RB-79『ボール』の頭部で、無反動砲が砲焔を吐いた。
火光を曳きながら弾道が暗礁宙域の闇を真っ直ぐに走る。
砲撃に狙われた標的は1G級の――地球にまっすぐ落ち続けるほどの加速を保ちながら、鮮やかに脚部を振って、主推進軸を一気に大きく引ん曲げた。
同時に、その背中と両足で火光が爆ぜる。
瞬間的に10G級の大加速を爆発させるや、敵影は火器管制装置が示す未来位置から瞬時に遠く跳ね去った。曳光弾が一瞬遅れて虚空を貫く。
「外したっ!?」
照準から発砲、そして飛翔した高速砲弾が照準点を射貫くまでのわずかな間に、敵機は離脱していた。強力な熱核ロケットが生み出すその高機動を必死に追いながら、射手の少年は丸い乗機の姿勢を立て直し、貧弱な化学ロケットを燃やしてその後方へ必死に食らいついていく。
「速い……!」
MS-06F『ザクⅡ』。
一年戦争の全体を通じて活躍したジオン公国軍主力MSであり、境界宙域ではジオン残党軍ルスラン・フリートが傘下の海賊組織に大盤振る舞いで蒔いた機体だ。
つまりは境界漁民が境界宙域で敵として、もっとも出会しやすいMSだった。
軍用機の基準ならば紛れもなく旧式。ルスラン・フリートの新鋭機であるMS-06F3『ザク・ファドラン』とは、外観は近くとも性能差は大きい。例えば、こちらが地球連邦軍の第一線を張るRGM-79R『ジムⅡ』やRMS-106『ハイザック』であれば、よほどの悪条件でもなければ楽な相手と言えたはずだ。
だが、今この少年――ボナ・アレントが操る機体はそんな一線級の軍用MSではなく、それどころかMSでさえもない、MP――モビルポッドなのだった。
「こいつの砲だって、当たれば一撃のはずなのに……っ!」
再び機動の隙間に狙いを定め、一瞬の好機を狙って無反動砲が火を噴く。
ボールの頭頂に備えられた無反動式の重砲は、砲口から高初速弾と砲口炎を、そして砲尾からも同じ運動量の砲炎を吐いて、ボールの機体を後転させることなく射撃の反動を相殺する。
だがザクⅡは、軽く腰を捻りながらバックパックを噴かせただけで回避した。当たらない。
このザクⅡは、ザクマシンガンのような射撃兵装を持っていない。つまり、十分に接近しない限りは攻撃の手段がない。それだけが今、ボナが一方的な攻撃を継続できている理由だった。
そして同時に攻撃をことごとく外されているのも、その身軽さゆえか。
混沌たる新サイド4暗礁宙域に打ち込まれた、地球連邦軍の牙城――P-04。そこでは旧サイド5暗礁宙域での危険なジャンク回収への参加を希望する事業者たちへ、連邦軍への予備役登録を条件に『ボール』を貸与している。
ボナたちのような大きな後ろ盾もない少年少女が、危険だが同時に大きな収益も期待できる、いわゆる『境界漁民』事業に参入できているのはそれが理由だ。
ようやく見つけた『宝船』を手に出来るかと思った瞬間、何度も立ちはだかっては事業を阻んできた忌々しい敵。
執拗に女を狙うという『亡霊』――やっと取れた背中なのだ。いまザクに離されるわけにはいかない。敵が態勢を整え反撃に転じてくる前に、砲で仕留める。
そして、姉に、仲間たちに――認めてもらう。
照準の中であざ笑うように躍るザクⅡの背中を睨みつけながら、少年のボールは化学ロケットから100トン越えの大推力を振り絞って追いすがった。
スラスターが、フレームが不気味に叫ぶ。真空の宇宙で機体構造と薄いノーマルスーツを通して、ボナはボールの悲鳴を聞く。
「今のうちに、ここで仕留めなきゃ――ぐっ!」
加速力は圧倒的に向こうが上だ。振り切られまいと焦りながらここぞと加速したボナの機体に、ガン、と何かが激突、跳ね飛ぶ。
