ブッホ・グループ前方作業母船『ティグリス』、右胴部MSデッキ。
『ティグリス』整備班の支援を受けながら、アレント廃品回収社のMP『ボール』4機とダーウィン海運社のMW『ジム・ディガー』は広大な与圧格納庫内に並んでいた。
機体冷却に始まり各所の推進剤、無反動砲弾に燃料電池から潤滑油までの補充、さらには各関節部の点検整備から塗装修復に至るまで、アレント社の少女パイロットたちが立ち会う中で、作業は順調に進行していった。
『ティグリス』では資材も機材も潤沢で、整備士の人数も充実している。もともとの予定では航海の途中で『ボール』の整備所要が発生しても、アレント社の4人で『ダーウィン』へ持ち込んだ乏しい在庫をやりくりしながら4機の面倒を見るはずだった。それを思えば作業の早さから質に至るまで、すべてが圧倒的だった。
「でも、これって、……お高い、……ですよねぇ……」
あからさまに引き攣った笑顔で、マルミン・ポリンはブッホの整備士に質問した。
推進剤、砲弾、潤滑油、交換部品、燃料電池、装甲、塗料――あれだけ派手に宇宙海賊と戦った後の整備なのだから、相当に高く付くはずだ。アレント社の財務状況はかなり厳しい。
ましてやマルミンは境界漁民だ。この『ティグリス』にも回収品の査定と納品、それに補給で何度か来たことがある。彼女たちの元締めとも言うべきブッホ・ジャンク社が、その境界漁民との商売でどれだけ儲けているかもよく知っている。
ここから肝心の『宝船』を取りに行くためには必須の整備とはいえ、また借り入れが増えてしまう。――いや。こんな会社にこれ以上、いったい誰が貸してくれるというのだろうか。
「いえ。今回の整備負担は全額を当方の騎士様持ちで、と伺っております」
「えっ?」
意外な答えに目を丸くするマルミンに、整備士は慇懃さを崩すことなく回答した。
「君たちの勇気に、少しでも報いたいからね」
「――シーゲル騎士?」
降ってきた声にマルミンが顔を上げれば、同じデッキ内に駐機する『ブッホ・ギャン』から騎士ヴィリ・シーゲルが跳んできていた。そのまま目の前に降り立つ。
「『亡霊』の件は君たちだけの問題じゃない。他の境界漁民や、それに当社の従業員にも多くいる女性たちから、一刻も早く不安を取り除かなければならない。――本来ならこの作戦はアレント社でも連邦軍でもなく、我々ロナ騎士団こそが先導するべき事業だった。それを君たちに任せてしまっている、せめてもの罪滅ぼしだよ」
「……そ、そうなんですか……」
かすかに頬を紅潮させ、マルミンはヴィリから視線を伏せる。
そのとき聞き慣れた少女の怒声がMSデッキに響いて、マルミンは慌ててその方向を見た。
「――フィオ?」
「無理? 無理ってどういうことよ!」
「いえ、ですから……被弾箇所の損傷が深すぎるのです。短時間の修理だけではどうにもなりません。ここからまた戦闘にも耐えられる水準にまで復帰させるとなりますと、本格的な分解整備と交換用ユニットの請求で、しばらくお時間を――」
アレント廃品回収社の4機編隊で唯一『シンガトル』の40ミリ機関砲弾を多数被弾した、社長フィオ・アレントの『ボール』は見るも無惨な状態だった。装甲にはいくつもの弾痕が刻まれて塗料が剥げ落ち、コクピット内壁に破孔まで生じている。先ほどの戦闘を最後まで継続できたのは、かなりの幸運だったのだろう。そう簡単に修理が完了しそうな気配はない。
それでもフィオは食い下がる。
「私たちは時間がないの。他の3機と一緒に『ダーウィン』へ復帰してすぐに出航できないと、間に合わないのよ。本当に簡単な応急処置だけでいいから! 後のことは何とかするから、それでなんとか……なんとかならないの!?」
「そ、そう仰られましても。ダメージが内部の電装や駆動系にまで及んでいる可能性もあります。当方としましても、さすがにこの状態でお返しするわけには……」
