※この作品はR-18です。

フェニックステイル   作:KY_PT

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第四章 亡霊狩猟
第三十七話 産声


 深夜である。薄暗い廊下に人気はなかった。

「…………」

 その男はベンチに腰掛けたまま、組んだ両手の上に顔を載せたきり、じっと静かにうなだれていた。その姿勢はどこか、どこか遥かな遠くに在る何者かへと祈りを捧げているようにも見える。

 一人そこに座りこんでから、男はもうだいぶ長い時間ずっと待ち続けていた。その頭上では『施術中』と書かれた看板が点灯して、廊下に男の影を落としている。

 そうしたまま、どれほどの時が流れたのか――やがて、その看板から静かに光が落ちた。

「…………!」

 緊張を伴った表情で、男がびくりと弾かれたように腰を浮かす。それからさらに数分間、無限にも思えるほど長い時間が流れた。

 そしてゆっくりと、『手術室』――いや、『分娩室』のドアが開いた。

「お父さん、おめでとうございます! 元気な女の子ですよぉ~」

 耳をつんざくのは、生まれたばかりの赤子の泣き声。しわくちゃの顔で泣きじゃくる赤子を白いバスタオルに包みながら、白衣のウェンディ・アーデル曹長は笑顔でロブ・サントス伍長に差し出してきた。

「…………」

 ドアの向こうに設えられたにわか造りの分娩室もどきの中で、あの銀髪の爆乳美少女が出産したのだ。つまり、この赤子は「自分の娘」ということになるのだろう。

 だが、果たして彼女が自分に似ているのか、それどころか母親の方に似ているのかどうかさえ、ロブにはまったく判別が付かなかった。

 下宿先の部屋でなぜかスーツケースの中から出てきた彼女と交わり、押し倒された勢いのままその膣奥に精を放ってからわずか数分間で、彼女の腹は臨月の妊婦のごとく膨れ上がった。さらに彼女は数時間後には産気付き、なんとかこのプラント内医院までたどり着いたところに、改修工事中のサラミス改級巡洋艦『トラキア』から急遽駆けつけたウェンディの支援を得て、ようやく分娩が執り行われたのだった。

「いやー、かわいい女の子ですねぇ! どう、ロブ。もう名前は考えたの?」

「……え……? いや、……あの、その、……まだ、……はぁ……」

 ロブに父親としての実感など何もない。すべての展開があまりに早すぎた。

 改修整備に入る母艦を離れてP-04農業プラントで滞在することになった、ミケリヤ家の下宿部屋に届いていた不審なスーツケース。そこから出てきた謎の淫乱美少女との突然の情事がこんな形に帰結するなど、いったい誰が想像できたというのだろうか。

「だからあれほど名前は先に考えておけ、と言っただろう」

 ただただ魂が抜けたように応じるだけのロブを咎めるように、ウェンディの背後から出てきた『助産師』――マコト・ハヤカワ准尉は大仰なため息をついてのけた。

 マコトが出産の現場に立ち会うのはこれが初めてではないが、それでも彼女の知識と技術は限られている。ウェンディの助手として分娩を手伝った彼女の顔には、色濃い疲労が浮かんでいた。――疲労が浮かんでいるのは、特に何もしていなかったはずのロブも同様なのだが。

「あーらら。ロブ君、とうとうパパになっちゃったねぇ……。年貢の納め時ってやつだよ。まあ、悪いようにはしないから、さ……。これからの『心の準備』、ちゃんとやっておきな?」

「……はあ……」

 ひたすら元気に泣きじゃくり続ける赤子の重みを両腕にしばし確かめると、なお心ここにあらずの体でロブは答えた。マコトはため息を吐く。

「まあいい……私と違って、君は今日も勤務だろう。顔を洗って、シャッキリし直してから中央基地へ向かえ。エイムズ軍曹も同行するとはいえ、いま出撃することになればトラキアMS隊を指揮するのは君なんだからな」

「はあ……」

 最後までとことん覇気のない表情のまま自分の「娘」をウェンディへ返すと、ロブはそのまま、棺桶から這いだしてきた死人のような動きで元来た廊下を帰っていった。

 ほぼ一睡もせずに翌日も連勤とは、気の毒にな――マコトはそう思いつつロブを見送る。だが、それはサラミス改級巡洋艦『トラキア』のMS格納庫拡張工事に伴う業務に従事しながら、マコトの連絡一つでここまで飛んできて産科医に化けたウェンディについても言えることだった。

