラミス改目掛けて接近していく。
MS隊すべてを失った巡洋艦がそのまま突破されるかと見えたとき、なんと巡洋艦マカッサルは勇敢にも自ら敵前に立ちふさがって反撃する。あわや撃沈かと思われたそのとき、対空砲火がザクⅡ隊を阻止し、あまつさえ超長距離狙撃を連発していた一機を中破させてしまった。
『おお……なんと果敢な』
『なかなかやるではないか。しかしこんなもので落とされるようでは、ふん、大したニュータイプではなかったようだな』
巡洋艦はそのまま不審船――敵輸送艦と交戦しながら脇から抜けて離脱するが、そこでジオン残党艦へ追いついた後続の駆逐艦から三機のジムⅡが肉薄する。MS戦が発生したが、ニュータイプと思しきパイロットのザクを失った不審船MS隊に、先ほど見せた神通力じみた戦闘力はもはや無かった。ザクⅡがまた一機中破する。
『敵MS隊はこの戦闘において、不可解なほど多量の照明弾を発射していました。これは救援要請の信号でもあったらしく、暗礁宙域深部からは多数のジオン残党増援部隊が次々と出現してきます』
ブリーファーが言うが早いか、画面の端から三機のゲルググが出現し、交戦中のジムⅡと生き残りのハイザックを一機ずつ撃墜する。さらにコムサイ改級揚陸艇二隻に搭載されて、リック・ドム六機が戦場に到着。
形勢は逆転した。ジオン残党軍はそのまま圧倒的な戦力差で、戦場に残った駆逐艦一隻と二機のジムⅡを殲滅していくかに見えた。
『これに対し、我が軍も近傍宙域を航行中の巡洋艦トラキアが照明弾と戦闘光を確認、直ちに反応していました。まずトラキアに同行していたP-04駐留部隊所属のMS隊が、パブリク改級哨戒艇で先行し接敵。次いで本隊も到着します』
RGM-79GS《ジム・コマンド》――いやRGM-79GSR《ゲシュレイ》と表示された機体がもはやMAじみた高速で、ジオンMS隊の脇腹へ横槍を入れるかたちで突きかかる。さらにRGC-80SR《ジム・キャノン改》が、ゲシュレイの突撃と巧みに連携した砲撃戦を展開。瞬く間にリック・ドム二機を撃墜し、連邦軍残存戦力は反撃に転じる。
そして到着したトラキアが混戦のさなかへ艦砲斉射を放つと、リック・ドム隊は一機を残して全滅した。トラキアMS隊のジムⅡ四機が戦線に参加したことで、戦勢は再び逆転したかに見える。
だがジオン側もさらにMS-18E《ケンプファー》とMS-06FZ《ザク改》、ドラッツェから成る六機編隊が戦闘加入。増援第三波でジオン側が盛り返して互角の戦闘が展開されるも、連邦軍はなおもじりじりと押し込み、コムサイ改二隻とゲルググ一機を撃墜する。
『ジオン側も増援部隊の第三波を投入し、戦闘は再び膠着――そしてここで再び、戦艦ジャカルタは現れました』
戦闘宙域へ侵入してきた戦艦ジャカルタは、露骨に連邦軍部隊を狙う艦砲射撃を放った。続いて多数のMS隊を発進させる。最初の接触で出てきたジム改もどきだけではない。今度はどこかリック・ドムに似た――しかし、全く異なる印象を持った重MSが先頭に立って突進してくる。戦場の均衡は一気に崩れた。
『――これもエゥーゴの新型か……? ええい、なぜここだけ画素がこうも粗い……』
『戦艦ジャカルタの介入を受け、この時点で戦闘宙域の残存部隊指揮官となっていたトラキア艦長は、全軍に離脱を下命。ジオン残党軍も同時に離脱を開始しました』
トラキア隊のジムⅡとエゥーゴのリック・ドムもどきが急接近し、激突して一対一で火花を散らす。両者はそのまま母艦へ帰投し、その戦闘を最後に二つの艦隊は離れていった。
『最終段階においてトラキアMS隊とジャカルタMS隊による偶発的交戦こそ発生したものの、双方に大きな損害は無し。両者はそのまま接触を断って離脱しました。以降、第223戦隊は部隊を再編し、P-04への前進を再開――現時点までの状況は以上です』
『ふん、田舎部隊のジムⅡと互角か』
『しょせんは民兵。このリック・ドムもどきの新型も、大したことはなさそうですな』
ジオン残党軍MS隊へ守られながら宙域深部へ後退する輸送艦へと、エゥーゴ部隊はまっすぐに接近していく。
プレゼンテーションはそこで終了した。画面が閉じる。