しかし整備士側も折れず、両者は膠着した。ちょうど各機の整備支援に目処がつき始めたボナ・アレントやアシュリー・スコットがそれぞれの機体から顔を出しはじめたが、二人とも状況がよく分からないのか介入もできず、ただ困惑している。
「ああ、フィオ……何してるのよ、もう……っ!」
なんとか親友をなだめようとマルミンが向かおうとしたとき、目の前をすっと男の影が横切った。
新たに現れた男に、フィオが怪訝な目線を向ける。
「機体の状態が思わしくないようだね」
「そ、……そうだけど……」
ヴィリはフィオ機の破損状況を間近で観察し、整備士からチェックリストを受け取って目を通すと、微笑みながら顔を上げた。
「なるほど、状況は分かった。ではアレント社長、あなたの『ボール』をこちらの『ボール』と作戦期間中だけ交換させてもらう、というのはどうかな?」
「えっ……?」
予想外の提案に思わず目を丸くしながら、フィオは『ティグリス』MSデッキ内を再度見渡す。
『ダーウィン』から飛来した編隊とヴィリの『ブッホ・ギャン』と『バイガトル』の他に、『ティグリス』格納庫内にはさらに数機の『ボール』が奥の方に駐機している。ロナ騎士団――いや、ブッホ・セキュリティ社の方ではなく、ブッホ・ジャンク社の機体らしい。
そういえば『ティグリス』へ着艦する前、周辺や甲板上には警戒中らしき『ボール』数機の姿があった。ブッホの在庫を今の機体と一時交換してもらえるなら、整備の問題は解決する。
「もちろん無償で構わない。整備班長。確か、すぐに動かせる状態のいい機体があったはずだな? あれをお渡しする準備を頼む」
「畏まりました。――おい!」
少し離れた位置からこちらの様子を窺っていた『ティグリス』の整備班長らしき人物をヴィリが呼び止めると、その指示を受けた整備班員たちが素早くざっと動き始めた。
「今までの機体と同じルナツー工廠製でロットも近いし、慣熟に大きな手間は無いと思う。P-04の連邦軍仕様に合わせた『M2』型規格のアップデートを済ませてあるのも同じだ。どうかな」
「…………」
整備士たちが群がって状況確認を開始した『ボール』を遠目に確認しながら、フィオは一瞬だけ黙考した後、ヴィリへ向かって顔を上げた。
「勘違いしないで。これは『借りる』だけよ。この『貸し』は、必ず返させてもら――」
「そんなところまでご支援いただけるのですかっ!?」
フィオが堂々と言い切りかけたところで、女が無理矢理割り込んできた。ヴィリもそちらへ顔を向ける。
「本作戦へのロナ騎士団による適時的確熱烈なご支援、地球連邦軍を代表して心より感謝申し上げますっ。今回のご厚意は、必ずや上級司令部にもお伝えさせていただきます!」
「そうですか? それは……、よろしくお願いします」
カリナ・ベルトラン軍曹は他の『ダーウィン』勢がこれまで誰一人見たこともなかった明るい笑顔を輝かせ、その長身と巨乳でフィオを押しのけながらヴィリへ迫っていた。
「私、『クシナダ』任務部隊指揮官を仰せつかっております、カリナ・ベルトラン軍曹と申します! この機会に、ぜひに騎士様に一度ご挨拶をとっ」
「ああ、ベルトラン軍曹。……P-04以来だね」
「覚えていてくださったんですね! 嬉しいですっ! あ、もしよろしければこの後、作戦会議を兼ねてお食事でも――」
「申し訳ない。食事はさっき済ませたばかりなんだ」
「…………」
半月近く続く真夜中の月面のように冷え切った目で、フィオは二人のやりとりを静かに見上げる。
恥も外聞も捨てて表情を緩め声色まで変え、とにかく可愛げを特盛りにしてヴィリとの距離を詰めにきたカリナの姿は、『ダーウィン』での殺気立った仏頂面など原型さえも留めていない。
「残念ですぅ! じゃあ立ち話もなんですし、あちらのお部屋で少し落ち着いてお話しましょう。騎士様、普段はどちらでお仕事されてるんですか?」
「ここ最近は現場に出ずっぱりかな」
巧みな位置取りでヴィリの視界の外へとフィオを押しやって消し去りながら、カリナは完璧なディフェンスで確保したヴィリをじりじりと、そのお部屋とやらへ誘導していった。