 そのウェンディをちら、と横目でマコトは見やる。

「ウェンディ。今回の件、どう思う?」

 幽霊のようなロブの気配が廊下の彼方へ遠ざかると、マコトは率直な質問をウェンディに向けた。

「あー……うん。まあ、今までにないパターンだ、ってのは分かる。分かるよ。しかしねぇ、……中出し一発でほんの数分後にお腹が爆発。それから一日経たずに元気な赤ちゃんがおんぎゃあ、なんてさぁ……コレ一件だけじゃ、まだなんとも言えんよね」

「……まあ、……そうだな」

 すべてが特殊すぎた。

 今回ロブと彼女が辿った展開は、二人が今までに見てきた『因子』によるものはまったく異なっていた。

『力』を発動させて死地から生還した女は、気絶から覚醒した後、例外なく発情して手当たり次第に男を求める。発動時点で女はすでに排卵しているらしく、そのまま無責任に性交すれば、極めて高い確率で受精し――経験則的にはほぼ確実に、妊娠する。

 そこまではいい。そこまでは分かっている。

 だが発動後の性交からの膣内射精で妊娠しても、そこから先は普通のはずだ。受精から着床し妊娠、そして出産に至るまでの時間は、一般的な場合と大差ない――少なくともマコトたちは、今までの経験からそう認識していた。

 では、今回のこれは何だ?

「だけど、こう考えることも出来る。もともと『力』の持ち主はビームの直撃を食らおうが、至近距離から核爆発に飲み込まれようが、そのまま宇宙に裸で放り出されようが、致命傷や後遺症はおろか、かすり傷の一つも負いはしなかった。――だけどそもそも、その不死身と言える異常な力の源泉が、何か『時空』に関わるところから出ているとしたら?」

「時空……? あの『力』が実は時間と空間をねじ曲げるような代物だから、ビームや核爆発を簡単に跳ね返し、宇宙を裸で漂流しても無傷で生き残れていた、ということか……? その時空をねじ曲げる『力』が今回は、ロブの精子か彼女の卵子か、あるいはその両方に作用した……と?」

「分からんけど、……今ある手元の材料からは、とりあえず仮説としてそう考えとくしかないでしょ。今までと違う展開になったのは、ロブが変なのか、あの子が変なのか。それとも何か、他に別の変数があるのか……それは分からない。……科学的にはここから少しずつ条件を変えながら『実験』を重ねて、仮説を検証していくところなんだけど――」

「この件ばかりは、そういうわけに行かないからな」

 マコトの表情は硬い。そしてウェンディも諦め顔で苦笑するばかりだった。

 ある女性が『因子』の保持者なのか否か、その有無を事前に判別するための現実的な手段は、少なくとも彼女たちの手元には無い。現状ではそれが分かるのは、持ち主が即死級の物理ダメージを受けた後だけだ。

 そして同時に、一度発動したその『力』が、その後も必ず発動するという保証も、無い。

「ただ少なくとも、今回の件で彼女の身分はクリアになったね」

「ん……?」

「ロブが以前に『トラキア』の寄港先で作った恋人が妊娠。やがて精神的に不調をきたし、ロブを追ってP-04まで流れてきたところで、とうとう産気付いた――もしこれから彼女の存在を隠しきれなくなっても、そういうカバー・ストーリーを仕立て上げられる。まさか出産直前の妊婦が数日前までジオン残党軍のMSパイロットをやってたなんて、誰も想像できないだろうからね。――適当な戸籍、後で業者から仕入れておくよ」

「なるほどな。あの赤子の存在と出産の事実を使えば、彼女には足を洗わせられる。今までのように、彼女の存在そのものを完全に地下へ隠し続ける必要もなくなるわけだ」

「彼女自身がうまく乗ってくれれば、だけどね――」

 もし彼女が悪名高き『大ジオン仏道』から得た捕虜であることが明るみに出れば、軍当局が彼女を尋問することになる。そうなれば今まで隠し通してきた『力』の秘密も、軍の知るところとなってしまう。

 それだけは、絶対に避けねばならない。

「しばらくの間は多少変な言動があっても、産後でロブにも雑に扱われて精神的に不安定、ってことにもできるしね――そうは言っても、いずれは彼女自身にもおかしな言動を控えてもらって、静かにしてもらわにゃならん。脱走や反逆されてもマズい。彼女がおとなしくこのまま立派なママになって、私らの言うことに従ってくれればいいんだけどね」