右後方に流れ去る影をカメラが追えば、車体のひしゃげたエレカだった。軌道上にいたのか? 気づかなかった。
そして同時に、さっと少年に悪寒が走る。
――その一瞬で、敵が消えた。
暗礁宙域。
かつての一年戦争緒戦、ルウム戦役で殲滅された旧ルウム――旧サイド5宙域。
ここでは破壊され分解したスペースコロニーの残骸が、無数に浮遊、漂流している。
MSが隠れるには、あまりにも容易な場所だ。
「――あっ、――あっ、ああっ……!?」
その中には20メートル近いMSが全身をすっぽり隠せるほどの、巨大な構造物も少なくない。衝突に気を取られた一瞬に、敵機はそのどこかに紛れ込んでいた。
途端にどっと吹き出てきた夥しい汗が、中古品で旧式の――つまりは一年戦争の大破壊で技術退行が生じる前に作られた、古いが薄手で高性能な連邦軍パイロットスーツの下で、少年の素肌を濡らしていく。
攻守が逆転した。
そしてボールは、守勢に立ってザクと戦うにはあまりにも脆い機体だ。
本来、前衛を務める友軍――RGM-79『ジム』のようなMSと編隊を組み、敵機が前衛に拘束されている間に、その後方となる中距離から横槍を入れるかたちで敵機を狙撃、破壊する。ボールはそのために設計されている。
ボールの砲は強力で、装甲も決して悪くはない。だが化学式ロケットの非力さと可変スラスタたる脚部の欠落は、機動性と運動性の絶対的な低さを意味していた。
接近されたら、終わりだ。
ボールの機体各所に設けられた、姿勢制御用のバーニアノズルを小刻みに噴かして、少年はキャノピー越しに肉眼で必死に敵を探した。ボールはセンサー性能も貧弱だ。
そして、敵は死角から訪れた。
「あっ――」
気づいたときにはあのザクⅡが、赤熱したヒートホークを大きく振りかぶっていた。
近すぎた。
無反動砲の指向も、回避運動も間に合わない。
時間ごとすべてを凍りつかせた恐怖の中で、赤く燃えさかる斧刃がキャノピーの向こうからまっすぐに迫って――
一気に真横へ吹き飛んだ。
大質量の強烈な激突が、ザクⅡの機体を大きく跳ね飛ばしていた。
ボールだ。最大加速で突入してきたボールが、ザクⅡに強烈な体当たりを掛けたのだった。
『ボナっ!!』
「ナイア姉ちゃん?!」
ミノフスキー粒子で至近距離でもノイズ混じりの通信回線に、凛とした少女の闘志に満ちた叫びが響く。
ナイア――そう呼ばれた少女のボールは、衝突の強烈な衝撃でスピンするボール全身と手先のバーニア群を巧みに噴いて制動、必殺の頭部無反動砲をザクⅡへ突き付けようとした。ただ鮮やかとしか言いようのない操縦機動。
だがザクⅡは劣らず機敏に反応していた。ヒートホークを振り上げながらスラスターを噴かし、即座に間合を詰めて無反動砲を殺しにかかる。
『それならあっ!!』
照準射撃が間に合わないと悟るや否や、ボールも『跳ねた』。自ら再びザクⅡの内懐へと飛び込んでいく。
虚を突かれたか、ザクⅡのヒートホークはボールの突入に間に合わない。両機は再び激突。塗装剤が剥げ落ち、装甲板から火花となって飛び散る。
だが、今度は離れない。
ボールは獰猛な小型肉食獣のように、そのマニピュレータをザクへ強引に絡み付けさせながら『爪』を立てていた。マニピュレータの尖端基部、爪と爪との間がぱっと輝く。
ボールの『手』――通常は重心遠点からの姿勢制御に活用されるバーニア・ノズルであり、そして、作業用のバーナー・トーチとしても使われる部分――ボールはそこをザクⅡの胸部に突きつけ、装甲を焼き切ろうとしていた。
だが『腕力』ではザクⅡが勝る。ビームやヒート兵器のように素早く焼き切る前に腕を取られた。ボールの腕フレームと肘関節アクチュエータが、悲鳴のように火花を放つ。