代わって大型モニターは再び、映像会議の参加者たちを映し出す。
地球と月の狭間に浮かぶ、新サイド4のL1暗礁宙域。
地球を挟んで月軌道の反対側、サイド7のL3宙域。
L1――新サイド4復興再開発拠点《P-04》からの参加者は、ブリーファーを除いて二人。
一人はP-04駐留部隊司令の男性准将。壮年のアジア系で、穏やかな微笑みを浮かべている。そこに異質な点があるとするなら、それは異常なまでに筋骨を隆起させた屈強な体格と、その顔面を非人間的なまでに歪める深く大きな傷跡だった。殊に右目の周辺からは肉が大きく抉れ、眼球がほぼ露出していた。
そしてもう一人はすでに相当な高齢に達した白髪の、ヨーロッパ系の女性准将。肩書きは新サイド4駐留艦隊副司令。姿勢と眼光は確かだが、少なくとも容姿を見る限り、生半可な年齢ではない。もはや軍人としての現役など、何十年も前に勇退していて然るべきと見えた。
そして、L3――サイド7《グリーン・オアシス2》に築かれた地球連邦軍の新たな軍事拠点から参加するのは、禿頭に独特の赤い眼鏡を掛けた大柄な大佐と、傍らに立つ髭の少佐の二人。
片や准将二人、片や佐官二人。両者の階級差は明らかだったが、それでもL3の佐官二人は鷹揚な構えを崩すことはない。
理由は彼らの制服にあった。
地球連邦軍制服に独自の意匠を加えた濃紺の制服は、ジオン残党組織の掃討を目的として独自の予算と強権を与えられた、地球連邦軍特殊部隊《ティターンズ》のものであった。
そしてティターンズ所属将兵はその他の地球連邦軍一般部隊の将兵に対し、一から二階級上の扱いを受ける権限を有する。つまり、この赤眼鏡を掛けた禿頭の大佐は、その二階級上――准将を超えた少将としての格を有することになるのだ。
まして彼がそのティターンズにあって、実働部隊における事実上の最高指揮官の地位にあるのであれば、本来の上官たちを歯牙にも掛けないその傲慢さも、実にもっともなことではあった。
「ふん、なるほど。ユン准将、ウォレン准将。貴官らからの情報提供には感謝しよう。エゥーゴ艦ジャカルタの追撃部隊には、すでに一個戦隊を手配した。間もなくコンペイトウから出撃する――彼らへの拠点の提供と、道案内をよろしく頼む」
バスク・オム大佐が鷹揚に呟くと傍らの参謀、ジャマイカン・ダニンガン少佐が端末を操作し、派遣部隊の編成表を表示した。旗艦としてティターンズ自慢の新鋭重巡洋艦アレキサンドリア級一隻に、護衛のサラミス改級巡洋艦が二隻と、艦載MSが合計二十四機。ティターンズにおける標準的な戦闘単位である。
だがそれを見て、凶相のP-04駐留部隊司令――ユン・ソギル准将はほんの少し、困ったように眉を顰めた。
『なあ、バスク君。ティターンズから援軍を寄越してくれる、というのはありがたい。ありがたいが――ちと、数が少なすぎはせんかね?』
『……少ない、とは?』
バスクの傲慢さなど最初から意にも介していなかったかのように、ソギルは淡々と語りはじめる。
『ふむ。サイド7にあるバスク君のその快適なオフィスからでは、なかなか理解しづらいのかもしれんが。我々の任地である新サイド4は実に混沌としたところでね。先ほどの流れでも見てもらったように、この辺りにはジオンの残党がずいぶんと多い。しかも最近その動きはどんどん活発化していて、実は一年戦争の頃より増えているんじゃないかと思うぐらいだよ』
はっはっは、と愉快そうにソギルは笑った。顔面が表情筋ごと抉り取られている、その右目だけを除いて。
『このジオン残党、ルスラン・フリートとエゥーゴが連携したのなら、その戦力は生半可なものではない。そこへ本格的に攻撃を仕掛けようというのなら、せめて、この十倍――三十隻は寄越していただきたいな?』
『な、何をバカなっ! 三十隻だと!? 新サイド4駐留艦隊の、全戦力の何倍だと思っているのだ!!』
そこでバスクに代わり、傍らのジャマイカンが口角泡を飛ばして割り込んできた。
二百機以上のMSを抱える三十隻もの大艦隊となれば、昨今拡大著しいティターンズといえど、おいそれと出せるようなものではないのだ。それほどの大戦力を一方面に抽出してしまえば、それこそ各地のエゥーゴとその予備軍を抑えられなくなるだろう。