「どうかな。何しろあの『大ジオン仏道』だからな……いずれにせよ、しばらくはこのまま監禁しながら経過観察というわけだ」

 マコトは壁に背中を預け、天井を見つめた。P-04基地司令、ユン・ソギル准将から直々に言い渡されたマコトの『強制』休暇はまだ一週間以上残っている。それだけの時間の間に、これから何が出来るだろうか。

「「ふあ……」」

 思わず出てきたあくびが、二人の間で同時にハモる。女たちは目を見合わせて笑った。

「とりあえず、……この子だな」

「そうだねぇ。見た感じ、健康そのものだけど……受精卵からたった一日でこうなったこの子がこれからどうなるのかも、しっかり見ていかないとねえ」

「貴重な実験材料というわけだ。――あの子と同じように」

 話がまとまったところで、マコトは皮肉げに言うと赤子を抱いて腰を上げた。分娩室へ入っていく。

 銀髪の美少女が大きくM字に脚を開いた姿勢のまま、手足を分娩台へ拘束されていた。赤子をひり出したばかりの膣は真っ赤に大きく開き、空洞になった腹もまだ膨らみきったままだ。

 さらに大きくぱんぱんに張った二つの爆乳の頂には、かつて二人が彼女を捕らえて凌辱していた間の上品可憐な薄桃色など見る影もなかった。無残にどす黒く変色し、ぶつぶつの浮いた真っ黒な乳輪から溢れた母乳が、白い肌を伝い落ちている。

 ロブの話を聞く限り、彼女は昨日まで処女だったらしい。今回が初産だったのであろう少女は、虚ろなままの瞳をマコトの腕の中の赤子へ向けた。

「……、して……」

「ん?」

出産を終えたばかりの憔悴しきった表情の中で、なお可憐な唇が言葉を紡ぐ。

「私の、赤子、……かえして……」

「ふむ」

 分娩台に拘束された母親からの要求に、マコトは数歩の距離で足を止めた。無表情のまま、産後大きく開けた膣を剥き出しにしたままの少女に語りかける。

「君が今まで『大ジオン仏道』の名の下に何百人、あるいは何千人、何万人を殺してきたのかは知らないが――」

「…………」

 冷たく投げ下ろされてくる言葉に、少女の表情が硬くなる。だがマコトは言いながら、少女から両腕の拘束を解いた。

「なっ――」

「その子に罪はない」

 そしてマコトは自由を取り戻した腕に泣きじゃくる赤子を渡し、その口元を母乳を溢れさせる黒い乳首へと導いてやった。

「んっ……」

 泣きわめいていた赤子がまだ盲目のまま、頬の感触だけで乳首の位置を探り当てる。そのまま口に含んだ。少女の乳輪は乳房に比例して大きく、赤子の小さな口には収まりきらずに、乳輪からにじみ出た母乳はその頬を伝い落ちては濡らしていく。だが潤沢な母乳は赤子の唇から吸われるたびに後から湧き出して、その喉奥へごくごくと落ちていった。

「あっ、……あああっ……」

 存外に強い力で我が子に乳首を吸われ、分厚く大きな乳肉にたっぷり貯め込まれた母乳を吸い出されていく快感に身を委ねながら、少女の表情は急速に慈悲を帯びていく。

「ああ、……私の、……娘……」

「人は皆、こうして生まれる。君がこれまで『完全成仏』させてきた者たちも皆そうだ」

「…………」

「私たちは、お前たちジオンのようにはならない。だから君が『大ジオン仏道』の名の下に犯した罪は、これからしっかり償ってもらう。まずはその罪無き赤子を、健やかに育てあげるところから、な」

 分娩台のキャスターからロックを外すと、マコトは授乳する母子を載せたまま押し出しはじめた。そのままウェンディが開けた扉をくぐり、再び彼女を監禁するための私設独房へ向けて進んでいく。

「敵の男に捕らわれて犯され、孕んだ娘を産む。それが力を持ちながら戦場に散った女たちの、宿命ということか――」

 誰にも聞こえない小さな声で、マコトはひとり静かに呟いた。

 

 

 

「アシュリー・ザ・プー」

 P-04中央港湾からほど近い公園区画。緑と光に溢れた爽やかな空間の一角には、ベンチに横たわる少女の全身から溢れ出して地を這う、真っ黒な邪気が澱んでいた。

 RB-79『ボール』など連邦軍から払い下げられた旧式機動兵器を装備し、宇宙での警備業務に携わる民間警備会社――ヴィック・ウェリントン・エアロスペース・セキュリティ社ことVWASS(ヴィワス)。