ザクⅡとボールは互いに凶器を突き付けあいながら激しく暴れ、それでも縺れ合ったまま、暗礁群の遥か向こうへと流れていく。ボナの機体から、あっという間に離れていく。
「な、ナイア姉ちゃん! ナイア姉ちゃんっ!!」
『来るな! 行け! 行けぇ、ボナ! ――いい男になれよッ!!』
同時にその奥の彼方で、新たなスラスター光の群れが輝いた。
敵だ。
宇宙海賊か、ルスラン・フリート正規軍かは分からない。だが間違いなく、境界宙域でのこの戦闘光を見つけ、嗅ぎ付けてきた連中だ。街灯に集る羽虫のように寄って来る。その数はこれからさらに増えていく。
駆けつけてきた、また別のボールから通信が入った。
『も、もうダメ――ボナくん、下がろう! 私たちも、もう逃げなきゃっ!!』
「で、でも! ナイア姉ちゃんが――っ」
機体の態勢を整えて狙撃を試みながらも、離れていく2機と迫り来る敵を前に、ボナはただその状況を傍観するしかない。その傍らに、マルミン・ポリンのボールが並んだ。マルミンは油断なく周囲を警戒しながら、普段のおっとりした口調に最大限の緊張をにじませながら、ボナに撤退を促してくる。
撤退? ここで、撤退しなければならないのか。負債ばかりが膨らむ中で、またしても『宝船』を得られないまま――ナイアまでもを失おうとしているまま。
『ボナっ!』
「ぐうっ!?」
少女の怒声に間髪入れず、ボールの横面を張られたような衝撃がボナの体を貫いた。もう一機のボールが片腕を手荒くボナ機の側面に叩きつけていた。そのまま接触回線を流し込んでくる。
『いい!? ナイアは後で必ず迎えにいく! だから、今は下がるっ! いいね!!』
「お、お姉ちゃん――」
有無を言わせぬ姉の口調。強い意志に満ちた言葉のまま、フィオ・アレントはマニピュレータでボナ機を掴み、無理矢理に後ろを向かせる。今回の漁で協力している、ジャンク回収母船の方向へ。
「…………!!」
姉とマルミンがボールのスラスターを噴かせると、ボナもそれに続いた。
『3機? お前らだけか!? とにかく、ずらかるぞ! 早く乗れ、お嬢ちゃんたち!』
3機のボールは全速力で戦闘空域を脱出し、すでに自らも離脱に向けた初期加速を開始したパイソン90級のジャンク母船に飛び込んでいく。
海賊どもが主力機動兵器として多用するガトル戦闘爆撃機は、並みのMSより俊足だ。すぐに息切れする化学ロケットのボールだけでここから逃げ切ろうとするのは無謀以外の何者でもない。熱核ロケットを備えた艦船の逃げ足が、境界漁民には必須だった。
1Gを越える大推力でぐんぐんと加速していく回収母船の上甲板へ、3機は転がりこむように着艦した。振り向けば、背後ではスラスターの光条がさらに増えていた。
爆発らしき閃光は、見えない。
『……ナイア……』
ボナは加速していく視界の中で対空警戒を続けながら、親友を呼ぶ姉の静かな咽びを聞いた。いつもなら皆を明るく優しく励ましてくれるマルミンも無言のまま、吐息の中に同じ気配をにじませていた。
――もし、パティが抜けていなかったら。
まだ初仕事のボナをパティの穴埋めに入れるのではなく、チームワークの出来上がったいつもの面子で宝船にアタックできていたら。
早々に『亡霊』を撃退し、あるいはそもそも『亡霊』に見つかることすらなく、『宝船』を押さえて皆で凱旋できていたのだろうか。
ナイアを――あの凛々しく気高く、誰より強く頼もしかった美しい少女を、失うこともなかったのだろうか。
『……ナイアは、生きてる』
回収母船が地球連邦軍の支配宙域へ近づき、追撃の気配も遠退きはじめた頃、フィオはようやくその一言だけを発した。