やれやれとソギルは溜息混じりに、出来の悪い教え子を相手にするかのように優しく諭す。
『君。暗礁宙域は攻めるに難く、守るに易いのだよ。基本中の基本だ――士官学校で習わなかったのかね?』
『そんなことを言ってはおらん! どんなふざけた丼勘定をすれば、この頭のおかしい戦力要求が出てくるのかと言っている! 山よりでかい猪などおらん。何がルスラン・フリートだ、過大評価が過ぎる! ギレン親衛隊を基盤とした最大勢力デラーズ・フリートが潰えた今、地球圏のジオン残党などはもはや風前の灯火よ!』
『そう言われてもな。現に我々の正面には、多数の残党軍が出没しておるのだよ。どう少なく見積もっても百機以上もの、大MS部隊を抱えた連中がな――それと新鋭装備のエゥーゴ戦艦が手を結んだというのなら、こちらも相応の勢力で挑まねば、かえって無用の損害を重ねるばかりではないかね』
『そもそも貴様等が自分の作戦区域にジオン残党どもの跳梁を許しておるから、そこをエゥーゴにつけ込まれたのだろう! いかなる犠牲を払ってでも、まず貴様等がジオン残党を殲滅して膳立てを整え、そのうえで我らがエゥーゴを叩くのが筋であろうが!!』
『はて? 私の記憶が確かなら、ティターンズはジオン残党の掃討を目的として設立された組織のはず……。誇り高き地球連邦軍のエリートたる貴官らが、ジオン残党の巣窟たるサイド4を我らのごとき一般部隊に長年預けっぱなしにしたまま、今度はジオン残党ではなくエゥーゴとかいう新参者だけを相手にさせよと主張する……。何だかこれはずいぶん不思議な話ですな、ウォレン准将?』
ソギルが飄々と水を向けたのは、自身の傍らで不機嫌そうに座ったままの老婆だった。彼女――ヨランダ・ウォレン准将はすべてを馬鹿にしきったような表情のまま、冷たい瞳でモニターの向こうのティターンズ将校二人を一瞥する。薄く乾いた唇を開いた。
『そうじゃな。三十隻など、とうてい話にならん』
『当然だ。我らティターンズは地球連邦軍最高の精鋭、一般部隊などとは格が違う! 厳しい選抜試験を潜り抜けてきたその精鋭部隊の三隻は、一般部隊の三十隻をも凌駕すると知れ!』
ソギルの非常識な提案が新サイド4側の身内からも却下されたと見て、調子づいたジャマイカンが勢いに乗って畳みかける。
だが、老婆は眉ひとつ動かさずに言葉を継いだ。
『全軍じゃ』
『――は?』
言われた意味がまったく理解できず、ジャマイカン・ダニンガンはただその場で瞳を瞬かせた。
『いま地球圏にあるティターンズの宇宙艦隊、一隻残らず全軍寄越せ。もっとも中身がお前らんところの案山子じゃ百隻あっても正直足らんが、まあそこまでの贅沢は言わん。弾除けぐらいには使ってやる。ほれ、そこの眼鏡小僧。四の五の言わずにさっさと集めろ。もちろん、お前ら自前の補給艦隊と兵站も込みでな』
『……ティターンズを愚弄するか、……貴様……』
真正面から罵倒されて、バスクは瞬間的に沸騰した。隣に立つジャマイカンが、あまりの殺気に思わずひっと呻いて立ちすくむ。
バスク・オムは『暴力』の本質を知り、そして自在に使いこなす男であった。一年戦争以来の地球連邦軍を飲み込んできた混沌の渦中にあって、この男はその才によって身を立て、這い上がってきたと言っていい。
必要とあらば、バスクはいかに凶悪で非道な暴力の行使にも躊躇しなかった。彼にはそれらを可能とする、人と組織を思うがままに動かす豪腕が備わっている。その人並みはずれた野生の嗅覚と行動力に導かれて、今日の彼はいまティターンズ実働部隊の事実上の頂点に登り詰めたのだ。
そしてP-04の二人は、そんなバスクの怒りをまったく相手にしていなかった。
ソギルは相変わらずの穏やかな微笑みを浮かべたまま、ヨランダはティターンズの二人を小馬鹿にしきった呆れ顔のまま。
『なにが精鋭じゃ、この阿呆』
そして救いようのない馬鹿者を見下ろす表情で、ヨランダが冷たく言い捨てた。
「お前んとこの案山子、まとめてあいつらに沈められとろうが」
『――何……?』
『ほれ、お前らが月軌道の哨戒に出しとった117戦隊じゃ』