 そのVWASSに所属するボールパイロットの少女、アシュリー・スコット予備上等兵は私物一式の入ったスポーツバッグを近くの地面に放り投げたまま、ベンチに横たわりながら溶解する不吉な不審物と化していた。

 まず、オーラが腐っている。

 普段から考えの浅い言動と落ち着きの無い行動にさえもう少し気を付けていれば、相応に可愛いと言われることもある程度には整った顔立ちは、今やどす黒い陰気さ一色に押し潰されていた。それなりに人もいる公園区画内で、彼女の周りだけが何かに呪われたように人を避けている。

「アシュリー・ザ・プー/ジョブレス・アンド・ユースレス……」

 呪言の肩書きが増えた。

 虚ろな瞳のまま、少女はひたすら呪言ばかりを垂れ流していく。

 彼女がここまで腐り落ちてしまったすべての原因は昨夜、直属上司――テッド・バートン警備班長とVWASS本社の通話を立ち聞きしてしまったことにあった。

 

『えっ……!? ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか、課長!』

『だから、いま言ったとおりだ。『キャリフォルニヤの悪夢』だったか? 戦闘記録は見させてもらった――やられたものだな。今後、君の班は再編だ。乗機を破壊されたのはスコット予備上等兵だったな。現在の情勢下で換えの機体は用意できん。彼女とは現時点を持って契約を解除。給与を精算し、現地解散せよ』

『そ、そんな! アイツは勇敢に職務を果たしたんです! なのにこんな出先で急にクビにして放り出せなんて、そんな――』

『情勢と方針が変わったんだ! 予算圧縮だよ。機体の無いパイロットを維持しておける余裕は、今のウチにはない。だいたい彼女、いくら今の時代でも若すぎるだろう。あの若さなら、仕事なんてほかにいくらでもある――それとも君、他の誰かを選んでクビにしてみるか?』

『そ、それは……っ……』

『…………』

 

 聞いているうちに頭が真っ白になって、気づけばアシュリーは手荷物一式をまとめてここにいた。

 目が完全に死んでいる。

 アシュリーが訓練を終え、ボールに乗り始めてからまだ一年に満たない。だが、あの球形の機動兵器は、自分の手足となって動いてくれていた。ボールに手らしきものはあっても足などない――ついでに首もない――が、そんなことなど気にならないくらいに、彼女はボールに馴染んでいたのだ。

 そのボールが、無い。

 もう、ボールに乗れない。

「『玉無し』アシュリー……デッドボールで、ノーボール……」

 行先不明の意味不明な呪詛ばかりを再び重ねながら、しかし自身の行く先も思いつかずに、少女はただ目と口を開けたまま公園の天井を眺めている。

 どうすればいいのだろう。せっかく連邦軍の素晴らしいジムⅡ女性パイロットに出会って、師匠と仰ごうとしていたのに。確かに自分にあんなに立派なバストはないが、そもそも機体がなければ、どうすることも出来ないではないか。

 何なのだ、これは。どうすればいいのだ。とりあえず、豊胸でもすればよいというのか。

 その異様なオーラを気味悪がって誰ひとり近付こうとせず、公園管理者なり官憲なりを呼んでくるべきではないかとひそひそとざわめくばかりの来客たちから遠巻きにされていた少女の頭上へ、にわかに人の影がかかった。

「…………?」

 逆光で、顔はよく見えない――しかし、アシュリーとほぼ同年代の少女のようだ。

 洒落た私服に亜麻色の長髪をなびかせ、なかなかスタイルが良い。背後にもう二人、やはりほぼ同年代と思しき少女たちを従えている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 女子三人組のリーダー格らしき美少女は目を眇めると、直球の言葉をアシュリーへまっすぐ投げおろしてきた。