呆れを通り越し、半ば感心しながらフィオは二人を見送った。
「ふん……。いい大人になっても乳のデカい女には、頭のおかしい奴しかいないのか」
年齢相応の水準を大きく上回って発育した、自身の胸部は完全に棚上げしながらフィオは呟く。ヴィリが一時交換してくれるという『ボール』を確認しようと、格納庫内を流れるリフトグリップを掴みに跳んだ。
「……!」
だが移動中、ちょうど『ジム・ディガー』のコクピットハッチから顔を出したアイネ・クライネが視界に入って、フィオは思わず顔を上げる。一瞬だけ目を逸らして考え、それからグリップを放した。壁を蹴り、真っ直ぐにコクピットへ跳びこんでいく。
「――あれ? 社長」
フィオが着地した『ディガー』のコクピット内にはパイロットであるアイネの他に、連邦軍クシナダ任務部隊唯一の整備兵であるマリエル・エイムズ軍曹も付いていた。突然の来訪者に、怪訝そうな顔を向けてくる。
だが年上で軍人としての階級も上の二人相手に物怖じもせず、フィオはアイネに直球を投げつけた。
「さっきの出撃、無謀すぎるって思わなかったの。このMW、初めて乗る機体だったんでしょ。事前にシミュレータぐらいは走らせてたかもしれないけど、整備の程度も、機動プログラムと実機のズレ具合も分からなかったはずでしょ。まともに戦えないかも、とか考えなかったの」
「え……? あ、ええ……そ、そうだね」
さすがに呆気に取られ、アイネは目を瞬かせた。その間にも、フィオはひたすら言葉を重ねてくる。
「余計なことして責任取らされるとか、まともに動かないかもしれない単機で出ても普通に負けて殺されるだけとか、考えなかったの。何を考えてたの」
「…………」
アイネはすっと目を細めながら、静かに圧を掛けてくるフィオの向こう側を見るように視線を上げた。一瞬の沈黙が落ち、マリエルがフィオに何か言おうとした瞬間、アイネは口を開いた。
「私、一回死んでるの」
「――は??」
返答の意味が分からず、フィオは露骨に顔を歪める。構わずにアイネは続けた。
「初任務でジオン残党に襲われて、味方もみんな全滅して、機体の手足も落とされて。それで敵のMSに捕まって、コクピットにビームの刃を突き刺されたの」
「?? び、……ビームで、コクピットを……動けなくなったところで? あんたのMSの?? それってまさか、『大ジオン仏道』とかいう――とにかく襲った相手はわざわざ全部皆殺しにする、やばい残党兵じゃ――」
「まあ、死んだなあ、って思ったよね。――でも、生きてた」
困惑するフィオに、屈託なくアイネは笑った。
「『トラキア』に拾われて、信じられる人たちに出会って。私は亡くしたはずの命をもう一度拾って、二度目の人生をやり直すことになった。で、……こうやってまだ、生きてるんだからさ……。やりたいこと、やらなきゃいけないことが出てきたら、それは絶対に全部ちゃんとやろう、って決めてたんだ」
どふっ、とリニアシートに深く背中を預けて両手を組み、瞑目しながらアイネは呟く。
「ひょっとするとこの世界は全部、ビームで焼かれそうになってる私がこの世で最後の一瞬に見ている夢で、ふっと目を覚ましたらみんな消えて無くなってるかもしれないけど。――それでも、後悔だけはしたくないなあ、って」
「頭、……おかしいんじゃないの」
「…………」
無言でマリエルが見守る中、フィオは視線を切りながら吐き捨てる。しばらく考えた後、フィオはハッチの縁を蹴った。リニアシートの両側にどん、と手を突いて流れる身体を止めながら、アイネへぐい、と顔と身体を押し寄せる。
「社長……?」
顔に掛かる少女の吐息でアイネが瞼を開くと、逃げ場もないごく間近から、亜麻色の髪の美少女が深い瞳でまっすぐにアイネを覗き込んでいた。
「あのアシュリーって子も大概だったけど、……多少は頭のおかしい奴の方が、ここらじゃいい仕事をすることがあるのかもね。――アイネ。この先、軍を放り出されても軍法会議を食らわずに済んだら、ウチに来なさい」