『サバイバルキットだって、今日もボールにちゃんと十日分積んでた。ナイアは今、どこかの瓦礫に突っ込んだまま、ただ動けなくなってるだけで、うまく隠れて敵をやり過ごしながら、今も私たちを待ってる。――ナイアが、あんなふざけた変態野郎のザクなんかに――間抜けな海賊どもなんかに、やられるわけない』
『フィオ……』
「――お姉ちゃん」
間違いなく強い意志と、そして執念を秘めた言葉。それはアレント廃品回収社の社長として皆を力強く引っ張っていくフィオの、いつも通りの力強さそのもので、それはボナを微かに安心させた。
だが、どうするというのだろうか。
すでにパティは去り、今やナイアまでいなくなってしまった。
素人同然の自分まで頭数に入れて、ようやくボール3機。何が出来るのだろう。
『逃げ切った、……のか……?』
『あれが『女を狙う亡霊』……? 何だよこれ、いくらなんでも危なすぎるだろ……』
『船長……あいつらの仕事、次も請けるんですか?』
「…………」
通信を切り忘れたのか、接触回線越しに船橋から漏れ聞こえてくる不穏な会話に、ボナは身を震わせる。
実働部隊の社員は少女ばかりとはいえ、その巧みなボール捌きの実力で鳴らして数々の仕事を成功させてきたアレント社だったが、あの『亡霊』に目を付けられてからはさっぱり冴えない。
『宝船』に深入りしすぎたからか、赤字も借り入れも嵩んでいる。
もし、いま契約している船にも次の仕事を断られたら――果たして、次の漁に船を出してくれる船主はいるのだろうか。ボールだけで、境界宙域の漁は出来ないのだ。
いくら考えても答えは出ない。
ナイア。いつも寡黙で凛々しかったナイア。社員たちの中でも率先して、ボールの操縦を自分に厳しくも温かく教えてくれたナイア。
彼女を助けたい。それが無理だとしても――せめて仇だけは、討ってやりたい。
強い想いと無力感が交互にボナの思考と感情をぐちゃぐちゃに掻き乱していく中で、憑かれたように力を宿したフィオの言葉が、通信回線を流れていった。
『必ず、連れ戻す――どんな手を使っても』
新サイド4暗礁宙域内の『地理』を規定するのは、巨大な陸標となる廃コロニーや資源小惑星の存在である。
ルウム戦役で破壊されて今なおL1ハロー軌道に留まり続け、細かなデブリの雲の向こうに聳えるそれらの島影の位置関係が、宙域内での現在地を教えてくれる。
そして何よりも、それらの廃コロニーは陸標であると同時に、戦術拠点でもある。
MSどころか艦船でさえゆうゆうと隠蔽できる巨体。旧公国軍の要塞となったソロモンやア・バオア・クーのような分厚い岩盤による頑強さはなくとも、生半可な火力ではその全域を制圧することなどできない。
現在の新サイド4暗礁宙域で覇を争う地球連邦軍とジオン残党軍は、互いに複数の廃コロニー群を占領することで、本拠を守る前哨拠点を設けていた。
特にルスラン・フリートが仮装MS軽空母などを中核とする大戦力を配置し、恒常的な基地としている廃コロニーは『グスク』と呼ばれる。この『グスク』群の連なりと、そこを基盤として行動するルスランMS隊が形成する不可侵の絶対防衛圏こそが『聖域』である。
その『聖域』の少し外側、ルスランが誇る大MS部隊をもってしても恒常的には確保できない陸標群。地球連邦軍側も確保できてはいないが、両軍が常に敵の動きを監視しあっては侵入しあい、モグラ叩きのような牽制攻撃を仕掛け続ける、小競り合いの絶えない空間。
そここそが、両勢力による支配の空白地帯――白黒つかない灰色の『境界宙域』だった。
いま『ダーウィン』はその境界宙域内を漂うように、慣性だけでゆっくりと進んでいる。