「あの、さ。――VWASSをクビになったボール乗りの娘って、アンタ?」

「ぐふっ!!」

「ちょっ、ちょっとフィオ!!」

 その少女のダイレクトな物言いが、まだ開いたばかりのアシュリーの傷口を深く抉った。

 悶絶したアシュリーを前に、もう一人の少女が慌てて声をかけた少女の腕を掴んで割り込む。

「い、言い方がストレートすぎるよっ。何もそんな、傷口に塩を塗り込むような言い方で行かなくても――」

「お姉ちゃん、むちゃくちゃだよ! なんでいつもそんなに機雷原をまっすぐ突っ切るような最短距離ばかりを行こうとするのっ」

 豊満な少女と小柄な少女の二人が、彼女たちがフィオと呼んだ少女へすがりつくようにして諫めにかかった。だがフィオは二人に耳を貸さず、あくまで強気のまま言葉を続ける。

「ふん。その分だと噂通り、図星みたいね。ねえ。行くところの当てがないなら――あなた、私のところでもう一度ボールに乗ってみない」

「えっ……?」

 ボール。

 その言葉に、ぴく、とアシュリーの耳が動く。

 それから、ごろん、と体ごと転がって少女を向いた。何か信じられないようなものでも見るような目で、ベンチからフィオを見上げている。公園区画天井の照明を背負って立つ少女は、アシュリーからは後光が差しているかのように見えた。

「私はフィオ・アレント。このP-04一帯の暗礁宙域で活動してる、女子だけで組んだジャンク回収業者チームのリーダーよ。今やる気と根性のある、ボール乗りの女の子が必要なの。人並みには、給料も出す――あんた。もしやる気と根性がまだあるのなら、ウチに、来なさい」

「…………」

 ぱちぱち、とアシュリーの瞳が瞬く。しばし二人の少女の視線が交錯したまま、時間が止まった。

「……また、ボールに、……乗れるの……?」

「任せて。機体はある」

「……いつ、……乗れるの……?」

「出来るだけ早く。準備が出来たらすぐに。慣らし運転なら、今日これからでもいい」

「…………」

 ねずみ花火のような瞬発力でぎゅるんと回転し、ごろんっ、とアシュリーが地面へ転がり落ちた。

「ひいッ」

 小柄な少女がアシュリーの奇行に怯えた悲鳴を上げながら跳び退いたが、フィオは一歩も引かない。芝生の上を生きた屍のように肘で這いずって迫りながら、アシュリーがフィオのズボンの裾を掴む。凛々しく毅然としたフィオの眼差しに視線を重ね返しながら、靴のつま先近くで呟いた。

「アシュリー・スコット、……そのボール、乗りたい」

「オッケー。交渉成立ね」

 フィオが屈んでアシュリーの手を取り、ぐっと力強く引いた。その場に立ち上がらせる。

「港湾区画に私たちの事務所があるの。まずはそこへ行きましょう。――よろしくね、アシュリー」

 

 

 

 P-04中心岩塊を中心に、自転車の車輪とそのスポークのように広がる円環軌条。その車輪に相当する円環部に連なるプラント群のひとつから、3機のRGM-79R『ジムⅡ』が発進した。

 第113整備場から出たトラキアMS隊のジムⅡ3機は、誘導に従いながら中心岩塊内の中央基地へ進入していく。

 湾口周囲の宙域で哨戒に当たるMS隊を通り抜けて軍港区画内に入る。MS用エアロックを抜けた先の基地施設内部では、サラミス改級の巡洋艦や駆逐艦、そしてコロンブス級の補給艦や輸送艦、さらには軽空母型までが縦横に接岸していた。83年の観艦式以降の基準なら、停泊中の艦隊だけでも相当の規模だといえた。壮観ではあったが、ここに母艦トラキアの姿はない。改修工事はおそらく別の区画で行われているのだろう。

 基地管制側から指定された場所にMSを駐機して降り、壁のリフトグリップを掴んで人員ゲート前へ向かうと、その周囲にも4機のMSが警戒に就いていた。ルウム農協所属の予備役部隊らしきジムⅡが2機と、現役部隊のRMS-106『ハイザック』が2機。いずれも武装したまま左右に分かれて、それぞれがあたかも互いに睨み合うようにしながら屹立している。

「基地の内部にまで警備のMS隊を常駐させられるなんて、よっぽどMSが余っているのかな……」

「気を付けた方がいいよ、クライネ伍長」

 ヘルメットを外して何気なく呟いたところを同僚のシュン・カーペンター伍長に小声で呼びかけられて、アイネ・クライネ伍長は振り向いた。

「もう聞いてると思うけど……ここの連邦軍の事情は、いろいろと複雑なんだ」

「うん、聞いてる。『中央派』と『現地派』だよね」

 明快に回答したアイネにシュンは一瞬面食らい、それから苦笑しながら呟いた。

「その言葉も、あまり大きな声では言わない方がいいよ。特にこの辺りではね。かなり根の深い話だから……」

 言いながら、シュンが左右で頭上を覆うように立つジムⅡとハイザックを交互に一瞥すると、アイネも察して押し黙る。先日接触し、ついには交戦にまで至った『エゥーゴ』のことを思い出す――彼らも地球連邦軍だった。