ヨランダが目配せするや、モニターが再び切り替わった。月を背にしたアレキサンドリア級重巡洋艦とサラミス改級巡洋艦を映し出す。ティターンズ艦二隻と、一般部隊のサラミス改が一隻の混成だ。日付は2月22日。
『――まさか、あれは』
はっと息を呑んだジャマイカンをよそに、再び映像が切り替わる。
望遠で捉えられた粗い映像。今度は暗礁宙域で、先ほどのアレキサンドリア級とサラミス改級の戦隊が何者かと交戦している。今度の日付は2月25日――巡洋艦アバリスの撃沈と同日。
冒頭の資料映像でも見えた、ジム改もどきのエゥーゴ機が編隊を組んで迫る。その編隊が構えた銃口から弾幕じみた圧倒的なビーム連射が放たれるや、棒立ちで反撃を試みた前衛のRMS-106《ハイザック》があっさりと撃ち負けて次々に被弾、無数の光軸に貫かれてひとたまりもなく爆散した。ティターンズMS隊の戦列が、一方的に蹂躙されながら突き崩されていく。
BR-S85ビームライフルから連射を放って必死に抵抗するRGM-79CR《ジム改高機動型》が、速すぎる敵機の機動へまったく対応できず、コクピットを背後からビームサーベルで串刺しにされた。リック・ドムもどきの新型に貫かれ、痙攣したように硬直する。その仇を取ろうとするかのように僚機が駆けつけるが、次の瞬間にはまた別のジム系新型と思しき敵からビームライフルを叩き込まれて爆散した。
と、暗礁宙域の奥から光芒が煌めく。艦砲射撃の太く力強い光軸の束が、数本まとめてアレキサンドリア級の艦体中央に吸い込まれた。それだけでティターンズが誇る新鋭重巡は、暗闇に膨れ上がる巨大な光熱の泡となって消えた。
瞬く間に旗艦とMS隊のほとんどを失った残りのサラミス改は、必死に急速反転して離脱を試みる。
だが、エゥーゴは逃さない。
多数のジム改高機動型やハイザックを縦横無尽に斬り捨てていたリック・ドム擬きの新型機が、足並みの揃わない弾幕の下をあっさり掻い潜って敵艦へ迫る。二隻の艦橋を瞬く間にバズーカで爆砕して行き足を止めると、四方八方からエゥーゴのジム隊が放つビームライフルの一斉射撃と艦砲の第二斉射が、サラミス改の二隻をも火球に変えた。
時間にして、わずか三分足らず。
たったそれだけの時間で、ティターンズ第117戦隊は完全に消滅した。そして二十機以上のMSと三隻の巡洋艦を沈めていながら、エゥーゴMS隊はほとんど損害を受けていない。
それは、あまりにも一方的な虐殺だった。
鮮やかすぎる完勝を収めたエゥーゴMS隊は、次々に母艦へ帰投していく――自らの艦砲でも二隻の敵艦を屠った、戦艦ジャカルタへ向けて。
記録映像は、そこで終わった。
『お前らが言う《精鋭》とやらの一個戦隊ごとき、ダミー風船より役に立たんわ』
『そ、そんな……117戦隊が……ま、まさか……しかし、……そんな……』
『ん? まさかお前ら、こいつらがジャカルタ一隻に食われとったことすら知らんかったのか? いやぁ、さすがは精鋭ティターンズ。上が有能だと、部下どももマメに報告する優秀なのが揃っていて羨ましいのう』
数日前に消息を絶った配下の精鋭と自負する戦隊の末路を、予想外の経路から予想外の場所で知らされてジャマイカンは狼狽する。邪悪に笑うヨランダの傍らで、ほほう、と大きく唸りながら、どうでもいい世間話のように軽い調子でソギルが訊いた。
『フム。ウォレン准将、この映像はどうやって入手されました? 暗礁宙域の全天をカバーする監視網など、貴方の部隊にもまだ無いはずですが――』
『なあに。ま……蛇の道は蛇よ』
――人的諜報網か。
ヨランダ・ウォレン准将。三十年近く前に地球連邦軍を退役し、そして数年前、齢九十を前にしながら准将の階級で現役復帰した老将。もはや連邦軍にも再任前の彼女を知る者は少ないが、当時の噂の片鱗ぐらいはバスクも耳にしていた。
特殊戦の女帝。
地球圏の各地でくすぶる反地球連邦の火種を、火種のうちに情け容赦なく探り出しては蹂躙し、跡形もなく踏み潰してきた死の部隊を率いた女。情報戦と諜報戦を自在に操り、ジオン公国台頭前夜まで地球圏の『平和』をほの暗い闇の底から支え続けた、連邦暗黒面の生ける伝説。
おそらく彼女は現役復帰後に再建したその情報網で、117戦隊とジャカルタ双方の動向を掴んだ。そこで両者交戦の気配を知るや、配下のMS隊を向かわせたのだ。そして密かに一部始終を撮影させた。