光を発するスラスターの使用を必要最小限に留めて、暗礁宙域のデブリ群に紛れこみながらの慣性航行。もちろん進行方向の変更も、減速さえも自由に出来ない。低速だった。
むろん時間はかかる。目的地は宇宙の距離尺度なら目と鼻の先にあるはずなのに、このために行程は数日間を見込むことになってしまっている。
だが、どの勢力も明確に支配圏を確立できていない境界宙域では、目立つ動きなど最低限に留めねばならなかった。うかつに目立てば、すぐにルスラン・フリート本隊、あるいはその子飼いの宇宙海賊団が嗅ぎつけて突撃してくる。そうなってしまえば手に負えない。
だから『ダーウィン』は数日間もの行程を組んで、じっくり、ゆっくりと目標宙域へにじり寄っていくしかないのだった。
「――あ、いま作業ポッド……まだ使えそう」
「えっ? どこ、どこですか?」
その『ダーウィン』上面対空監視所で、アイネ・クライネ伍長が声をあげた。
船首に位置する船橋の死角をカバーするため、『ダーウィン』は船体後方の上下に対空監視所を設けていた。
この暗礁宙域では、ミノフスキー粒子の濃淡など関係なくレーダーは効かない。当たり前で、そこいらじゅうの空間をレーダー波を反射するデブリがいつまでも埋め尽くしている状態で、レーダーなどまともに機能するるわけがないのだった。
一方、熱源を探知する赤外線監視装置は使えるし、実際に一定の有効性はある。だが、相手が今の『ダーウィン』同様の慣性航行や待機状態で、スラスターを噴いたりと熱をまき散らすようなことをしていなければ、これとてやはり何も見えない。
だから未だに暗礁宙域では、人間の肉眼こそが最も頼りになる索敵手段なのだった。
「ほら、あそこ。ミラー残骸から、月の方向へ親指3つ分。……30キロぐらいかな?」
ドーム状の対空監視キャノピーの中でアイネが指さす方向に、マルミン・ポリンは大きな目を眇めた。双眼鏡を構え、ぱっと喜色をひらめかせる。
「ほんとだ! アイネさん、すごーい! 正規のMSパイロットって、ほんとに目が良いんですね! 尊敬です」
「いやー、それほどでも……」
にっこりと微笑みながら振り向き、マルミンは左右の二つ結びをぴこりと揺らす。可愛い、とアイネはじんわり思う。
マルミンは肉付きの良い、ぽっちゃり体型の少女だ。いつも機嫌が良さそうで、誰に対しても優しく明るい。ただ一緒にいるだけで、なんだか幸せな気分になれてしまう。
――こんなに可愛くていい子が、『境界漁民』なのか……。
P-04の港湾ブロックやこの『ダーウィン』の船橋で荒々しく啖呵を切った彼女の相棒にして社長、フィオ・アレントのこともアイネは思い出す。亜麻色の髪を長く伸ばした、町ですれ違えば思わず振り向いてしまうような美少女。
美貌はともかく、あの硬く気を張った刺々しさから、境界漁民の少女たちとは皆あんな感じなのかと思っていたのだが。
「あのポッド。拾えば、ちゃんと売れそうだけど……でも、今は残念ながらパスですね。もう境界宙域に入っちゃってますし、今の私たちには『本命』がありますから」
マルミンは残念そうに言いながら、その方向へそっと両手を合わせて目を閉じた。
「ごめんなさい。せっかく見つけられたのに、連れて帰ってあげられなくて」
「…………」
暗礁宙域をデブリとして漂う『ジャンク』にも、かつては持ち主が、そして乗り込んでいた人間が存在した。
そのまましばらく黙祷したあと、マルミンはアイネの施線に気づいて苦笑した。
「ごめんなさい。特に何か宗教、ってわけでもないんですけど、……こうやって手を合わせると、こういうところでも何となく、少しだけ気持ちが楽になるんです。ぜんぶ私のためです。私、身勝手なので」