「へっ??」
それだけ言い残すと、フィオは再び足を掛けたコクピット・ハッチを五体の力で蹴り押して、飛び出していった。
「しゃ、社長? ――う、うわっ!?」
腰を浮かせて見送ろうとしたアイネが、潰れた蛙のような悲鳴を上げてのけぞる。謎の黒い『気配』を全身から沸き立たせるアシュリーが、爛々と光る異様な視線でアイネをじっと見つめていた。
「……社長と、クライネ伍長殿……あんな距離で、何のお話だったんスか??」
「な、何って……ええっと。……この先の、……作戦の……こと、とか……?」
「…………。そっスか」
跳び去っていくフィオの背中に一瞬の視線をやり、それからアシュリーは無言で、整備と補給作業を終えつつある自機の方向へ戻っていった。
「…………?? ……何だったんですかね、今の……」
「さあね……」
一方的に去っていった二人の少女などはすでに眼中になく、マリエルは心底呆れた、そして完全に気抜けした声で呟く。途中から『ディガー』の電子整備マニュアルに目線を落としていた。
フィオも相当な美少女だが、マリエルの幼く繊細なこの横顔もやはり格別に可憐だな……。普段はまじまじと見ることの出来ない年上(のはず)の童顔美女の横顔を、アイネはここぞとばかりにじっくりと、舐めるように観察した。
「何にせよ、クライネ伍長が『並み』じゃないってこと、私もここで段々分かってきた。肝心のカリナはずっとあのザマだし――私たちの力で、あの子たちを守ってあげるとしましょう」
「……はい? ――はい! …………はい、…………」
マリエルは心底どうでも良さそうに、整備詰所らしきガラス張りの一室にロナ騎士を連れ込んでは、表情と仕草をめくるめく変えながらとにかく距離を詰めようとあれこれ喚き立て続けているカリナと、笑顔のままのらりくらりとかわし続けるヴィリの二人を遠目に一瞥する。アイネも同じ情景に視線を移して表情を引き攣らせつつ、無言で再び点検作業の続きへ復帰した。
「――こんな娘だから、彼も、……おかしくなっちゃった、のかな……」
メモ帳にペンを走らせながらぎゅっと唇を噛み、か細く呟いたマリエルの小さな言葉は誰にも拾われることなく、『ディガー』のコクピットと『ティグリス』格納庫の喧噪に消えていった。
「それにしても、初手から『亡霊』ではなく『蜂』に出会すとは。ほとほと運のない航海もあったことだ」
「まったく参ったよ。こちらからおかしな藪を突(つつ)いた覚えは無いのだがね」
ジャンク回収母船『ダーウィン』船橋。
パイソン90級のゆうに数倍、サラミス改級巡洋艦と比べてもなお大きい『ティグリス』の巨体に接舷して、各所の機関部への推進剤補給が進行している。イネス・シブロンやナオミ・シスラーなど『ダーウィン海運社』所属の乗員たちはそれぞれ船橋や機関部で対応業務に当たっているが、船長のクレア・ダーウィン自身は船長席でモニタ群に映る現場映像を眺めながら、ロナ騎士団からの来客とのんびり談笑していた。
『貪食の蜂(Guttling Hornet)』――今回アレント社が迎撃した宇宙海賊第二波の、『シンガトル』や『ザクⅡ』の機体に刻まれていたエンブレムがそれだった。その噂はクレアも聞いたことがある。
『貪食の蜂』は『傭兵系』の宇宙海賊だ。
一口に宇宙海賊と言っても千差万別だが、実際のところその特性は大きく4系統に分類される。適当な商船を襲っては拿捕略奪を狙うような、古典的で分かりやすい『強盗系』も数多いが、もちろんそれだけではない。
新サイド4暗礁宙域の中でも特に連邦官憲の目も手も届かず、無法地帯の度合いが高い境界宙域に構えた拠点を活用して、兵器に麻薬から人身に至るまでの各種禁制品を売りさばく『密輸系』も相当数を占める。
他には地球連邦支配下の地球圏では自らの理想や信仰が追求できないとして、あえて危険で不便な境界宙域に拠点を置いて独自の活動を行う『思想系』も相応にある。