友軍を救援するためではなく、ただ情報を掴ませるためだけに。
ひらり、とヨランダが記憶媒体をその手にかざす。
『この映像、なあ。なんなら儂の伝手で、宇宙軍の全部隊に回覧させてやってもええのだぞ? 何せ貴重な、エゥーゴの脅威と暴虐を伝える資料じゃからなあ。ククク。これを全軍で共有してやれば、さぞ反エゥーゴ感情が盛り上がろうて』
『ぐう、う……っ!』
きつく歯噛みするバスクを、ヨランダは鼻でせせら笑った。
地球連邦宇宙軍将兵の大半は、地球至上主義を掲げる現政権とティターンズを快く思ってはいない。
地球復興に偏重した政策を取る地球連邦政府によって、大半の宇宙軍部隊は十分な予算を供給されていない。今や将兵への給与遅配すら常態化しつつあるのだ。
そして対照的に優先的な予算配当を受けながら、その特権を享受し濫用するティターンズ将兵は、一般部隊から強烈な反感を集めている。
そんな状況の中、数で勝ったティターンズ部隊がこれほど無惨にエゥーゴによって殲滅される映像などが、同じ連邦軍の内側から公開されようものならどうなるか。
ティターンズの名誉と威信は完全に失墜し、エゥーゴと連邦軍内部の反ティターンズ分子はいよいよもって勢いづくだろう。『ティターンズ恐るるに足らず』と見れば、今まで様子見していた部隊までもが雪崩を打って一斉にエゥーゴへ参加してくるかもしれない。
まだ早すぎる。バスクが時間を惜しんで精力的に押し進めてきた数々の施策が実を結び、ティターンズが本当に圧倒的な軍事力を獲得して盤石の支配態勢を確立するまでには、まだもう少しの時間が必要だ。
今の時点でそうなってしまえば、ティターンズは――そして今度こそ地球圏は、壊れる。
『とはいえ、まあ儂も鬼ではない。お前らもいま抱え込んどる案山子どもを、今の布陣のまま雑魚の水準まで鍛え直す時間が欲しいじゃろう。儂らの方も、いちいち案山子のオムツをせっせと換えて回っていられるほど暇でもないしな。それで、じゃ』
ヨランダの瞳が、不意に昏い光を帯びてバスクを嘗めた。
『お前らが丸め込んどる、《コンペイトウ》のニュータイプ研究所な。あそこの部隊で手を打ってやろう。ずいぶん出来のいい強化人間が二人と、――あるんじゃろ? そこにも新型の《ガンダム》が』
『……《ヘイズル》はガンダムではない』
『似たようなもんじゃろうが。ええから、四の五の言わずにさっさと寄越せ――出し惜しみは為にならんぞ』
厳重に秘匿していたはずの研究機関の存在と、ティターンズによる取り込み交渉の進捗、そしてその内実を当然のように言い当てられて、もはやバスクはじりじりと後ずさる以外になかった。
完全に圧倒されたバスクを、嘗めきった強者の圧力でヨランダが押し切る。
『しかしお前ら、本当にそこいらじゅうで余計な墓穴ばっかり掘ってくれとるのう。ああ、そうそう。ジャミトフ・ハイマン。あいつな、この前ちょっと茶飲み相手に映像会議で呼び出してやったら、お前が宇宙でやらかしとるポカはロクに知らんかったぞ?』
『――ジャミトフ、大将……?』
ティターンズ総帥、ジャミトフ・ハイマン大将。
四年前のデラーズ紛争とコロニー落下『事故』に際し、連邦軍内部でその権力を劇的に拡大してティターンズを築き上げた男。自ら地球連邦議会にも議席を持つジャミトフは、今や軍と政府の両面を席巻するほどの絶大な政治力を縦横に振るって、地球からその権勢を支え続けている。
ジャミトフからティターンズの実働部隊を宇宙で預かるバスクは、今まで数々の『独断専行』を繰り返してきた。それらの中には大きな成果を挙げたものも、露見すれば政治的に致命傷となりかねないものも含まれている。
そして上官たるジャミトフが必ずしもそれらの行いを肯定していないことは、誰よりもバスク自身が知悉していた。
バスク・オムとジャミトフ・ハイマン――互いの存在を不可欠とする両者は、しかし同時に微妙な緊張状態にあった。