 地球連邦軍に内部分裂など、無い。

 そういう建前が必要なことは、若いアイネにも理解できてはいた。

 壊滅した旧サイド5の復興に一年戦争中から長く尽くしてきた、同地難民出身者が主体の旧トラキア隊を中核とする『現地派』。その現地派がルウム農協とともに力を蓄えた頃、不意に出現した強敵であるジオン残党軍「ルスラン・フリート」への対抗を名目としてP-04へ地球連邦軍中央から『進駐』してきた、ヨランダ・ウォレン准将率いる『中央派』。

 両者が対立するのは、確かに理屈としては理解できる。だがルスラン・フリートとエゥーゴそれぞれの脅威を最前線で感じてきたアイネにとっては、そんな対立は脇に置いて共闘すべき、としか思えないのだった。

「本当の敵を見失ったままで、市民を守ることなんて出来ないのに……」

「じゃあ、私は入門手続きをしてくるから。……カーペンター伍長、そこの役立たずをよろしく」

「了解です、エイムズ軍曹」

「…………」

 アイネ機の補助席に便乗してきたマリエル・エイムズ軍曹が、この場の4人の最先任としてゲートの受付へ向かった。トラキアMS隊のパイロット中での最先任であるロブ・サントス伍長は寝不足なのか何なのか、原因はさっぱり分からないがとにかく腑抜けたようになったままだった。まだヘルメットすら外していない。昨日の夕食頃から前触れなくこんな感じになっていたが、一晩過ぎても治っていない。あまりに艦上生活に慣れ過ぎてしまい、急な環境の変化で眠れなかったのだろうか。

 最先任のマリエルが去り、ぱっと見では廃人同様のロブと3人で残されると、シュンとアイネの2人は押し黙った。

「大ジオン仏道」に撃墜されて宇宙を漂流した後の興奮から、本来あるべき何もかもをすっ飛ばし、理不尽に欲情したアイネによっていきなりの情事から入った出会い。民間貨物船を襲った「キャリフォルニヤの悪夢」、そしてエゥーゴのジム改もどきとの戦い。一対一の模擬戦訓練。不審船事件に端を発する「大ジオン仏道」とルスラン・フリートとの戦い、エゥーゴとの再戦――。

 立て続けに訪れた濃密な実戦で互いの背中を預け合う中で、アイネは自分の奥でシュンに対する不思議な感情が育っているのを感じていた。そしてルウム農協所属の美少女パイロット二人がシュンに絡んできたとき思わず前に出てしまったことが、今や何より強く彼女の想いを裏付けてしまっている。

 同時に、死と隣り合わせの環境で他者の命をも預かる職業軍人として、身近な戦友に対してこんな感情を抱くことは本当に正しいのだろうか、という思いも。

「え、えっと……」

 ロブが実質的に死んでいるためもはや二人きりに等しい空間で、アイネは次の言葉に迷って狼狽える。こうして二人だけになるのはいつ以来なのだろう。シュンの方もうまく言葉を出せず、落ち着かない素振りを隠し切れない。時間だけが無為に過ぎていく。

 そんなとき、視界の隅で影が動いた。

「あっれぇ? 誰かと思えば……あはっ、やばっ! アイネじゃーん!」

「ふえっ――に、ニノン!?」

「おっすアイネー、ひさしぶりー! 元気してたー? 相変わらずでっかいねー!」

 沈黙の空気を破ったのは、亜麻色のボブカットを揺らす少女だった。アイネたちと同じ、連邦軍制式パイロットスーツを着ている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 美少女と言っていいだろう。小作りな顔立ちは愛らしく整いながら精気に溢れ、全身に軍人離れした魅力と愛嬌の気配をまとっている。階級章はアイネらと同じ伍長であることを示していた。

「に、ニノン……久しぶり。元気だった?」

「やだなー、そんなに引かないでよぉ。それにしてもアイネは相変わらず凄いねー、ご立派ご立派。遠くからでもほんの一目で、あ、アイネだって分かったもん。ほんと、便利でいいね!」