ジャンクを回収する、ということ。
それはただ、宇宙機を操って宇宙に出る、という以上の何かを秘めた生業なのだろう。
妙に神妙になったアイネに、マルミンは再び微笑んだ。
「でも、アイネさんに見張りを手伝ってくれるって仰っていただけて、本当に助かりました」
「任せてよ。どうせ私みたいな下っ端には待ち時間にも大した仕事なんて無いし。それより、この作戦はあなたたちが主役なんだから。いま疲れてもらったら困るからね」
アイネはただ苦笑するしかなかった。
実際に乗り込んでみてから分かったのだが、『ダーウィン』の乗員不足は想像以上だった。
全乗員を『(おそらく、若く見目麗しい)女子だけで揃える』というクレア・ダーウィン船長の奇矯な方針が災いしたか、『ダーウィン』の乗員数は異様に少ない。恐ろしいことに、今まで格納庫と船橋で出会った数人だけでほぼ全員らしかった。まともに運行できているのが奇跡に思えてしまう。
そんな有様なので船橋はともかく、上下の対空監視は本来なら『乗客』のたぐいであるはずのアレント社の4人で担当するしかなかった。だが、たった4人で上下の監視を担っていては、1人の負担は1日12時間に達する。なお、これ以外にも掃除や洗濯といった雑務も振られている。
そこでアイネが手を挙げた。
フィオは怪訝にアイネの真意を疑うような表情を浮かべたが、やがて、好きにすれば、とばかりに放り投げた。マルミンとアシュリー・スコット予備上等兵は満面の笑顔で歓迎し、フィオの妹だという幼い可憐な美少女、ボナ・アレントもはにかみながら礼を述べた。
指揮官のカリナ・ベルトラン軍曹は嫌そうな顔をしながら、任務に支障がないのか聞いた。大丈夫です、とアイネが答えると、マリエル・エイムズ軍曹は黙認し、シエル・カディス伍長もやれやれといった仕草でアイネに続いた。ニノン・ルクレール伍長はいつの間にか消えていた。
アイネとシエルがアレント社に加わって、6人。これで対空監視の負担は1日8時間で回せるようになった。これなら許容範囲内だろう。
「対空監視は宇宙軍の基本だからね。新兵訓練の時から腕が落ちてなくてよかった――おっ?」
ベルが鳴ったかと思うと、笑うアイネの視界の隅で床のハッチが開いた。
「対空監視、お疲れさまです。差し入れを持ってきましたよ」
「おお? イネスさん、ありがとう!」
「ありがとうございます」
現れたのは、軟式ノーマルスーツ――いわゆるパイロットスーツの同等品に身を包んだ、『ダーウィン』航海士だった。船橋でフィオとカリナの大喧嘩が始まったとき、所在なさげに様子を窺っていた女性だ。
イネス・シブロンはアイネよりは少し年上なのだろうか。体型は細身、髪を後頭部で団子に結い上げ、いつも真面目そうな表情をしている。航海はまだ始まったばかりだが、頼れる存在だった。
「ごめんなさいね、人手不足の船で。お客さんたちにこんなことまでお願いしちゃって」
「大丈夫ですよ。『宝船』まで安全に航行したいっていうのは、私たちの目的なんですから。そのためなら、がんばります!」
「うう、マルミンちゃんは本当に素直でいい子だねぇ……。お姉さんは嬉しいよ……この船を買収することになったと思ったら、とんでもない大急ぎで出港準備まで済ませることになって、気付けば怒濤のようにここまで流されて来たけれど……今までの苦労が、やっと報われつつある感じがするよ……」
「た、大変だったんですね……」
イネスの目尻に何かが光る。だが泣くほどか? と差し入れのハンバーガーをかじりながらアイネは一瞬思ったが、すぐにその考えを打ち消した。