『あの鷲鼻のクソガキ。多少出世したぐらいで今はずいぶん偉そうにしとるが、士官学校の営庭で儂に蹴飛ばされてゲロと鼻水垂れ流しとった頃から何も変わっとらんなアイツ。ロクに部下の面倒も見きれんくせに、青臭いガキの屁理屈ばっかり捏ねくりまわしおって。五十年経って未だにアレでは、やれやれ、地球連邦軍の行く末も暗いわ』
『ウォレン准将。いくら昔の教え子でも、今は大将閣下であられますよ。そのような物言いは、いかがなものかと』
『クソガキは大将閣下でもクソガキじゃ。大体あの鷲鼻小僧、いつになったら菓子折提げて儂のところへ挨拶に来るんじゃ? おい、そこのポンコツ眼鏡。いつまでも大恩師様に不義理な真似をさらしとると、キリマンジャロの万年雪に鼻から突き刺して逆さに埋めるぞ――あと仕事はきっちりやれ、とジャミトフの小僧に伝えろ。それからチョビ髭』
『はっ!?』
ティターンズとバスクを愚弄するどころか、総帥ジャミトフ・ハイマン大将までもをクソガキ呼ばわりし、そのうえ直接のパイプを示唆してのけた老将から、いきなり話を振られてジャマイカンはびくりと背筋を震わせた。
もはや連邦宇宙軍の全一般部隊に情報がどうの、という話だけでは済まない。この老婆の前で下手をすれば、すべての情報が直接ジャミトフの耳へ入れられてしまうのだ。
『コンペイトウからのニタ研部隊派遣の話は、今後お前が取り仕切って進めろ。部隊は今週じゅうにP-04へ寄越せ。到着が少しでも遅れるようなら、……分かっとるな?』
『そ、そこは、み、見積もりを……見積もりを、出させていただけませんと……』
『儂はお前の意見なぞ聞いておらん。儂が出来ると言うたら、出来るのじゃ。今の仕事が向いておらんようなら……そうじゃな。静かで涼しいアステロイドベルトで、石ころの数を数える仕事を手配してやってもええのだぞ? 分かったら、やれ。……分かったな?』
『はっ、……ははぁっ!!』
完全に傍らのバスクの頭越しで命じられながら、絶大な圧力に耐えきれずにジャマイカンは腰を折った。もはやバスクもそれを制止しようとしない。
『ほほう、噂の人工ニュータイプ部隊ですか? それは心強い援軍ですな』
きつく歯噛みしながらもヨランダに抑え込まれたままのバスクをよそに、微笑みをまったく崩していないソギルが話を継いだ。
『おう。各地のニタ研はかなりの失敗続きらしいが、コンペイトウの奴はなかなかの仕上がりだと聞いておるぞ。のう、ソギル――これはお前のところの子飼いどもも、うかうかしてはおられんかもしれんなぁ?』
『ははは。新世代の精鋭諸君の足を引っ張ることがないよう、今後とも指導に全力を尽くしましょう』
傍らのソギルを見るヨランダの瞳にそのとき一瞬、剣呑な殺気が宿った。だがソギルは穏やかに微笑んだまま、モニターの向こうでぎりぎりときつく歯噛みするバスクへと視線を戻す。
『バスク君。先ほどはウォレン准将がいろいろと厳しい言葉も使われたが、どうか気を悪くしないでほしい。ティターンズの諸君と我々は、ともに地球連邦の旗の下で、地球圏の安定と平和を願う同志だ。私とて、バスク君の置かれた難しい立場は理解しているつもりなのだよ』
傲岸不遜の極みからバスクらティターンズを嘲弄してのけた、ヨランダに対する憤怒の情に満ち満ちたバスクの意図を、勝手に読み替えながらソギルが続ける。
『そして君が戦場へ直接率いたわけではないとはいえ、数百人もの部下を失った君の今の気持ちもよく分かるつもりだ。心中を察しよう。彼らの霊の安らかならんことを』
不意に微笑みを消し、代わってソギルは神妙な表情を浮かべた。だが今のバスクは多くの部下を失った悲しみではなく、自分の立場を危うくしかねない脅迫材料をヨランダに握らせてしまった無能な部下たちへの怒りと屈辱に震えている。
そんなバスクの内心を知ってか知らずか、ソギルは淡々と言葉を継いで尋ねた。
『だが最終的に指揮官たるものが、志半ばで倒れた兵たちに報いる術はひとつだ。……分かるかね?』
『……敵を完全に打ち破って抵抗の意志を奪い、決定的な不動の勝利を掴み取ることだろう』
『ふうむ。それもある。それもあるが……私の答えは、もっと単純で明快だ』
『何……?』
戸惑うバスクを前に、ソギルはふっと破顔した。
『敵を殺し尽くすこと。皆殺しにすること。根絶やしにすること』
にい、と口角を釣り上げてソギルは笑う。