「い、いやー……アハハハハ……」

 ニノンと呼ばれた少女が人懐こそうにぐいぐい迫ってくる一方で、アイネは半歩引いていた。

 ニノン・ルクレール伍長は、アイネのMSパイロット訓練生課程の同期生だった。

 可愛く垢抜けた美貌に明るい性格、そして高い操縦技術で、ニノンは同期生たちの『姫』的な立場に収まっていた。目的のために女子二人だけでひたすら黙々と邁進し続けたアイネとシエルが『陰』の二人だったとすれば、ニノンらの男女混成グループはまさに『陽』の者たちと言えただろう。

 ニノンらのグループは他にももう一人、少し目立たない感じの少女――確か、ケイティとかいう名だった――を加えながら、同期生の男たちの最上位層を網羅するという派手なものだった。

 だが課程修了間際、ひょんなことからシエルがそのグループと激突。アイネもこれに加勢した。

 最終的な決着の場は、修了課題の模擬MS戦だった。そこでシエルがニノンを取り巻く男たちを片っ端から撃墜して壊滅させ、それまでの成績評価を逆転。同期主席の座を不動のものとしたのだった。

 さすがに実際に殺し合ったり殴り合ったりしたわけではないにせよ、そうした経緯があったため、アイネにはニノンに対してちょっとした感情的な距離感がある。だがニノンの方はまったくそんなわだかまりなど感じさせない態度で、アイネとの距離をぐいっと詰めてきた。

「と、ところでニノンの方こそ、なんでここに……? 確か任地希望、新サイド5で出して通ってなかったっけ」

「いやそれがさー、聞いてよ。異動だよ異動! 先週だよ? 最初に部隊配属されてすぐだったのに、あっという間だよ? いくらなんでも早すぎー。でもお偉いさんから、新サイド4には今どうしてもお前の力が必要なんだ! とか言われちゃってぇ。そこまで言われるなら、まー仕方ないかなーって」

「アハハハハ……そうなんだ……」

 いたずらっぽくボブカットの髪をかき上げてみせるニノンも、確かアイネやシエルと同じく旧ルウム出身のはずだ。だが彼女は危険な暗礁宙域と化した新サイド4での勤務を嫌い、一年戦争で中立を保つことで平和を守った新サイド5――旧サイド6リーアを希望した。アイネらとは真逆の判断基準だったと言える。

 アイネの目から見ても、ニノンは可愛い。過去のあれこれを差し引いても、強く美しい女性と可愛い女子には目がないアイネとしてはかなりの高得点を付けざるを得ないのがニノンだった。

 そしてニノンは屈託なく、傍らのシュンに向き直った。

「こんにちはー! 私、ニノン・ルクレールっていいまーす! キミはー、アイネの同僚ですかー?」

「えっ……え、ええ。シュン・カーペンター伍長です。クライネ伍長と同じ小隊です。彼女には、いつもお世話に――」

「えーっ、そうなのー? いいなー、アイネ羨ましい! こんなかっこいー子と一緒に勤務できてっ」

 輝くばかりの笑顔を振りまきながら、ニノンは上目遣いにシュンを見つめた。

 パイロットスーツの輪郭に浮き出る少女の肉体は細く引き締まりながら、それでいて胸は形よく膨らんで確かな甘みを主張しつつ、ニノンが大げさに動くと二つぷるんと揺れてのける。

 アイネのそれよりはずっと控えめながら、確かに女としての主張をやってのける胸元。本人の愛らしい顔立ちによく似合う均整の取れた肉体美は訓練隊時代、アイネに劣らず多くの男たちを魅了してきた。

「私のことはニノン、って呼んでくれていいよ! 私もシュン、って呼んでいいかなー?」

「えっ。いや……その……」

「…………」

 その強烈な「陽」のエネルギーに押されてシュンは思わず半歩引いたが、同時に彼の顔に差した微かな赤みをアイネは見逃さなかった。きゅっと目尻が上がる。

「そ、そうでもないけど」

「おっ?」

 アイネは横から言いながら、少し強ばった表情で二人の間に決然と割り込んだ。靴裏の電磁石を床に踏みしめながらアイネがどんと張ってのけた胸のド迫力に、ニノンはおおと呟きながら押し返されるように後ろへ下がった。目を細め、再びアイネに視線を戻す。