クレア船長はエキセントリック、相棒らしい猫耳カチューシャの童顔航海士はなぜかよく寝ているし、主に船内業務を回しているナオミは妙に適当な部分が多い。
よく気がつきよく働く性分のイネスがあちこち目に付く部分を必死に手直ししながら回しているから、ようやく『ダーウィン』はなんとかまともに動いているのだろう。心なしか、イネスの目の下にはうっすら隈が見えるような気もするが、果たしてこれは照明の加減の問題なのだろうか……。
せめてイネスさんにはいい給料をもらっていてほしいなあ。と半ば引きながらアイネは思う。
「はあああぁ、それにしても、……絶景よねぇ……。いいなぁ、……私も触りたいなぁ……」
「……ん……?」
監視室でほう、と熱いため息を吐きながらそう言われて、アイネは目を丸くした。イネスの視線は、新旧パイロットスーツの輪郭を丸く大きく押し上げる、みっちりと肉の詰まったアイネとマルミンの胸元へ交互に吸い寄せられていた。
「……えっ? あ……はっ!? ち、違うの! いや、いやいやいや、いやそうじゃなくて。今のはそうじゃなくて!!」
一瞬遅れで、疲れからか無意識にこぼれ落ちた自分の言動に気づいたのか、イネスははっと真っ青になって取り乱しはじめた。何を触りたい、と具体的に言ったわけでもないのに、その反応は激烈だった。アイネも思わず凍っている。
「え、えーと……あ、あの、イネスさん。お疲れでしたら……少し、触ってみますか?」
「――ふえっ?」
若干の困惑は隠しきれない様子ながらも、マルミンがイネスに両手を広げた。
「私、疲れた人をハグしてあげるのが得意なんです。これをやってあげると、たいていの人が楽になったよ、って言ってくれます。イネスさんもどうですか?」
「え……ええっ!? い、いいよ、私は……だ、だって……私の方が、年上なんだし……」
「イネスさん。せっかくだから、もう甘えちゃったらどうですか?」
「大丈夫ですよ。さあ」
「お、おお……っ」
逡巡しながらもアイネの賛同にも押されて、イネスは床から靴を離した。そのままマルミンの方に流れていき、そして、マルミンの豊かな胸で柔らかく、ばふ、と頭から受け止められた。
「おおっ……」
「イネスさん。お疲れさまでした」
耳元で優しく囁きながら、マルミンがイネスの頭を抱き抱えながらそっと撫でる。
「…………。ちょっと触っても、いい……?」
「いいですよ」
そのまましばらくの沈黙の後、イネスはマルミンの胸の中からようやく一言だけを発した。承諾を受けて、イネスはマルミンの胸の膨らみへと、遠慮がちに手を掛けた。
「おおー……」
「ん……っ、ん、ふぅ……っ」
イネスは乳首のありそうな部分は避けながらも、大きく柔らかなマルミンの乳房の質感だけをその手でたぷたぷと押し揉んで、薄いパイロットスーツ越しにしばし控えめに堪能した。それでもマルミンが時折かすかに反応するのを見ていると、アイネは自分が何を見せられているのかだんだん分からなくなってきてしまうような気がしたので、途中から頑張って一人で対空監視を再開した。
――マルミンちゃんのハグ、いいなぁ……。絶対、抱き心地とか最高でしょ……。
対空監視所の中に、二人の息遣いだけが聞こえる。アイネが出来るだけそちらを見ないようにしてから、どれだけ時間が経ったのか。
「――はっ、……。ごめんなさい、私……寝ちゃってたね!?」
「いいんですよ、イネスさん。いつもお疲れさまです」
目を覚ましたイネスが慌ててマルミンの胸から飛び出し、ようやく二人は離れた。
「ああ……ありがとう、マルミンちゃん。なんだか私、すごく楽になったような気がする……」
「お手伝いできてよかったです。イネスさん、本当にお疲れだったんですね」