バスクはそれだけで、背中にナイフの刃を押し当てられたように硬直する。
それは間違いようのない、本物の悪魔の笑顔だった。
『戦いの本質とは、これに尽きる。一年戦争の最初の半月で、私はそれを身を以て学んだ。バスク君……私はね、君を本当に高く評価しているのだよ。ほら。サイド1の30バンチ――』
それは一昨年、『伝染病の蔓延』によって住民全員が死滅したコロニーだ。公式にはそう発表されている。
そしてティターンズとバスクにとっては、その背後に潜む真実を決して知られてはならない忌み名でもあった。
その名をたやすく口に出しながら、ソギルは至福の笑みを浮かべている。
『私はああいう、思い切りのいい仕事が出来る指揮官を探していたんだよ。ただ……君にはまだ、迷いが見えるね。慎重になりすぎて、腰が引けてしまっている。せっかくいい素質を持っているのに、勿体ない――それでは、まだ、ダメだ』
苦笑しながら、すう、とソギルは片手を上げた。
『ダメだよ、君。もっと大勢、きちんと殺さなくては』
『…………ひっ……』
カメラとモニターを、そして地球と七十五万キロメートルの距離を超えて、その手がまっすぐ伸びてくる。
冷たい手だ。
生者の温もりを持たない、そして一人のものではあり得ない、信じられないほど大勢の冷たい手。
それら無数の気配が自らの喉頸に掛けられる感触を、はっきりとバスクは感じた。
ガタン、と不意にバスクの背後で椅子が音を立てる。無意識のうちにバスクは椅子を引いて数十センチの距離を逃れ、その背を壁に押しつけていたのだ。
その音が響いたときには、モニターに映るソギルの手は元の位置まで戻っていた。頸もとに集まっていた得体の知れない冷気も、いつの間にか消えている。
ソギルは元通りの穏やかな微笑みを浮かべていた。
『――バスク君。ティターンズの居心地が悪くなったら、いつでも私のところに来なさい。自分を解き放つのだよ――座り心地のいい椅子を用意して、君をもっと、もっと強くなれるように鍛えてあげよう』
『……え、……遠慮して、おこう……』
バスクを誘う悪魔の手招き。ヨランダは冷たく乾いた瞳で、それを横から見つめている。
『ふうむ? そうか、残念だ……おお、そうだ。バスク君――身辺に気をつけたまえ』
『身辺……?』
訝しがるバスクに、うむ、とソギルは力強く頷いた。
『エゥーゴはついに戦力を整え、本格的に動きはじめた。新サイド4のジャカルタは陽動、という可能性もある。私がエゥーゴの立場なら――まず最初に君の本拠、グリーンノアを狙う』
『何を馬鹿なッ!!』
呪いのようだった何ものかが解けたことを確かめるかのように、バスクは力強く立ち上がって猛然と叫んだ。
『グリーンノアの守りは鉄壁だ! ネズミ一匹入り込ませはせん。エゥーゴがどれほどの艦隊を押し立ててこようが、すべて返り討ちにしてくれるわ!』
『ほう、それは頼もしいことだ。私の杞憂であることを祈ろう。しかし、エゥーゴは――案外もう、すぐ近くにまで来ているかもしれんよ』
にい、とソギルが笑った。
その凶相の迫力にティターンズの二人が気圧される中、ヨランダが退屈そうに時計を眺めて呟いた。
『さて、……いい時間じゃな。おいチョビ髭。コンペイトウの件、しっかり働けよ』
『は……は、ははっ!!』
『それでは、今回の映像会議を終了いたします。ありがとうございました』
ヨランダがジャマイカンを睨みつけると、すべてを無言で見守っていたブリーファーの女性士官の言葉を最後に、通信画面は閉じた。
モニターが消えたグリーンノア2の執務室には、奇妙な静寂だけが残った。静かに震えるバスクの背中に、ジャマイカンが何か声を掛けようとして果たせず狼狽する。
「た、大佐――ひいっ!」
「ぬううっ!!」
ジャマイカンの前で唐突に、執務机の天板が陥没した。振り上げられたバスクの豪腕が破壊したのだ。
バスク・オムの内心はなお、それだけでは収まりきらない激情の渦に満ち満ちていた。
「ルウムの、……亡霊どもがぁ……っ!!」