そして外部の依頼者に雇われ、示された標的への襲撃を主にするのが『傭兵系』だった。
例えば、トラキア隊と交戦した『キャリフォルニヤの悪夢』は強盗系と傭兵系の中間的な存在らしい。地球圏の各地で拠点や船舶、時には連邦軍まで襲っては一人残らず殲滅している『大ジオン仏道』は傭兵系に近い動きを見せることも多いものの、一方では雇い主らしき存在の姿がなかなか見えないことから、やはり『思想系』なのではないかとも言われている。
そして『貪食の蜂』は最近になってその名を轟かせはじめた『傭兵系』の宇宙海賊で、これまで数々の襲撃作戦を成功させてきた実力派なのだという。
だが『貪食の蜂』が注目を集めている理由は、もう一つ別にあった。クレアが目を細めながら呟く。
「――『蜂』の連中、主要構成員はみな女らしいと聞いたが?」
「ああ。他の海賊団との共同作戦も少なくない連中だが、少なくともその核になる『シンガトル』のパイロットはそうらしい」
「キャノピー越しにもノーマルスーツの乳が目立つ、か。それなりのものを持っているのか、それとも単に盛っているのか」
フィオ機とアイネ機が録ってきた、至近をすれ違う『シンガトル』とそのパイロットの映像をモニタに流しながら、クレアは自分の巨乳を持ち上げて笑う。その脳天気な発言に、船橋前列で作業対応に追われるイネスの耳がひくつき、一瞬の横目を送った。
高速で戦場を疾駆する『シンガトル』のコクピットから印象を残すほどに大きいという『雌蜂』の乳も相当だが、後ろの船長と騎士の二人はそれに勝るとも劣らない。並び立つ姿は絶景である。気が散って仕方なかった。
だが必死に邪念と戦うイネスを横目に、クレアはキーラへ仕掛ける探りの入れ方を思案していた。
ダーウィン海運社のような新参などよりよほど長年に渡って、境界宙域の闇にどっぷりと浸かっているロナ騎士団ならば、『蜂』とその背景についてのより詳細な情報を持っているはず――なんとすれば、直接の接点さえも。そう考えてさりげなく牽制を掛けるクレアを、騎士キーラ・カトレイはただ澄まし顔で受け流すだけだった。だがクレアはふてぶてしく笑って、もうひとつ押してみる。
「傭兵海賊として鳴らした『貪食の蜂』が、なぜか境界宙域を渡る隠密航海の航路に居合わせて本船を襲ってきた。これは果たして本当に、本船がたまたま『蜂』近くを通りかかったから襲われた……というだけのことなのかな?」
「そういうこともある。何しろここは『魔の空域』だからな。ただ――」
ちら、とキーラは暗礁宙域を見る目を横へ外してクレアを見た。
「これまで単体での行動事例しか報告されていなかった『亡霊』が、ここに入って急に行動を変えてきた、という可能性も否定できん。何しろ奴の背景は完全な謎だ。『亡霊』がいきなり気変わりして『蜂』を飼ってみることにした、という可能性もゼロにはならない」
「急な宗旨替えは勘弁してもらいたいな。初志貫徹する気概は無いのか。――そもそも『蜂』も女だと言うのなら、いっそ『亡霊』と共食いしてもらえないものかね」
今まで行動パターンを大きく変えてこなかった『亡霊』が、ここで急にこれまで無かった動きを見せるとすれば、何かきっかけがあったはずだ。
最も考えられる原因は、『亡霊』そのものの排除を狙う『クシナダ作戦』の情報漏洩だろう。とすれば、漏洩の経路は何か。『亡霊』が仕込んだ内通者なのか。
あるいは『亡霊』が直接雇ったわけではなく、作戦の成功を快く思わない別の何者かが『蜂』を放った、という可能性はどうか。
自ら立案したクシナダ作戦を奪われた『ルウム農協』。地球連邦軍『中央派』にメンツを潰された『現地派』……可能性として無くはないが、ではそうやってこの作戦を潰せたとして、彼らに何の利益があるというのか。単純な気晴らしだけか。それだけで『蜂』を雇って友軍を襲わせまでするものなのか。