「……へえ……。……ふーん……?」

「な、なに……」

 ニノンの口元に変わらぬ笑みから何か邪悪な気配を感じながらも、アイネはシュンとの間に立ちはだかりつつ、最大限の何気なさを装ってみせた。

 訓練生課程の最後に激突する前から、アイネはニノンを苦手にしていた。どうにもペースを合わせられないのだ。あの頃のニノンはいつもたいてい誰か取り巻きを連れていて、今のように一対一で会話することはほとんどなかったはずだった。だが、今も本当にうまく間が持たせられない。どう切り返せば良いのかも。

 この先、いったいどうすれば――

「ふーん……? でもさー、アイネが元気そうで良かったよー。ほら、訓練隊でいつも一緒にいたあの子と別の部隊になっちゃったら、アイネみたいなかわいー娘は速攻で部隊のスケベなオジサンたちの餌食になっちゃうんじゃないかなー、ってみんな心配してたからー」

「む、無駄に心配しすぎでしょ。全然そんなこと、なかったから……ニノンの方こそ、そのへん大変じゃなかったの」

 最初に配属された巡洋艦アバリスでのわずかな時間に、周囲を覆っていた異様な気配を思い出し、アイネは一瞬の嫌悪を表情に浮かべながらも巧みに切り返した。

 いくら陽気で社交的かつ才気煥発、世知に長けてもいるとはいっても、ニノンもまたわずか18歳の少女に過ぎないのだ。男性優位の軍隊社会にニノンほどの美少女が放り込まれて、ろくな波風が立たずに済んだとも思えない。うまく切り抜けることは出来たのだろうか。

「えー? それは――あ。やば……それじゃアイネとシュン君、またっ。今度どっかで会ったらこの辺の話、いろいろ教えてね。んじゃっ!」

「えっ? ん、んじゃ」

 ニノンはしゅたっ、と片手を立てると、現れたとき同様、素早く壁面のリフトグリップを掴んで離脱していった。自然かつ優雅でありながら素早い、見事な加速だった。シュンとともにアイネは、ぎこちなく手を振りながらその背中を見送る。

「――今の、ルクレールじゃなかった? なんでこんなとこにアイツがいるの」

「シエル!?」

 言いながら歩み寄ってきたのは、怪訝そうな顔のシエル・カディス伍長だった。

「さ、さあ……。ところで、シエルはなんでここに?」

「なんでって。単に任務で呼ばれたからだけど……アイネたちもそうじゃないの?」

 呆れたように言ってのけるシエルの視線の先で、すでにニノンの後ろ姿は基地内のどこかへ消えていた。素早い。

 そしてアイネは、直感的に理解する。

 ――逃げたな。

 訓練生課程の最後に生じた大激突で、反ニノン派の中核となったのがシエルだった。もっとも反ニノン派と言っても、実質的にはシエルとアイネの二人しかいなかったのだが。

 最後の模擬戦で鬼神のごとき戦いぶりを見せつけ、ニノンが侍らせていた同期の男子たちを壊滅状態にさせたシエルに対して、ニノンが強烈な苦手意識を持っていることをアイネは知っていた。

 つまりニノンはアイネに勝ち、シエルはニノンに勝つ、ということなのだろう。しかし、だからといってアイネはシエルに勝つ、とは言えないので、この三人で『同期三竦み』とまでは言えないのが悲しいところではあるのだが。

「ども」

「ど、どうも」

 そしてシエルは眼鏡の奥からちら、とシュンに一瞥くれると、軽く一言の挨拶だけで会話を打ち切りながら、自然にシュンとアイネの間へ入り込む。シエルの髪のにおいを眼下に感じると、安心感が満ちていくのが分かって、アイネは思わず微笑んだ。

「えへへ」

「まったく、何なの……」

 アイネの緩んだ顔を呆れたように一瞥しながら、シエルがちらと視線を動かす。そこへ警備室で通行証を取得したマリエルが戻ってきた。

「待たせた、ちょっと混んでてね。ちゃんと全員いる? IDを配る――カディス伍長。あなたも来てたの」

「おはようございます、エイムズ軍曹。私も本日0900、第7会議室への出頭を命じられました」

「あれ? それって――」

「なるほど。やっぱり、行先は同じか」

「『やっぱり』?」

 目を丸くするアイネの眼下でマリエルは頷くと、IDカードをシエルにも渡した。

「警備の方から、あなたの分もまとめて受領してくれ、って言われてね――どうやら、同じ任務らしい」

 




※イラスト:b10b10アットzoho.com様
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