これほどまでの屈辱と憤怒は四年前、デラーズ紛争の最終局面でソーラ・システムⅡの照射を阻止され、北米大陸へのコロニー落着を許した時以来だ。あのときの彼は怒りの感情に任せたソーラ・システムⅡの第二射で、その原因となった敵巨大MAと対立派閥のMAを、自らの艦隊もろとも薙ぎ払った。
だが、今の彼に同じことは出来ない。屈辱と憤怒の他にもう一つ別の強烈な感情を、彼は深々と刻みつけられている。
――恐怖。
まったく別々の手段で彼に今回の激情をもたらした新サイド4の准将二人は、あまりにも強大すぎた。
バスク・オムは、暴力を知る男である。
暴力で他者を屈服させる術に長けていたからこそ、彼は今のこの地位まで登り詰めることが出来た。そして同時にそれゆえ、彼は暴力の臭いに人一倍敏感である。
あの異常者たちには、いま仕掛けても勝てない――彼に残された野生の本能がそう看破し、彼の軽挙を必死に制止したのだ。
だが、とバスクは思う。それも長くは続かない。いや、続かせない。
今後すべての連邦軍MSの新基準となる、RX-178《ガンダムMkⅡ》計画も完成間近。最新技術の最先端として研究成果を挙げ続ける、各地のニタ研も傘下に入りつつある。ジオン共和国との協力態勢も好調だ。そしてルナツーとグリプス、ア・バオア・クーを一カ所に集中させて難攻不落の宇宙拠点とする『ゼダンの門』構想も動き始めた。その中核となるべき、グリーンノア2それ自体を用いた最終兵器の建設準備も――。
あと少し。
あと少しの時を稼ぐことができれば、ティターンズは地球圏に盤石の安定を築くことが出来るのだ。たかが旧式兵器で武装した辺境部隊など、その時になればどうにでも出来る。
そして同時に彼らは今の連邦宇宙軍では数少ない、決してエゥーゴには付かないと明言できる勢力の一つでもある。
そう――あの連中がエゥーゴに付くことだけは、ない。それだけは信用できた。そして現状では、それだけで十分なのだった。
まずはエゥーゴを潰し、連邦軍全体を呑み込む。ジャミトフも、いずれ――。
その時までは、ひたすら前に進み続ける。久々に味わわせられたこの怒りは、そのための力とすることにしよう。
「……ビダン大尉を呼べ。グリーンノア1の、ガンダムMkⅡの現況を知りたい」
「はっ!」
この激情を忘れるためには、また再び膨大な仕事量の中へと自らを埋没させていくしかない。
上官が落ち着きを取り戻したのを見るや、ジャマイカンは安堵とともに慌てて執務室を立ち去った。
血の巡りが止まって白くなるほど、きつく握りしめていた拳をバスクは開く。掌へ食い込んだ爪痕から、赤い血がゆっくりと溢れ出てくる。
「くそがぁっ!!」
バスクの振り上げた渾身の鉄拳が、今度こそ彼の執務机を完全に破壊した。
閉鎖型コロニー、グリーンノア2と開放型のグリーンノア1、そして宇宙要塞ルナツーが形成するサイド7宙域。
その防空圏内に今、一隻の白い戦闘艦が侵入している。
かつて一年戦争で活躍した伝説の強襲揚陸艦《ホワイトベース》を思わせつつ、さらに洗練されたシルエットを持つ白亜の新造艦。その艦体左右へ張り出したMSカタパルトで前傾姿勢を取っている赤い重MSが、新サイド4からティターンズへと粗い画像で提供された機体と同一のものであることを、まだこの時点で知る者はない。
『クワトロ・バジーナ。リック・ディアス、出る!』
電磁カタパルトが叩き出す強烈な加速とともに、重厚な巨体に似合わぬ軽快さでその機体は舞い上がった。後方へ付く黒い塗装の同型機二機を従え、彼らの三機編隊はグリーンノア2を目指して無尽の宇宙を進行していく。
時にU.C.0087、3月2日。
宇宙世紀の歴史は、この日をグリプス戦役開戦の日として記録している。
※イラスト:はお様(http://www.pixiv.net/member.php?id=164461)
フェニックステイルのご感想を400文字以上お答えいただいた方を対象に、感想特典を限定公開しております。細部は以下をご参照ください。
フェニックステイル感想提供者限定・R-18短編限定公開企画(試験的運用中・意見感想募集)
http://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=88942&uid=57256
ご応募、お待ちいたしております。