「本当にありがとう。私、また頑張れそうな気がしてきたよ」
「それは何よりで……」
心なしか、イネスの顔色には血色が戻り、その瞳にも力強い輝きが感じられる。やはりマルミンのハグは羨ましいと思うアイネの前で、イネスはノーマルスーツ越しに両手を自らの胸元へ置き、自分自身の乳房を揉んだ。
「ああ、……やっぱり大っきいのって、いいなぁ……。私にもこんな貧弱なCカップなんかより、せめてもう少し立派なのがあれば良かったんだけど……」
世間一般的な基準なら、イネスの乳房も決して貧相などと言われるようなものではない。むしろ、細身のしなやかな身体に、スーツ越しにも存在が分かる程度には胸を膨らませられている乳房の存在は、十分に美しいと言えるものだった。
だがいかんせん、この『ダーウィン』ではその基準が壊れてしまっている。
亜麻色の髪の峻険な美少女社長フィオはFカップ、連邦軍MS隊を束ねるいつも不機嫌そうな栗毛の美女カリナ軍曹はGカップ。でたらめなクレア船長と豊満温和なマルミンはHカップ、そして、空前の爆乳娘・アイネはIカップ以上――イネスはそう観察し、評価・判定していた。
「P-04周りって……おっぱい大きい娘、多いよね」
マルミンの胸を心行くまで堪能したことで、どこかの安全装置が完全に外れてしまったのか、イネスは遠い目でいきなりそう呟いた。
「まあ、確かに……そう言われてみれば……」
マコト・ハヤカワ准尉、サブリナ・ミケリヤ少尉、リン・リンリー少尉。ルウム農協の二人。タニア・メーティス中佐。ロナ騎士団のキーラ・カトレイ騎士。
世間一般の基準ではそうそうお目にかかれないであろう水準の見事な巨乳を誇らしげに備えた、しかもいずれ劣らぬ美女・美少女が、確かにアイネの周りにはずいぶんと多い。しかも、その大半がMSパイロットや軍人、船乗りだ。
アイネが連邦軍のMSパイロット教育課程にいた頃には、大きすぎる乳房の悩みを共有できる仲間などいなかったのだが。
「ウチの船長だけでも相当すごいなーって思ってたけど、アレント社も連邦軍も、とにかく大っきい人が多くて……目の前でとにかく揺れるし、弾むし、柔らかそうだし……ずっと見てるとなんだかだんだん、ちょっと変な気分になってきてたんだよね」
「あー。確かに私の周りも、普通よりおっきい娘が多いような気はします」
「うーむ、……?」
考えはじめたアイネは思考に気を取られ、イネスの発言の業の深そうな部分をスルーした。マルミンはただ相槌を打ちながら微笑んでいる。
もちろん十中八九ただの偶然なのだろうが、ひょっとするとこれは何か、実は目に見えない謎の巨大な力が働いていたりする、ようなこともある、のだろうか……?
だが、アイネが考えはじめたところで、視界の隅――ドーム越しの暗礁宙域に何かが過ぎった。
「――アイネさん?」
呼ばれながらも、アイネはすっと表情を引き締めて無言で双眼鏡を構える。
光も高熱も発さず、デブリの雲に紛れて漂う影。そのフォルムをアイネは知っている。
――ガトル戦闘爆撃機。
旧ジオン公国軍がMS配備以前に採用し大量生産、一年戦争でも多数が実戦投入された機体。
だが、かつて戦没して機能を停止した、無害なデブリやジャンクではない。
機体に大きな破壊の跡もなく、もともと複座だったはずのコクピットは単座に改修され、何より、数機がまとまって緩やかに編隊らしきものを組んでいる。
そして間違いなく、こちらに向かって流れてきている。
「敵です」
宇宙海賊が、来た。
400字以上(基準)のご感想をお送りいただけた方を対象に、特別編「不死鳥のカケラ」を限定公開しております。ご感想お待ちしております。