あるいは『中央派』の首魁であり、後ろ暗い特殊作戦の達人だというヨランダ・ウォレン准将子飼いの、謎に包まれた特殊部隊のひとつか。能力的には適任だろうが、やはりこれも動機が見えない。
そもそも今まで『女だけを狙』ってこられていたとなれば、その情報網はすでにP-04の奥深くにまで根を張っているはずなのだ――『亡霊』自身が、ニュータイプでない限り。
では――そうだったとすれば、どうか。
一年戦争末期にア・バオア・クーで消えたという、旧公国軍の大物にして伝説のニュータイプ・エース、『赤い彗星』ことシャア・アズナブル大佐が、潜伏の果てに正気を失った末路。
あるいは軍縮を迫られている地球連邦軍が、例外的に潤沢な予算を確保して密かに各地へ林立させているという、ニュータイプ研究所からの脱走兵か。『人造アムロ・レイ』の量産という人外の神業を果たすため、相当に無茶な『強化』が行われているらしい、という怪しげな噂は絶えない。その被験者の、なれの果てが『亡霊』なのではないのか。
「ふうむ……」
クレアは指先でこめかみを叩く。手元には断片的な材料しかない。とりとめのない推理までは出来るが、それ以上先に進むには材料が足りなさすぎる。視線を女騎士へと転じた。
「しかし、騎士殿は怖くはないのかね? 『ブッホ・ギャン』と『バイガトル』の機動性は見せてもらったが、『亡霊』はデブリの物陰に潜んでいきなり襲ってくると聞く。ルスランの本隊や大抵の海賊にならロナ騎士団の威光も通じるだろうが、あれはそういう話や駆け引きが通じる相手でもあるまい。――小勢での境界宙域の巡察、骨の折れることだな」
ロナ騎士団が境界宙域を巡察する際の基本編成は、騎士の乗機である『ブッホ・ギャン』2機とその『乗馬』となる『バイガトル』2機で1組らしい。機動性はあっても決して大きな戦力ではないし、何より『亡霊』はいつ襲ってくるか分からない。境界宙域にいる間中、得体の知れない敵を相手に神経をすり減らし続けることになる。
「私には、ヴィリがいるからな」
「ふむ?」
相方となる男騎士の名前を急に出されて、クレアは目を瞬かせながらキーラの次の言葉を待った。
「あれは私の幼馴染だ。いろいろ言いたくなることもあるが、確かに腕は立つし、背中を預けて心配はない。――頼りになる男だよ、あれは」
その言葉が帯びる色合いはかすかに、だが確かに、今までの淡々とした女騎士の物言いとは異なるものが混じっていた。そう感じ取って、クレアは大きく目尻を上げる。
「ほほう? 騎士殿は随分と相方を信じて推しておられるようだが――ベルトラン軍曹は、ずいぶんと張り切った様子で『ティグリス』へ向かっていきましたぞ?」
クレアは意地悪く笑って窓の向こう側、彼らがいるはずの『ティグリス』MS格納庫に視線を移す。
アレント社一同が『ティグリス』で整備を受けることが決まり、一方でヴィリは男子禁制の『ダーウィン』に来られず『ティグリス』に留まるらしいと分かった瞬間、カリナは矢庭に自身の『ティグリス』行きの必要性を猛烈に主張し、アレント社やアイネとの同行をねじ込んできたのだ。完全に必死だった。
あれは面白いものを見られた、とクレアは思っている。
カリナもあれでなかなかの美女だ。あれだけなりふり構わなければ、意外といいところまでロナ騎士団の内懐を搔き回せてしまえるのではないか。
だが、キーラは一笑に付すだけだった。
「あれに妙な虫が付くような心配などはしていないさ。いや、いっそ――この機会にでも、付いてくれればいいのだがな」
「?」
よく分からないことを言ったまま、ふっと苦笑したまま遠方の廃棄コロニーを見つめるキーラの横顔に、クレアは今までなかった影を感じて静かに目を細めた。
「まったく……。私も、あれも……いつまであの日に囚われているのか、な……」
女騎士が静かに呟いた言葉は誰にも拾われることなく、ダーウィンの船橋に消えていった。
ご感想・評価ありがとうございます。
続きを書く上で大変励みになっております。
ぜひお送りください。